終章

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終章

 セリナは、王城の前に続くなだらかな坂道を下った場所を歩いていた。  一度足を止めて、王城を振り仰ぐ。  王女は目覚めた。  身体は健康的で、記憶がない以外は問題がない。  国王から「約束通り褒美を」と言われたため、貧困に喘いでいるという東南にあるルーリ地方への寄付を要望してきた。国庫には余裕があるようだし、構わないだろう。 「どうした」  隣にいたカインが、セリナに問う。 「こんなに多くの人と接したの、久しぶりだったから。セフィやフィンに挨拶できなくて残念だわ」  セリナは、カインへ顔を向けた。 「本当に一緒に行くのね」 「くどいぞ、もう決めた」 「聖騎士なんて、そうそうなれるものじゃないんでしょ。実家は大丈夫なの?」 「当主である兄には許可を取った。渋られたが、最終的には認めてくれた。あいにく両親は領地にいるので会えないが……母は、むしろほっとするだろう」  カインは自嘲的に笑い、白い手袋をはめた手で背負っていた荷物を背負い直した。  貴族らしからぬ簡素な衣類に身を包んでいるのに、精悍な顔立ちや引き締まった体躯のせいか、やはりいい男だ。  セリナは目を伏せた。 「呪いは……本当に、解かなくていいの?」  カインの呪いを解くことになったのは、数日前。  かつてカインの実家が行っていたという、狼神を使役する呪術の具体的な方法や場所を調べていくうちに、過去にもカインのように「呪われた男」がいたという事実が出てきたのだ。  その男は女に触れると凶暴化するために、幽閉されて生涯を終えたという。  しかも記録には、その男は百五十年以上も生きた、と記されていたのだ。  カインはその前例を知り、呪解を辞めた。 「あの記録が偽りかもしれないとわかっているが、もしかしたら事実かもしれない。人として生涯を終えるより、呪われた身としてでも、少しでも長くお前の傍にいたい」  カインの決断は、嬉しいやら寂しいやら切ないやらで、なんとも言い難い。  けれど、カイン自身が悩んだ末に決めたことなのだから、セリナはもう、「カイン自身の幸せ」を決めつけて突き放さないことにした。  沈黙が降りた。  そこに。  セリナを明るく可愛らしい声が聞こえて、セリナは勢いよく振り返る。  セフィリアがドレスの裾を掴みながら、全速力で走ってきた。セリナの前までくると、セフィリアは呼吸を整えながらもにっこり微笑んだ。 「よかった、間に合って。これを渡したくて」  そう言って差し出されたのは、折りたたんだ紙だった。 「今暮らしてる屋敷と、実家の場所よ。新しい住処が決まったら、連絡をちょうだい」 「うん。わかった、どっちに送ればいい?」 「今暮らしてる屋敷のほうに。基本、そっちでバロック卿に仕えてるから」  セフィリアはセリナの手を取り、両手で握り締めた。  そして、ちら、とカインを見る。 「二人で行くのね」  セリナは、頷く。 「ええ。二人で暮らすことにしたから」 「素敵。夫婦になるのね!」 「え? ええ、っと。よくわかんない、かな」 「愛し合ってるんでしょ。素敵ね」  問われて、セリナは無性に恥ずかしくなった。  頬をほんのり赤らめて、頷く。 「私もいつか、理想の男性に出会って幸せな家庭を築きたいわ」  うっとり、と微笑むセフィリアに、セリナは苦笑する。  幸せな家庭――それは個々によって理想は異なるだろう。  ナルは、ちらりとカインを見たあと、セフィリアに聞いた。 「セフィは、どんな人が理想なの?」 「えっと、一途に思ってくれて、私のことを大切にしてくれる人かしら」 「……そう」  セリナはそっと目を伏せる。  ぎゅっと握り締められた手のひらのぬくもりが、無性に嬉しかった。  王城に滞在している間、セフィリアはセリナを友達だと言ってくれた。セリナはやや一歩引いたところで関わっていたが、こうして手を握り締めてくれる友達というのも、悪くない。 「あとは、そうね。具体的に言うと、雌豚みたいな男がいいわ。私の足元に跪いて、蹴られるたびに喘ぐの。うふふっ、素敵」  とんでも発言にカインが数歩後ろへ下がったのが見えたが、セリナは微笑んだ。 「いつか出会うわ」 「本当にそう思う?」 「ええ。……本当のあなたを愛してくれる人」  目を見張ったセフィリアがセリナの手を放そうとする。  その手を、セリナのほうから握り締めた。 「必ず連絡するわ。まだ今後について決めかねているから、少し先になるかもしれないけど」 「え、ええ。……待ってるわ」  セリナは手を放して、微笑した。 「それじゃあ、行くから」 「最後に一つだけ、聞かせて?」 「うん?」 「……マリアンヌ様は、本当に奇病だったの?」 「そうよ」  迷うことなく答えた。  セフィリアは、少し考え込んだあと頷く。 「そうだったのね。てっきり、呪いとかそういうアレだと思ってた」  セリナは笑ってみせた。  否定も肯定もせずに、ただ微笑む。 「あっ、引き留めてごめんなさい。それじゃあ……またね」 「ええ、また」  セリナはセフィリアに手を振って、背を向けた。  一度も振り返ることなく歩き、王都を出た頃になって、カインが憮然と呟いた。 「随分と仲がいいな」 「え? あ、セフィと? 友達になったのよ」 「手を繋いでいたようだが」 「……なに、妬いてんの?」 「当然だ」  なぜ自信満々に肯定するのだろう。  セリナは苦笑する。  カインはふいに白い手袋をはめた手を見つめ、ぐいぐいとすでに嵌めている手袋を確認しはじめる。 「……しっかりと嵌めている」  呟くと、おもむろにセリナの手を握り締めてきた。  手を繋いで、歩き始める。  まるで若いカップルのようだ。と思いながらカインを見ると、嬉しそうに、にまにま微笑んでいる。 (……子どもみたい)  カインが嬉しいのなら、セリナも嬉しい。  セリナもまた、繋いだ手を握り締めた。  *  新しい住処を決めて、三カ月が過ぎた。  セフィリアから届いた手紙を読み終えて、セリナはその手紙を小箱へしまう。山を下りた場所にある空き家を貰い受け、そこに手紙が届くようにした。時折深夜に山を下りて、手紙が届いていないか見に行くことにしている。  相変わらず、セリナは山の深いところで暮らしていた。  人は近寄らず、自然が多くて食べ物にも困らないのだから、最適な場所といえる。  セリナは自分で作った小さな寝台に腰をかけたまま、小箱を見つめた。  友人からの手紙が入った、大切な宝箱。  それをそっと床に置いたとき。 「セリナ」  もそもそと、毛むくじゃらの巨体が現れた。  カインはセリナの隣に座ると、セリナを抱き上げて自分の膝の上に乗せる。  住処を決めてややのち、カインと話し合って、カインは常に獣型でいることになった。  カインは獣化を繰り返すほど、理性を保てるようになっている。もしかしたら、獣の姿に慣れることで、確固たる理性を保ち続けることが可能になるかもしれないのだ。  実際、カインは獣の姿になっても、理性を失わなくなった。本能や欲望を覚えると暴走するが、それでも自制できる場合もある。  もしかしたら。  いつかカインの意志で、獣の姿と人の姿、両方に変化することさえ可能になるかもしれない。カインには告げていないが、セリナはさりげなくそんな希望も抱いていた。  膝の上に乗っかったセリナを、カインが抱きしめる。  頭にぐりぐりと頬を摺り寄せてきた。 「どうしたの、甘えたいの?」 「ああ」  苦笑して、カインの頬を撫でる。  そのまま両手を伸ばして、獣の頭を抱きしめた。  カインもセリナを抱きしめる――けれど、ふと、臀部に固いものを感じた。それを露骨に押し付けてくるのだから、気づいてほしいのだろう。 「したい?」 「したい。……セリナと」  そう言い終えるなり、首筋をざらりとした舌が舐めた。 「身体は大丈夫か。最近、出血も少なくなりつつあるが」 「人の身体って、いろんな環境に対応するのねぇ。びっくりだわ」 「む? どういう意味だ?」  カインを受け入れられるようになってきている自分の身体が、恐ろしい。  他の男と関係を持つつもりはないので、むしろ嬉しくもあるのだが。  熱を持ち始める身体に、セリナは微笑む。  心地よい愛撫を受けながら、ふと、考える。  セリナは独りではなくなった。  けれど、いずれどちらかが先に死ぬだろう。  別れは誰にだってくるし、セリナたちに限ったことではない。  例えカインが先に死んでも、セリナは生きていく。一人になっても、それはもう、独りではないだろうから。  いつか命尽きるその日まで、セリナは山奥にあったローグ村とそこで暮らしていた人々を、覚え続ける。  カインもまた、セリナが先に死んでも生き続けるだろう。生きて、セリナのことを覚えていてくれるはずだ。  なんて、自分は幸福なんだろう。 ――『生きる』ことの幸福を、セリナは噛みしめた。 END
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