第十一話 一秒先を視よ(後編)

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第十一話 一秒先を視よ(後編)

 武蔵家の広い居間に通され、羽毛座布団の上に腰を下ろした凛は、先ほどの真剣(まつるぎ)の言葉を思い出して物思いに耽っていた。 (本当に、武蔵さんや真剣さんに頼りっぱなしでいいの?) 「おーい、なに難しいツラして唸ってんだ、凛」 「武蔵さん」 「ほれ、茶だ」 「ありがとうございます……」  武蔵は、御勝手でお茶を淹れてくれたらしい。 盆の上に載った急須と湯飲みはおそろいで、凛の家にある縁の欠けた湯飲みとは異なり、高級そうな白磁製の蓋つきだった。 テーブルの上にお茶を並べた武蔵は、凛の正面に胡坐を掻いて座った。 「心配すんなって。お前の働き口はオレが何とかするって言ったろ」 「……はい」 「真剣の戯言なんて、いちいち本気にするんじゃねえよ」  武蔵の言葉は、淹れたてのお茶と同じく温かいものだった。 お前は無理しなくていい。安全な仕事だけしていろ。 あとはオレたちが何とかする。 ――……つまり、武蔵は凛に「大人しくしていろ」と言いたいのだ。 (言わなきゃ)  凛は決心を固めると、湯飲みの蓋から手を離して武蔵に向き直った。 「武蔵さん。もしも小太刀を持つのなら、あのガラスケースの中のどれがいいと思いますか?」 「ぶっ!?」 「初心者でも扱いやすい小太刀を教えてください」 「凛!」  頭を深々と垂れて懇願する凛に面食らった武蔵は、含んだお茶を派手に噴出した。 「大会に出たら、いざと言うときの護身用として武器を持っていたいんです」 「だから、んな物騒な大会にお前を――……!」 「お願いします!武蔵さんの役に立てるよう、全力でお手伝いしますから」 「~~~お前……」  凛の必死の表情を見た武蔵は、言葉が出てこない様子だった。 「絶対、足手まといにならないように頑張りますから」  凛が尚も食い下がると、武蔵は呆れたように溜息を吐く。 が、次には眼光鋭く凛を見つめ、語気を強めて言った。 「どうしてお前がそこまでする?……怖くねえのか?いくら護衛がいるとはいえ、女が出る大会じゃねえんだぞ。死人が出たってのは脅しじゃねえぜ」 「はい…」 「お前の未来記録(レコーディング)で、オレの盾になるとでも言うのか?阿呆抜かしてんじゃねえよ」 「でもっ!」 「お前がオレ様の盾になるなんざ、十億年早いんだよ」 凛が武蔵に言い返そうと、テーブルの前に身を乗り出した。その時だった。 「……っ」 ――それ以上、凛は身じろぎすることが叶わなかった。  武蔵は自身の着物の懐に忍ばせていた帯刀の切っ先を、凛の喉元に突きつけていたのだ。  癖っ毛の前髪から覗く武蔵の目は、本気そのものだった。 今、武蔵が全身から発している気迫は正しく剣客のもの。 真剣の前で見せたあの居合いも見事だったが「武蔵はやはり武士」なのだと凛は改めて思い知った。 「お前に、この未来が予報できんのか?心眼なんざ、喉に剣先突きつけられた日にゃ無力だぜ。次に瞼を開い時は、お前が死ぬ時だ」 「武蔵さん…」  凛は、酷く喉が渇くのを感じた。 冷や汗が、背中を滑り落ちていくのが分かる。 それでも、武蔵から目をそらす事はしなかった。  数刻互いに睨みあった後、武蔵は帯刀を凛の喉元から離し、鞘の中にかちりと収めた。 「これで分かっただろ?お前が気を整え、心眼の準備をするのに数秒かかる。……運命率って言ったか?それを視るのに、更に数秒かかる。それだけ隙がありゃ、敵を仕留めるにはオレ様には朝飯前だぜ?」 「……うっ」 「言っておくが、お前が心眼を使うまでオレや真剣が守ってるから平気なんて言い切れねえぞ。敵がお前を集中的に狙ってくるかもしれねえからな。お前みたいなちっこい弱そうな女、真っ先に的になるに決まってるだろうが?」 「……ううっ!」 「武術大会は遊びじゃねえんだ。何が起こるか見当がつかねえ。オレは、お前のやりたいようにやれと言ったが、それと命を粗末にするのは違うぜ?」  容赦ない正論に対し、凛はぐうの音もでなかった。 ――武蔵は、本気で凛を止めようとしているのだ。 研ぎ澄まされた視線に問い詰められ、凛は自分の腿の上で両手を握りしめていた。 「ごめんおせ。ちっくと、忘れもんじゃ」 「真剣さん?」  居間に緊迫した空気が流れ始めた時。 武蔵堂の入り口の格子戸がからから音を立てて開き、独特の訛り口調で挨拶をした真剣が中へ侵入してきた。 「真剣、帰ったんじゃねえのかよ」 「大事な用事ができたんじゃ。秋都(あきと)――……」 「だーかーらっ!気安く名前で呼ぶなって言……!?」 障子を開けて真剣が顔を出した。凛と武蔵がそちらに目を向けると…。 「え?」  そこには既に、真剣の姿はなかった。真剣は武蔵の正面に立ち、銃口を突きつけた体勢で立っている。 (真剣さん、いつの間に移動したの…!?) 「てめえ、なんの冗談だ?んな物騒なモン、二丁も御丁寧にそろえてよ」  真剣は、右手に銀の回転式拳銃(リボルバー)、左手に拳銃を持ち、左右の腕をクロスさせた状態で構えていた。 あのリボルバーは、凛にも見覚えがある。凛を狙ってきた牛車の刺客を射殺した時のものだった。 「知らんのか?わしは二刀流ぜよ」 「黙れ…。それ以上ふざけるなら容赦しねえぞ」  顔面に青筋を浮かべた武蔵が、座布団の上をすっと立ち上がった。勿論、手は愛刀の柄にかけている。 「真剣さん、やめてください!なんのつもりですか!?」  凛が思わず叫び声をあげると、真剣はニッと笑った。 「凛さん。おんしには【一秒先の運命】が、視えるか?」 「えっ?」 「おんしにそれが出来るのか、確認しに来たぜよ」 「くだらねえこと言ってんじゃねえ!」    一秒先の、運命。 そこまで短期的な他者の運命率を視る事は、記録符(レコード)を施すときもなかったことだ。 しかし、武術大会に出場して武蔵の戦いをサポートするならその能力は不可欠になる。命を懸けた戦いでは、一瞬の判断が未来を左右するからだ。 ――『優勝出来る。武蔵の剣の腕と、凛さんの心眼さえ有れば』 真剣の言っていたとおり、優勝は夢物語ではなくなる。 「わしが今から、どっちの銃を撃つつもりか当ててみい?おんしが当てられれば良しじゃ。…外れたら、武蔵の運命はそれまでじゃき」 「……なっ?」 「当ててみいや。おんしの【戦い方】を見せる、チャンスぜよ」 「……ふざけろ……っ」  怒り心頭の武蔵は居合いの構えを解かず、殺気立って真剣を見据えている。 武蔵が剣を抜かないのは、いつ真剣が銃の引き金を引くか警戒しているためだ。 「戦い方を見せる、チャンス……」  唯一、この場に居る三人の中で凛だけが身動きが取れる状態だ。 凛は顔を緊張で強張らせながら、真剣を見やる。 ――武蔵に「戦える」ことを証明しなさい、と。凛には真剣がそう言っているように感じた。 「凛!何をする気だ?!」 「凛さん。三秒だけ、時間をやるぜよ」 「おいっ!凛、挑発にのるんじゃねえ!」  武蔵は真剣から目を逸らさず、隣に立つ凛に呼びかける。 「武蔵さん。私を、信じてください」 「本気かよ?お前がどっちを選ぼうが、こいつが銃を撃たない保証はねえぞ」 ――そうかもしれない。口ではなんとでも言える。もし凛が正解を言い当てても、真剣が「はずれ」と言えばそれでおしまいだ。 しかし、凛には何故か真剣を疑う気持ちは湧かなかった。 「やります」 「それでええ」  凛のしっかりした断言を聞き、真剣は満足気にうなづく。   瞼を閉じる。 この間で既に一秒。 「三」 再び瞼を開き、武蔵へと意識を集中して心眼を開くまでが二秒。 「二」 凛の脳裏に、徐々にぼんやりとしたビジョンが浮かぶ。 青々とした茂みが揺れている、草原の光景。 夕暮れの空の下、そこに立つ、白地の着物の男性の姿。 大粒の雨が降りしきる街道と、通りを行きかう沢山の人々の背中。 だが、どれもが漠然とした映像だ。一秒後ではない、少し先の未来ばかり。 真剣が銃を放つ瞬間をピンポイントで視ることは、どうしても出来ない。 (……武蔵さん……)  これは、武蔵の命が懸かっているかもしれない挑戦だ。 焦れば焦るほど、凛の手のひらは汗をかいていった。 「一……」 「ゼロ。凛さん、答は?」 「凛」  武蔵は、気遣わしげに凛を横目で見た。 (二丁も銃を向けられて、武蔵さんに余裕はないはずなのに…) この状況でも、武蔵は凛の身を案じているのだ。 ――武蔵からこれまで受けた恩に、今こそ報いるべきだと凛は覚悟を決めた。  強い決意を胸に、凛が武蔵と見詰め合ったその刹那。 凛の瞳に、武蔵の周囲をキラキラ舞い散る銀色の粒の映像が一瞬映った。 「…っ、見えた!武蔵さん。構えをといてください」 「はぁ?」 「大丈夫です、真剣さんはたぶん…弾を撃ちません。たとえ撃てたとしても、武蔵さんには危害を加えないと思います」 「なんじゃ、そりゃ?!」 「ほう?どうしてじゃ?」 「最後に一瞬だけ、武蔵さんの周りに小さな…きらきらした何かが舞う光景が見えたんです。たぶん…真剣さんの銃に仕込まれているのは、銃弾じゃないですよね?」  凛が恐る恐る、ビジョンに基づいて推察を述べると。――室内に、乾いた発砲音が響き渡った。 「きゃあぁっ…!?」  騒音に驚いた凛は、その場に腰を抜かしてへたりこんでしまった。 「…っ、真剣てめえ――…!」 武蔵が躊躇いなく刀を引き抜くが、しかし。 「お見事じゃ!よう見破ったの!」  凛と武蔵、二人に銃弾が命中することはなかった。 銃口から噴射されたのは、弾ではなく色とりどりの紙ふぶきだ。正方形の紙切れが桜吹雪のように居間中に降り注いでいる。 「これ、折り紙…?」 「はっはっはっ。こりゃー昨日、わしが徹夜でこしらえた特注品ぜよ!」  凛と武蔵が紙ふぶきを見上げて棒立ちしていると、真剣の愉しげな高笑いが響き渡る。 「はーっはっはっはっ!驚いたじゃろ」 「こんのど阿呆ぉ!?てめー最初っから撃つ気ねえならそう言え!」 「最初に言うたら、凛さんのテストにならんぜよ。……で?どうじゃった、秋都?凛さんはきちんと未来を予報したやお?」 「そっ、そりゃ、まあ、今回はたまたま上手くいったけどよ…。しかしだな!実際に戦いの場面に立ったらこうはいかねえぞ!?」  武蔵は刀を鞘に戻し、天パーの髪をガシガシかきむしった。そして、腰を抜かした凛に歩み寄って手を差しのべる。 「大丈夫かよ、凛。ったく、無茶しやがって」 「武蔵さん!」 「あ?」 「よかったです!なんともなくて、よかったです……」  極度の緊張から開放された凛は、思わず感極まってしまった。差し出された武蔵の着物の腕に抱きついて鼻をすする。 「お、おいっ!?」 「私、ちゃんと武蔵さんの未来、視れましたよね?」 「わーった!わーったよ!……悪かったな、戦えねえって決めつけちまって。もう分かったから離せ。鼻水でオレ様の着物がぐっちゃぐちゃになるだろうが、アホ!」 「はい」  武蔵はぶっきら棒な言葉と共に、凛の頭を小突いた。 「さて、大会まではあと一週間をきったぜよ。凛さんは【一秒心眼】の猛特訓。武蔵は道場で剣の稽古をつけることじゃ」 「は?何言ってんだ、真剣。まだ大会の申し込みはしてねえだろうが?」 「わしが、とっくに済ませてあるがでよ」 「え?まさか、さっき真剣さんがいなくなったのって、大会の登録に勝手に行ったからですか?!」  凛と武蔵が同時に真剣を問い詰めるが、当の真剣は飄々とした態度を崩さずに、ケロッと言い放った。 「お?言うていなかったか?」 「真剣ィ!てめえ勝手に何してやがるんだよ!まだコッチは出るって言ってなかったじゃねえか!」 「はっはっ。善は急げぜよー」 「ふざけんな!なぁにが善だよ、てめえは存在自体が悪だ!この賞金首が!」  ついに堪忍袋の緒が切れた武蔵は、真剣の胸倉を掴みにかかった。 真剣は暴言すら愉しげに笑い飛ばし、気安く武蔵の天パー頭を撫で回している。  凛は二人の取っ組み合いを見守りながら、リアムから貰ったお守りに触れるように、手を胸元に添えていた。 大会までは、あと七日。
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