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雅美は拘置所の門をくぐった。自分には一生、縁のない場所だと思っていた。だが、現実にそこにいる自分を冷静に客観視できた。
アクリル板の向こうには、一回り身体が小さくなった能弘が座っていた。やはり、拘置所生活は肉体的にも精神的にも堪えるのだろう。
冷たい廊下を通ってきたときも、雅美は嫌な寒気を覚えて小走りで、通り過ぎた。
「来てくれたんだね。嬉しいよ」
能弘は口を開いた。
「わたし、この際、刑事みたいな尋問はしないわ。だって、やってしまったことは仕方ないもの」
「絵は描いてるのかい?」
「ええ。描いているわ。二科展に出品しようと思ってる」
「本当に御岳さんには才能があると思ってたんだ。僕はすごく感動したんだ」
「ありがとう。ねえ、もし、ここから出てこれたら、食事の約束を守ってね。わたし、能弘さんのことを全力でサポートするわ。だから諦めないで」
「諦めないよ。だって、君は僕の最高のパートナーだからね」
能弘はまっすぐ雅美を見た。雅美も見返す。その吸い込まれそうな瞳には抗えない。
「あの絵に描かれていた、芦ノ湖に行ってみたいな...」
「できるよ」
「ひとつ、頼まれてくれないか?」
能弘はポケットから一枚の折りたたまれた紙片を出し、アクリル板越しに開いてみせた。そこには、一人の女性の似顔絵が描かれていた。
「彼女を、葬ってほしい...」
雅美は穴が開くほど、彼女の似顔絵を凝視した。能弘の妖しい瞳は雅美を捉えて離さなかった。
END
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