4、カインの感情

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4、カインの感情

「嬉しそうですねぇ」  含み笑いがこもった声音に、カインは視線だけを隣に向けた。カインと同じ漆黒の軍服を着た、カインより四つばかり若いその男は、長い銀髪を女性のように優雅に頭上で結い上げている。毎朝時間に余裕ないと皆が言うなかで、どうやって結い上げているのか、第一部隊七不思議のひとつである。がっちりとした体躯のカインとは正反対に細身で、見目も麗しいその男は名をジャスティンという。カインの副官であり、国内で五人しか存在しない聖騎士の次期候補でもあった。  隊長格――ディトール王国では、いわゆる百騎長以上の身分を指すのだが――になると、甲冑を纏うことが許される。しかし、胸にディトール王国の紋章を刻むことが許されるのは、王族と聖騎士のみだ。  ジャスティンもまた隊長格だが、聖騎士ではないゆえに紋章の着用は許されない。紋章も描けない甲冑など邪魔なだけだと言って、彼は常日頃から甲冑を纏うことをしなかった。第一部隊ではカインの副官という立場ゆえに、マントを着用することも許されず、こうしてみると酷く薄着に見える。他の団員たちは軍服の下に防寒着を着こんでいるが、ジャスティンは果たして防寒着を着ているのだろうか。 (まぁ、自己管理くらいするだろう)  カインは視線を正面へと戻した。 「王女殿下の病が治るかもしれませんもん、そりゃ嬉しいですよねぇ」  ジャスティンは大仰に空を仰ぎ、右手を伸ばす。 「麗しの王女殿下。傾国の美女とまで言われた王女殿下の美しさを再び拝顔できるなど、こんな嬉しいことはありません。私でさえこんなに喜ばしいんですから、カイン様もさぞや嬉しいでしょう。ついに、マリアンヌ王女と結婚できるんですから」 「……」 「出世街道間違いないですよねぇ。あの美しい方と結婚できて、しかも出世できるなんて羨ましい。あ、でもカイン様の腕ならば勿論結婚などなくても出世できると思いますよ」 「……うるさい」 「あれ、さっきまで機嫌よさげだったのにどうしたんです? 表情曇っちゃってますよ。なーんて、カイン様はいつでも不機嫌ですもんねぇ。そのうち、バロック卿みたいに鉄面皮になっちゃいますよ」 「やつと一緒にするな」  バロック卿とは、聖騎士の一人でカインより十近く年下だが、聖騎士第三位のカインより一つ上の、聖騎士第二位にいる男だ。無表情で長身という点ではカインと混合されがちだが、バロック卿は極端に言葉が少ない。誰が話しかけても「はい」「いえ」しか答えないのだから、意思の疎通も侭ならないのだ。  鉄面皮を思い出して不機嫌になったカインに気づかず、ジャスティンはううーんと一人で唸っている。 「ま、それはいいとして」  人を不機嫌にさせておいて自己完結させているジャスティンに、顔をしかめる。けれど、カインがそれを窘める前に、ジャスティンが口を開いた。 「本当に、信用できるんですかねぇ。あの自称医者の娘は」 「自称も何も、本人は否定しているが」 「それも、もしものための保身じゃないですか? 何かあったときに、だから医者じゃないって言ったじゃない! って言うための」 「そんなことを言っても、王女殿下に無礼を働けば罪状が軽くなるはずがない」  滅多なことを言うな、と視線に込めて副官を睨みつけると、ジャスティンは肩をすくめてみせた。 「でも、気になるんですよねぇ。彼女の瞳、濃い紫でしたし」 「……確かに珍しい色ではあるな」 「ローグ村の生き残りでしょうか。なんか、不吉だと思いません?」  ローグ村。  その名前に、カインは眉を顰める。  騎士学校で学ぶ前から、ローグ村の名は知っていた。ディテール王国の歴史上でも最悪に分類される事件が起きた村でもある。  ローグ村は、深い山奥に孤立した村だったという。最寄り街の者は「ローグ村」と呼んでいたが、ローグ村の住人たちは自分たちの住処を「ローグ町」と呼んでいたほどに、孤立したとは思えないほどに栄えた、人口六百人を超す大きな村だったという話だ。  ローグ村は山奥に孤立していたこともあり、独自の文化を持つ小国のようだったと文献には記されている。  それが事実かは確かめるすべがほとんどない。  なぜならば、ローグ村は三百年以上前に、何者かの手によって滅亡したからだ。  発見者は、買い付けの約束日時が過ぎてもやってこないローグ村在住の客に腹をたてて乗り込んだ、最寄り街の商人だった。商人は、ローグ村の至るところに横たわる死体を発見し、血相を変えて街へ逃げ戻った。伝染病ではないかと警戒されたが、その後、ディテール王国軍の調べで村人たちの死因は病死ではなく、殺害であると断定された。  死者は、六百五十人ほど。村人の人数を把握しきれていないため、それが全員であるのか違うのかは不明。けれど、村人は皆心臓を刃物でひと突きにされ、絶命していたという。他に致命傷もなければ、抵抗したあともない。さらに奇妙なことに、笑みさえ浮かべて死している者もおり、集団自殺ではないかという噂もあるが、凶器となった刃物がどこにもなく、また自ら心臓を貫くことは不可能なため、大量殺人事件と断定された。  孤立した村で起こった、謎の大量殺人事件。  犯人については様々な憶測が飛び交っているが、未だに――いや、三百年経った今だからこそ、犯人を特定することは不可能だった。 「濃い紫色の瞳は、ローグ村の住人特有なんですって。ああ、怖い」 「三百年以上も経てば、似たような色の者くらい現れるだろう。それに、ローグ村の生き残りだとしてもなんら不思議ではない。差別はよせ」 「まぁ、彼女自身に非はありませんしね。失言でした。でも、名医かどうかはやっぱり疑わしいですよ。この医者が駄目な場合、次はどこへ派遣されるんでしょうねぇ」 「……さぁな」  カインは「少し離れる」と告げて、ジャスティンから逃げるように馬を下がらせた。ジャスティンが「仕事熱心ですねぇ」と呆れたように呟いたのが聞こえた。  カインは馬を後方の馬車につけると、軽く窓をノックする。  ややのち、カーテンと窓が開いて、酷く疲れた表情のセリナが顔を覗かせた。 「なに」 「身体は大丈夫か」 「大丈夫」  そうは言うものの、大丈夫そうには見えない。元気がないどころか、今にも倒れそうなほどにぼうっとしていた。 「……疲れたのか」 「疲れたっていうか、まぁ、そんなところ」  昨夜、無理をさせたことを思い出してカインは眉をひそめた。  そう。昨夜、セリナと二度目の肌を合わせたのだ。その際に無理をさせたのかもしれない。人狼化した自分の体躯は大きいし、何より欲望が勝り、理性が利かなくなる。あれだけ激しく求めれば壊れてもおかしくないだろうに、一度目の際にセリナが自分を受け止めてくれたことが嬉しくて、つい此度も求めてしまった。今更ながら無理をさせたのだと思い至り、カインは申し訳なさから視線を落とした。  どうしたものか、と悩んだ末に、懐から包みを取り出す。  今は他に持っていない。  次の街に立ち寄ったとき、疲れや怪我に聞く薬湯を購入してこよう。 「これを使え」  そう告げて包みを差し出すと、セリナは眉を顰めた。けれど、大人しく頷いて包みを受け取る。その姿が、小動物にエサをやっているようで可愛らしい。  カインはセリナが包みを胸に引き寄せるのを見届けると頷き、傍に控えているフィンに引き続き傍仕えを命じると、元の位置へと戻った。  カインは、セリナをよく知らない。出会ったばかりなのだから当然だ。  国王の命令でセリナを探し、迎えに行った時も、どうせ今回も「ある程度優秀なだけの医者」なのだとだけ思っていた。実際にセリナの医者の腕はわからない。知識があるのは確かなようだが。  王女が奇病に倒れて、半年が経った。あらゆる医者が匙を投げ続け、国王は愛娘を救うために全国の名医を探している。カインが元の役割である聖騎士の任務を離れてディトール王国第一部隊の団長の仕事を優先させるようになり、四カ月以上経った。  連れ帰った医者は、セリナで六人目だ。  セリナに関しては国王の友人である伯爵が推薦したため、遠方にも関わらず一団を率いて迎えにいくこととなった。正直、命じられたとき、げんなりした。それでも忠誠を誓った国王の命令ゆえ、カインは素直に従った。  セリナを強引に連れて王都へ帰還する途中、次はどこへ派遣させるのだろうかと考えていたけれど――自分はもう、この仕事を全うした暁には、騎士位を降りる。  セリナの第一印象は、態度の悪い娘だと思った。女らしさは微塵もなく、ディトール国民でありながら国王の命令に背こうとした。ディトール国民である限り国王の命令は絶対であるし、医者として治療の腕があるのなら王女を救うのは当然のことだ。それを拒否したセリナに対して、カインはいい印象を抱かなかったのは当然といえる。  最初に、セリナに対しての認識を変えたのは、王女の奇病が「呪い」ではないかと告げられたときだ。しかも、その考えを、フィンやその他の団員経由ではなく、直接カインに言って来たことも驚いた。王女に対する配慮はあるらしい。  魔術など廃れた現代、しかも呪術は悪しきものだと認識されている。王女が呪われているなどと言えば、最悪、侮辱罪でその場で処罰されてもおかしくはない。けれど、セリナは思考を正直に告げた。告げられた言葉からは、本当に王女を救うつもりだという真摯な想いが読み取れた。  カインは驚いた。驚いたが、驚きはそれだけではなかった。カイン自身が呪われた身であると言い当てたからだ。  だから「取引」を持ちかけられたとき、カインが呪われた身であることをバラす、と言われるのだと身構えた。  その程度の娘ならば、国王に会わせるまでもなく切り捨ててやろうと思った。  けれど、セリナは王女を治したのち、自分を逃せと言った。カイン自身の呪いも解いてやる、と。逃がさなければ王女の病を治さない、とか、カインの呪いをバラす、などではなく、誰も傷つけない提案を出してきた。  保身に走るのは当然のことだろう。  なのに、そこに相手の不利益を求めない辺りに好感が持てた。  けれど、カインはその取引を蹴った。自分が騎士である限り、国王に背くことは許されないから。  そして。  その日の深夜――セリナがうなされているのを見て、この娘が「何か」を抱えているということを知った。思えば、年頃の娘がたった一人、あのような山奥で暮らしているのはおかしい。  苦しそうな寝姿を見て、不憫に思って傍へ寄ると、あれだけよい印象を抱いていなかったセリナを「女」だと思った。自分に対して持ち掛けた「取引」の内容や、彼女がカインを呪われた身であると見抜いたからだろうか。  それに、ただの礼儀知らずで偉そうな娘だと思っていた最初の印象は変わり、博識で人を思いやることの出来る真っ当な人間であると、そのときには察していたから。  けれど、理由はそれらだけではない……と思う。  それが「何か」なのは未だにわからないけれど。  真っ当な女だから、という理由だけでは、カインはセリナに対して欲情などしない。元々、カインは女が嫌いだ。脆く、触れると壊れてしまうから。かつて、無残に殺された女の姿を見て、恐怖に震え、絶叫し、二度と女に触れないと誓った己を思い出すから。  だから、避けてきた。  けれど、不意にセリナに触れてしまい――真実の姿をさらした。獣の姿になると、直前に考えていた欲望が本能に支配され、理性を失い、自制が利かなくなる。セリナに対して確かに欲情した己がいたから、そのままセリナを犯してしまった。意識はあった。けれど、ただただ快感を求めた。欲望が満たされるのなら、呪われた姿が他の団員に知れても、セリナをこのまま殺しても、構わないと思った。  セリナは行為の最中、ただ必死に声を押し殺していた。泣き叫ぶと思っていたのに、苦痛に耐えていた。痛みで泣き叫びたかっただろうに。助けを求めたかっただろうに。  すべてが終わったころ。カインを罵るのではなく、てきぱきと動いて自ら「行為」を隠そうとした。恨みつらみを並べて刺殺されてもおかしくない状況で、ただカインを気遣い、破れた衣類をテントまで取りに行ってくれて。  異性に触れると自制の利かない獣になってしまう、呪われた身。カインの獣姿を見て、しかも、これ以上ない屈辱と痛苦を受けて尚、セリナは無体を働いたカインを気遣った。  そんなセリナを見て、昨夜うなされながら眠っていた姿を思い出して。  やけに偉そうであって、同時に落ち着いている態度――そして、何もかもを諦めたような気だるげな発言のなかに、時折卓越した様子をみせる。そんなセリナが何を抱えているのか、知りたいと思った。何を抱え、苦しんでいるのだろうと思うと胸が痛み……なぜか、無性にセリナを守りたくなった。  カインは、馬上でため息をつく。  女は脆い。獣の姿で触れるとすぐに壊れる。獣になる直前に、セリナを殺してしまうと思った。けれど、セリナは死ななかった。  だから、朝方まで犯し続けた。欲望を止められなかった。 (それにしても……悦かった)  獣の姿になっているときの記憶はあるし、自覚もある。理性が利かないだけで、カイン自身に他ならない。  情事とは、あんなに気持ちがいいものなのか。女に触れると変身してしまう。変身した人外の姿は他者に見せられないし、ましてや愛を交わすなど不可能だと思っていたから諦めていた。  触れるだけで壊してしまう可能性も多いにあったし、自制の利かない己が他者を傷つけることを極度に恐れているため、自然と女と距離を置くようになり、女自体苦手な存在になっていた。  セリナにかける負担を思うとあまりできないが、また触れたいと思う。一度そう思うと、獣の姿だと理性が利かないので、人の姿で愛を交わしたいと思った。ただ、相手はセリナがいい。  セリナに触れたい。触れたくて、言葉を交わしたくて、昨夜また彼女の部屋を訪れた。今思うと、あれはいわゆる夜這いというやつだったのだろう。 (もっと、セリナを知りたい)  他者に対して、こんなに関心を抱いたのは初めてかもしれない。  自分の中に居座ったセリナの存在の貴重さを知り、これが愛しいと思う気持ちであると理解するまで、時間はかからなかった。  国王のために、家の名誉のために、騎士として生きてきた。  けれど、それらすべてを捨ててでも、得たいと思うものが出来てしまった――セリナのことを、まだよく知らないのに。かつての自分が知れば軽率だと鼻で笑うだろうけれど、カインは本気で騎士を辞めるつもりでいた。 「何かありました?」  ジャスティンの訝る声音に、カインは慌てて無表情を繕った。 (しまった、にやけていたかもしれない) 「……何もない」 「そうですか。なんかカイン様、凄く恐ろしい顔してましたよ。てっきり、あの医者に対してご立腹なのかと」 「恐ろしい顔……してたか」 「ええ、とっても」  カインは自分の頬に手をあて、眉をひそめた。  小さく、「そうか」と呟いた声音は、酷く不本意そうでもあった。  馬車のなかで、セリナは手渡された包みをじっと見つめた。 (なにこれ)  眠いから眠りたいのに、また起こされてしまった。怪我を治癒している間は、酷く眠くなる。……まぁ、普段から眠る時間は多いほうだけれど。  開いた包みのなかには、花の形をした小さな砂糖菓子が三つ入っていた。確かに、疲れたときには甘いものがいいとは言うけれど。  セリナは苦笑を浮かべて、砂糖菓子を一つ口に入れた。  口の中で溶けていく砂糖菓子は、甘くて美味しい。気遣われる優しさがほんのりと胸を暖かくして、それ以上に締めつける。  セリナは、そっと目を伏せた。
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