2、呪われた姿

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2、呪われた姿

 カインは、団員たちが寝静まったテントの間を通り抜け、見張りとして立たせている者たちを確認した。見張りの者たちはカインを見ると「異常ありません」と告げる。彼らに頷き、カインは屋敷を見上げた。  某伯爵の別荘だが、伯爵本人がここへやってくるのは年に一度か二度ほどだという。ほぼ無人で、庭師のみ専属で雇っているそうだが、屋敷内の掃除は使用する直前になって使用人を派遣させ、大掃除を行うのだと言っていた。  その伯爵は国王と懇意にしており、これから王都へ目指す旅路の途中で泊まる屋敷もまた、それぞれ国王が信頼している貴族らが所有する屋敷の予定である。第一部隊の団員はカインを含めて十六名もいるので、一般の宿では人数が足りない。セリナと世話係のフィンだけを宿に置いて団員だけが野営する方法もあるが、それでは距離が離れすぎて護衛の意味をなさなくなる。  屋敷を借りる手筈は面倒だが、いざ使用するとなると、やはり一般の宿よりは使い勝手がいい。さすがに団員は屋敷の空き部屋を使用することはできないので、庭園で野営することとなるけれど。  カインは団員の人数が足りていることを確認すると、セリナの部屋へと向かった。屋敷の出入り口には部下を配置させているため逃亡することはないと思うが、念のために確認をしておこう。  もし起きているのなら、夕方に話した件について口止めもしておきたい。  カイン自身が呪われている事実を言い当てられて動揺し、尊敬する国王を侮辱され、感情のまま部屋を後にしたけれど、実家のバーディリス家が狼神つきの呪術を行っていた件は、知られるとまずい。公爵家という高い身分を得ている分、信用を失い嫌悪されると失墜も大きい。最悪、廃家になる可能性もあった。 (口止めでさえ、何かを要求されかねないな)  カインはまだセリナという娘をよく知らないが、随分と強かな娘であることは理解していた。そしてカインがこれまで出会った誰よりも、医術と魔術の知識が豊富だろうという予感がした。  セリナの部屋の前まで来て、夕方のことを思い出して軽く舌打ちをする。  カインが呪われていると言い当てたのは、セリナが初めてだ。科学の研究が進みつつあり、魔術が廃れた現在、人々は呪術など迷信だと思っている。だから呪いなどという非現実的な考えを持とうとさえしない。  そんな世の中にあって、カインの秘密を言い当てたセリナは、やはり「本物」なのだろう。だが、だからと言って実家が狼神つきの呪術をしていた旨を話す必要はなかった。つい、動揺して口走ってしまった。  ふと、ドアの向こうから唸り声が聞こえた。  一瞬、獣でもいるのかと思ったが、どうやら人の声らしい。苦しげに、途切れ途切れに聞こえてる低い声。小さな悲鳴。 (うなされているのか)  カインは眉をひそめて、軽くドアを叩く。  当然返事はない。うなされているということは、眠っているのだろう。放っておこうかと思ったが、呪術に精通しているであろう娘がうなされている、ということは何かしら大事が起こっているのではないかという考えに至り、小さく詫びてからドアを開いた。  部屋の隅にあるベッドへ歩み寄れば、額に汗を浮かばせて身じろぎしているセリナがいた。昼間の気丈さなど微塵もない、今にも泣きそうな顔をしている。時折漏れる声音は悲痛さを帯びていた。 「おい、起きろ」  呼びかけるが、起きる様子はない。  仕方なく、軽く肩を揺する。彼女のドレス越しに熱が手に伝わり、今は手袋をしていないことに思い至った。  けれど、衣類越しに触れるのなら問題ないとそのまま身体を揺すり続ける。山奥で出会ったときは汚らしい姿だったセリナだが、風呂へ入ってからは匂いもなく髪も整えられている。王都へ行くという、自覚はあるようだ。  山奥で暮らす変人だという噂もあったが、一応、常識は持っているのだろう。 「おい」  繰り返し呼びかけるが、セリナは益々顔を歪めるだけで起きる気配がない。  ふと、セリナの食いしばった歯の間から、「ごめんなさい」という言葉が漏れる。それも、繰り返し、繰り返し。  直観で察する。  この娘は、何かとんでもないものを『抱えている』のだと。  やがてセリナの目から涙がこぼれ、息を呑み――強く、身体を揺さぶった。 「起きろ!」  軽い少女の身体は簡単に揺れて、布団がずれる。下着をつけていないドレス姿は胸のかたちをはっきりと強調しており、乱れた衣類の間からは胸元がのぞいていた。  その煽情的な姿に、息をつめた。  こんなに「女」に近づいたのは、二十年以上なかった。例え誰が相手でも、一定の距離を保つようにしていた。なのに、ここまで近づいてしまったのは、セリナがカインが常日ごろから接する機会のある貴族令嬢たちとあまりに違うためだ。  セリナはカインが「呪われている」ことを知る、呪術に精通した女。そして、強かでもある。セリナならば、かつてのような惨劇が起こらないと――無意識に、そう思い込んでいたのかもしれない。  目の前のセリナは、涙を流しながら、うなされ、眠っている。  その姿は、普通の娘だった。 (……壊してしまう)  また。  あのときのように。  咄嗟に離れようとしたとき、ふと、セリナが瞼をあげた。涙に濡れた濃い紫色の瞳は、不安げに揺れている。その瞳が、カインを捕らえた。刹那、セリナは喉を引きつらせて、口をひらく。  悲鳴をあげるのだと察したカインは、咄嗟にセリナの口元を抑えた。今は深夜だ、声は響く。大声で悲鳴をあげられては、騒ぎになってしまう。  むに、と手のひらに触れた唇の柔らかさと人肌のぬくもりに、ぎょっとした。 (しまった、素手で――)  思い出したくない、恐怖が身体を支配した。  意識が混濁し、同時に本能ばかりが顔を出すこの瞬間は、二十年以上も前にも経験したことがある。  セリナは、顔を強張らせた。  セリナの口元に充てられたごつごつとした男の手が離れ、その手がビキビキと骨や筋を軋ませながらカタチを変えていく。  手だけではない。歯を食いしばって抵抗するような表情を浮かべながらも、カインの身体や顔までが人の姿を保たず、巨体がさらに膨張して倍以上の体躯になり――獣へと変化していく。四足歩行の獣ではない。ヒト型をした、毛むくじゃらのナニか。頭上に移動した耳のカタチや出っ張った口、吊り上がった瞳からして、おそらくは「狼」だろう。古代に存在したという、人狼という種族に近しいのかもしれない。  セリナは、目を見張ったままカインを凝視した。 (これが、呪い)  女の肌に触れると呪いが発動するのは、おそらく種族を残せなくするためのもの。獣の姿になるということは、遺伝子も変わるということだ。この姿でヒトと交わっても、子孫は残せない。  命を奪って繁栄を極めた貴族に降りかかった呪いが、これか。  哀れな、と痛ましげに目を眇めたセリナへ、唐突に毛むくじゃらの腕が伸びてきた。その手はセリナの腕を軋むほど強く掴み、ベッドの上に――セリナの上に馬乗りになってくる。鋭利な牙を持つ大きな口が、目の前に晒された。ねっとりとした唾液と熱い吐息が顔にかかり、息をつめる。 「……私を、食べるの?」  獣の大きな舌が、味見をするようにセリナの顔を舐めた。  逃げようと試みるが、押さえつけられたままびくとも動かない。 (まずい。まずいって、本気でやばい!)  誰か助けて、と叫ぼうとした瞬間。  獣は、セリナの腕を掴んでいた手を離し、その手でセリナのドレスを破り捨てた。悲鳴が喉に張り付いて、出てこなくなる。  直接空気にさらされた肌は、暗闇のなかでぼんやりと白く浮かんで見えた。獣は長く大きな舌で、セリナの小ぶりな乳房を舐め始める。 「待って、待って、とにかく落ち着こう。王女様を治療しないといけないんでしょ」  ここで殺されると役目を果たせないよ、とカインに訴える。けれど、カインは聞く耳を持たず、ひたすら乳房を舐め続けた。いつその鋭利な歯が肌に食い込むかと思うと、恐怖でおかしくなってしまいそうだ。  ひたすら乳房を舐めた獣は、両手でセリナの身体全体に触れながら、下腹部を覆っていたドレスを取り払う。そのまま足を大きく開かれて、ぎょっとする。 「……待って、私を食べるんじゃ」  言葉を途切れさせた。  己の下半身を見下ろした際、その向こうに腕の太さほどもある男根が見えたからだ。しかも反り返るほどに膨張したそれは血管を浮き立たせ、びくびくと震えながら透明な液体をだらだらと流している。  何をされるのか理解した瞬間、命の危機とは別の恐怖が襲ってきた。 「む、むりむりっ。物理的に無理!」  逃げようと身体を捩るが、足を押さえられていて身動きが取れない。部屋に響く獣の荒い息遣いからは、欲望と本能だけが感じ取れた。昼間の冷静沈着なカインはどこにもいない。  開かれた足の中央に、獣の顔が近づく。生々しい吐息を秘部に感じた瞬間、大きな舌で舐められて身体を引きつらせた。  恐怖から悲鳴をあげそうになったが、ぐっと飲み込んだ。 (……これが、呪い)  カイン自身、実家の栄光を受けて育ってきたのだから、恩恵を受けているだろう。けれど、あくまで否は先祖にあり、彼自身が罪を犯したわけではない。  ここでセリナが悲鳴をあげて誰かが駆けつけてくれば、カインは身を滅ぼすだろう。すべて白日の元へ晒されて、彼の家族や身内へも被害が及ぶ。  カインが失脚しても構わない。セリナには関係のないことだ。  けれど。  ねとっとした柔らかい舌が秘部を舐めまわし、舌の先端が誰にも触れさせたことのない膣へ押し込んでくる。  セリナはひたすら歯を食いしばり、耐えた。まだ我慢できる。大丈夫。  獣が体勢を変え、身体を足の間に割り込ませてきた。太すぎる男根を秘部に擦りつけられて、その熱さと硬さに心身ともに脅える。  幸せな結婚や情事を夢見ていた時期もあったが、例の事件を経てからは、そんな望みはすべて捨てた。ただ生きていくことだけが、自分に出来ることだからと何もかもを諦めてきた。 (だから――私は、平気)  何が起こっても、何を奪われても、これまで通り生きていけばいい。  愛する人に初めてを捧げるとか、愛する相手を見つけるとか、そんな欲望はないのだから。セリナは生涯一人。これまでも、これからも。  情事の際、女は濡れるものだと聞いたけれど、セリナのそこは濡れてなどいなかった。恐怖でがちがちだったし、好きな相手でもなければ気持ちよくもないのだから当然だろう。  ただ、獣が舐めたたっぷりの唾液はぬるぬるとしており、擦りつけられる男根は何の抵抗もなく秘部の上を行き来している。獣の吐息が早くなり、興奮しているのか、時折その口から小さな声が漏れていた。  このまま終わってくれればいいのに。  そう思った、瞬間。 「セ、リナ」  名前を呼ばれて、息を呑む。獣の口から出た声音は、カインのものだ。間違いなく、彼自身の声音。 「自我、あるの?」 「セリナ」 「ちょっと、自我あるなら止めて。お願いだからっ」 「抱きたい」  自我はあるが、獣の本能に支配されているのかもしれない。理性はほとんどなく、欲望に忠実になっているのだろう。  秘部に、大きすぎる男根の先端が押し当てられた。  息をつめるセリナは、期待に満ちた瞳で自分を見下ろしてくる獣を見てしまう。獣の口からだらだらと落ちてくる唾液が乳房に落ち、垂れてシーツを汚した。 「待ってっ」  本能的に、やめて、と繰り返す。  セリナの言葉は届かず、めりめりと男根が秘部へと進入してくる。無理だろっ、と怒鳴る元気もなく、恐怖に耐えるためにシーツを握り締めて、歯を食いしばった。  悲鳴だけは絶対にあげるものか。 ――もう、誰かの人生を閉ざすのは嫌だ  秘部が裂けて、血が流れる。痛みで頭のなかが真っ赤に染まり、圧迫感と共に膣の奥にある子宮が壊れるほどの衝撃がきた。  獣はセリナを気遣う素振りは全くみせず、ただ本能のままに身体を貪った。  はっ、と目を醒ましたセリナは、呆然と天井を見つめた。窓の外はまだ薄暗く、ぼんやりと室内を照らしている程度の明るさだ。  鈍い痛みを感じて、そっと下腹部を見る。シーツは真っ赤に染まり、「初めて」なんて出血の量ではない。殺人事件が起きたのかと思われるほどの染みとなっている。  辺りに散らばっている破かれたドレスの破片を手に取ったとき、隣で眠っている男にやっと気づいた。カインは獣姿から人へと戻っており、子どものような安らかな寝顔をしていた。  無性に腹が立ったが、がしがしと自らの頭を掻くことで感情を抑えて、ベッドから降りる。昨夜は途中で意識を飛ばしたので、記憶は曖昧だった。けれど、立った途端に秘部からこぼれてくる白濁を見ると、何が起きたのかは一目瞭然だった。  そっと腹部へ手を当てる。 (……大丈夫、壊れてない)  これがセリナではなく他の娘であったなら、子宮を引き裂かれて死んでいたかもしれない。それくらいに獣との交わりは凄まじく、男根は凶器でもあった。……途中から覚えていないけれど。  セリナは持ってきていたドレスを着て、靴を履くとカインを蹴飛ばした。 「起きろ、馬鹿っ」  カインは小さく唸りながら半身を起こすと、血まみれのシーツや全裸の自分を見て、顔を真っ青にした。 「…………血が」 「血が苦手なの? 騎士として致命的ね」 「違う。こんなに血が出ているということは……初めてだったのか」  真面目な顔で問われて、セリナは眉をひそめた。  確かに初めてだった。けれど、初めてかどうかの問題ではない。ベテラン娼婦であっても、アレで犯されれば血まみれになるだろう。 「……覚えてるのね」 「記憶はある。確実に、すべて、はっきりと」  真っ青な顔のまま頭を抱えるカインを見て、セリナはため息をつく。罵ってやろうと思ったが、彼自身に非はないのだ。だから、文句を言うにも言えない。  それに。夜中に何をしに来たのだと思ったけれど、直前に見ていた夢を思えば、もしかしたらセリナを心配して起こしてくれたのかもしれないのだ。 「気にしないで、平気だから。それよりシーツを早く処分して、新しいのに取り換えないと。ってか、あんたの衣類破けてるんだけど。変身するって気づいた瞬間に脱げなかったわけ? どうするの、全裸で戻るの?」 「……私は」 「ちょっと、茫然としてる場合じゃないでしょ。こんなことバレたら、色々とまずいのはあんたじゃないの。最悪、王女様との婚約が破談になるわよ。ほら、さっさと動く」  はっ、とカインはセリナを見た。その目はなぜか、驚きに満ちている。  やや沈黙が続き、ふと、セリナは不安になる。獣化の反動だろうか、どこか苦しいのかもしれない。 「ちょっと、大丈夫? どこか痛みとかない? 気持ち悪いところは?」  カインは益々目を見張り、やがて、神妙な顔で頷いた。 「責任を取ろう」 「だから、早く片付けるのよ。始末しないと、フィンが来ちゃうから」 「王女殿下の病が治った暁には、お前を嫁にする」  セリナは、その言葉の意味が理解できずに黙した。  お互いひたすら見つめ合い――もとい、にらみ合い、セリナのほうが先に視線を反らす。 「結構よ」 「決めた」 「そんなことより、今は現状をどう打開するかでしょ。ああ、もういい。私がこっそりあんたの着替え取ってくるから。どのテント?」  窓へ向かうセリナの後について、カインがついてくる。カインからテントを聞き出し、こっそり着替えを取りに行き、その後もバタバタと動き回った。  シーツどころかベッド自体に染みた血痕は取れず、迷った末にベッドを解体して、手分けしてベッドごと捨てた。忽然となくなったベッドは不自然だが、こうするより他はない。  フィンは気づかないかもしれないが、屋敷の持ち主は間違いなく気づくだろう。何が起こったのかと慌てる姿を想像して、気が重くなった。  証拠を隠滅したセリナは、疲れてソファに座り込む。  カインは仕事に戻り、一人になったセリナは腹部に手を当ててため息をつく。  痛みはもう、ほとんどない。実際ならばありえないことだが、それが起こり得るのはセリアもまた『呪われた身』だからだ。 「私って化け物ねぇ」  一人呟いた声音は、驚くほどに無感情だった。  ふと、ドアをノックする音がした。  フィンが朝食を持ってきてくれた。
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