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八月に入って、彩夏はバイトを始めた。 ホテルのレストランのホールである。 クラスの友人に頼まれて、お盆が終わるまでの約束だ。 実家には八月の最終週に帰ることになった。 ちょうど三十一日は、彩夏の誕生日である。 立夏も清人も合わせて、夏休みを取ることになっていた。 でもまさか気分転換に始めたバイト先が光橋とバイキングに来たホテルだとは思わなかった。 バイキングじゃなくて、隣のレストランなだけマシなんかな。あの海岸公園見えへんし…。 「石橋さん、今日も送ってくよ」 「ありがとう。高本くん」 高本は都内の私立高校に通う二年。同じバイトのホールをしている。最寄駅が一緒だとわかり、改札まで一緒に帰るようになった。 サッカー部の高本は、爽やかで優しい。兄がいない彩夏はこんな兄がいたらいいなと思った。 光橋も兄のようでいてくれたら、また会えたのかも知れない。 彩夏はあのデートの日からぱったりマンションに来なくなった光橋を思い出した。 彩夏が泣いて帰宅し、立夏と清人は心配してくれたが、全て察したのか理由は聞かれなかった。 その後も光橋から理由を聞いたのかも知れない。彩夏が普段通りになってもあの日について聞かれることはなかった。 「みんな優しいなあ」 「みんなって?」 「家の人も友だちも高本くんも優しいなって」 「そうかな?」 高本は照れている。可愛いなと彩夏は思った。 伊月やこのバイトに誘った友人は高本くんはどうなの?と言われたけれど、彩夏はピンとこなかった。 普通なら、同世代の男子がお似合いやし、それが普通やんね。 光橋に熱中した十年は長い。 光橋さん以上に好きになれる人、おるんかな? 「いらっしゃいませ」 彩夏は業務用の笑顔を作って、接客を始めた。 週末のバイト帰り。 港町の花火大会が行われていると聞いて、ちらっと見て帰らない?と高本が彩夏を誘った。 「すごい人だな」 「ほんま、都会の花火大会って歩行者天国やね」 「石橋さん、本当によかった?」 「よかったって、なにが?」 彩夏は思わず俯いた。 「今日特等席にいたカップル。石橋さんの知り合いみたいだったから」 彩夏はいやな汗をかいた。今日、光橋とお見合い相手の女性がレストランにやってきて、彩夏が接客した。 それを高本に見られていたとは。 「普通に接客できてたはずやけど、あかんかったかな?」 彩夏は笑って誤魔化して見たけれど、高本は真面目な顔だった。 「石橋さん泣きそうな顔して、こっち戻ってきたのが見えたから。あのイケメン社長と綺麗な女の人がいる席かなって。知り合いなんだよね」 「ま、まあ、そんなとこ」 「花火見たら元気出るかなって誘って見たんだけど、この人の多さじゃ見れそうにないかな…」 「きゃっ!」 前も後ろも人混みだらけで彩夏は人に押されて、高本を見失った。 「石橋さん!」 自分の名前を呼ぶ高本の声が何度も聞こえるが、どこにいるのかわからない。 「こ、高本くん?!」 立ち止まったら終わり。人混みに飲まれて、彩夏は自分がどこにいるのかわからない。やっとのことで逸れたが、見知らぬ細い路地だった。 「う、うそ?!どこなん?」 スマホを開いたが、地図を見ても場所がわからない。高本に電話をかけて見たが、高本もスマホが取り出せないほどの人混みに飲まれたままなのか繋がらない。 立夏や清人にも電話をかけて見たが、今日は二人とも遅くまで仕事だと言っていた為、かからなかった。 彩夏はだんだんと焦りが募った。 嘘、どうしたらいいん?!誰か助けて、誰か…! 彩夏は震え出した手で無我夢中で電話をかけた。 「…もしもし?彩夏?」 「…助けて…助けて光橋さん」 声を聞いて彩夏は半泣きになった。 「どうしたんだ?」 「今、港町の繁華街で花火大会してて、見にきてんけど、連れとはぐれてもて、わけわからん道に出てきて…地図見てもわからんし、めっちゃ暗いし。もう嫌や!」 「わかった。落ち着け」 「落ち着くなんて無理!光橋さんはお見合い相手とデ、デートしてたし」 「彼女とは今さっき、駅前で別れたところだ。彩夏、地図アプリを出せ」 「な、なんで?!」 「場所を知るんだよ。近くに何か書いてないか?店とか公園とか」 「え、えっと、薬局のハマサキがある」 「何号店だ?」 「2号店」 「人気が少ないか?」 「うん。大通りでようとしても、ぜんぜん出てこれんくなって裏通りなんやと思う。細い道やねん」 「そのまま動かないで待てよ」 「なんで?」 「余計にわからなくなるからだ。とにかく薬局のハマサキの近くまで行くから」 「う、うん…」 通話が終わると彩夏は、ギュッとスマホを握りながら待っていた。 「光橋さん、早く…早くきて!」 目をギュッと瞑りながら彩夏が立っていると、後ろから気配がした。 「光橋さん!」 「光橋?光橋じゃないけど、良かったら俺らとカラオケいかない?」 ヤンキーの二人が絵に描いたようなナンパをしてきた。 生まれてはじめてのナンパに彩夏は身体が動かない。 ヤンキーに適当に用事あるとか言って逃げたらいいだけやのに! 「大丈夫〜!一時間だけだって〜」 甘過ぎる香水の匂いは光橋の清潔感とまるで違う。 「ちょっと、は、離し…」 「…その子に、何か用か?」 彩夏が後ろを振り向くと息を切らした光橋いた。 「み、光橋さんっ!!」 彩夏は勢いよく光橋に抱きついた。 光橋は抱き止めてくれた。 「な、なんだよ?彼氏持ちかよ。つまんねー」 ヤンキーたちが遠ざかって行く足音が聞こえた。 「…彩夏」 ぐずぐすしている彩夏に光橋が声をかけた。 彩夏は光橋の高い心拍音を聞いていた。 「怖かった。もう、なんでこんなことになるんよ」 「それはこっちのセリフだ」 彩夏はゆっくりと体を離しながらも、涙が止まらなかった。 手で拭っても拭っても、止まらない。 「ううう…もう嫌や」 彩夏の気持ちは恐怖心と安心がごちゃまぜになっていた。ぼろぼろと涙が止まらない。 視界の先でまた光橋が困惑した顔をしていた。 好きな人にこんな顔させるなんて、最低やのに、嬉しいなんて、うち、やっぱり変なんかな。 どうしたらいいのかますますわからない。 彩夏の目の前が涙で霞んでいく。 その時、長い指先が彩夏の顎を引いた。ふわりと光橋が近づく。光橋はあの車の匂いがした。 口、柔らかい感触がする!? もしかして光橋さん、うちにキスしてる? 目を開いたまま彩夏の視界には、光橋の長いまつ毛が映っていた。 彩夏の涙はぴたりと止んでいた。 「みつはし、さん?」 背をかがめて自分にキスをしているのが、本当に光橋か彩夏は信じられなかった。 「信じられないって顔だな」 「もう一回、して?」 光橋はネクタイを緩めて、また彩夏にキスをした。さっきよりも押しが強くて彩夏は驚いた。 彩夏は濡れた睫毛をぱちぱちと瞬きする。やはり視界の先にいるのは、光橋だった。 「なんでうちに、キスしたん?」 「彩夏に泣かれるとどうしたらいいのか、わからない」 真剣な顔で言われて、彩夏は心臓が爆発しそうになった。 「光橋さん、さっきまでお見合い相手のめっちゃ美人で巨乳な人とデートしてたやん」 「タイプじゃないな」 「やとしても!うち、何歳やと思ってるん?」 「彩夏は俺が何歳かわかって好きなのか?」 「うちみたいな子供が大人に憧れるのは、よくあることやん。もしかして!光橋さん、ロリコンやったとか?!」 「散々振り回してよく言う」 光橋はため息をついた。 「俺はきっと今、彩夏のせいでロリコンになった」 「なっ?!」 「ていうか、あのガキはどこなんだ?」 光橋の右眉が上がる。 「ガキ?」 「どうせ立夏さんが言ってたバイト先の男と来てたんだろ?今日、何度か睨まれた」 「あ!そうや!高本くんと…」 バイトの話で我に帰った彩夏がスマホを取ろうとすると、光橋にスマホを取られた。 「ちょっと、光橋さん?!」 「帰るぞ」 彩夏の手を引いて、光橋は近くの駐車場に止めてあった車に彩夏を乗せた。 そして、そのままマンションへ送り届けられた。 「着いた」 「着いた…けど、何が何だかわからんのやけど!」 高本と花火大会に来て、迷子になって、光橋が助けに来てくれて、号泣したまでは覚えているが、その先の展開が追いつかない。 光橋は前を向いたまま、何も言わない。 「なあ、光橋さん?」 光橋がカチッとシートベルトを外したと思ったら、彩夏の視界を再び覆った。 また、キスされてる?! 「な、なっ!」 彩夏がパニックのまま、キスされたのでなんで?と言いそうになった。 「うるさい。キスしてるんだから、黙れ」 「ちょっと…」 光橋のタガが外れた行為に、彩夏はふわふわとした高揚感に包まれていた。 「んっ…んっ…」 口が押しつぶされそうなるほど、強くキスされている。彩夏は鼻で息をするので必死になる。 光橋に口が食われるような勢いだ。 これ、うちが口開けたら、イケナイ方向に行きそうな…。 彩夏が必死に理性を保っていたら、光橋が離れた。 はあはあと酸素を供給する彩夏と違い、光橋は顔色を変えない。ただ、目の奥に熱があるのは彩夏にもわかった。 「帰る。降りろ」 再びシートベルトをした光橋は言った。 「う、うん」 「じゃあな」 彩夏はもう何も言葉が出ず。従順に助手席から降りた。 光橋を見送っても、彩夏はその場から動けなかった。 今、気温よりも顔が熱いって自信あるかも…。 「高本くんとの花火大会どうだった?」 帰宅して、立夏にすぐに聞かれた。 「え?!」 「彩夏ちゃん、大丈夫?」 清人も心配そうに見ている。 バイト終わり、立夏に高本と花火大会に行くと連絡した。 しかも立夏と清人に電話をかけたのだ。二人が帰宅して、彩夏に話しかけるのは当たり前だ。 「すごい人で、花火どころじゃなかった」 光橋とキスしただなんて、言えない。 「高本くんにまた送ってもらったんだよね?電話なんの用だったの?」 立夏の質問に彩夏は目を泳がせた。 「えっと…」 立夏にはこれ以上誤魔化せない。今までのことは光橋から聞いていただろうし、様子を見ていたのはわかる。しかし今日ばかりは、聞き出したいと顔に書いてあった。 黙っている彩夏を見てから、立夏は清人を見た。 「清人くん。ゆっくり風呂に入って来てくれるかな?」 「えっ?一番風呂、いいの?」 「いいよ。そのかわり、ゆっくり三十分は肩まで浸かってきて」 「…あ、うん。じゃ、お風呂入ってきまーす」 さすがの清人も空気を読んで浴室へ向かった。 「彩夏ちゃん、落ち着いて話を聞かせて」 「う、うん」 「光橋くんと何かあったんでしょ?」 「なんでわかったん?!」 「光橋くんが彩夏ちゃんのバイト先を今日のお見合いに選んだって清人くんに聞いてたからね」 「光橋さん、狙ってバイト先に…」 「先に話しておくと、彩夏ちゃんが光橋くんに告白して、フラれたのも聞いた」 「それは…気づいてた」 「その後ね。彩夏ちゃんがバイトしてて、高本くんのことも話した。そしたら光橋くん、バイト先にお見合い場所選んだの」 「えっ…じゃ、光橋さんは」 「光橋くんに直接聞いたわけじゃないけど、彩夏ちゃんの事、気にしてるんだなって思ったよ」 「あのな、立夏さん」 「何?」 彩夏は息をたくさん吸って、言葉にした。 「うち、光橋さんとキスした…」 立夏は頭を抱えた。 「立夏さん?」 「いや、自分の予感が当たりすぎて怖くて」 「わかってたん?」 「カンだけどね。彩夏ちゃんが光橋くんと再会して、だんだんと綺麗になっていくのを見てたし。光橋くんもまさか自分がって思って今頃、反省してるんじゃないかな?」 「話すと長いから、簡単に言うとな。最初は高本くんと花火大会にいてん。でも、迷子になって。いつのまにか光橋さんに電話して…」 「その話は最初からゆっくり聞くから、まずはパジャマに着替えておいで。清人くんの後は、彩夏ちゃんがお風呂に入る番だよ」 立夏に言われ、彩夏はパジャマに着替えた。リビングに戻ると、今日の出来事を話した。 八月の最終週。 彩夏は、清人の運転する車で立夏を含め三人で、実家がある関西の田舎町に帰省した。 あれから光橋とは連絡をとっていない。 立夏には「なるようにしかならない」と言われた。 なるようになるってどういうことなん? 光橋さんは何も言ってこんし、かと言ってうちから何かするわけにもいかん。 何よりこのまま光橋さんが、うちの為に危ない橋を渡ることになったら? それってめっちゃやばいやん!犯罪者やし! うちはやっぱり身を引くべき?避けるべき?でも、何があったらすぐに光橋さんに会いたくなってしまう。 畳の上でゴロゴロして考えを巡らせても、答えは出ない。 うちは自分の夢を叶えたいと思った。だから光橋さんに会いに行った。 でも、光橋さんに迷惑はかけていいんやろか? 「彩夏、スイカきったでー!みんなで食べよう」 彩夏はすっきりしないまま母に呼ばれて広間へ向かった。 両親、弟、祖父母の住む家は落ち着いた。 山々に囲まれた田舎風景が心地いい。 何より騒がしくなくて、静かだ。 川も畑もすべてが自然のままで、彩夏は悩みを忘れるように弟や立夏と清人と遊んだ。 立夏や清人はすっかり実家のように過ごしている。 彩夏はとても嬉しかった。 大好きな二人の帰る場所が彩夏の実家。本当の家族が増えたみたいだ。 「立夏さん、このお花活けれるかな?」 祖母がたくさんの野草花を抱えてやってきた。 「野草花いいですね。フジカンソウ、カワラナデシコ、ツユクサ…どれも素敵です」 「うちも活けたい!」 「彩夏ちゃんもするなら、もう少し欲しいですね」 「じゃあ案内するで」 「頼むわ、おばあちゃん」 一人でいると、悪いことしか考えない。 彩夏はとにかく今は実家でリフレッシュしようと決めた。 八月三十日の夕方。 彩夏は立夏に母が昔着ていた綿絽の浴衣を着付けてもらった。藍色がメインでほおづき柄。帯びは黄色だ。 母に髪を団子括りにしてもらい、頸も綺麗に映えている。 「ありがとう、立夏さん」 「せっかく、この町の祭りがあるから行かなきゃね」 この祭りは十年前、光橋と行った祭りだ。 去年彩夏は、受験で祭りを楽しむどころではなかった。今年はゆっくり楽しめそうだ。 皆、立夏に着付けをしてもらい浴衣姿になって、祭りへ繰り出した。 「彩夏が光橋さんと結婚する言うて、手紙書いた十六歳に、ほんまになるんやね」 母に神社に行くすがら話しかけられた。 「何急に?」 「小さい時からずっと夢は変わらんと、上京までしてまうんやから、我が娘ながら感心するわ」 「いや、地元の先輩に憧れて…」 「もちろんそれもあるやろうけど、光橋さんに毎年チョコ作ってたやん」 「う…」 母はやはり誤魔化せない。 「光橋くんとはあれから会ってないけど、母さんは光橋くんならって、本気で思ってんで」 「嘘やろ?!」 「光橋くんは彩夏のことなんでもわかる子やなって親ながら感心してたんや。彩夏が振り回しても、なんだかんだ付き合ってくれる優しい人やったし、彩夏が好きになるんも無理はない」 「お母さん…」 「ま、どうなってるんか知らんけど、明日は帰る前に朝から誕生日パーティーやで」 彩夏の背中を叩いて、母は前を歩いた。 そもそも十六歳になったら光橋さんと結婚する約束したのは、母の一言だったと彩夏は思い出していた。 彩夏は一人、神社の境内前にある階段で座っていた。彩夏以外は、出店を回っている。 高い丘にある神社に、人はあまり来ない。今も独りぼっちだ。 丘の下を見るとたくさんの出店の灯りが煌々としていた。 ここに光橋さんと来たかったななんて思ってるうちって、どんだけ好きなんや。 尻をはたいて、彩夏は賽銭箱の前に立った。 巾着から財布を出し、百円玉を投げた。 パンパンと手を叩いて、彩夏は目を閉じた。 ー光橋さんが、幸せになれますように…。 彩夏は目を閉じながら、何度も何度も祈った。 「何をそんな願うことがあるんだ」 彩夏はいるはずのない光橋の声に、神様の声かと賽銭箱の向こうを見るが、何も聞こえない。 「バカ、後ろだ」 振り返るとスーツ姿の光橋がいた。 「光橋さん、な、なんで?!」 「仕事を半休にして、新幹線と特急を乗り継いできた」 「どうして、ここに?!」 「立夏さんに聞いた。明日が彩夏の誕生日だって」 「明日の誕生日祝いにわざわざこんな田舎に来たん?」 「悪いか?」 「悪くないけど、しっくりこうへん」 「それよりさっきの質問、答えろ」 「何を祈ってたか?」 「昔と変わらず、やけに真剣だな」 「それは…」 「言えよ。内容によったら、叶えられるかも知れない」 「ほんま?お金なんかじゃ叶わないと思うけど」 「聞いてみなきゃわからないだろ」 「み、光橋さんが幸せになって欲しい」 恥ずかしながら彩夏が言うと、光橋は黙っていた。 「恥ずかしいこと言わせといて、無視はないやろ!」 彩夏が文句を言うと、光橋は頭を抱えていた。 「どうしたん?もしかして呆れた?」 「違う。成長したと思ったんだ」 「あの時から十年は経ってるんやで」 「そうだったな。ならその願い、叶えてやる」 「え?」 「彩夏、明日結婚するぞ」 真剣な眼差しの光橋の発言に、彩夏は固まる。 「嘘やろ?!」 「嘘じゃない」 「光橋さん、自分が危ない橋渡ってるってわかってんの?」 「十年前の約束忘れたのか?」 「忘れてないけど、そんなん子供の頃のやつやん」 「俺もそう思ってた。でも段々と大人になってく彩夏を見て思った。俺を本気で困らせるのは彩夏だけだ」 「迷惑な話やないの?」 「今更。それに結婚してしまえば、世間的に犯罪者扱いにならない」 「やとしても、世間に簡単に認められるもんじゃないし、光橋さんの親かって…」 「俺の親は社長になる以外、子供のしたいことは否定しない。もちろん最初はかなり動揺したが、説得できた。成人するまでは非公表にするけどな。ただ彩夏の親御さんは別だ。覚悟を見せる。彩夏は俺と付き合う覚悟はあるか?」 「あるよ!何のために勉強して上京したかわからんやん!」 「ならご両親に挨拶して婚姻届を書いて、明日役所に出す」 「えっ!でも婚姻届…」 「途中、役所でもらってきた」 「そんな自信どこにあるんや。うちが断る可能性考えへんかったん?」 「この三か月、彩夏を見てたらわかる」 「自信たっぷりに…」 でも、そんな光橋さんが好きなんやから、仕方ない。 光橋が差し出した手を取って、彩夏は階段を降りた。 翌朝、光橋と彩夏は田舎町の役所に向かった。 「おめでとうございます」 職員に言われ、彩夏は体が震えた。 無事、十六歳なった彩夏は光橋と婚姻届を提出した。 役所を出ると立夏と清人の運転する後部座席に乗った。そのまま四人で東京に帰ることになっている。 感激する彩夏の隣で光橋は左頬をアイスノンで冷やしていた。 「光橋さん、やっぱりまだ左頬痛い?」 「見たらわかるだろ?ぱんぱんに腫れてるんだ。口の中もまだ気持ち悪い」 「昨日はまさかおとんがいきなり光橋さん殴るとは思わんかった」 「殴られる覚悟はあったが、まさか消防隊員だとは思わなかった」 「うちも初めておとんが人殴ったところ見たわ。ほんまメガネがぶっとんで、割れてなくてよかった」 「メガネの心配か?」 「光橋さんは昨日心配しまくった!もう生きた心地しいひんかったんやから…」 彩夏にとって昨夜は一生忘れない一夜になった。 時間は昨夜に遡る。 二人は神社から実家に戻った。広間で一家勢揃いしているのを確認した所で、光橋が両親の前でいきなり土下座した。 「はじめまして。光橋悟と言います。光橋製薬で代表取締役をしています」 「光橋さん?!」 彩夏は光橋の態度に驚いた。 「光橋さん、やっぱりええ男やね〜」 黙り込む父の隣で母は呑気に光橋に声をかけた。 「お母さん、そんな話やないって!もう、なんなん光橋さん、いきなり!頭上げて…」 彩夏の言葉を遮って、光橋は話しはじめた。 「いきなりで驚かれたとは思います。ですが、この度、彩夏さんと結婚させていただきたく、ご挨拶に参りました」 光橋は頭を上げようとしない。 彩夏の父は黙ったまま光橋の元に近づいた。 「光橋さん、顔上げ」 光橋が言われるまま顔を上げた。途端に逞しい右腕で胸ぐらを掴まれた。 「お父さん!」 彩夏の静止も聞かず、彩夏の父の右フックが炸裂した。光橋はその威力で壁に身体を叩きつけられた。光橋は口の中を切って、左頬は赤くなり、痛々しく膨れあがってきている。 彩夏は半泣きになりながら、光橋の元に駆け寄った。 「お父さん、なんでこんなひどいこと…!」 「俺はもう知らん。勝手にしろ!」 彩夏の父は部屋を出た。他の面々は一連の流れを息を飲んで見ていた。 静寂を止めたのは、彩夏の母だった。 「ほんまに彩夏は、一度決めたらとことんなんやね。昔言ってた光橋さんと十六歳になったら結婚するって夢叶えて」 「お母さん…」 「お父さんも私も。光橋さんのお嫁さんになるって夢、私たちにいつのまにか言わんくなったけど、わかってた。彩夏がなんで上京したんかもな。子供の夢やし、叶うかどうかはわからんかったけど、応援するのが親やろ?」 「お母さん、ごめん。高校生で結婚したいとか我儘言って。しかも相手はめっちゃ大人やし…」 「光橋さんがちゃんとした人やって言うのは、立夏さんや清人くんから聞いてたし、今の態度見たらわかる。もちろん、これからも見守るつもりやけどな」 「ありがとうございます」 光橋さんが左頬を押さえながら、母に頭を下げた。 「こちらこそ不束な娘ですが、光橋さんに関しては特別愛情がある子やって自信だけはありますから。どうか見捨てないでやってくださいね」 「見捨てられることはあっても、俺が見捨てることはありません。約束します」 「ふふ。光橋さんは一度決めた約束はちゃんと守る男やもんね」 「お母さんありがとう!お父さんにもそう伝えて」 「すげえ!姉ちゃん、ほんまに光橋さんと結婚した!」 弟の琥太郎が興奮して声を出した。 「彩夏ちゃん、なるようになったでしょ?」 立夏が彩夏に近づいて言った。 立夏は今回の立役者だ。 彩夏は嬉しさのあまり立夏に抱きついた。 「ありがとう!大好き、立夏さん!」 「本当によかったね。僕も大好きだよ」 「なんか立夏さんと彩夏ちゃんが結婚するみたいじゃんか!」 清人が少し拗ねている。光橋は苦笑いをしていた。 それから、翌朝に食べるはずだったケーキを開けた。父を除く一家で彩夏の誕生日と結婚のお祝いが細やかながら行われた。 深夜、彩夏は光橋の隣に敷かれた布団に入ったが緊張していた。 「何もしやしない。こんな頬じゃな」 「わ、わかってるけど、あまりの展開にいろいろ心の準備が…」 「いつのまにか零時過ぎてるな」 光橋は彩夏の話をスルーして、腕時計を見た。 「誕生日おめでとう、彩夏…で何で布団に潜るんだ?」 「いきなりびっくりするから」 「誕生日プレゼントはこれでよかったか?」 「これ以上のもんなんてないに決まってるやん!もう、恥ずかしいから寝る!」 光橋の笑い声が聞こえる。彩夏は目を瞑った。眠れるか不安だったが怒涛の展開に疲れていたのか、彩夏はいつのまにか眠っていた。 翌朝、光橋はなかなか寝付けなかったと聞いた。 彩夏は光橋も緊張することがあるのかと驚いた。 昨夜を振り返って夢ではないはずなのだが、彩夏はどこか信じられない。 「眠いから、俺は東京に着くまで寝るぞ」 欠伸をする光橋に彩夏は、肩を揺らす。 「待って!寝る前に聞いていい?」 「なんだ?」 「光橋さんはいつうちと結婚していいって思ったん?」 「なんで立夏さんと石橋の前で言わなきゃならないんだ?」 「うちらの仲を取り持ってくれたのは二人やん!」 「僕もそれは気になるかな?」 「俺も!彩夏ちゃんが光橋が好きなのは目に見えてわかるけど、光橋はわかりにくいしな…」 「全く…二人に免じて、一回だけだぞ」 うんうんと彩夏が強く頷く。 「彩夏が花火大会の日、迷子になって、俺に電話かけてきて、探してた時だ。あの時、彩夏がいなくなったらと思ったら不安になった。その前に立夏さんや石橋に彩夏といる時、楽しそうって言われたこともずっとひっかかってた」 また感激している彩夏に光橋は不機嫌な顔をした。 「もういいだろ?」 「よかったね。彩夏ちゃん」 彩夏は立夏の言葉が胸に沁みた。 「光橋さん…好き」 「知ってるから寝かせろ」 数時間後ー 後部座席で彩夏は眠ってしまっていた。 しかも光橋の肩にもたれていた。 慌てて離れようとしたが、右手が塞がっている。 光橋が眠りながら、彩夏の右手を固く握っていたのだ。 彩夏はこの時初めて、夢を叶えた気がした。 再び彩夏は光橋の肩にもたれてた。 そして、光橋の左手を強く握り返した。
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