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 穏やかな秋晴れだった。この時期の箱根は、木の葉が紅く色づき始める。箱根登山鉄道からの紅葉の眺めは人々を強烈に惹きつける。紅葉を見る度に箱根に来てよかったと、大仰に言うなら、日本人でよかったと思える瞬間だ。 「石原さん、あなたの記憶の中に現れた絵は、わたしが描いた絵です」  雅美は能弘に言った。能弘は意外そうな顔をした。  もしかすると、わたしの絵を見て何か思い出すかもしれない。記憶が新しいうちに絵を見せるべきだと思った。  ポーラ美術館まではタクシーで向かった。その間、雅美は能弘に木野崎瑞穂との関係について問いただしたかった。だが、能弘は何かを思いつめたような表情のまま、前を向いていた。  瑞穂は既婚者だ。だから、能弘はもし、彼女と深い関係ならば、それは不倫だ。  あの病室での振る舞いは、明らかに自分は能弘の女であることを演出していた。  対抗はできなかった。考えてみれば、雅美は新参者だ。新参者がしゃしゃり出ることはできない。つまり、未だ、瑞穂に後塵を拝している。そんな自分が不甲斐ない。 「石原さんが見たあの絵、わたしが母親と芦ノ湖に行ったときに、着想を得たの」 「そうですか。お母さまはお元気ですか?」 「亡くなりました。わたしが高校生のときに」 「ごめんなさい。無神経なこと言ってしまって」 「気にしないでください。母親の人生はいい人生だったと思います。愛する人にずっと尽くしてこられたんだから...」 「羨ましいです。僕はあなたともつきあっていたのですか?」 「いえ。そこまでは...」  雅美は顔を伏せる。本当はこれから、つきあっていこうと考えていた。だが、今ここでそれを言うべきではない。今は彼の記憶を取り戻すサポートに徹しなければならない。
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