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3、衣装は大事
セリナは、コンコンと窓を叩く音に、うとうとしていた意識を浮上させた。
ゆったりと揺れる馬車のカーテンを開くと、すぐ隣に馬に乗ったカインがいた。窓を少しだけ開く。
「何?」
「身体は大丈夫か」
「……大丈夫」
「そうか」
カインは頷くと、馬を蹴って団長としての定位置へと戻っていく。もう少しで気持ちよく眠れるところだったのに、と不機嫌になるセリナは、近づいてくる馬蹄に振り返った。フィンだ。
「本当に具合は大丈夫なんですか?」
「平気。別に体調悪くないし」
「あ、そうなんですか。でも、団長、凄く気を使ってますよね。なんでだろ」
「長旅になるからじゃないの? まだ町を出て二日目だけどねぇ」
適当に返事をして、窓を閉めた。
それから一時間ほど経って、またカインが具合を聞きにきた。
セリナは「しつこい、二度とくるな」と吐き捨てて窓を閉める。その更に一時間後、馬車を止めて休憩しているときに、カインの副官であるというジャスティンという男が「団長から具合をお聞きするようにと命じられました」と来たので、セリナは頭を抱えた。
休憩を挟みながら旅は続き、夜は貴族の屋敷を借りて寝泊まりする。そのたびにセリナは客間を宛がわれたが、第一部隊の騎士たちは野営がほとんどだ。
庭で野営されたら貴族としても迷惑ではないかと思うのだが、むしろ彼らの野営場所を確保するために貴族の屋敷を借りているとフィンから聞いたので、なるほどと頷いた。騎士たちには騎士たちの立場や流儀があるのだろう。
住処にしていた山を出て、二週間が過ぎた今日もまた、とある貴族の屋敷にいた。
夜も更け、寝る準備をして布団に潜り込んだセリナは、ずっと考えていたことをもう一度おさらいすることにした。あと半月もすれば王都へつく。
まず、食事も栄養もとらずに生き続けることは不可能だ。可能性があるとすれば、呪術の類を疑うべきだろう。けれど、王女を殺すのではなく眠らせる理由がわからない。呪いの痕跡を辿れば犯人はわかるだろうが、もし名のある呪術者ならばそう簡単にしっぽは出さないだろう。
だから、もし調査が困難な場合は、他者の手を借りる必要がある。「呪術」が原因であり、治療にもまた「呪術」を用いるということを、国王をはじめ協力者たちに納得して貰えるかどうかが問題だ。非現実的なことを告げる、おかしな娘だと思われた時点で、牢獄行きかもしれない。
そもそも、魔術や呪術の類は悪魔の力を借りる行動として、世間から粛清されたものだ。一度歴史のなかで「悪」として葬られ消えていったものを扱うとなると、それなりの信憑性と確実な根拠が必要になる。
王女を治療する前に、問題は多々あるのだ。
となれば、呪いの類であることを隠して、医術と嘘をつきながら治療するべきか。それが手っ取り早い。呪いをかけている術者が名のある場合を除いて、だが。
(まぁ、実際に行ってみないとなんとも言えないけど)
考えられる可能性をいくつか導き出して、その際の対応を考えておくことは大切だ。それから、インチキだとかセリナ自身が悪魔だとか言われて殺されそうになった場合、逃げる方法も考慮しておかないと。
ふと、ドアをノックする音がした。
こんな夜中に誰か来るなんて珍しい。野営をしている騎士は勿論、屋敷の使用人たちも寝静まっているころなのに。
セリナは警戒心を持って、そっとドアをひらく。
白い壁があって、つと視線を上にずらす。カインの無表情があった。カインが夜中にセリナの元を訪れるのは、初日以来だ。
「何か?」
カインは白い手袋をはめた手でセリナの肩を押すと、そのまま部屋に入ってきてベッドに座った。膝に腕を置き、両手を組む。
「用はない」
「帰れ」
「……用はある」
カインは視線を床に向けたまま、黙した。セリナは彼の正面に立ったまま、腕を組んでカインを見る。
どれだけ待っても続きを話さないので、セリナは促した。
「で、用ってなに?」
「話がある」
「取引に応じてくれるって話なら、聞くけど」
「……お前の命は、私が保証しよう」
え、とセリナは驚いて目を見張った。カインは床を見つめたまま無表情で、その本心はわからない。
「私のこと、逃がしてくれるの?」
「ああ。王女殿下の治療後だが」
「王女様は全力で助けるから、そこは安心して。だから、絶対よ」
「わかっている。用があるというのは、そのあとの話だ」
「……そのあと? 私が逃げたあと、ってこと?」
「ああ」
どういう意味だ。
逃げたら、あとは身を隠して新しい住処を見つけるだけだ。元々一定期間ごとに住処を転々としてきたのだから、セリナには問題ない。
もしかして、元の住処まで送ってくれる馬車や馬を手配してくれるつもりだろうか。だとしたら、別にいらない。
それを告げようとしたところで。
「結婚の話だ」
真面目すぎる表情で告げたカインに、セリナは表情を強張らせた。
「念のために聞くけど、王女様とあんたの結婚の話よね。式には呼ばなくていいわよ」
「私とお前の結婚の話だ」
カインは神妙に頷く。
セリナは顔を引きつらせて、ため息をついた。
「あのね。別に責任とか取らなくていいから」
「もう決めた。そこで、実はいくつか問題がある」
カインはセリナの言葉をさらりと流し、話を進めた。
「自分は王女殿下と婚約している」
「知ってるわよ」
「だが、私からは婚約を破棄できない。私が被害をこうむるのならばよいが、殿下の矜持や評判に傷をつけるのは避けたいのだ」
「……だから、そのまま王女様と結婚したらいいじゃない。大体、あんたの実家って貴族なんでしょ」
「公爵家だ」
結構な身分だ。確か、侯爵位より高い爵位だった記憶がある。
「尚更、結婚すべきよ。私なんか気にしないで、自分の幸せを追求しなさいよ。逃がしてくれるんなら、あんたの呪いだって解いてあげるし」
「なんか、ではない」
ひと際強い口調で言われて、それがなにを意味しているのか理解できなかった。ただカインが怒っていることを察して、セリナはやや怯む。
カインは、視線を下げた。
「お前は、いい女だ」
「……そりゃ、どうも。でもねぇ、出会って間もないでしょ」
「これから知っていくから問題ない。話を続けるが、王女殿下の病の件が解決したあと、私はお前と王都を去ろうと思う」
セリナは首を傾げた。
「はい?」
「騎士を辞めて、お前と暮らそう。私がお前を娶るよりも、私がお前の元へ嫁ぐほうがよいと考えた。王女殿下との結婚を断るのではなく、騎士を辞めると告げればまだよいと思うのだ。ひいては結婚を拒否するという意味にもなるが、私が王都を去るのだから王女殿下の体面に泥を塗ることにはならないと思う。どうだろう」
真面目すぎる表情で問われ、セリナはこれ以上ないくらい顔をしかめた。
(なんか暴走してない? こいつ)
前しか見えない性格なのだろうか。そんな男が果たして聖騎士などという大層な身分になれるのかと疑問に思ったが、女嫌いを貫いているという件を思い出した。女関係に関しては特別に誠実なのかもしれない。……誠実、と呼べるかは微妙だけれど。
「あのさ」
「なんだ、意見があれば尊重したい」
「結婚っていうのはさ、愛し合う男女がするもんじゃないの?」
カインは頷く。
「理想的だな。私は貴族だから、愛のある結婚など望めない」
「ああ、だからそう簡単に責任取るとか言えるのね。私のことはいいから、ちゃんと好きな人と――」
つまり、王女と結婚するべきだ。
そう告げる前に、言葉を遮るようにカインが告げた。
「結婚は義務だ。そう思っていた。だが、自分の呪いゆえにその義務さえ果たせないのだと己に幻滅していた。……だが、お前に出会えた。お前さえ傍にいてくれれば何も望まない。身分も、地位も、名誉も、いらない。私はお前だけを生涯愛すると誓う」
なぜ、この男はこうも真摯な瞳をセリナに向けてくるのだろう。
真っ直ぐに逸らすことなく見つめてくる瞳は、ほんの少しだけ濡れていて、まるで愛しい者でも見ているようだ。
心なしか、頬もほんのりと赤い――気がする。
(もしかして、本当に好かれてる……とか)
そんなバカな。
自分の考えを即否定した。出会って数日の相手に対して、恋をすることなどあるのだろうか。セリナ自身に経験がないのでなんとも言えないが、一目惚れという言葉もあるのだし、百歩譲って「出会って間もない相手」に恋をすることもあるとする。
だが、相手がセリナとなると話は別だ。
ありえないと、言い切れる。
セリナには愛される要素など皆無だし、女らしさもない。もしかしたらカインは何かとんでもない誤解をしており、セリナを過大評価しているのかもしれなかった。
「とにかく落ち着いて、もう一度考えて。あ、もしかして王女様が苦手とか」
「王女殿下は女性らしい方だ。それに、自分は常に落ち着いている」
カインは憮然と答えると、おもむろに両手を伸ばしてきた。白い手袋に包まれた大きな手がセリナの両肩を掴む。その強さに肩が軋んで、痛みで顔をしかめた。
「……私が触れるのは、嫌か」
「嫌とかじゃなくて。単純に痛いのよ、あんたの力が強いから」
「す、すまない。そうか、女性はか弱いのだな」
か弱い。
女は確かに男と違って弱いだろうが、セリナは「か弱い」などと言われたことがないし、自覚もない。
なんとも言えない、こそばゆいような恥ずかしいような気持ちになり、そんなふうに感じてしまう自分が屈辱的だった。女らしさが無縁だからこそ、女性扱いされるとどうしてよいのかわからないような、妙な気分になってしまう。
ふと、視界に影が落ちた。
空が雲に覆われて月明りが遮られたのかと思い顔をあげると、すぐ近くにカインの顔が迫っている。目を見張る間もなく、唇に柔らかなものが触れた。
その瞬間、はっとしたようにカインが身体を離した。セリア以上に驚いた様子のカインの身体が震え、獣への変化が始まる。
「なっ、ちょっ」
セリアは咄嗟にカインのスラックスに手をかけた。
「脱げ!! 今すぐに! 破れる前にっ」
「あ、ああ」
慌てたように上衣を脱ぎ始めるカインを手伝い、スラックスのベルトを外す。カインの身体が変貌していき、巨大化する前に上下の衣類をなんとか保管できた。
前回のように、破れてしまったカインの衣類を確保するために騎士団のテントへ忍び込むなど、二度としたくない。見つかったら夜這いに来たと思われかねないし、最悪窃盗目的だとして捕えられる可能性もあるのだ。
セリナはほっとすると同時に、ぎりっと歯を食いしばってカインを睨みつけた。
巨体をさらに巨大化させた狼人間がそこにいる。
「あんたね、変身するなら戻ったときのこと考えなさいよっ」
獣は牙の間から唾液を滴らせ、セリナを見下ろしていた。はっ、はっ、と狂犬のように荒い呼吸が部屋に響き、セリナは身体を強張らせる。
ひと噛みで顔を脆く潰すだろう鋭利な牙と、一瞬で内臓を刺しつぶせる鋭利な爪。後退しそうになる身体を矜持で堪え、カインを見上げた。
「意識はある?」
「ある」
迷いのないきっぱりとした声音に、ほっとした。
「朝には姿、戻るのよね。私、朝までどっか別のとこにいるから。逃げたりしないから安心して」
言い終えるなり返事を待たずにドアへ向かって歩き出したセリナの腕を、大きな手が強い力で掴んだ。振り払おうとするけれど、一瞬で引っ張られて抱え上げられ、気がつけばベッドのうえに転がされていた。
反射的に逃げようと身を捩らせるが、腕を押さえつけられて身体の上に乗りあげられる。
「……意識、あるのよね」
「ある」
カインの冷静な声音は、荒い呼吸にまみれていた。
大きな手がセリナの胸に触れ、そのまま強い力で強引に胸を揉みしだかれる。
「待って」
「待てない」
「ちょっとだけ待っ――」
ドレスを引っ張られ、肌と擦れた際の痛みに顔をしかめる。安物の脆いドレスは一瞬で破かれて、セリナは肌を露出することとなった。
(ば、馬鹿かあああああ!)
胸中で絶叫した。
ドレスの予備が減っていく。ただでさえあまり所持していないのに、着替えが確実に減っていく絶望に愕然とした。
ざらりとした長く大きな舌が、首筋を舐めた。その舌がセリナの頬へ移動して、唇を押さえつけるように舐め始める。
「ま、待っ」
「好きだ」
獣から告げられた言葉には、熱がこもっている。まるで魔術でも掛けられたかのように身体が強張った。
(……好き)
カインには意識がある。
けれど、獣化したカインは理性より本能が勝っているように思えた。カインの言葉は、つい口から出ただけなのだろう。けれど、本能が勝っている今だからこそ、真実を告げている可能性もある。
真実。
本当に、カインはセリナが好きになったのか。
やはり彼は、何かを誤解しているのだ。セリナのような愚かで罪深い娘が、他者に愛されるはずがない。
わかっているのに。
「好きだ」
囁くように告げ、身体中を弄るカインの行動を拒めないのはどうしてだろう。
前回はただ恐怖が勝り、どうしていいのかわからなかった。拒絶が許されなかった。ただカインの立場を守るためには誰にも知られてはいけないと、それだけを考えてひたすら声を押し殺して耐えた。
きっと今も、拒絶してもすぐに抑え込まれて終わるだろう。
わかっているから、拒絶しないだけ。
それだけだ。
(私が愛されるはずがない)
記憶の遥か奥底に染みついて離れない、人々の屍。手に残る、人の肉を裂く感覚。何もかもが、セリナが罪人であると告げ、生きていることすら罪で、それでも生かされ続けるセリナが――愛されるはずなどない。
「好きだ」
繰り返される言葉を聞き、セリナは涙をこぼした。
最後に好きだと言ってくれたのは、祖母だった。なのに、もう祖母の声音も思い出せない。顔もほとんど記憶にない。ただ、優しく頭を撫でてくれる手の感触だけは覚えているけれど。
カインの舌が、セリナの涙を舐め取った。
強引に口内に舌を挿入され、口内を犯されながら乳房の突起をいじられる。寒い空気に肌が触れたせいか、いつの間にか主張していた突起を摘ままれた刺激に身体が跳ねた。
肌がじんわりと汗ばみ、呼吸が荒くなっていく。
「好きだ」
カインの声音に、胸の奥が切なく疼いた。
溢れるセリナの涙を舐め取って、カインは嬉しそうに笑った。
「泣かれると興奮する」
そういうなり、乳房へ舌を這わせはじめ、その愛撫は全身へと広がっていく。繰り返し好きだと告げられ、そのたびに胸が切なく痛む。
本気で愛されているとは思わない。なのに、今このひと時だけでも、誰かから好きだと思われることが、自分だけに向けられる言葉が、どうしてこんなに嬉しいのか。
(ああ、そっか。……私、寂しかったんだ)
何百年も、独りだった。独りで、暮らしてきた。
いつかこの命が尽きるその日まで生き続ける……それが、自分自身の宿命だと思っていたから。
身体がだるく、意識が朦朧としていた。
そろそろ朝陽が登ってくるころだ。無理やり押し広げられた秘部が裂けて流れた血がシーツに染みを広げ、その血が冷えて、冷たい。火照っていた身体は痛みと疲労のせいでとっくに萎え、今はただ眠りたかった。
動くのも億劫な身体を仰向けにされて、セリナは獣を見つめた。先ほどから、ザラザラとした舌で身体中を舐められている。あらゆる体液で汚れていた身体は、今や唾液まみれになっていた。
何気なく見つめていると、獣の身体がカインへと戻って行く。筋や骨が軋む音が耳に痛い。実際、痛みもあるだろう。関節や骨格から変貌してしまうのだから。
元の姿に戻ったカインは、セリナに覆いかぶさった状態でじっと見下ろしてきた。
ふと、カインの視線がセリナの下腹部へ移動し――さっ、と彼は視線を反らした。ほんのりと頬が赤い。
「に、二度目の初めても貰ってしまった」
「その言葉自体に矛盾があるんだけど。ってか、それよりもドレス破いてくれちゃって、どうすんのよ」
「予備はないのか」
「着替えは、あと三着あるけど。王都まであと半月はかかるんでしょ。毎晩洗濯したら、充分着まわせるけど」
「……三着か。ならば、次に破いたときに購入してこよう」
「二度と破くな」
セリナの言葉には返事をせず、カインは手袋をしっかりとはめた。自らの衣類を着て全身を確認したのち、そっとセリナを振り返り――手を伸ばしてきた。だるくて動けないセリナはされるがまま、抱きしめられる。
「……なに?」
「愛している」
そんな言葉、信じられない。なのに、愛おしそうに告げられたカインの言葉が、嘘だとも思えない。
また胸がぎゅっと痛くなる。
切なさを伴ったこの痛みの正体は、不安だ。嫌われるのが怖いから。
どれだけ愛していると言われても、認められていても、セリナの過去や罪を知れば離れていくに決まっている。
この男だって、例外ではないだろう。
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