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「ミスターコビッド、美術館は神聖なる場所です。世界に一作しかない絵画はとても貴重で替えが効きません。書店の本は増刷できますが、絵画となると、そうはいきません」  すると、コビッド氏は腹を抱えて笑い出した。 「ミスター猪俣、あなたはとても堅い。もう少し、柔軟になった方がいい。あなたは典型的な日本人だ」  猪俣は苦笑いをした。それにつられて雅美も苦笑した。  控え室に戻るなり、猪俣はソファに身を投げ出した。タバコ一本を取り出すと、ライターで火をつけて吸った。  控え室は本来なら禁煙だ。だが、雅美は見て見ぬふりをした。猪俣は先ほどのコビッド氏に対して棘のある対応をしていた。そりが合わない。誰しも苦手な人間はいる。ただ、猪俣にとってコビッド氏は、大切なビジネスパートナーであるが故に、ある程度の忍耐は必要とされた。 「猪俣さん、お茶でも淹れましょうか?」  雅美が訊くと、猪俣はウィスキーが飲みたいと、我がままを言った。 「猪俣さん、虫垂炎の手術が終わってまだ、一週間と経っていません。いいですか。あと一週間は禁酒です」 「手厳しいねえ。歴代の秘書の中でも、君はシビアだね。まあ、そのくらいでないと、わたしの秘書は務まらない」  雅美は猪俣の隣に座る。 「ありがとうございます。あの、猪俣さん、石原さんのお見舞いを許可してくれてありがとうございます」  すると、猪俣は身体を伸ばした。 「あれは、君の熱意に負けたんだ。君は狂気に駆られていた。まるで、拳銃自殺をする直前のゴッホのようだったよ。それにしても、石原には別の女がいたとはね」
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