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第三話 まるくともひとかどあれや
「そもそも、山を登れるわけねえだろうが。こんなひょろひょろの、病弱坊ちゃんが」
「武蔵さん。何も、頂上まで登ろうって訳じゃないですから。山の麓までいければ、冬桜の木もありますよ……きっと」
凛と武蔵が言い争う中、リアムはベッドサイドを離れてクローゼットから着替えを探している最中だった。
純白の家具で統一された塵一つない室内は生活感がない。一年中部屋に軟禁状態では、精神衛生上よくないと凛は思った。
「外出は、リアムの気分転換になると思うんです」
「なんでそこまでするんだよ?俺たちがコイツに構う義理もヘチマもねえじゃねえか。面倒な仕事なら断りゃいい。この御時勢、金を積んでも占って欲しい貴族様は他にごまんと居るんだぜ?」
「でも、わたしは未来記録士として、依頼主さんの未来を照らす灯台になりたいんです」
「はあー?灯台ぃー?」
海岸線の監視でもするつもりかよ?と、武蔵が口を尖らせていると。
「リン、ヤマト、お待たせ」
「おい、ガキんちょ。今なんつった?それはオレを呼んだんじゃねえよな?」
身支度を整えたリアムが二人に歩み寄って来た。パールホワイトのシャツに合わせ、格子柄の模様が刺繍された蓬色のズボンを穿いている。
西洋の輸入品であるハット(こげ茶で丸みを帯びたボーラーという種類の帽子)を被った洋装は、金髪碧眼のリアムに良く似合う。フランス人形のような外見のリアムは凛の目に可愛いらしく映った。
一応凛も年頃の娘なので、西洋人形や愛らしい衣類に関心があるのだ。
「リアムの支度が出来たみたいですね。じいやさんに挨拶してから、日の高いうちに出発しましょう、ヤマトさん」
「凛、てめえも悪ノリするんじゃねえ!」
「ヤマト、早く行こう」
久々の外出が嬉しくて仕方ないリアムは、頬を薄っすら薔薇色に染めていた。
「オレは武蔵だ!どっから大和が出てきた!?一文字も正解してねえだろ!……つーか、お前元気じゃねえか。ホントに病弱少年なんだろうな!?」
「武蔵さん。子供相手に大人気ないですよ」
「ああ、もう一人ガキんちょが居たんだったなァ……」
武蔵は仲良く連れ立って歩く二人の後姿を追いかけながら『ぜってえあのじじいと依頼主の親父から、給金の倍以上のチップをふんだくってやる!』と、心に誓ったのだった。
「いってらっしゃいませ」
屋敷の玄関先まで、執事のじいやが三人を見送りに出てくれた。
リアムは嬉々とした表情を浮かべ、凛に庭の案内をしている。
「おい、じじい。マジでリアムを外出させていいのかよ?箱入りの大事な坊ちゃんだろうが?」
武蔵はうやうやしくお辞儀をするじいやを問い詰めた。じいやは頭を上げ、蓄えた顎鬚を一撫でしてから答える。
「ええ、構いません。坊ちゃんは今まで、どんな占い師の方にも心を開きませんでした…。旦那様から外出を禁じられ、同い年の御学友すら一人もおりません。奥様を亡くされてからはますます内向的になり、‟死にたい”と口癖のようにおっしゃっていました…」
「アイツが…」
「‟自分が死ぬ日”を知るために占い師を雇ってからは、食事もろくに召し上がらなかったほどです。そんな坊ちゃまが、あんなに生き生きと笑って、外を歩いておられる…。坊ちゃまが桜を見たいと思っているのは、恐らく本当です。無くなった母君と、春先の気候がいい日に一度だけ、外出したことがあったのです…。きっと坊ちゃまはもう一度、花見をしたいのでしょうな……」
「……チッ。んな話されちゃ、断るに断れねえだろうが、阿呆!」
じいやは武蔵を見て微笑むと「リアム坊ちゃまをよろしくお願いします」、と頭を垂れた。
「早く行こうよ、ムサシー!」
武蔵は、じいやに「心配すんな」と一言残し、癖っ毛の後ろ頭をくしゃりとかき上げてリアムの元へ駆け寄っていった。
* * *
「山の麓まで行きたい。隣村まで行くんなら、ちょっくら乗せてくれねえか?金ならツケで払う(親父が)」
「これはこれは、武蔵様……!」
都の南門に向かった一行は、隣村への貨物を運ぶ荷馬車に同道を交渉することにした。
幸いにも、武蔵は名のある行商一家のドラ息子だ。交渉の場では、顔の広さは武器になる。今回ばかりは武蔵の七光りに敬意と感謝を示すしかないだろう。後でおいしい林檎とお茶を奢ってあげようと、凛はこっそり思った。
「ごほっ!こほっ、……はあ……」
「大丈夫、リアム?」
病を患った体での久方ぶりの外出。リアムの体力の消耗は激しかった。屈みこんで苦しそうに咽ぶリアムのシャツの背中を、凛は何度も優しく摩る。
次第にリアムの咳は治まり、深呼吸を繰り返す内に呼吸は落ち着いていった。
「リン、ありがとう。……優しいね」
「い、いいえ。それより平気?荷馬車に乗っても、まだ麓まで時間がかかりますよ?」
「おい。後ろに乗せてくれるってよ。麓で降ろしてくれるそうだ」
凛とリアムが話している間に、武蔵の交渉も済んだ模様だ。
「行く。ボクは、もう一度、あの桜をこの目でみたい」
「リアム……」
凛に肩を支えられて立ち上がったリアムだが、顔は土色で足取りも心もとない。
――‟桜が見たい”というリアムの願いに寄り添うべく、凛はそのか細い呼吸を聴きながら、前を見て歩き続けたのだった。
今回、一行が荷物と同乗するのは二頭の馬が引く一般的なキャリッジである。
この荷馬車は茜音の都から支給物資(貧しい村々に定期的に食材や医薬品の類を配給)を運ぶため、毎週木の曜日と火の曜日に南門から出立する。
馬主の許可を得た武蔵が一番手で乗り込むと、馬車内からリアムの腕を引いて、引っ張りあげてくれた。
「ほら、凛もつかまれ」
「あ、ありがとうございます」
リアムに続いて、凛も引き上げてもらう。片腕一本で軽々持ち上げてしまうのだから、男性の腕力は自分と比較にならないと凛は感じた。武蔵の大きくて厚みのある掌は、凛がほんの子供の頃から変わっていなかった。
掴まれて抱き上げられた時、どこか紀一の手の温もりを思い出して凛は不思議な安堵を覚えた。
「おら、よっと……!ん?どうした、変なツラして」
「いえ、なんでもないです…!」
武蔵と父親を重ね合わせてしまった自分が気恥ずかしく、凛は慌ててぶんぶんと首を振り、武蔵から視線を背けた。
「お前、ちっと重くなったんじゃねえの?」
「なっ、仕方ないじゃないですか…!私だって、もう子供じゃないんですから!」
仄かに赤く染まった頬を隠しながら、凛はリアムの隣に体育座りで腰を下ろした。
運搬用の荷馬車は木箱や樽が詰まれているため空きスペースがほとんどなく、内側はかなり窮屈だ。
「武蔵さん、どうしてわたしの隣に座るんですか?」
「阿呆、他にどこに座るんだよ!お前もっと詰めろ!」
「リアムがつぶれちゃうじゃないですか」
「お前が抱きかかえてやりゃいいだろうが!」
「なっ、…そんなこと出来ないですよ!武蔵さんこそ図体と態度が大きいんですから、抱っこしてあげればいいじゃないですか!」
「ぶっ?ドアホっ、何でオレが男を抱き締めなきゃなんねーんだよッ!つか、おい。態度がデケェとはなんだ!」
「ふふ」
武蔵と凛の小競り合いを見つめながら、リアムは時折声を出して笑った。リアムにとって、荷馬車から見える田園風景や暖かな太陽の光……目に映るすべてが新鮮で、心躍る経験だった。
「なんだよ。楽しそうだな、リアム」
武蔵が意地悪くリアムを冷かすと、リアムは唇を尖らせて「いいでしょ、別に」と子どもっぽく答えた。
帽子から覗く金髪は午後の日差しに照らされ、リアムの表情をより輝かせていた。
ガタゴト揺れる荷馬車内で、武蔵に袴の裾を踏まれて憤慨したり、リアムに抱きつかれたりと、凛は心穏やかな時間を過ごした。本来すべての人々が穏やかな時間を共有し、日々憂いなく過ごす資格があるはずなのに。
なぜ都は荒み、占いに依存する国になってしまったのだろう。未来への道を見失った人々に、今の自分ができる仕事をしたい――。
凛は決意を密かに固め、移り変わる景色を眺めていた。
馬車が出発して三十分ばかり経った頃。リアムは凛の肩に頭を預け、すやすや寝息を立て始めていた。
「熟睡だな。よくもまあ、こんな騒音の中で眠れるもんだ」
「それだけ、疲れていたんだと思います。でも、すごく嬉しそうだったので外出できて良かったです」
「オレは、余計な世話だと思うぜ。一度外に出ちまった後、またあの軟禁生活に戻るんだ。……コイツには酷なだけじゃねーか?」
「そんなこと、ないです。外の世界を知らないままより、知ったほうが……」
「知らなくていい幸せもあるんじゃねえの?」
武蔵は凛と顔を合わさず、ただじっと前方を見つめて言った。
未来記録士の凛としては、人々に未来の可能性を予報する使命から、「報せる」ことは善だと信じていた。
「知らなくていいこと……」
依頼主が望む以上、未来記録士は視えるすべてを記録符にする。けれど、視えた未来が残酷で非情な結末だとしても、人々は幸福でいられるのだろうか。
今こそ、紀一に「答え」を教えて欲しい。凛は、肩に載ったリアムの顔を見つめながら切実にそう願った。
* * *
「うわああああっ……!」
「な、なんだ!?」
凛と武蔵の間を静寂が包んでいた時。荷馬車内に一発の銃声音と、悲鳴が突如こだました。
先頭の馬主の二人の内一人が被弾し、荷馬車から投げ出されて地面にごろんと転げ落ちていった。
――発砲音が凛たちの耳に届いた時は既に、銃弾は馬主に命中していたのだ。
「リン、ムサシ……どうしたの……?」
突然の発砲音に目覚めたリアムをぎゅっと抱き寄せると、凛はその場に蹲まった。
緊急事態に殺気立った武蔵が刀の柄に手をかけた状態で、もう一人の馬主に歩み寄っていく。
「ぞ、賊が……。正面から青藍の牛車が……急に撃って来て……」
「何?」
襲撃でパニックに陥った馬主が思い切り手綱を引いたため、馬は高く嘶きながら右方向へカーブし、暴走を始めた。
「きゃあっ」
衝撃で馬車から箱が地面に転がり落ち、先ほどまでと比較にならない横揺れで凛とリアムは身を打ち付けられられる。
「お前ら、そこで大人しくしてろ!」
「武蔵さん!?」
武蔵は単身荷馬車を飛び降りると、外へ飛び出していった。
「リン……外にいるの、ダレ?ムサシは……?」
リアムに不安げに問いかけられた凛本人も、事態を一切飲み込めていなかった。荷馬車の前方に見えるのは、隣国・青藍の国旗を掲げた豪奢な牛車が一台。
現在、茜音と青藍は決して友好的な関係ではなく、些細な出来事が引き金になって再び戦が勃発する可能性はある。が、一時休戦状態にもかかわらず、物資運搬の荷馬車を襲撃するのは常識では考えられない。
「てめえ……!何しやがったか、わかってんのか……?」
怒り心頭の武蔵は、眼前の牛車から降りてきた青藍の刺客と真っ向から対峙していた。しかし、相手方は動じる様子も見せず、淡々とした口調で述べる。
「その荷馬車に乗せているものを、此方へ預からせてもらおうか」
「……は?」
悪びれる素振りの無い相手に憤慨した武蔵は、腰の鞘から刀を抜いた。
『紅鶺鴒丸』――武蔵愛用の日ノ本刀だ。
刃長約六十センチ、茜音では標準的な打ち刀だが、武蔵は「コイツは直刀で扱い憎い」と評していた。用心棒として小金稼ぎをしていた経歴を持つ武蔵は、茜音ではそれなりの腕を持つ剣客の一人だ。
(刀じゃ、銃と対等には戦えない)
凛は武蔵の力量を信じているが、西洋の『拳銃』の恐ろしさを身を持って知っていた。
凛の故郷の農村はかつて青藍の侵略を受けた際、銃弾で多くの村人が命を落としている。凛は幸い無事だったものの、目前で銃弾に成す術なく撃ち倒される村人を、ただ見ている事しかできなかった。
武蔵と対峙する青藍の男は、薄灰色のスーツを纏い、腰に二重に巻いた皮製のベルトを装着していた。インゴット製の黒光りする重厚なブーツを履き、防具の胸当てと手甲を装備している。
いずれも茜音の都では見かけない造形だ。青藍は茜音より遥かに早いスピードで西洋化が進行しているようだ。次の戦の準備を進めているのかもしれない。リアムを抱きしめる凛の腕は、先ほどから震えが止まらなかった。
「はっ。荷馬車の積荷が目的か?つまらねえ腹下し止めの薬や、米俵が欲しいってのかよ?」
低い声音で男に食って掛かる武蔵だが、
「……そこに、乗っているであろう。花加 紀一の一人娘が」
次の瞬間、どくりと凛の鼓動が跳ねた。
そもそも運搬用の馬車に凛が乗っていると外から判断できる筈はない。元々武蔵と顔なじみの馬主二人は情報を漏らしていないし、実際目的地までは後数キロという距離まで迫っていた。
もし、凛が街道を荷馬車で通ると知った上で待ちぶせていたのなら、相手は十中八九『呪術師』だろう。
(馬車を襲ったのは、私が理由…!?)
既に馬主の一人は落命している。緊急事態に陥った原因が自分と知り、凛の心臓は早鐘を打っていた。
「大人しく花加の娘を差し出せ。さすれば、貴様にも他の人間にも手出しはしない」
「ふざけんなッ、既に一人殺ってるじゃねえか!…てめえなんかに米俵一俵だって差し出してたまるか、クソ野郎!!」
「武蔵さん――……だめですっ」
凛の眼に、銃口を武蔵に向けた男と、敵を切り捨てるべく紺の羽織をはためかせて駆けて行く武蔵が映った。
「リン!」
自分のせいで武蔵が死んでしまうかもしれない。最悪の想像が頭をよぎった時、凛はリアムを腕から解放し、荷馬車から飛び降りていた。
下駄は転がり落ち、軽く足首も捻ったがそんなことに構っていられない。
――止めなければ。
恐怖で目の前が滲む。凛は自分の情けなさを押し殺して、武蔵の背中に必死に駆け寄って行った。今この瞬間ほど武蔵の未来を視たくないと願ったことはない。
「はちきんなのもええが、こういう時は、黙って男を見守るもんぜよ」
「きゃっ?」
足を引きずりながら懸命に進む凛だったが、不意に腕をつかまれ後方に引っ張られた。
「おまえさんはそこで大人しゅうして、よお見とき」
振り返った凛の視界に、桧皮色の長髪が靡いていた。風のように颯爽と登場した真剣は、呆ける凛を置き去りに戦場へ突っ込んでいく。
怒涛の急展開の連続で、凛は腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「てめえ、真剣!?」
混乱しているのは凛だけでなく、武蔵も同じだ。銃弾の一発を身を捩って回避すると、素早く飛び退いて刺客と距離を空ける。さらに、唐突に参上した真剣へ警戒を解かずに向き直った。
「何で、てめえがこんな所にいるんだよ!」
「こんまいことは気にしな。助太刀するぜよ」
「はあ!?」
「っ、貴方……何故、邪魔をなさるのです!?」
武蔵の隣に立つ真剣 新助を見た青藍の刺客は、態度を豹変させた。先ほどの威勢の良さは何処へやら、銃を持つ手がカタカタ震えている。敵も味方も、真剣の登場によってかき乱されていた。
「お役目をお忘れですか!?」
青藍の刺客は、上ずった声で真剣に叫ぶ。状況が分からない武蔵と凛は、成り行きを見守るしかなかった。
「すまんの。わしにはわしの、『未来図』があるんやき」
真剣は胸元から拳銃を取り出し、狙いを刺客の眉間に定める。
「うっ、うわああああッ……」
銃口を向けられ取り乱した刺客は絶叫し、震える指先で引き金を引いた。
「――ウルセエよ、寝てろ阿呆が」
刹那、銃弾の軌道を見極めた武蔵が抜刀。居合の構えから、正確な一刀を放った。刺客の脇腹を抉る一刀は急所を避けたものの、一撃で自由を奪う深手を与えた。刺客が膝から崩れ落ちると、真剣の回転式拳銃の弾丸が連射される。
「ぐ……ぁ」
くぐもったうめき声の後、刺客は糸が切れたように地面に倒れて動かなくなった。洋装を突き破って空いた銃痕と脇腹の切傷から、鮮血が滴り落ちている。
「……なんで殺したんだよ、真剣。てめえは何の目的でここへきた?」
武蔵の一刀は命まで絶つ意図はなかったが、真剣は初めから刺客を始末するつもりだった様子だ。
「言うた通りじゃ。わしにはわしの、やりたいことがあるんでな。そのついでにおまえさん等を助けた。それだけぜよ」
「武蔵さん」
挫いた足を庇いながら、凛は二人へゆっくり近づいていく。
「ド阿呆ッ!まだ出てくんじゃねえ!!」
「おう。いとさん…」
「真剣、凛には近づくなよ!」
真剣は、凛と初めて都で逢った時のように、屈託の無い笑みを浮かべていた。
(この人は、人間の命を平然と奪える人なんだ…)
凛は、真剣の足元で息絶えた刺客と真剣とを交互に見つめた後、かたかた震える唇を懸命に動かして言葉を紡いだ。
「真剣さん。あなたの未来が見えないことや、私に関わろうとすることには…一体、どんな理由があるんですか…?」
真剣の長髪が、夕暮れの風になびく。西に沈む陽光は、その影を街道の砂利道に色濃く伸ばしていた。
「丸くとも、一かどあれや人心、あまりまろきは ころびやすきぞ」
「は?」
「いとさんは、素直なええ女子じゃき。いつかそれが仇にならんよう、わしは祈っておるぜよ」
「待てつってんだろぉが、クソ野郎ッ!」
武蔵は、二人の元に駆け寄ったが、しかし。
「去ぬるぜよ。ご免」
「チッ…」
リボルバーの銃口が、容赦なく武蔵へ突きつけられた。今回は初対面の時と違って、脅迫でも冗談でもない。
――追及すれば、躊躇いなく撃つ。
真剣の殺気を感じ取った武蔵は、それ以上の追跡を断念するしかなかった。
「夜桜見物とは、まっこと風流やき」
真剣は詠うような一言を残して、街道から消えていった。
「リン、ムサシ……」
荷馬車で待機していたリアムは、無事に戻った凛と武蔵を見るなり泣き出してしまった。
(結局、‟余計なお世話”だったのかもしれない。武蔵さんの言ったとおりだった…)
リアムを危険な目に遭わせた後悔で、凛の胸はいっぱいだった。
「ごめんね。ごめんなさい…リアム」
青い瞳から零れる大粒の涙を自分の着物の裾で拭いながら、凛自身も泣き出したくなる衝動をぐっと堪えた。
「幸い馬は無事だぜ。馬主もその…一人は無傷だったからな。……行くか、山の麓に」
「武蔵さん…」
「お前も、足怪我してるだろ。桜見る前に村で手当てしろ。どの道、今からじゃ都に引き返す方が時間がかかっちまう」
「そう、ですね」
普段はちゃらんぽらんな武蔵だが、緊急事態には心強くて必要以上に優しい。頭をぽんぽん叩く武蔵の掌の重さが、今ほど身に染みたことはない。凛はリアムを抱き締めながら、声を殺して泣いていた。
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