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 猪俣は美術館にとってはいい太客だった。美術館主催の展覧会にルノアールやピカソのような大物の絵画を無償で貸し出したりする。もし、猪俣のような人がいなければ、美術離れが顕著なこの時世に、美術館を維持していくのも難しい。  猪俣がY美術館を私的に訪れたときのこと。ある一枚の絵の前でピタリと足を止めた。  その絵は以前、二科展に入選した雅美による作品だった。湖の上を華麗に舞う水鳥の妖精を描いた。その作品は母親と芦ノ湖に行ったときに着想を得たものだ。  猪俣は大傑作に遭遇したかのように、その絵に釘付けになる。父親を始め、各画廊の関係者は、この絵を見て、習作かと思ったほどだ。だが、猪俣はそう思っていないらしい。  猪俣には絵に対する鑑識眼がある。業界でも彼の手腕は大いに買われている。そんな大御所に作品をじっと鑑賞されるのは、まるで裸を覗き見られているみたいだ。 「君、確か御岳という苗字だったね。君の父親は御岳征という画家ではなかったか?」  父親の名前を出されて、雅美は狼狽した。父親の作品のタッチと雅美によるタッチはよく似ていると言われる。親子は遺伝的に似ることはよくある。それが絵画的技法にまで似るかどうかはわからないが、御岳征と御岳雅美との間にその論理は通った。  雅美は幼い頃は父親が師匠だった。父親の絵のタッチは好きではなかった。その絵の技法が近しい者による場合、不思議と拒否反応が起こる。  特に雅美は父親とは以前から、折り合いが悪い。だから、雅美は父親から離れ、まったく父親の影響が及ばない場所で技法を学ぶことになる。  父親も、可愛い子には旅をさせよという感じで、自身の手から巣立ったことを喜んだ。
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