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恋愛以外のことは大抵うまくいく人生だった。 だから、自分の会社の社長に頭なんて下げるわけがないと思っていた。 その理由が、好きな人のためじゃなかったら。 「お願いします!あの人気で入手困難なシャボンを社長伝いで購入できませんか!」 社長が出社するや否や頭を下げた塩月に、社長は周囲の人間に部屋を出るように言った。 「塩月くん、頭を上げて」 「は、はい」 塩月郁人、みずいろ保険会社営業部員。二十六歳。 他社から引き抜かれるほどの営業成績を買われたと言うのもあるが、何より本人の強い意志があった。その理由を目の前の社長は知らない。 「君に何があったのかは知らないけど、業務時間に私情は挟まないで」 冷たく言い放った社長ー御笠但は「以上、下がって」と言ったきりこちらを見なかった。 「…失礼しました」 こうと決めたら周りが見えなくなってしまう。社会人になって、仕事上ではその癖を直したが、プライベートは好きな人との再会で歯止めが無くなってしまった。 とりあえず、タイミングを見直そう。 塩月は深呼吸をして、社長室を後にした。 「塩月、朝一からの会議始まるぞ。どこ行ってたんだ?」 営業部長の北原は塩月の肩を叩く。塩月は北原を睨み返して、会議室に向かった。 元凶は北原芳志、あんたのせいだ!と塩月は言い返したくなるのをグッと堪えた。 水野先輩は、北原部長のどこがいいんだ? 塩月は原動力である好きな人ー経理部の水野恋也を思った。 大学時代の先輩だった水野に告白して三年がすぎる。引き抜き先がみずいろ保険会社と聞いて、周囲は保険営業の難しさに本気か?と驚いていたが、自身は水野の就職先であることに何よりも喜びを感じた。 三年ぶりの再会を果たして、恋人になれなくても、一番親しい友達になれるかもしれない。 そんな期待は驚きの展開にかき消された。 水野は、自分の上司である北原に恋をしていたのだ。好きな人を見ていたら、すぐにわかる。 てっきり先輩は、同性だからダメなのかと思っていた。だから、まだ自分が入る余地があるんじゃないかと塩月は淡い期待をした。 同性に片想いしている気持ちは何よりわかっているつもりだ。 しかし結果は、水野の大事に使っていた石鹸を勝手に使った挙句「北原以外は考えられない」と言われてしまった。 せめて、水野先輩にあの石鹸をもう一度、使ってもらいたい。本当は使わせたくなんかないけれど、泣かせてしまった分、先輩には笑顔になって欲しい。 我ながら、いい人すぎるだろうと突っ込む。 思えば塩月は恋愛において、損な役回りばかりをしてきた。最初は同性だからという言えない理由で、誰かの橋渡しになったり、応援に徹していたが、相手が同性同士でも、同じような立ち回りを何度も経験した。 「好きな人が自分を好きって、ありえないだろ」 一人残業時間に会社にいた塩月は、誰もいないことをいいことに声に出して愚痴った。 残業でする仕事は特にない。一人会社に残っているのは、社長のアポを取りたいと上司の北原に伝えた所、就業後ならと返信があったから。 「まさか妻子があるから、もう帰ったとか?」 腕時計を見ると、時刻は午後七時を指していた。 「帰ってないよ…」 「し、社長!」 「君の要件は今朝聞いていたからね。シャボンを作っている社長に会いに行って、直々に購入して来たよ。これ、なんだろ?」 社長のカバンから出てきたのは、よく見る石鹸の小箱だった。 「…あ、ありがとうございます」 塩月は背を正して、頭を下げた。そして御笠の手から受け取ろうとした。 「渡す前に条件がある」 「条件ですか…?」 「まずはこの石鹸を欲しがった理由を説明すること。そして俺の頼みを聞くこと」 「頼み?」 「タダではあげられないよ」 「お金なら…」 「社員からお金はもらえない」 「じゃあ、頼みってなんですか?」 「俺とサシで飲みにいかない?」 「え?」 そんな頼みなのかと、塩月は目を瞬かせた。 「理由を聞かなくちゃならないしね。君とは引き抜きの際に関係者が同席しての飲み会はあったけど、二人きりは初めてだよね」 「は、はい」 御笠に言われるがまま、塩月馴染みの居酒屋を教えることになり、サシ飲みが始まった。 スッと鼻を通り抜ける爽やかな匂い。ほのかで嫌にならない程度に消えていく。これはミント? とっても気持ちが落ち着く。体は昨夜のお酒が残って重たいけれど、気持ちが楽になる。 塩月が重い瞼をゆっくりと開けると、そこには見知らぬ景色があった。 どこだここ? 見知らぬ寝室で、全裸姿。いったいこれは? 「ようやく起きた?」 塩月は目を擦って視界を鮮明にすると、ベッドサイドに風呂上がりの御笠がいた。 「しゃ、社長?!」 御笠は、ボクサーパンツと首からかけたハンドタオルしか身に纏っていない。 「い、いったいこれは?!」 「ああ、昨夜はずいぶん楽しかったね」 そんな無敵な笑顔で言われても、塩月は恐怖しか感じない。 「俺、昨日社長に何かやましいことを…!」 御笠の顔が塩月の間近に迫る。綺麗な吊り目は整っていて、中性的である。体つきはシャープだが、自分よりも背が高く。筋肉の付きはほどよい。 目上の人間とはいえ、こうも完璧だと腹が立つな。 塩月が眉間に皺を寄せた瞬間、御笠からさっきよりも濃いミントの匂いがした。その後、スッと風のように鼻の奥を突き抜けて消えていく。 不快にならない匂いだ。社長が使ったシャンプーか何かか? 塩月が目を瞬かせていると御笠がニヤリと笑う。 「身体しっかりしてるけど、顔は子供っぽいんだね」 「はあ?!」 「いや、ついね…」 「いきなり人の顔ガン見しといて!いくら社長でも失礼だ!」 「悪かったって。昨夜はずいぶん大変だったから、それで許して?」 「俺、社長にいけないことをして?!」 「されたの間違いじゃなくて?」 「えっ…」 「はははっ!嘘だよ。昨日は君がシャボンを欲しがった理由を話した後、お酒のピッチが早くなって泥酔して。面倒だから連れてきちゃった」 連れてきちゃったって笑顔で言われても、塩月は全く笑えない。 「す、すいませんでした!」 全裸で土下座する塩月に「頭をあげなさい」と言った。 「理由はわかった。君のことも水野くんのことも他言はしないよ」 サイズが合うかわからないけれどと、ボクサーパンツ、Tシャツ、ズボンを御笠は塩月に差し出した。 「いろいろとありがとうございます」 「北原は俺の弟分だし。水野くんも真面目で優しいから、とても気に入っている社員なんだ。君が好きになるのもわかる」 「気持ち悪くないんですか?男が男を好きで」 御笠は顔が強ばる塩月の頭に右手を乗せた。 「そんな怖がらなくても、俺は君の味方だよ」 ぽんぽんと子供を慰めるように頭に触れられたのはいつぶりだろうか。塩月は胸がじんわりと熱くなった。 「そんなことをとやかく思うような時代じゃない。本人が幸せなら好きなように生きるべきだよ」 素直頷いた塩月を見て、御笠は満足気だった。 「素直でよろしい。着替えたら、部屋を出ておいで。朝食を用意するから」 小さくなった塩月はゆっくりと着替え始めた。 優しいんだか、意地が悪いんだか、よくわからないやつ…。 「あ!お兄ちゃんだ!」 部屋を出てすぐに小さな女の子が塩月を出迎えた。 「お兄ちゃん?!」 「パパの娘の真凜って言います。部屋を案内しなさいってパパに言われたの!行くよ!お兄ちゃん!」 肩より長い髪を靡かせて、ピンクのふりふりパジャマを着た女の子が塩月の腕を引っ張った。 引っ張られるまま、階段を降りた塩月はリビングダイニングに出てきた。 「すっげー広い一軒家」 「お兄ちゃんは真凜の横に座って」 「あ、うん」 キッチンで朝食を用意する御笠は真凜に朝食の用意を手伝わせている。 塩月は手伝おうかと声をかけたが、構わないと言われてしまった。そわそわ落ち着きがないまま、朝食が目の前で用意されるのをじっと待った。 「いただきます」 食パン、スクランブルエッグ、サラダ、コーヒー、フルーツヨーグルト。シンプルだが、こんな朝食を用意されたのはいつだったか、塩月は思い出そうとしても思い出せなかった。塩月は、大学を出て一人暮らしをしてから、家にはろくに顔を出していなかった。 「ねえねえ、お兄ちゃんの名前は?」 「しおつき、ふみと」 「ふみと、かあ!」 「ああ、うん」 可愛らしい女の子に呼び捨てにされるのは、決して嫌じゃない。むしろ親しみが湧いて嬉しかった。 「じゃあ、パパも郁人って呼ぼうかな」 「はあ?!」 思わず本音が漏れ出た。すると隣の真凜が唇を噛む。 「郁人って呼んじゃだめなの?」 「い、いや、真凜ちゃんじゃなくてね…」 「どうして?郁人は郁人がいいよね」 「そうだよ。パパ!」 「いや、勝手に納得しないでね。社長も呼ぶのは構わないですけど、俺と社長はそんな仲がいいわけじゃないでしょう?」 「裸を見合った仲なのに?」 「だーかーら」 「パパと郁人、仲が悪いの?せっかく遊びにきてくれたのに…」 「ああ、違うって!真凜ちゃん!パパがからかうからだよ。それにパパは俺の会社の一番偉い社長なんだから、びっくりしたんだ」 「そうなの。ならパパともなかよしさんだね」 「う…ん、まあ、そうなるかな」 塩月が御笠を見ると笑いを堪えていた。 こいつ、楽しんでやがる! 塩月は、コーヒー飲んで怒りたい気持ちをぐっと堪えた。 「それより真凜ちゃん、ママは?」 「ママ?ママはね。ここにいるの」 真凜が自分の胸を押さえた。 「え?」 御笠の顔を見ると、先程とは違い真面目な顔で塩月に言った。 「母親は、この子が一歳の時に交通事故で亡くなったんだ」 御笠はそれからみずいろ保険会社を買い取った経緯を話した。 「すいません。事情も知らず」 塩月は頭を下げた。社内で聞いたことがなかったとは言え、娘がいる前で言っていい発言ではなかった。 「良いんだ。昔からの付き合いの北原以外はごく一部しか知らない。指輪はもちろん大切なものだからつけているけど、いろいろ詮索されないからって言う理由もある」 「そうなんですか…」 「そう言うわけだから、君にこれから真凜を見てもらいたいんだ」 「……え?」 「郁人は真凜の保育園に迎えに来てくれるんだよね?」 「あ、あの…」 「いつもは近くに住む義理の母がしてくれてるんだけど、腰を骨折して入院してるんだ。俺が帰るまで、誰か真凜の世話を頼まなきゃと思ってたところに君が来たと言うわけ」 「ええ?!」 「一か月の間、真凜の保育園のお迎えを頼む。それから俺が帰るまでの世話をしてくれ。それが俺の頼みだ」 御笠の笑みには有無を言わせない恐怖すら感じる。 あの石鹸のこともある。断る理由は塩月になかった。 「わかりました…」 わーい!と真凜が塩月に抱きつく。真凜に好かれているのは嬉しいが、子供の世話は大変だ。塩月は御笠を睨みつけるのが、精一杯だった。 「水野先輩に石鹸をいつ渡したんですか!」 翌日から塩月は、真凜の保育園に迎えに行った。 帰宅すると、お腹が空いたと言うので、レトルトだが、スパゲッティを作ったり、いつのまにか馬乗りになっていたが耐えた。 塩月は御笠に言いたいことはいくつもあるが、いの一番に言いたかったのは、水野からのメッセージ。 石鹸、社長からもらった。ありがとうーの言葉についてだった。 「言葉通りの意味だよ。残業していた水野くんに会ったからね。渡しておいたんだ」 「俺、結局、社長から石鹸受け取ってなかったし!今日もらって、明日直接水野先輩に会って渡そうと思ってたのに…!」 「そう怒らないで」 「怒ります!水野先輩に直接謝りたかったんで」 「悪かったよ。お詫びと言ってはなんだけど、もう一つ君にシャボンをあげる」 御笠は塩月の手にシャボンの小箱を渡した。 「二つ買ってたんですか?」 「いや、三つ。実は俺も前から使っててね」 「売り切れで入手不可なのに…!」 「とはいっても、水野くんにあげた物以外は、石鹸を作っている社長から型落ちしたやつで良ければって少し安くして買ったB級品になるけどね。効果は変わらないらしいし、素人じゃ見た目では遜色ないから」 「パパー!だっこー!」 真凜が目の前で父に抱っこをせがんだ。御笠は笑顔で受け入れる。真凜が嬉々として、今日の出来事を話し始めた。 塩月はシャボンの小箱を見ながら、効果の有無はともかく使えるのだから、報酬としてもらっておこうとカバンに仕舞った。 週末、御笠の家に塩月はいた。 真凜が「郁人遊びに来て」とせがんだのだ。 遊びは、映画を見るならと条件をつけた。父である御笠は、助かると言って歓迎した。 「郁人ってお人好しだね」 「これ以上、借りを作りたくないだけです」 「真凜の相手をしてくれていることもだけど、水野くんにだよ。君のことだから、いろいろ後押ししてるんじゃない?」 「それ以上話すのやめてください。上司ってこと忘れて北原部長を殴りに行きそうなんで」 「郁人は損な役回りだよね。強引に水野くんとっちゃえばいいのに」 「そんなことしたら、社長は水野さん側について俺にブチギレそうですけどね」 「あははっ…よくわかったね」 「笑うとこじゃないですよ。真凜ちゃん、画面に近づきすぎだから、もうちょい下がったほうがいいよ」 塩月は真剣にプリンセスアニメ映画を見る真凜を背中から抱き上げて、画面から離す。 真凜はされるがままになっていた。 「郁人って妹がいる?」 真凜の後ろで二人は何をするでなく、会話をしていた。 「妹と弟がいます。家を出てから疎遠ですけどね。小さい時はよく面倒見てたんで」 「なるほど。真凜の面倒見がいい理由がわかった」 「シッターさんとか雇わないんですか?」 「それも考えたけど、来年には小学生だしね。職業柄、信頼できる人間に預けたいなって考えていたら、心配で結局、義母に頼っていたんだ。後はできるだけ自分でしたいのもあった。なかなかうまくいかなくて、真凜には寂しい思いをさせた」 ふっと御笠の横顔が陰った。職場では決して見せない弱気な姿だった。 「完璧に見える社長も、そんな弱気な顔するんですね」 「慰めようとかないの?」 「ないですよ。俺には社長の気持ちわかりませんから」 「冷たいねえ」 「でも、真凜ちゃんの相手してたら、決して文句を言わず父親を待っていて、偉いなって思いましたよ。寂しいとは思うけど、ちゃんと親の背中は見てるんじゃないですか?」 「だと良いけどね」 「郁人!次のやつ見たい!」 エンドロールが始まってすぐ真凜は郁人に向かって言った。 「次はなんだ?」 「えっとね、人魚のやつ!」 御笠は塩月にすっかり郁人に懐いてるねと笑顔で話しかけた。 郁人、明日空いてる?水野から告白されたって北原から連絡来て。ま、北原はどうでもいい。朝一で傷心の水野くんをリゾートホテルのプールへ誘おうと思うー 塩月が休みを問わず保育園に通う真凜を迎えに行くと、御笠からメッセージが入った。 真凜は、塩月が聞くより先に「パパは明日からお盆休みだって!郁人も明日プール行こう!」と話しかけてきた。 真凛の手を繋ぎながら、郁人はすっかりこの親子のペースに巻き込まれているなと思った。 「夏休みにプールなんて、良いパパだな」 「パパは真凜に優しいから!それに、最近は寂しそうな顔あんまりしなくて、真凜安心してるの」 「寂しそう…?」 「おトイレに夜遅く起きるとね。パパリビングでいつも寂しそうな顔してたの。ママの代わりにパパはずっと一生懸命だからかなっておばあちゃんは言ってたけど、真凜はパパって寂しがりやで、夜が一人なのが怖いのかなって」 「へえ…」 「郁人はそんなことないの?」 「俺はまあ、そんな時は遊び仲間に…」 まさか五歳児に遊び相手ーセフレを説明するのは、教育上よくない。 何より社長に殺される。 「あそび?おともだち?」 「ま、まあ、そんなとこ!パパは友達いないのかな?」 「ナカマはたくさんいるって聞いたけど、友達はいないって言ってたかな。北原のお兄ちゃんは家族みたいなもんだって言ってたし」 「なるほどね」 偉い奴ほど孤独だとは言うけれど、娘にそんな姿を見られているとは気づいてないだろうな。 塩月は遊び相手と会う約束をしていたが、真凜はもちろん、水野先輩のことも気になる。 塩月は遊び相手にやっぱり無理になったとメッセージを送り、明日は御笠親子に付き合うことに決めた。 翌朝、塩月は御笠親子と傷心の水野を家から連れ出した。朝早くから二時間運転した塩月は、ホテルに着くなり、ベットに横になった。 真凜は、穏やかで優しい水野にすぐ懐いた。 ホテルで水着に着替えるやいなや、隣の水野の部屋に走って向かった。 塩月はついて行きたかったが、すぐにプールはきついと「少し休んでから行く」と御笠親子に言い、目を閉じた。 どれくらい眠っていただろう。誰かが電話している声で塩月は目を開けた。 声の主は、隣のベットでノートパソコンを膝に置き、真剣な顔で電話をする御笠だった。 「…仕事ですか?」 「いや、これは君の私用の電話。何度も着信があるから出てみたら、君と会う約束をしている男の子みいだけど、代わろうか?」 「え、ちょっと!」 いっきに目が覚めた塩月は、スマホを奪い取った。 「ちょっと!なんか知らない男が出たんだけど!郁人恋人いたの?」 「違うって…!てか、今日は無理だって連絡しただろ?」 「最近すっげー付き合い悪いからさ。郁人怪しいなって」 「別にそんな関係じゃないだろ?今、出先だから切るぞ…」 無理矢理に切ろうとした塩月の手から御笠がスマホを取り上げた。 「もしもし?郁人に用があるなら、俺を通して。お前は誰だ?って言わなくてもわかるだろう」 御笠はそう言った後、電話を一方的に切った。 「勝手に電話に出て!なんのつもりだよ。後で余計面倒になるだろ…」 「郁人は男運が悪いよね。今後の為にも、彼とは手を切った方がいい」 「社長がプライベートまで口出しするな。俺だって遊び相手ぐらい欲しい」 塩月がムッとしていると、御笠が塩月の腕を掴んでベットに押し倒した。 「なんのつもりだよ?」 鼻につんと突き抜けるミントの匂いがする。御笠の近くに行くと、ずっと微かなミントの匂いがしていた。心地よかったはずが、今は刺激が強い。 「郁人らしくないなって。君って軽く遊べるタイプじゃないでしょ?水野くんにまたフラれてヤケになったから、連絡とったんだろうけど」 今度は塩月が御笠の腕を強く握って、御笠の上を取った。背が自分より高いのが腹立たしいが、上をとられるよりいい。 「社長には関係ない」 「郁人って、こうやって相手と向き合うんだね」 「さっきから一体何のつもりで…」 「いや、郁人が遊び相手が欲しいんなら、俺が相手になろうかなって」 「はっ?」 「学生時代、不真面目だったからね。とはいえ、君より一回り上だから随分前だけど」 この状況で楽しげに笑う御笠の思考が、塩月には理解できなかった。 「奥さんのこと、忘れられないんじゃ…」 「もちろん、俺の中にいつも彼女はいるよ。でも、郁人には真凜のことで休みを問わずお世話になってるから、慰めるぐらいはお返ししなくちゃね。それとも、俺相手じゃ不満かな?」 御笠の態度に、塩月はムッとして噛むように口付けをした。 するりと受け入れた御笠の口腔内を舌で遊ぼうとするけれど、逆に遊ばれているような気がしてならない。塩月が行為に夢中になっていると、いつの間にか視界が逆転した。 塩月が息も絶え絶えになってようやく離された。御笠は余裕の顔だった。塩月は悔しい気持ちでいっぱいになった。 「郁人は優しいから、相手を甘やかしてキスしてきたんだね」 「凶暴すぎる。物腰柔らかく見せといて…」 「俺はいじめたいからね。さっきのは、やっぱり性に合わないな」 「笑顔で誤魔化しても、まったく笑えないんですけど」 「郁人ってされる方、初めて?」 「うるさい!」 「いいね。よく吠える犬ほど、屈服しがいがあるよ」 御笠はTシャツの下から手をすべり込ませて、塩月の胸元に噛み付く。 「うっ…」 「…やっぱり、郁人は感じやすいタチだね」 「くそっ…」 塩月は御笠にやり返したいが、どんなに反抗しても、実態が掴めないままにやり返されるのは目に見えていた。 「やめろ!」 御笠がするりと右手を中心に持っていく。強かに熱を持ったのを確認すると、ボクサーパンツの中に長い指が触れる。 「うっ…あっ…」 「郁人、楽になった方が気持ちいいと思うけど」 御笠は着衣が一切乱れずに塩月を見る。自分が上下共に哀れな姿になっていて、羞恥で顔が熱くなった。 「…恥ずかしい?」 「恥ずかしくない!悔しいだけで…」 悔しくて、涙まで出てきそうになる。さっきからずっと御笠にメンソール効果のある制汗剤を吹き付けられているようだった。 「郁人って、自分のことあまりわかってないよね」 塩月の両足を上げると、御笠は中心で強かになっている物を加えた。 「えっ…ちょっと…うわっ」 柔らかな舌の刺激が絶妙ポイントを探る。 「いや、いやだって!やめて、やめてくれ…!」 感じたことない快感が背筋を通り抜ける。 「ダメって、口、はなせ…!」 御笠の段々に強くなる舌の感覚と吸い付きに、塩月は我慢できなくなった。 「んんっ…!」 「…まずいね」 「の、飲んだのか…?!」 恥ずかしさで塩月はさらに顔が熱くなる。 「でも、郁人の今の顔が見れたからよかったかな?口を濯いでくる。プールに行きたいなら先に行ってて」 「こ、こんなに人の体をべったべたにしといて!!」 「シャワー浴びたら?」 「言われなくてもそうする!」 洗面台でうがいをする御笠を通り過ぎて、塩月はシャワーを浴びようと浴室内の鏡を見た。 「うわあああっ…」 「どうしたの?」 「こ、こんなキスマークつけられたら、今日は外に出られないだろ!」 「上着を着たらいい」 「無理だよ!」 「そうピリピリしないで。部屋にいるといい」 「…くそっ」 御笠の腕を引き寄せ、塩月は浴室内に誘い込む。 「なんのつもり?」 「涼しい顔してるのがムカつくんだよ」 「あのね、そんな顔したって逆効果なのわかってる?」 「どういう!」 「手加減して、我慢してるこっちの身にもなって欲しいな」 御笠はシャワーで濡れた髪をかき上げた。目の奥がさっきと違って熱を持ったのが、わかった。 塩月が食われる!と気づいたら最後、御笠によってされるがままになった。 塩月はへろへろになってベットに横になった自分と違い、すっきりした表情で水着に着替えている御笠が恨めしい。 「そんな目で睨まないで。最後までしなかっただけマシだと思ってよ」 腹は立つが、もう社長に喧嘩は売らないでおこう。 塩月は内心誓った。 御笠は髪を乾かし、そのままプールへ顔を出すと言う。 心身ともにダメージがある塩月はベットで休むことにした。 プールに入らなくとも御笠の視線を感じながら、あんなことやこんなことをさっきまでやっていたら、塩月はまともでいられなかった。水野や真凜の目さえも見れない。 一人空調の効いた部屋に残された塩月は、シーツに顔を埋めた。ほのかなミントの残り香を感じる。 この匂いがすると、思い出したくないのに社長を思い出すんだよな…。
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