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6、カインの過去
「マリアンヌ様のご病気、やっぱり治らないの?」
難しい表情で部屋に戻ったセリナに、セフィリアが聞く。
「治してみせるわ」
セリナの言葉に、セフィリアがほっと力を抜く。
「マリアンヌ様は、一年前に王妃様が亡くなったばかりなの。もしかしたらお母様を亡くされたショックで寝込まれて、あんなふうになってしまったのかもしれないから」
セフィリアは、「そろそろ戻らなきゃ」と告げて、名残惜しそうにセリナの手を握り締めると部屋を出て行った。
一人になったセリナは、先程の王子とのやり取りを考え始めたが、すぐに我に返る。
我に返ったのは、ドアを叩く力強い音が聞こえたからだ。
慌ててドアを開くと、客人はカインだった。
「……話がある」
いつもの無表情でカインが告げ、セリナはカインに自分のことを話すと決めたのだと思い出し、部屋のなかへ促した。
「……私もあるの」
カインが部屋に入るのを見届けて、セリナは深呼吸をする。自分のことを話そう。けれど、嫌われてしまったあとではマリアンヌについて――そして、地下について聞きづらい。先にマリアンヌの件から片づけていくべきだろう、という結論に至り、セリナはソファに座った。
「どうぞ、座って」
「ああ」
カインは向かい側のソファに腰を下ろした、などということはなく。なぜか、セリナのすぐ隣に座った。反動で座面が揺れて、セリナの身体が傾く。
「……王女殿下は治るのか」
さも当然のように話し始めたので、セリナもあえてカインが座った場所には言及しなかった。
「治してみせる。でも、あれはやっぱり病気じゃない」
「呪いか」
「呪い、といえば呪いなんだろうけど」
セリナは眠っていたマリアンヌを思い出して、眉をひそめた。
呪いの気配は、多種ある。けれど、マリアンヌから感じたモノは、これまで感じたことのある呪いの種類とは違った。
あれは、何者かの放った呪いの気配ではない。
もっと別の――。
「……禍々しい何かが憑いてる、気がする」
「憑りつかれている、ということか」
「うーん、ちょっと違う。私もよくわからないんだけど、解決の糸口は地下にありそう」
カインは、ふと考える素振りを見せた。
「……地下といえば、王子殿下の母君がおられる」
「え、待って。王妃様は一年前に亡くなったんでしょ?」
「亡くなられたのは、王女殿下の母君だ。元々身分ある侯爵令嬢で、王妃として陛下に嫁がれた。王子殿下の母君は市井で、身分がない。それを苦に自ら地下に引きこもってらっしゃる」
「母親が違うのね……国王の愛妾ってことよね。なのに、地下に引きこもってる?」
「その辺りの事情は私も知らない」
あまり深く関わりたくはないが、やはり呪術を解くには根本的な「関係性」から知る必要があるようだ。あとで調べておこう。
セリナは胸中でため息をついて、カインに問う。
「地下への入口ってどこにあるの? 今夜、探索してくるわ」
「私が案内しよう」
「いいわよ、バレたら大変でしょ。陛下の愛妾の部屋へ忍び込もうとしてるのよ?」
「お前ひとり罰せられて失うより、遥かにマシだ」
こぼれんばりに、目を見張る。
そして、そっと視線を落とした。
(話すなら、今しかない……よね)
カインのことをセリナはよく知らない。
知らないままでいい。
知ってしまったら、これ以上近づいてしまったら、別れがつらくなってしまうから。元々身分も違うし、カインには婚約者だっている。
そう考えて、自嘲した。
嫌われるのが怖いと思っている時点で、セリナはカインに対して好意を抱いているのかもしれない。誠実で真っ直ぐなところや、心配性で気遣ってくれる優しさ、それにどこか少しばかりずれた感覚なども、可愛いと思う。
ふと、カインの手が伸びてきた。
白い手袋をはめた彼の手が、セリナの手に重ねられる。
「誘ってるの? したいの?」
「……したくないわけがない。だが、お前はこれから忙しいのだし、無理はさせたくない。だから、せめて傍にいたい」
静かな部屋に、彼の声は心地よくセリナは胸に染み込んでくる。
「どうしてそこまで私に執着するのよ。会ったばかりで、お互い何も知らないのに」
「愛している」
「だから、どうして愛してくれるのっ」
少しばかり声を荒げて、カインに問う。カインは首を傾げ、長考の末、呟く。
「お前を、守りたいと思った」
息を呑む。
守りたいなどと言われたことなどない。……セリナが守りたいものは、沢山あったけれど。
「それから、肌を合わせたいと思った」
「男の身体は、そういう構造になってるでしょ」
「自分はそうではないらしい。女は怖い」
嫌い、ではなく、怖い。
その違いに、セリナは眉をひそめてカインを振り返った。
「怖い?」
「簡単に壊れるだろう」
壊れるとはつまり、死ぬということか。現在、種族や国ごとに寿命差はあれど、このディトール王国で男女の間に寿命差はほとんどない。
女は簡単に壊れる。……女は簡単に死ぬ。それはつまり、「女は簡単に殺してしまえる」という意味、だろうか。
ふと、獣化したカインの姿を思い出す。
「幼いころ、私は姉を殺した」
「……え」
カインは、そっと目を伏せる。
「些細なことで、喧嘩をしていた。そのとき、姉の肌に触れてしまい獣の姿になった。獣になれば、獣になる前に抱いていた本能に抗えなくなる。私は姉を憎しみのまま、牙で、爪で、泣き叫ぶ姉を切り裂いた」
カインは苦しそうに呼吸を止めて、ややのち、静かに息を吐き出した。
話は続く。
「我に返った私は絶叫した。だが、そんな私を誰も責めはしなかった。ただ、皆姉の死を悲しんだ。……それ以来、母や祖母も私から距離を取るようになり、私もこれまで以上に女を避けて生きるようになった。女は性的対象ではない。自分の本性をさらけ出させるための引き金となる、ただの恐怖対象だ。私が獣となったときに、真っ先に被害にあうのもその女だろう」
ふと、添えられたカインの手が小さく震えていることに気づいて、ほとんど無意識にもう片方の自分の手を重ねた。
驚いたように振り向いたカインは、セリナを見て、くしゃりと顔を歪める。
「お前は、私を恐れなかった」
カインはセリナの頬に、手を伸ばす。やや躊躇いながらも、つつ、と手袋越しに指で頬を撫でた。
「初めて抱きたいと思った。触れてしまい、本能のままに抱いて、壊してしまったと後悔した。また取り返しのつかないことをしていると思いながらも、止められなかった。けれどお前は……死ななかった。それどころか、私へ罵詈雑言を浴びせるべきところを気遣ってくれただろう」
「そんなこと――」
「無理やり犯した相手を庇うなんて、できないのだと……思う。お前にはお前の事情があるのだろう。お前は、何を抱えている」
庇ったのは、咄嗟だった。
獣化する呪いはカイン自身のせいではない。なのに、それが原因でカインの人生を破滅させるなんて、あってはならないと思ったから。
しかもそれが、セリナ如きを犯した結果もたらされるのならば、尚更だ。セリナが我慢して黙っていれば、人ひとりの人生が助かるのだから、セリナは当然カインが助かるほうを選ぶ。
セリナが喚いても、文句を言っても、どうしようもない。何より、セリナはそんなたいそうなことを言える者ではない。
セリナは、罪深い娘だから。
「お前の抱えているものを、私も背負いたい」
「私は、何も背負ってなんか――」
「ローグ村の事件が関係あるのか」
身体が震えて、咄嗟に立ち上がった。
自分でも驚くほどに心音が乱れ、衣類ごと胸を搔きむしる。
「これ以上、踏み込んでこないで!」
血の気が引いているだろうセリナの表情を見て、カインは目を伏せた。
「……すまない。また、夜に来る。地下へ案内しよう」
背を向けて歩き出すカインに対して、セリナは告げる。
「私は、あんたが思ってるような『優しい女』じゃない。誤解しないで」
カインは何も言わず、そのまま部屋を出て行った。
残されたセリナは、ソファへ座り込んで頭を抱えた。
(どうして、ローグ町のことを知ってるの)
ぎり、と歯を食いしばった。
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