7、ローグ村の悲劇

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7、ローグ村の悲劇

 薄暗い王城の廊下は、静まり返っていた。  セリナは可能な限り足音をたてずに、斜め前を歩くカインの背中を見つめた。  夜中、約束通りやってきたカインは、火の灯されていないランプを持っていた。「これから地下へ向かおう」と告げ、それから黙々と地下へ向かって歩いている。 (……沈黙が気まずい)  昼間は、酷い言い方をしてしまった。もう少し言いようがあっただろうに。誤魔化すことも出来ただろうに。  ローグ町の名を他者から聞いたのが、久しぶりだったから。 「ここだ」  ふと、カインが足を止めた。  目の前には、古めかしい樹木でできたドアがある。いつの間にか一階にまで降りてきていたようだ。 廊下の突き当りにひっそりとあったそのドアは、カインが引けば簡単に開いた。ドアの向こうには、地下へ続く階段が続いている。  カインは持っていたランプに火を灯すと、手袋をはめた手をセリナへ差し出した。 「行くぞ、暗いから気をつけろ」 「平気よ」 「私が怖いんだ。手を」  まったく怖そうに見えない声音で告げられ、セリナは苦笑する。あんなに酷いことを言ったのに、こんなふうに優しくしてくれるなんて、元々心優しい男なのだろう。 「ありがとう」  お礼を言って、手を取る。カインはかすかに頬を緩めて、セリナの手を引いて階段を降り始めた。  ドアをくぐった瞬間、空気が変わった。魔術や呪術といった禍々しい気配を察したのではなく、空気自体が湿気ていて、かび臭いのだ。  辺りは真っ暗だが、階段の下方にうっすら見える廊下には明かりが灯っている。そこへ向かうにつれて、なぜか足元が濡れ始めた。酷く滑る足元に気をつけながら、カインと共に降りていく。 「なんだか、牢獄みたい」  実際に牢獄というものは見たことがないけれど、こんな感じではないだろうか。そう呟くと、カインが頷く。 「元々、貴族を幽閉する牢獄だったようだ。今は使われていないため、ヒューイ様の部屋に改造したらしい」 「ヒューイ様、ってジス様のお母様よね。なんでよ。妾の、それも市井を取り立てたってことは、余程愛してるんでしょ」 「ヒューイ様ご本人の希望だそうだ」  セリナは眉をひそめた。  複雑な人間模様が見え隠れしていて、なんだか面倒くさそうだ。  階段の一番下、細長い通路へつくと、壁際に油灯が設えてあった。一定間隔のそれらには明かりが灯っており、ぼんやりと足元を照らしている。  カインは持っていたランプを明かりがついたままの状態で通路の端へ置いた。セリナは、その反対側の壁を見つめたまま、顔を顰める。  そこにはドアがあった。痛んだ木製のドアだが、湿気で痛んだだけであって、ドア自体はまだ新しいもののようだ。他には部屋らしきものはないが、壁自体を作り替えたような跡がある。牢獄だった場所に壁をつくり、部屋に作り替えたのだろうか。  セリナは息を吐き出すと、ドアを叩いた。  どんな者が現れるのか想像さえできなかったが、見張りの兵士もおかず、たった一人地下へ引きこもる女など余程奇異な者だろうと思っていたのだが。  ややのち、そっと開かれたドアの隙間から覗いたのは、やつれた女だった。歳は四十過ぎほどだろうか。暗さとやつれた姿から、正確な歳はわからない。 「夜分遅くに失礼します」  セリナが告げると、女は首を傾げた。 「あら、今は夜なの。地下だからわからないのよ。あなた方は?」 「医者です」 「私は、どこも悪くないけれど」 「王女殿下の奇病の原因を探っています」  セリナの言葉に、ヒューイは驚いた顔をした――ということもなく、つと目を眇めた。そして、やや迷った素振りを露骨に見せて、部屋へと招いた。 「どうぞ」 「失礼します」  セリナが部屋に入ると、当然のようにカインも一緒についてきた。ドアが閉められ、なぜか施錠までされる。  セリナは、あちこちに設えた油灯で明るく照らされた室内を見回した。足元には沢山の予備の明かりと油、蝋燭、ランプ台、それらが置かれている。雑多に置かれたそれらを除けば、じめじめしている以外は普通の部屋だった。奥に続く部屋が二つあるようだが、そちらの様子は伺えない。  セリナを木製の一人掛け椅子に座らせたヒューイは、カインの座る場所を探した。カインが「お気遣いなく」と告げると、「そう」と告げ、ヒューイ自ら椅子へと腰をかける。 「ごめんなさいね、椅子は二つしかないの。来客は、陛下くらいだから」 「王子殿下は来られないのですか」 「……あの子は、私を嫌っているから」  悲しそうにヒューイはそう告げると、表情を改めて口を開く。 「お医者様だそうだけれど。私が王女殿下をあのような姿にした、と言いたいのかしら」 「そうは言ってません」 「疑わしいから来たんでしょ? だって、あの娘が死ねば、私の息子が王位につくのだもの。誰にも邪魔されずに」 「そんなことをしなくても、世継ぎは王子でしょう。男児ですから」 「あいにく、王女は王妃の子。身分も後ろ盾もあるのよ」  セリナは黙した。  昼間、カインが部屋から出て行ったあと、勝手に王城内をふらふらと探索した。目的は地下への通路を探すこと、ではなく、マリアンヌの周囲の人々との関係を知るためだ。マリアンヌを調べるなかでわかったことは、マリアンヌの母である王妃と、ジスの母であるヒューイの仲が悪かったこと。  それを聞き、ジスの評判についても聞き込みをした。 「王子殿下は随分と優れた方で、次期王座は間違いないって言われてるとか」 「……あら、それは嬉しい」  ヒューイは、目を細めた。探るような目でセリナを眺め、考えの読めない微笑を浮かべている。  セリナはにっこりと笑みを浮かべた。 「あの。奥の部屋、見せてもらってもいいですか?」 「寝室よ」 「二つとも、ですか」  笑顔を深めて問えば、ヒューイもまた笑みを深めた。  何かを隠していることは確かだが、彼女の口からそれを告げはしないだろう。お互いに笑みを浮かべたまま沈黙が続き、やがて、ヒューイが目を伏せた。 「どうぞ」  立ち上がったヒューイは、奥にあるドアへ歩いていく。大きくドアを開き、足元に置いてあった蝋燭台を持ち上げ、火の灯ったそれをセリナに手渡した。 「どうぞ」  蝋燭台を握り締め、セリナは真っ暗な奥の部屋を蝋燭で照らす。  そこにあったモノたちに、目を見張った。 「……なんだ、これは」  呟いたのは、カインだ。  その呟きも当然だろう。セリナの持つ蝋燭の火に淡く照らされた小部屋には、見るもおぞましい魔術に関する品々があった。魔術書の類や動物の骨、鏡、よくわからない液体の入った瓶に、何かの儀式に使うだろう漆黒の鍬のような道具たち。ほかにも、縄や藁でできた人形、血のついた子ども向けの装飾品まである。  何より異彩を放っているのは、部屋の中央にどす黒い液体で描かれた「陣」だ。円形を中心に六芒星、そして古代文字を使って描かれたそれらを囲むように、蝋燭が置かれている。  それを見て、セリナはすべてを察した。 (ああ、そういうこと)  静かにため息をついたとき。 「生贄にしてあげるわ」  ヒューイの低い声音と共に、背中を突き飛ばされた。 (しまった!)  いきなりのことに抗えず、陣のなかへ倒れ込んだ。  * 「セリナ!」  カインは慌てて足を踏み出した。 「駄目!」  セリナの制する言葉を聞くが、すでに足は陣を踏んでいた。けれど、退くつもりもなければ待つつもりもない。  今セリナを抱き留めなければ、どこかへ行ってしまう気がした。  なのに、陣を踏んだ足元から痺れが全身に広がり、記憶が遠くなっていく。いつの間にか陣が、淡く禍々しく発光した。 (セリナっ)  セリナに手を伸ばしたとき、ふいに視界が明るくなった。 「……は?」  気がつけば、見知らぬ家のなかに立っていた。  土と藁でできた、随分と古めかしい家だ。生活感があり、足元や棚には、壺やよくわからない道具が置かれている。これは、農具だろうか。  しかし、なんの匂いもしない。藁や土には、独特の匂いがあるはずなのに。  違和感を覚えて、激しく顔を顰めた。違和感といえば、なぜいきなりこんな場所へ来てしまったのか。セリナはどこだろう。 『……だめ』  ふいに聞こえてきた声音は、セリナのものだ。  カインは辺りを見回した。 「セリナ? どこだ!」  狭い家のなか、セリナの姿はすぐに見つかった。奥の部屋で、セリナは大量の本が散らばった部屋で座り込んでいる。頬は扱け、やせ細り、目は落ちくぼんでいた。  その壮絶な姿に息を呑んだ。  つい先ほどまで見ていたセリナは、健康体そのものだったのに。この短時間に何かあったのか。それともあの陣を踏んだせいで、何か起きてしまったのか。 「セリナ、無事か」 『どこにも、載ってない』 「おい」  セリナはカインの声が聞こえていないのだろうか。何度か呼びかけるがセリナは顔をあげず、一心不乱に本を読み漁っている。  セリナは、突然立ち上がると駆け出し――足を止めた。 『……駄目じゃないの』  何が駄目なのだろうか。セリナの呟きは悲壮感に満ちており、聞いているだけで胸が苦しい。  ふと、別の声がした。  皺がれたその声はセリナを呼び、セリナは慌てて声の方へ駆けていく。  そこにいたのは、老婆だった。セリナ以上にやせ細り、まるでミイラのようだ。老婆とセリナはいくつか言葉を交わしている。老婆は病に苦しんでいるようだ。  しかし。 『苦しまないように、心臓をひと突きにするんだ』  老婆が告げた言葉に、セリナがふらつく。カインもまた驚いて、老婆を見つめる。  それはつまり――セリナに、自分を殺せというのか。 『もう、お前しか残っていない。お前が、皆を、開放してやってくれ』  お前が、皆を。  この老婆だけではなく、もっと大勢を、ということだろうか。  なんと残酷な望みを言うのだろう。  この老婆は、死の淵にいる。それはひと目見れば明らかだ。けれど、だからこそ、死の淵にいる者の懇願は力を持つ。  セリナは何度も首を振った。  けれど、後退した際に足元に転がった包丁を見て、顔を強張らせる。セリナは震える手で、包丁を拾いあげた。  セリナはふらつきながら、老婆に近づく。  そして、包丁を持つ手を振り上げた。 ――無理やりつくった、強張った笑みを浮かべながら 『すまないね、セリナ……ありがとう』  老婆は微笑み、そして、セリナの手によって心臓をひと突きにされる。その心臓が止まる前にセリナはナイフを引き抜き、ナイフについた血を舐めた。  ぎょっとするカインは、セリナの両目から流れる涙を見て、息を呑む。  老婆は微笑んだまま、絶命した。  セリナは包丁を持ったまま、家を出る。カインも続いて外へ出ると、そこが山脈によって山中に隔離された集落であることを知った。 「……まさかここは、ローグ村?」  呟きながらも、そうだという確信があった。ローグ村の名を出したとき、セリナが激怒したことを思い出したから。 (しかし、ローグ村は三百年も昔に滅んだはずだ。……セリナは一体、何者だ)  セリナがいた土壁の家は、町から少し離れた場所にぽつんとあった。  セリナは包丁を握り締めたまま、確かな足取りで町へと近づいていく。近づくにつれて、道のあちこちに人が倒れていることに気づいた。驚くカインとは反対に、セリナに驚いた様子はない。……現状を、知っていたのだろうか。  カインは近くに倒れていた男に駆け寄り、そっと顔を覗き込んだ。触れようとしたが、手は男の身体をすり抜ける。 「……どういうことだ」  まるで、ここにこの男はいないようだ。  いや、違う。  カインのほうが、この世界では異物なのだ。  カインは触れるのは諦めて、じっと男を眺めた。胸は少しだけ上下しているので、死んではいないだろう。しかし、意識は朦朧としているようだ。時折どこかからうめき声が聞こえてくるが、この男は何も言わないし、その他の者たちの声もほとんど聞こえない。  カインは立ち上がると、厳しい顔で辺りを見回す。  多くの者が倒れている。  歩いている者はいない。倒れている者たちを、助けようとする者もいない。 ――『もう、お前しか、残っていない』  老婆の言葉が蘇り、カインはぎりりと歯を食いしばってセリナを振り返る。  ここが、三百年前に実在したローグ村だとしたら。住人たちは、何者かに心臓をひと突きにされて殺されたという。しかし、ここに倒れている人々は、まだ生きている。  包丁を握り締めたセリナが、カインが見下ろしていた男へ近づいた。 「セリナ」  低く呟く。  けれど、カインの声はセリナに届かない。  セリナが男の傍にしゃがみ込むと、男のほうが小声で呟いた。 『頼む、殺してくれ……死にたい。苦しいんだ』  セリナは微笑んで、頷いた。  そして、呟く。 『ごめんなさい』  手に持った包丁を両手で持ち、振り上げ、セリナは男の心臓を的確にひと突きにした。先ほどのように素早く包丁を引き抜き、血を舐める。  その間に、男は絶命した。  セリナは立ち上がり、次の住人の傍へしゃがみ込む。 「やめろ、セリナ」  カインは告げる。聞こえないと察しながらも、言わずにはいられない。 「セリナ!」  セリナは、その住人の心臓もひと突きにした。心臓を刺した際に血が飛び散り、セリナの顔や衣類を鮮血が染める。その血をセリナは舐めた。その住人が絶命したのを確認して、次の住人へと向かう。 「やめろ。やめろ、セリナ」 『ごめんなさい』  殺すたびに、セリナは呟く。顔をくしゃくしゃに歪め、けれども無理やり笑みを作り、涙を流し、鮮血を浴び、セリナは殺人を繰り返す。 「……もう、やめろ」  これでは、お前が辛いだけだ。  こんなに大勢の命を、少女が一人で背負うべきではない。 「お前は、医者だろう」  殺すことによってしか救えない命もあるだろう。だが、少女が一人で背負うべきものではない。こんな大勢の者の想いを、一生を、命を、抱えて生きていくなど、ただの地獄でしかない。  カインはひたすら歯を食いしばる。  姉を殺したカインは、その罪の重さに押しつぶされそうになりながら生きてきた。  騎士という立場上、命を奪うこともある。他者の命を奪うたびに、仕事だと己に言い聞かせた。  命は、決して軽くない。  重く、尊く、掛け替えのないものなのだ。
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