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12/旅立ち
俺にとって筋トレとは何か?
実は筋トレという事は、さほど重要ではない。
何かに夢中になれる、没頭できる、本気になれる、好きになれる、これがたまたま俺にとって筋トレだったってだけなのだ。
その人によって違う【何か】を通して自分の人生に向き合えるかどうかって事が重要だ。
できるからやるんじゃない。
やりたいからやるんだ。
例え下手くそでも、上手く行かなくてもやりたいと思えたなら、それはもう1つの才能だと信じる事が大切だ。
できるか、できないかは重要ではなくて、できなくても逃げださないで〝向き合う〟
失敗をしたって、途中で投げ出したっていいじゃないか、肝心なのは挑戦をした事実。
これに尽きる。
それが、俺はたまたま筋トレだった。
筋トレを通して自分という人間と向き合せてくれるのだ。人は誰でも自分の目の瞑りたくなるような弱さがある。
そこを見ないように、嫌な事は後回しに、できれば触れたくない、触れられたくない。
そういう自分に少しでも向き合える時間というのは、自分が自分を肯定できる時でしかない。
何かに励んでいる時、何かに打ち込んでいる時、他の誰でもない自分という存在のアイデンティティを感じられる時、それが俺にとって筋トレだった。
オリンピアや数々の大会で優勝してきた実績を残す前までは、よく周りの人間からは理解されなかった。
「なんのために鍛えてるの?」
「なんの意味があるの?」
「そんなに制限して楽しめるの?」
「自分を追い込んでマゾみたい」
──とか、もろもろ言われてきた。
結果を出してからは誰もそんな事を言う人はいなかった。
認めさせた! 黙らせた!
でも、それは重要じゃない。
その筋トレを通して人生や自分に向き合っている。
「ほら、見ろ! お前は凄いんだぞ!」
と、1番認めさせて黙らせたいのは他の誰でもない、自分自身だ。
何でもいい。
物書きなら本を書く事、ジレンやスヴェンなら剣術、ドワーフ達は自分の仕事、シャルロットは魔力がなくても一生懸命にそれを補う努力をする事によって自分の人生と向き合っているのだ。
大切なのは、好きでいる事、逃げださない事、疑わない事、これに限る。
時間がないとか、忙しいとかそんな物を取っ払ってもやりたい! そう思える事だ。
それは幸せ以外の何モノでもない。
◇◇◇◇◇◇
「いーち……にぃーい……さぁーん……」
「ん……ッ! はぁ──」
「凄いじゃないか! デットリフトを180キロも上げられるようになったぞ!」
スヴェンが、我がホームジムでデットリフトをしていた。この短期間で180キロの重量を持ち上げられるようになった。
広背筋もバキバキだ。
「イェーイ!」
スヴェンとハイタッチをした。
スヴェンとシャルロットは、早朝5時から毎日の様に裏庭で筋トレをしに来る。
何故、朝かと言うと……。
朝は、睡眠時に優位になっていた副交感神経から、起床後の活動に向けて交感神経へとスイッチが入れ替わる時間帯だ。
朝に筋トレや運動を行うと、副交感神経から交感神経への切り替えがスムーズになり、自律神経のリズムとバランスが整いやすくなる。
体の活動は活発な状態になり、その後はスムーズな1日を送る事ができる。
特に忙しくて時間がなくても、早く起きて朝イチに事を済ませばいい。
睡眠を削るのではなく、早く起きて時間を作る。朝は目覚めてしまえば1番活力にみなぎっている。
何より自分の好きな事を朝1番にすれば、もう俺の1日は終わったようなもんだ。
あとはもう何でも来いッ!
やりたい事が終わっている男の余裕で大らかな気持ちで過ごせる。
「シャルロットもデットリフトをやる?」
「うん!」
「じゃあ、バーベルだけでデットリフトを8回やってみよう」
「頑張るね!」
シャルロットは、バーベルを構えた。
◇◇◇デットリフト◇◇◇
──デットリフトは、筋トレBIG3の1つであり、背筋・太腿・腕を鍛えられる。
その禍々しい名前の通りスーパーハードなトレーニングだ。
ちなみに名前の由来がいくつかあると言われている。「死体を持ち上げる動きに似ている」「死ぬほどつらい」「止まった状態のウエイトを持ち上げる」という意味があるぞ。
その1、バーベルにプレートをセットし、バーベルの後ろに立つ。
立つ位置はバーがスネに当たらないくらいスレスレの場所に肩幅ほど開いて立つ。つま先は前を向いていることを意識する。横に向けてしまってはダメだ。真っ直ぐ前にする。
姿勢はバーベルを両手に持つ。股関節と膝関節を曲げて上体を45度前傾させる。
背中は丸めず、目線は前、お尻は後方に突き出すイメージ。バーを握る手の幅は肩幅より少し広めに持つ。
その2、そしてバーベルを持ち上げる。
背筋は丸めずに伸ばしたまま。
膝を伸ばす動作でバーベルを膝まで持ち上げる。
股関節の伸展動作を利用して上体を起こす。
股関節と膝を伸ばし切った状態が最終的な位置。
その3、バーベルをもとのいちに戻す。
背中は丸めずに伸ばした状態を維持したまま行う。
お尻を後方に突き出しながら、その動きに合わせてバーベルが下がるイメージ。
バーベルが膝を通過すると同時に膝を曲げ、バーベルを床に降ろす。
下げる時にゆっくり負荷をかける。
8回〜10回で、できる重量を3セット。
またはMAX重量1回でも効果はある。
ハードなトレーニングなので無理をするとケガをするので補強用にパワーベルトは必ず装着しよう。
ダンベルでも可能でダンベルリフトと言う種目も可能だ。
◇◇◇◇◇◇
「──ごぉ──ろぉーく──、なぁーなぁ──はぁーち」
「うん、はぁ、ぅん、ぁっ! はぁ、はぁ──ぅん」
シャルロットが疲れてきて背中を丸めた。
「背中丸めちゃダメだよ、腰痛めるからね。気をつけて」
「ぅ、はぁ、はぁ……あぁん……もうダメェ──」シャルロットはバーベルを置いた。
「ナイス! 今日もしっかりやりきったね! よく頑張ったよ」
「朝の運動はすっきりして気持ちいいねー!」
「やるまでは億劫なんだけどね──ははは!」
ステラ王子とアリスさんの件から3年が経ち、俺たちは15歳になった。
この世界では成人の年だ。
そして俺たちは今日、成人の儀を行いそれぞれの道に進む。
「エレインは、明日旅立つんだよね?」
スヴェンが俺に問う。
「そうだね。僕は明日シエーナを出るよ」
「シャルロットもエレインに付いて行くんだろ?」
「うん!」
シャルロットは敬礼した。
「シャルロットもエレインと筋トレ布教の旅にでますッ!」
「寂しくなるな〜」
「スヴェンは聖騎士の試験いつだっけ?」
「試験は来週さ。だから俺は来週には王都に立つよ」
「そっか」
「みんな大人になっちゃうね」
「なんか寂しいかも」
「離れていたって俺たちはずっと大親友だ」
「だな!」
「うん!」
「俺の活躍が、ちゃんと届くように頑張るぜ!」
スヴェンは、ミッドガル王国の聖騎士を目指す。
俺はこの世界でフィットネスジムを作るために筋トレの素晴らしさを布教をする。
シャルロットは俺について行きながら魔力を得るための旅に出る
それぞれ新しい自分を探しに行く。
「エレイン、ちゃんとシャルロットを守ってやれよ!」
「絶対、守るさ!」
俺とスヴェンはお互い拳を合わせた。
ステラ王子からもらった魔力の腕輪?
あぁ……、残念ながらあれは魔法の効力が2倍になるだけであって最初から0なものが1になるわけではなかった。
本来なら俺達の中では唯一魔法が、使えるスヴェンが持つべき物だけど、やはりステラ王子の前でちゃんと渡したシャルロットに持っていてもらいたいし、シャルロットも大切にしているそのつもりだ。
あの出来事は俺達にとっては大きな影響を与えた。
成人の儀は、元いた世界の成人式と特に変わり映えはしない。
長老や町長、市長、それぞれが挨拶の演説をしてつまらない話を聞いて終わる。
もっとファンタジーな事があると思った。
例えば洞窟のクエストがあるとか……。
そんなものはない。いつも通りの日常さ。
唯一、違う事があるとしたら──。
「ジレンのとこ坊ちゃん! おめでとう!」
「おう! エレイン。酒飲んでけよ」
「相変わらず仲良しだなーお前らは! はっはっはっ」
「おめでとう! ジュース今日はサービスよ!」
「今日はお肉をおまけしちゃうぞ! プレゼントだ!」
「おう、おめでとさん」
「坊主! これを食ってけ! 金? サービスに決まってんだろ! ──がははは」
「成人祝いだ。アイアンソードプレゼントしちゃうよ」
「シャルちゃん、これ髪飾り。お祝いよ」
「ライハルト公爵のお坊ちゃん。これはお祝いですよ」
と、こんな感じで街中いたるところで声かけられ祝われるくらいなもんだ。
街の人達の温かい気持ちが染みる。
3人がいつものように遊ぶのも今日が最後になる。
スヴェンと離れるのは寂しいが、スヴェンにも夢がある。
お互い気持ちよく送り出して、応援しよう。
俺達は日が暮れるまで街の人達にお祝いされた。
シエーナ街、最高だぜ!
「──ただいま!」
俺は家に帰った。
「おかえりなさい。成人の儀どうだった?」
ルイーダが暖かく迎えてくれた。
この温もりも今日を最後にしばらく味わえなくなる。
「街中みんなにお祝いされたよ。楽しかったよ!」
「それは良かったわね。これは……少ないけど私からよ」
ルイーダはテーブルに布の袋を置いた。
「母さんからはいつも沢山もらってるからいいのに……」
「私からもお祝いさせてちょうだい。エレイン、こんな立派になってくれてありがとう」
そう言ってルイーダは俺を抱きしめた。
俺もルイーダを抱き返した。
俺の母はいつも優しかった。1度たりとも親子喧嘩なんかした事はなかった。
ルイーダからは旅の資金を貰った。
「あなたが産まれてから本当に幸せになれたわ」
「僕の方こそ感謝しきれない」
「体に気をつけてね。シャルちゃんも守ってあげるのよ?」
「もちろんさ」
「お母さんはいつも貴方を思っているわ」
「ちょっと旅して帰ってくるだけだよ」
「そうね。ちょっと感傷的になってしまったわ。歳かしら?」
少し照れくさそうに微笑んだ。
「母さんは、ずっと美人だよ。他の街にいったら兄弟だって思われちゃうよ」
「もうエレインったら上手ね。お父さんに似たのかしら?」
気がかりなのは、やはりルイーダの事だ。
ジレンも魔王討伐に出てしまって1人きりにしてしまう。
少し申し訳ない……。
帰ったら必ず親孝行するからな!
転生前はあっさり死んでしまい親孝行できなかった。それだけは今生で必ずしてみせる。
「明日は早いからもう寝るね。母さん」
「えぇ、おやすみ。いい夢みてね……あなたに大精霊様の加護があらんことを……」
「おやすみ」
この15年間。
本当に色々あった。
俺はこの街が大好きだ。
だから必ず帰ってくる。
たくさんの土産をもって、街の人達にお返しをする。
もうこんな時間か……寝ないと……。
夜ふかしは、筋肉に悪い。ホルモンバランスが崩れてしまう。
──旅立ちの朝が来た。
街の入り口にスヴェンとルイーダ、そしてシャルロットの両親が見送りに来てくれた。
「──えーと──、フライパンもったし……、お金も持った……洋服も……」
シャルロットは忘れ物のチェックをしている。
「元気でね。あなたの無事をずっと願っているわ」
ルイーダは額にキスをしてくれた。
「母さんも元気でいてね」
「エレイン。お互い頑張ろうな!」
スヴェンがガッツポーズをする。
「スヴェンもね!」
俺はアドミナル・アンド・サイのポージングで応える。
「「「…………」」」
一同が困り顔で静止した。
「シャルロットも元気で!」
「スヴェンもねー」
「嫌になったら俺を頼れ。──ないと思うけど!」
「いつもありがとう。優しいスヴェン」
シャルロットとスヴェンもハグをした。
「エレインくん、シャルロットをよろしく頼むね。くれぐれも体に気をつけるんだよ」
「おじさん、おばさん、僕が責任もってシャルロットを守ります」
俺はシャルロットの両親にサイドチェストをして大胸筋を見せた。
「「じ、実に頼もしい……」」
2人は少し引いていた……。
「お母さん、お父さん、愛しているわ」
シャルロットも両親に別れのハグをした。
旅立ちの時だ。
俺たちはゆっくり歩き出した。
期待と不安が歩幅と共に交差する。
振り返って大きく手を振った。
「エレイン──! シャルロット──!」
スヴェンも大きな声で返してくれた。
「さぁ、行こう。新しい旅立ちに!」
「旅立ちに!」
シャルロットと俺はハイタッチをした。
新しい日々が始まる。
冒険の始まりだ。
1歩1歩、強く踏み締めてシエーナの大地を感じながら俺達は歩く。
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