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期末テスト一週間前。 踵の靴づれは、瘡蓋になった。 光橋とはもう何日も連絡とっていない。 ダイニングテーブルで勉強している彩夏はスマホとスケジュール表を交互に見た。 いよいよ嫌われてしまったのか。 それがわかるのが怖くて、彩夏は行動できない。 勉強は欠かさずやっているものの。これでいいのか不安で立夏に勉強を聞いてしまった。 「彩夏ちゃん、お茶入れたよ」 立夏さんが二人分の緑茶とチョコレート菓子が乗ったお盆を持ってきてくれた。 「ありがとう」 「彩夏ちゃん、あれからおとなしいね」 あれからとは、背伸びをして帰宅した日だろう。彩夏はちくりと胸が痛んだ。 「立夏さんも清人にいも心配してくれて…」 二人は何も聞かずに見守ってくれている。ちくちく胸が痛むが、光橋と彩夏の間に二人がこれ以上、介入するのもおかしい。 「光橋くんも気づいたんじゃないかな。彩夏ちゃんが、ちゃんと女の子だって」 「そうかな。うちは女やけど、子供すぎやし」 「でも光橋くんは、ちゃんと内面を見る人だと思うよ。彩夏ちゃんだって、光橋くんが本当に嫌なら相手しないってわかってたんじゃない?」 「ほんまに相手にしたくなかったら、こんな風になってないと思う」 「彩夏ちゃんが想像以上に、魅力的だったんじゃないかな?」 「うちが?」 「純粋無垢で一途なところ。清人くんにもあるんだ。石橋家特有なのかな」 微笑みながら立夏は緑茶を飲んだ。 「とにかく、何があったかは知らないけど、何も考えずに彩夏ちゃんを泣かせたりしないよ」 すると、彩夏のスマホの着信バイブが鳴った。 画面には、光橋さんと表示されていた。 「うそっ!?」 立夏の顔を見ると、口に手を押さえていた。目がにやにやとしている。 彩夏はスマホをスピーカーにして、通話に出た。 「も、もしもし…」 「もしもし…」 「なに?」 「いや、勉強してるかと」 「立夏さんに教えてもらってる」 「それは無しだろ」 「やむを得ずや…とにかく要件はなんなん?」 「テスト期間の追い込みだ。気にもなる。一週間前のプランニングをデータで添付しておくから、見ておくように」 「わかった。その通りにするんやね」 「それと成績次第だが…欲しいものはあるか?」 「な、なんなん急に…」 「モチベーションを上げる為だ」 「え、えー欲しいもんな…そうやな…光橋さんとデートしたいかな!」 「それはモノ、か?」 光橋が険しい声になった。 「だって欲しいものって別にないし、そういうことしか思いつかん。港町にできた水族館やろ。近くのホテルのディナーバイキングがめちゃ美味しいって聞いたのと…」 「わかった」 「ほんまに?」 「成績次第だが、これは前の件での反省もかねてるから、多少優遇する」 「前って、光橋さん、うちが会社に来て怒ったこと反省して?周りくどい謝り方やな!」 「間違ったこと言ったつもりはない。子供が背伸びしてくるような場所じゃないからな。ただ…泣かせたことは反省してる」 「そりゃ、うちも場違いだって思うから。光橋さんが怒るのは無理ないけど…」 「全教科平均点以上で、彩夏のプランに付き合う」 「やった!」 「じゃあな」 「うん。お仕事頑張ってな」 「彩夏も勉強に励め」 通話が終わって、気分がスッキリしていることに彩夏は気づいた。もしかしたら、光橋もそこを見越していたのかも知れない。 「よかったね。彩夏ちゃん」 立夏は満悦の笑みだった。 「喧嘩して、仲直りできる関係性になったんだよ。それにこんな風に光橋くんを振り回すのは、彩夏ちゃんぐらいだよ」 「それって喜んで、いいの?」 「いいんだよ。彩夏ちゃんは彩夏ちゃんのままで」 「ありがとう」 温かい気持ちになって、彩夏は光橋からの追加のスケジュールデータを見た。 「よし、頑張ろう!向かうはデートや!」 七月某日。彩夏は期末テストを終えた。 校門を出て、彩夏はようやくほっとした。 「もう、やることやった〜」 最後の三時間目の数Iのテストは、光橋が用意した問題が出た。スラスラと書いている自分が不思議でしかたなかった。 うーんと背伸びをする彩夏の隣で伊月が歩いていたがソワソワして落ち着きがない。 「どうしたん、伊月ちゃん。今日は朝からなんか落ち着きないな?伊月ちゃん、勉強得意やろ?そんなやばかった?」 「ち、違うの!テストはできたんだけど…」 「なんかあったん?うちが聞けるなら聞くけど…」 「彩夏ちゃん…最近、光橋さんとどう?」 「光橋さん?うーん、このテストが全部平均点以上なら、デートしてくれるって約束してくれたけど…」 彩夏は思わず照れた。 「彩夏ちゃん…あのね」 じっと真剣な目をした伊月に彩夏は察した。 「光橋さんのこと?」 彩夏の声が低くなる。 「うん…」 「言いにくいことやとしても、教えて欲しい」 彩夏は伊月への目を逸らさなかった。 「わかった。あのね…光橋さんがうちの会社の役員の娘さんとお見合いするって聞いたの」 彩夏は伊月が言った言葉に頭が真っ白になった。 「彩夏ちゃん?」 伊月が身体を揺すって、彩夏はようやく我に返った。 「彩夏ちゃん、やっぱり知らなかったよね」 「う、うん。でも、どっかでそんな想像もしてた。だって二十八やもん。しかもハイスペ社長ときたら、そら、ある話やろ」 「彩夏ちゃん…」 「こんな結末やってわかってたよ。一回りも違う初恋や。しかも十年離れてた。うちの相手してくれたのが、奇跡や」 彩夏は、泣きそうになるのをぐっと堪えて伊月に笑いかけた。 「そうと決まれば、腹括るまでや。今日はテスト明けやし。アイス食べに行こう。映えするアイスがあるってチェックしててん!」 伊月の手を引いて、彩夏は前を向いた。日差しが痛いほど降り注いでいた。 それから数日が経った。 彩夏は思いの外、冷静だった。 立夏や清人の顔を見ても、涙は出てこなかった。 「夢を叶える為に上京する」と決めた時から「光橋さんが夢を叶えてくれるとは限らない」と覚悟して来たからかも知れない。 それにまだ彩夏は何も行動に移していない。 採点されたテストを並べて、彩夏は光橋に連絡をした。 「もしもし、光橋さん、彩夏やけど…」 「ああ、そろそろテストが帰ってきた頃か」 「うん、聞いて驚け!テスト全教科、平均点以上や!!」 「知ってる。電話かける前に、平均点と点数の一覧の結果の紙を写真で送ってきただろ」 「証拠はあるやろ!さ、デートやで」 「…わかったよ。頑張ったな」 彩夏は光橋の言葉を聞いて、泣きそうになった。 嘘やろ?なんで今のタイミングで泣きそうになるん? 「…彩夏?」 「う、嬉しすぎて言葉にならんだけや」 「ま、当然の結果だな。俺がプランニングしたんだから」 「偉そうに!」 「日程と時間が決まり次第連絡する」 「わかった。楽しみにしてる」 通話が切れてから、彩夏は深呼吸をした。 このデートでうちは、光橋さんに告白する。 それから、会うのはこれきりにする! テストが終わった翌週の日曜日の午前十時。 天候は晴天白日。 彩夏はこの日の為に、薄い水色シースルーのワンピースを買った。肩はパフスリーブになっている。 帽子は麦わら帽子で濃い青のリボンが付いていた。これは立夏と清人が先日の雨嵐の日にお土産で買ってきてくれたものだ。靴づれしないシルバーのミュールも履いていた。 薄く化粧もして、香水は背伸びのしないシャボン玉の香りを選んだ。 早めにマンション前で降りたら、ちょうど車が着いた。 光橋の車は、スバルWRX STI。スポーツセダンで、アスリートを思わせる引き締まったスタイル。カラーはアイスシルバーメタリック。 「す、すご!」 キラキラと日差しを反射する車は彩夏が初めて見る高級車だった。 「どうした?乗れ」 光橋が車から降りてきて、助手席のドアを開けた。 スーツじゃない光橋を見るのは、十年前以来だ。 「うっ…」 彩夏は思わず息が詰まった。髪がラフに崩されて、黒のパンツに白いTシャツ。メガネは黒縁。 いつものスタイリッシュでないカジュアルな姿に目を奪われた。 「どうした?」 言葉を発しない彩夏に光橋は眉間に皺を寄せた。彩夏は両手で目を塞いだ。 「か、かっこよすぎて、直視できん…」 「は?」 呆れる光橋はため息をついた。 「とにかく早く乗れ」 助手席に乗ると彩夏は光橋の車の匂いに驚いた。 「この車、いい匂いがする」 「車の芳香剤だろ。俺は香水をつけないし。ま、これはたまたま使ってただけだけどな。さて、出発するから、シートベルトしろよ」 彩夏はシートベルトをつけた。こんな風に車に乗るのは今日で最後なのか。彩夏は芳香剤の匂いまで、記憶しそうだった。      水族館に着いたら、彩夏は緊張がとき放たれたように駆け出した。 「な、光橋さん、写真撮ろーや」 「嫌だ」 顔色は変わらないが、眉間の皺がいつも以上に深い。両腕まで組んでいる始末だ。 「なんで?」 「嫌なものは嫌だ。撮ってやるから、そのよくわからないペンギンのキャラの横にいけ」 「えーっ!」 「えーっじゃない」 彩夏はぐいっと光橋の右腕をひっぱって、スマホを斜め上に掲げた。片手で撮るのは、女子高生たるもの、慣れている。 「おいっ!」 光橋が止める間もなく、連写ボタンは押される。 「よしっと」 「武力行使か」 「武力ちゃう!そんなん言ってたら若者にオジサン言われるで」 「そのオジサンを追いかけて、ここまでやってきたのはどこのどいつだ?」 「あーイルカショーは外せへんなあ…」 「調子のいいやつ…」 聞こえないふりをしながら、彩夏は前を進んだ。 彩夏は水族館の深淵を指差し、光橋にあれはなんだ?と質問したり、あれかわいいだの、気持ち悪いだのはしゃいでいる。 「飽きひんなあ〜!光橋さんはいろいろ教えてくれるし!」 「それはよかった」 「光橋さんは?」 「隣がうるさい」 「え、ええ?!」 「イルカショーの時間、そろそろだぞ」 腕時計を見ながら歩き出した光橋の背中を彩夏は追いかけた。 彩夏は最初イルカショーにキラキラと目を輝かせていたが、終わった後、項垂れていた。 彩夏の席のみ、イルカが狙ったように水をかけたのだ。 「前席やけど、ここは濡れんって思ったのに」 黙っている光橋は全く濡れていない。 「光橋さん、まさか、知って…」 「さあな」 イルカに水をかけられた彩夏を見て、光橋には珍しく笑っていたが、今は何事もなかったような顔をしている。 「珍しく笑ってる顔に見惚れてしまったうちもうちもやけど…」 「ちょっとここで待ってろ」 「えっ?」 「ちゃんとカバンで胸元を隠せ」 「ん?」 胸元を見ると水に濡れたせいで下着が透けている。 「わかったな」 顔を真っ赤にして彩夏は黙り込んだ。 数分後、光橋が土産もののTシャツを渡した。女子トイレから出てきた彩夏はピンクのイルカとI LOVE YOUと描かれいるダサいTシャツを着ていた。 「ぜったい狙って着せたやろ」 「あははっ…」 光橋は見るなり涙目になって笑った。 彩夏は光橋が笑っているのが嬉しいはずなのに、素直に喜べない。 「次は遊園地や!」 二人は水族館に隣接している遊園地に行き、夕方まで遊んだ。 日が暮れたら、海岸公園沿いのホテルのバイキングへ。 バイキングのメニューは目移りするほどの数で、知らない料理のメニューを逐一光橋に教えてもらった。 「めっちゃ美味しい〜このローストビーフにかかってるこのソースなんなん?!」 「バルサミコ酢だな」 「バルサミコス…」 「美味しそうに食べて、見てるだけで腹いっぱいになる」 「せっかく美味しいのに食べないと」 彩夏がデザートまできっちりと食事を楽しむ様子に、光橋も満足気だった。 時刻は午後八時。 ホテルの前にある海岸公園を通って、駐車場に向っていた。 「あっというまで楽しかったなあ」 「それは連れてきた甲斐があった」 「でも、遊園地にお化け屋敷がないのがやっぱり残念やわ」 「びっくりして半泣きになるだろうに…」 「だって、お化け屋敷は二人でドキドキしながら密着して夢あるやん」 「それ、今時口に出して言うか?」 「それは…そうでもしないと光橋さんと近づけへんし。それだけが心残りかな」 彩夏は足を止めた。海風が強く吹き付ける音がした。 「どうした立ち止まって」 「…光橋さん、うち、電車で帰る」 「急になんだ?」 光橋も立ち止まって彩夏の方を見た。 「あのな、光橋さん、うち…光橋さんのこと、めっちゃ好き」 「知ってる」 「十年経って、冷めるかと思ったのに正反対や」 「だからどうした?」 「光橋さんはうちのこと、どう思ってるん?ちゃんと返事が聞きたい。聞いたんや、友だちの社長令嬢の子から光橋さんが見合いするって」 「平原女学院は家柄のいい人たちが通ってるって聞いてたが、まさかそこからとは…」 光橋は前髪をかきあげた。 「いいだろう。ちゃんと返事をする」 彩夏はごくりと唾を飲んだ。 光橋が彩夏の目をしっかりと見た。 「彩夏とは…結婚できない」 はっきりと言われて、言葉が胸に突き刺さった。 胸が痛くて苦しくて涙が出そうになったけれど、彩夏はぐっと唇を噛み締めた。 この展開は、両思いになるのと同じぐらい考えてた。 返事だって、用意してた。 「…わかった。もう光橋さんとは会わへん」 光橋は黙ったまま、彩夏を見ていた。 彩夏は光橋の顔が十年前、神社の前で見た困惑している表情だと気がついた。 あかん、やっぱり、うちはこの光橋さんの困った顔が一番、好き…。 立ち止まっている光橋を横切って、彩夏は駅へ向かって走った。 絶対に十年前のように大きな声で泣いたりなんてしない。 少しは成長したなって思ってもらいたい。 彩夏は後ろを振り向きもせずに、改札を抜けて、電車に乗り込んだ。 車内で息を整えていると、ぼろぼろと勝手に涙が出てきた。 止めたくても止められなくて、乗車する人たちにジロジロ見られていたが、どうしようもなかった。
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