雨に降られて

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どこか遠くで、低く唸るような音が聞こえた。 天気予報は見ていなかったが、いつ雨が降ってもおかしくない。それなのに僕は今日も傘を持っていなかった。 「なぁに、どうしたの?」 「おはよう。なんでもないよ、少しぼうっとしてただけだから」 「そう。あぁ…寝てばかりだと駄目ね。体があちこち軋んで何もしていないのに痛むの」 そう言って肩を揉む仕草をした彼女の体に近付いて、僕は手を伸ばした。 細く骨張った肩をさするように、軽く力を入れる。 「あら、上手ね。ふふ。誰かに触ってもらうと気持ち良いわ。手当てって、何もしなくてもこうして触ってもらうだけで効果があるから言うのかしらね」 「そうかもしれない。僕は医者な訳ないし、なんの役にも立たないんだから」 お世辞を足しても綺麗とは言えない病室に、純粋な沈黙が落ちる。壁に、床に、天井に。軽い体重にさえ軋むベッドに静かに落ちて、彼女はやっと微笑んだ。 「お医者さまでは治せないのよ。あなたが来てくれてから、私は大分楽になったの。だからそんな風に言わないで」 痩せた手が僕の手に、重なる。 頼る当てのない同士が寄り添って熱を持つ。 湯も沸かせない、ぬるい温度が酷く心地よかった。 「…ありがとう。ごめん、そろそろ行かないと」 「またおいでなさい。待っているから」 僕は彼女に宛てたことしかない笑顔を作って病室を後にする。 靴音が反響するリノリウムの床に染み込んだ無数の足跡から逃げるように、僕は扉を押した。 厚い雲が、湿った空気が、低く唸るような音が混ざり合って、ぽつり。 手の甲に落ちたのは雨粒。 弱々しいその一粒をきっかけに、視界が濁るような雨が降る。 僕の頭から爪先までを侵食するように、雨は止まずに落ち続ける。 「…約束なんてするものじゃない」 誰かの為に動く足も、誰かの為に伸ばす手も、誰かの為に傾ける心も。 名前のない繋がりも、初めてだった。 はじまりが奇跡なら、おわりが突然でも仕方ない。 分かっているのに、僕は立ち尽くしたまま動けない。 もう交わせない言葉を掬いだしては流されて、一歩も前に進めない。 それでもこの雨はいずれ止む。止んでしまう。 ひとりきりの僕は、もう誰の役にも立たない涙を落とした。
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