5、眠り姫

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5、眠り姫

 もうじき、王都へつく。  当然ながら観光も許されずに、すぐに国王への面通りとなる。医者として御前にあがるのだから、煌びやかな姿をする必要はない。けれど、それなりに身なりは整えなければならないらしい。  そんな事情をフィンから聞きながら、セリナは頷く。  王都へ行くのは初めてだからちょっと観光したい気もするけれど、自分は患者を治療に行く身なのだから当然患者が優先だ。 「着替えはどうするの?」 「王城のほうに、こちらで着替えを用意していますよ」 「そうなの」  やがて、第一部隊及びセリナが乗る馬車は、王都へとついた。さすがディトール王国王都というだけあって、活気がありそうだ。ありそう、とあやふやな表現なのは、窓とカーテンがしまっていて、人々の喧騒しか聞こえないから。  賑やかな声音が離れていき、静まり返った道をしばらく進んだのち、馬車が停止する。  馬車のドアが開かれ、フィンが手を差し伸べてきた。その手を取って、馬車を降りる。  咄嗟に目の前にそびえる王城を見上げたが、裏口なのか、なんの変哲もない簡素な壁が高くそびえているだけだった。しかも辺りはやたら薄暗い。  遠目に見ると、ちゃんと王城の形をしているのだろうか。  それにしても、とセリナは眉を顰める。 (嫌な気配だらけ)  こういう古城と呼べる場所は、あまり得意ではない。長年にわたり、蓄積された恨みやつらみが怨念として溜まっていることがあるから。  それらを感じとってしまうセリナは、胸中でため息をついた。 「じゃあ、僕がご案内しますね」 「ダンチョーさんは?」 「陛下にセリナ様のご到着を報告に行かれましたよ」  ふぅん、と適当に相槌をつくと、フィンが歩き出す。その斜め横を、セリナもまたついて歩き、やたら寂れたドアから王城のなかへと入った。窓がないため、壁に設えた油灯が廊下をぼんやりと照らしている。  薄暗く、やけにじめじめとしていた。 「もしかして私、投獄される?」 「まさか! ここ、裏口なんですよ。それもあまり使われていない裏口なので、僕たちが隠密で動いているときはここを使うことになってるんです、かっこいいでしょ?」 「秘密の出入り口?」 「そうです」  えっへん、となぜかフィンが胸をはったとき。  ふいに、廊下の先に人影が見えた。ソレは、廊下の壁に凭れて座り込んでいる。 「……ねぇ、アレなに?」 「え、どれです?」  指をさすが、フィンには見えないらしくて首を傾げている。幽霊かな、と思いつつも、更に距離を縮めるとフィンにも見えたようで、ほっとした。どうやらセリナはフィンと比べて視力がいいらしい。  近づくと、ソレは長い前髪で顔の上半分を覆った青年だった。眠っているのか、まったく動かない。フィンもまた、軽く会釈をしただけで通り過ぎようとした。 「ね、ねぇ、アレ誰」 「ティラミック卿です」 「だから、誰よ」 「聖騎士第四位の方です」 「……あんな薄暗い通路で何やってんの?」 「さぁ。よくあそこにいらっしゃるんです」  にっこり答えるフィンは、アレに違和感を覚えないのだろうか。 (ま、まぁいいか。見なかったことにしよう――)  自分には関係のないことだ、と頷いたとき。  今度は、ぱたぱたと近づいてくる足音がした。セリナたちが向かう廊下の先から近づいてくる。  ややのち、現れたのは二十歳ほどの小柄な少女だった。薄闇のなかでもわかるほどに、可愛らしい容貌をしている。こぼれんばかりの瞳に、ぷるんとした唇。血色のよい肌に、淡い金色の長い髪。そして、水底のような深く静かな青色の瞳。  明るい場所で見ると、瞳の色はまた違った色合いかもしれないが、どちらにしても可愛らしい。  少女はセリナと見て、きょとんとした。  だが。  その少女と視線が交わった瞬間、セリナの脳裏に数多の場面が浮かび上がる。  呪いを受けた弊害というべきか、ある種の能力というべきか。  遥か昔に受けた呪いの一端を久方ぶりに感じて、セリナは静かに瞠目した。 「あなた、もしかして新しいお医者様なの?」  少女が言う。  曖昧に微笑んだセリナに変わって、フィンが答えた。 「はい。今到着されました。セリナ様です」  途端に、少女の瞳が煌く。 「まぁ、お若いお医者様なのね。初めまして、私セフィリアっていうの」 「……ええ、ありがとう」  セフィリアはセリナを案内すると、強引に役目を得て城内へセリナを連れていく。  客間に案内したセフィリアは、手際よく衣装棚からドレスを選び、フィン共々湯浴みの準備もしてくれる。  その間、セリナは客室のソファに座り、改めて部屋を見回した。  広すぎるベッドに、細かな模様の描かれた絨毯、一対のソファ、天井からぶら下がっているシャンデリア。壁際には調度品が並び、セリナが住んでいた掘っ立て小屋の面積の十倍はある広さだ。 「よし、湯浴みの準備ができたわ。ねぇ、セリナちゃんって何歳?」  セリナのもとへ来たセフィリアが、首を傾げて聞いてきた。 「多分、十七歳くらい」 「多分?」 「山奥で暮らしてたから、あんまり月日を気にしてなかったの」 「そうなのね。私は二十一歳」 「貴族……令嬢?」  違う。  セリナには確信があったが、あえて聞く。  セフィリアは苦笑しながら否定した。  彼女は、バロック卿という者の侍女で、セリナの元へ来たのはバロック卿の命令だという。  今回の医者が女性だと知り、セフィリアを向かわせてくれたのだそうだ。  セリナは、彼女を注意深く観察した。  ふわふわと柔らかい雰囲気を纏った女性で、とても可愛らしい。  セリナに、優しく、そして少しの茶目っ気をみせ、決して偉そうにせず、やや一歩引いたり距離を詰めたりしながら、積極的に話しかけてくれる。  聞かれたくないことに話が及んだり、煩わしいと思ったら、セフィリアはそっと身を引いた。 (……理想的な子)  もし自分が男なら、セフィリアのような恋人を求めるだろう。  セリナは、そっとセフィリアの手を掴んだ。  きょとん、とセフィリアはセリナを見つめる。 「……ねぇ、セフィリア。友達になってくれる?」  セリナは、微笑んでそう言った。  これは、未来への布石。  未来永劫語り継がれる『セフィリアという悪女』の――。  だが。  それはまた、別の物語。  *  支度が整い、国王の待つ謁見の間へと向かうことになった。  謁見の間のすぐ手前まで、フィンとセフィリアが付き添ってくれたが、謁見の間には一人で入らねばならないらしい。  衛兵に「セリナ」が来たことを告げると、そっと中にいる者に知らせ、それからややのち、両開きのドアが開いた。  謁見の間、と聞いて大広間を想像していたが、左程広くはない場所だった。先ほど案内された客室と同じくらいで、足元から伸びるように真紅の絨毯が正面に向かって続いている。  中央正面には壮年の男が一人、玉座だろう椅子に座っていた。国王マールディだ。国王の威厳、などというものは左程感じられず、口ひげを生やしたオジサン、といった印象を受ける。華美な装いではないせいだろうか。  その脇には、まだ年若い青年が一人立っている。中性的な美しさを持つ青年だが、背が高く、空色の瞳にはやや警戒を滲ませていた。彼は国王と違い上質な衣類に身を纏い、腕輪やブローチなどの装飾品、で身を美しく飾っている。  そして。彼らと向かい合う形で跪いているのは、カインだ。カインはセリナを振り返ると、傍へくるように目で合図した。  セリナは彼のやや後方まで歩み、そっと膝をついてこうべを垂れた。 「お待たせいたしました、陛下。彼女が名医セリナでございます」 「うむ。セリナ、おもてをあげよ」  低い声は、見た目の年齢のわりに嗄れている。言葉からも威厳などは感じられない、何かしらの病を患っているのだろうか。  セリナは顔をあげ、改めてマールディを見た。美しくもない平凡な容姿。体躯は太ってはいないが痩せてもおらず、いたって普通。取り立てて、これといった特徴もない――見た目は。  マールディはセリナを見て、口をひらいた。 「娘の病を治療してほしいのだ。治すことができたら、どんな褒美でもつかわす」 「全力を尽くします」  そう告げるとマールディは頷き、視線をカインへ移動させた。 「カイン、西方によい医師がいると聞いた。次は西方のフィレンツェリッタ地方へ向かってはくれまいか」  セリナは胸中でため息をつく。  やはり、マールディはセリナが王女を治療できるとは思っていないのだ。セリナだけではなく、前の医師を呼んだときもすでに次の医師を呼ぶために動いていたのだろう。 「僭越ながら」  カインの言葉に、マールディは首を傾げた。彼がこうして意見するのは珍しいのかもしれない。 「此度の指揮は、他の聖騎士に命じて頂きたく申し上げます」 「拒否するということか? 理由を聞きたい。もしや、具合でも悪いのか」  マールディは叱責するでも激怒するでもなく、心配そうに顔を歪めた。セリナはそっとカインの様子を伺う。余計なことは言うな、と心のなかで呟きながら。 「このセリナの治療を見届けた暁には、聖騎士の地位を――騎士の地位を、返上したく思っております」  マールディが目を見張る。  隣にいた青年も驚いた顔をした。 「……辞めると? 聖騎士を? なぜだ。娘が治ったあかつきには、そなたは我が義息子となるはずであろう。娘は治らないと思っておるのか」 「王女殿下は、セリナが治します。彼女はこれまでの名声だけの医師と違い、間違いなく名医です。さすが陛下の知己であるバロックデール伯爵のご紹介なだけあるかと」  マールディの視線がセリナに向き、けれど、すぐにカインへ向けられる。 「……なぜ、聖騎士を辞める」 「正直に申し上げます。自分は公爵家に生まれ、貴族として当然の生き方をしてまいりました。兄が家を継ぎ、自分は騎士となりました。貴族として、騎士として当然の生き方をしてきました。……陛下への忠誠は偽りではございません。聖騎士に取り立てて頂いた御恩は、自分の生涯で最上の誉でございます。……ですが」  カインは、マールディの目を見つめて、きっぱりと告げた。 「自分自身の、やりたいことを見つけました。それは、地位や名誉、名声、カネ、それらを捨ててでも得たいものでございます」  マールディは目を見張ったまま沈黙した。何かを言おうとするが、すぐに口を閉じる。最初に口を開いたのは、隣にいる青年だった。 「妹は、そんなに魅力がないかな?」  中性的な容貌とは違い、声は男性のものだ。低く落ち着いている。 「とんでもございません」 「そう。じゃあ、妹との婚約を破棄したいってことだね。……まさか、カインからそんなことを言いだすなんて。父上、通常、貴族側からの婚約解消など認められませんし、侮辱罪で重罪ものです。ですが、カインの有能さと真面目さは僕たちがよく知っている。余程の理由があるのでしょう」 「……うむ」 「彼の正直さに免じて、カインの望み通りにさせてやってはいかがです?」  マールディは隣にいる青年――おそらく王子だろう――を見上げ、次にカインを見た。カインと視線を合わせたのち、ため息をついて頭を押さえる。 「わしはお前を気に入っている。幼いころから知っておるし、息子のように思って来た。……そなたの女嫌いも承知しておるが、我が娘ならばと思っておった」  カインは、視線を落とした。 「そなたはこれまで、人生をわしに捧げてきてくれた。忠誠心に偽りはないと思っておる……そなたが望むのならば、娘との婚約は解消しよう。だが、聖騎士は辞めないでいてくれぬか。そなたが必要なのだ」 「……陛下」  カインは、是とは言わない。マールディは苦しそうな表情をして、ため息をついた。 「少し話し合おう。返事はすぐに出せぬ。……ジス、医師殿を王女のもとへ案内して欲しい」 「わかりました」  ジス、と呼ばれた青年がセリナのほうへ歩いてくる。セリナは陛下に無言のまま最上礼をして、ジスと共に退室した。  謁見の間から出てほっとすると同時に、セリナは顔をしかめる。 (……本当に、騎士を辞めるつもりなの?)  だとしたらセリナのせいかもしれない。彼は本気で、セリナのことを愛しているのか。だとしたら――目を醒まさせなければならない。  セリナが「普通の人間ではない」ことを知れば、彼だって離れていくに決まっている。 (もっと早く話をしておけばよかった)  それが出来なかったのは、嫌われて軽蔑の目を向けられるのが怖かったからだ。セリナのせいで彼の人生を潰してしまいたくはない。  マールディも譲歩して、王女との婚約は解消すると言っていた。ならば、女嫌いであるカインは無理に結婚する必要もなくなり、地位も守れ、万々歳だ。  よい方向に話は進んでいる、のだろう。  だから尚更、カインにセリナへ縛られてほしくはない。次に話す機会があったら、セリナ自身のことをすべて、正直に告げよう。 「あれ、セフィもいたの? ああ、バロック卿が気を利かせたのか」  ジスは、謁見の間の前で待機していたセフィリアを見て、驚いた顔をした。セフィリアはすっとドレスの裾を広げて、身を屈めた。 「はい、ジス様。セリナを案内して参りました」  ジスは頷き、セリナを促す。その後ろを、フィンとセフィリアが続いた。  王女の部屋は、王族専用となっている王城の最上階にあった。  マリアンヌ、というのが王女の名前らしい。  セリナは、ジスに案内されてセフィリアと共に王女の居室へと入った。フィンは見張りとして部屋の前で待機してくれる。  ジスは、マリアンヌの傍に控えていた侍女に変わりはないかと問い、「ございません」という侍女の返事を聞くと、侍女を一時的に部屋から下がらせた。  ジスとセフィリアがマリアンヌについての話をしているが、セリナの意識は別のところに向いていた。  視線を、マリアンヌの部屋へと彷徨わせる。 (なに、この部屋)  マリアンヌの部屋は、淀んでいる。病を持つ者の部屋は不浄な空気や気配が蔓延していることもあるが、それとはまた違った種類の淀みだ。  部屋を見回せば、女性らしい優美で可憐な部屋である。王女という立場ゆえに様々なものが高価だが、「この部屋には」特別に邪気を放つようなものはない。  セリナはマリアンヌを見た。  純白のシーツの敷かれた大きなベッドの中央に、人形のように眠る少女がいる。一見して美女だとわかる容姿を持っており、世の男性が好きそうな体躯をしていた。そういえばカインも、王女は女性らしい方だ、と言っていたことを思い出した。  やはり男は、こういう見目麗しく色気のある体躯をした女が好きなのだろう。そんな考えは頭の片隅に追いやって、セリナは深呼吸をした。  医者は辞めた。  医者を名乗る資格などないから。  けれど、セリナでも役に立てることがあるのなら、マリアンヌを助けることが出来るのなら、やるだけのことはやりたいと思う。  マリアンヌに近づくと、顔を覗き込んだ。肌は白いがほんのりと赤みがさしており、食事をしていないのに髪は艶やかなまま。胸の上で組まれた手の爪も、美しい。 (栄養失調の傾向は一切ない) 「マリアンヌ様の容態を聞かせて頂けないでしょうか」 「見たままだよ。突然眠ってしまってね、起きないんだ。もうそろそろ七カ月かな」  カインの言っていたことと同じだ。セリナが王都へ来るまでの一か月間も、このまま眠り続けていたのだろう。  セリナはマリアンヌに触れようとして――手を引っ込めた。やや戸惑ったのち、思い切って頬に触れ、そのぬくもりを確かめる。おとぎ話のように、眠った王女様。  その原因は、やはりただの病ではない。 「王子殿下」  セリナが振り返りながら呼ぶと、ジスは肩をすくめた。 「ジスでいいよ」 「では、ジス殿下。この地下には、何があるのですか」  その瞬間、ジスの笑みが固まる。  王城に入ったときから、地下に「何か」あると感じていた。  けれど、それは禍々しい種類のものではなかったので、あえて気にはしていなかった。  むしろ淀みは王城の至るところから微弱に感じる。こういった古く歴史のある建物には、古来に築かれた呪術の欠片が残っていたり、恨みつらみが意図せず呪術を生み出したりすることがあるから、そちらが厄介だと思っていた。  けれど、マリアンヌの部屋に入ってから、地下の「何か」を強く感じるようになった。  少なくとも、地下にある「何か」とこの部屋は「関係がある」。  何がどう関係あるのかはわからないが、調べておく必要はあるだろう。 「セフィ、少し席を外してくれないかな」  ジスが、きょとんとしていたセフィリアに告げる。  セフィリアは返事をすると、すぐさま部屋を出て行った。  ジスは深くため息をついて空色の瞳でセリナを軽く睨むと、部屋にあったソファに座った。 「地下が、妹と関係あるのかな」 「おそらく。ただ、根本的な解決につながるかはわかりません。しかし、調べておく必要はあるでしょう」  ジスは再びため息をつく。膝に肘を置いて手を組むと、その上に顎を乗せた。 「きみ、欲しいものはある?」 「……はい?」 「欲しいものがあれば、なんでもあげる」 「それは、脅しですか」  何の、とは言わなかった。  先ほどの態度から、ジスはおそらく、マリアンヌの病の原因が「呪術」であると知っているのだ。  そして地下にある「何か」がマリアンヌの現状に関係していることも察しており、それを隠そうとしている。もしかしたらセリナを案内してくれたのも、見破る医師が現れた場合にすぐ対応できるよう、見張っているのかもしれない。 「脅しじゃないよ。僕は、心からマリアンヌが助かってほしいと思っている。けれど、もし妹が『呪われている』なんて知れれば、今後どんな目で見られるかわかったものじゃない。助かるにしても――このまま、死ぬにしても」 「死なせません」  ジスが、セリナを振り返る。軽く目を見張っていた。  やや沈黙ののち、ジスは苦笑する。 「長旅で疲れただろう。部屋に戻って、休むといい。明日から治療を頼むよ。……この『病』の」 「病、と言い切られるのですね」 「ああ。だって、呪いなんて非現実的なものがあるわけがない。妹は、不治の病というやつだよ」  ジスは、にっこりと微笑んだ。
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