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第四話 未来より大切なもの
山の麓へ向かうその道中に、物資の支給先の貧しい農村があった。
馬主の話によると村には名前がなく、村人は自給自足で暮らしている。
殆どが畑作と牧畜(乳牛を飼育できるのはごく僅かの村人で、大半は養鶏をしている)で、生計を立てているらしい。
しかも、国内の若者は徴兵制度によって都に招集されて、施設で訓練を受けている。今は戦時中でないとはいえ、いつ諍いが起きてもおかしく無い状況だ。村落に残っているのは、子供や戦力にならない女性、老人のみだった。働き盛りの男衆を失った村人は、週二回の食料配給がなければ生活がままならない。
「おいおい、こりゃ……」
「酷い……」
荷馬車を降りた凛たち一行を待ち受けていたものは、貧困に喘ぐ人々の悲痛な声だった。
「馬車だ……はやく食料をくれ!」
「みんな、配給が来たわよ!!」
荷馬車が村落に入るや否や、藁葺き屋根の家々から続々と村人が飛び出してくる。
「この子が熱を出してしまったんです、薬、薬をお願いします……!」
「あっ、待ってください、今お渡ししますから」
荷馬車から降りた凛の袴に、やせ細った女性が縋り付いてきた。身に纏う着物は継ぎ接ぎの箇所が目立ち、繰り返し補修された年代ものだ。丸まった背中には赤ん坊を背負っている。
「お前ら、落ち着けって!…今積荷を下ろしてっから!順番だ、並べ!」
村人たちの食いつきように、あの武蔵ですら困惑している。
一方の馬主は、無言のまま積荷を淡々と下ろしていた。
「凛、軽いモンなら持てるか?手伝ってくれ」
「はい、私にもやらせてください」
一通り村人を整列させた後、凛と武蔵は配給の手伝いを始めた。
リアムは二人の背中に隠れて周囲を窺っていたが、驚いて目を丸くしていた。都貴族として裕福な生活を送るリアムにとって、貧しい村落を見たのは初めてだろう。
「いくら武蔵様の頼みでも、それはできません」
「頼むよ!ちょっくら、山まで冬桜の木を見に行くだけだからさ。すぐ帰ってくるから、その間だけココで待っててくれねぇか?」
「仕事は終わったんですから、私はもうこんな村には居たくないんですよ。同僚も悲惨な目に遭って…。この件は、城に報告しなくてはなりませんし…」
凛たちが積み荷に紛れて辺境の村にやってきたのは、凛の依頼主であるリアムの願いを叶えるためだ。
思い出の冬桜を眺めて、リアムにもう一度、生きる素晴らしさを知ってもらいたい。そして〝死ぬ日〟を待つだけの生活はやめ、未来に向かって生きて欲しい。
『人々の未来を照らす灯台』になることが未来記録士としての使命だと凛は信じていた。
「リアム……」
リアムは蒼い顔をしたまま、ぎゅっと凛の着物の袖を握りしめていた。
光沢あるリアムの革靴の足元に、骨と皮だけになった鶏が数羽集まってきた。家畜まで物乞いしなければならないほど、貧困が進行している。
「ああ、ごめんよ…。ボク、食べ物持っていないんだ」
リアムは凛の着物から手を離し、痩せた鶏の群れを潤んだ瞳で見下ろしていた。
「お金ならあるのに。なにもしてあげられない…」
半ズボンのポケットから五百圓金貨を取り出し、震える手で握りしめるリアム。凛は、リアムの手首をそっと掴んで開こうとした。
「リアム、そんなに手を強く握ったら爪が……」
「ボクは、お金で買えるものは全部じいやに買ってもらえた。本も、玩具も、お菓子も全部…」
「うん」
凛が優しく呼んでも、リアムは握りしめた手を解かなかった。硬く握られた手の皮膚が白く変色している。
「お金がこんなに意味のないモノだったなんて、ちっとも知らなかった。お金じゃないんだ。この人達に必要なモノは……」
「……リアム」
爪跡が浮き彫りになったリアムの手のひらは、傍から見ていても痛々しい。
「なんだよ。通夜の最中みてえな、しんきくせえツラして」
「あ、武蔵さん」
「移動の件なら心配すんな、俺が話つけたぜ」
結局、武蔵は荷馬車の馬主を一端都へと帰還させると決めた。事件の顛末はいずれ報告しなくてはならない。
青藍の牛車に襲撃された騒ぎと、真剣 新助が男を殺めた事実は、到底隠蔽できる事件ではない。
なんとか武蔵が金で話をつけて、翌日の正午に空の荷馬車が迎えに来る手筈になっているらしい。
* * *
凛たちは村の空き家に、今夜一泊する許可を得た。
「ほら、食え。凛」
「ここの方たちの食料を頂くなんて出来ないです。皆さん困っているのに」
「阿呆が。これは、支給物資の積荷ん中から拝借したんだ。安心しろ、村人からは奪ってねえよ」
(それって、この村の人に配るべき食料だった気がするけど……)
武蔵に正論を述べたところで無駄だろうと、凛は心の中で突っ込みを入れた。
空き家の片隅で壁に背をくっつけて体育座りする凛の隣に、武蔵は胡坐をかいて座った。
武蔵が凛に差し出した〝パン〟は、最近茜音で米の代用品として流行っている穀物だ。小麦やライ麦でこねた生地を発酵させて焼き上げた食品だ。表面の薄皮はこんがり焼け目があり、バターの匂いが食欲をそそる。
凛は普段ほどんどパンを食べないが、茜音の貴族たちや若者の間では軽食の定番になっている。
「腹減ってるだろ、食え。明日の朝には山の麓へ行くんだろうが。お前が腹空かしてぶっ倒れたら、意味ねえぞ」
「はい……ありがとうございます」
今日は朝食にオニギリと林檎を一かけら食べただけだった。空腹を感じていないといえば嘘になる。深刻な状況の中でも鳴る腹の虫に複雑な想いになりながら、凛は大人しく武蔵からパンを受け取った。
「おいしい、…です」
一口パンをかじると凛の目頭は熱を帯び、じんわり視界が滲み始めた。
「ホントかよ。今にも泣きそうなツラしやがって」
「……うっ」
凛の目線の先に、床の藁敷きの上でボロ布一枚を被って熟睡するリアムがいた。
突然の襲撃と、貧困の村の現実に直面したリアム。精神的疲労は相当だろう。 睡眠中も、時々苦しそうに咳き込む事があった。
凛が優しく背を撫でてやると咳は鎮まり、またスヤスヤと寝息を立てた。
「武蔵さん。私のせいでこんな…」
「下らねえ謝罪ならいらねえぞ」
「でも!」
二つ目のパンを食べ終えた武蔵は、自分の指先を一舐めしてから凛に向き直った。
「私が乗っていたから、馬主さんはあんなことになって…。武蔵さんもリアムも、一歩間違えばどうなっていたか分かりません」
パンを握りしめる指が震えるのを感じて、凛は唇をきゅっと噛み締める。
「はっ。あんな阿呆の下っ端に、オレが殺れるかってんだよ」
「でも、拳銃だったんですよ。武蔵さんは強いですけど…。それでも、心臓を撃ち貫かれたら終わりです」
洋装の青藍の刺客は、西洋から輸入された新式拳銃を持っていた。
おまけに、凛の父親の紀一を知っており、荷馬車を襲撃してきたのだ。目的のために、罪のない馬主を射殺することも辞さない相手だ。
さらに、謎の言葉を残して去った賞金首の真剣 新助も凛は気がかりだった。
「青藍がなんでお前狙ってるかは知らねえし、興味ねえ。ただ、一つ言える事は紀一さんは十中八九、青藍と因縁があるんだろうよ。もしかしたら、戦中に敵の兵に捕虜として捕まって、そっちに居たこともあんのかもな」
「そんな……」
「戦の最中じゃよくある話だぜ。命欲しさに敵国に寝返る奴もごまんといる。つっても、あの三年前の戦で勝ったのは茜音だがな」
「父が寝返るなんて考えられません。父は、都に徴集される日に言っていました。〝僕は茜音の国民として、必ずこの国を正しい未来に導く。国の灯台になるために僕は行く〟……って」
武蔵は凛の小さな声を聴きながら、無言のまま人差し指で頬へと触れてきた。
「武蔵さ……ん?」
凛が小さく身じろぐと、真剣な眼差しの武蔵が視界一面に映った。
(あの時の表情だ)
命がけで、青藍の刺客と相対していた時――凛とリアムを守るために、真剣新助に食ってかかった時の武蔵だった。
「紀一さんには、未来が視えている」
「え?」
「けどよ。…その力は、お前とは違うんじゃねえか」
「どういう意味ですか?」
「あの人はすげえ男だ。オレは占いなんざ信じねえけど、紀一さんには昔、救われた事がある。……オレは紀一さんに恩を返すためにお前を守るって約束してんだよ」
武蔵の指は凛の頬を離れる際、頬を伝う涙の水滴を拭った。凛ははじめて、自分が泣いていることに気が付いた。
「もしも自分の未来が視えたら、お前はどうすると思う?」
「えっ?」
「何に使いたいと思う?」
凛には自分の運命の気が視えない。未来記録士として働きたいと思っているが、自分の未来を知りたいと感じたことはなかった。
「わかりません。それに、父も〝未来記録士は自分の未来が視えないものだ〟って言っていました」
「どんな技巧にも、禁じられた手法ってのはあるんじゃねえのか。剣の技だってそうだぜ。…もし、紀一さんがお前にも教えていない力が存在するとしたら?」
「…そんなはず…!」
凛は、胸の中の不安を押し殺して武蔵を見つめ返した。
記録士に必要な生年月日や経歴などの基本情報、趣味嗜好に至るまで、凛は武蔵をある程度理解しているつもりでいた。
――それなのに、今の武蔵は初めて会う知らない男のように凛には映った。
「武蔵さん、どうして急にそんなこと言い出すんですか?」
「俺は自分の未来なんて知りたいとは思わねえ。生きるも死ぬも自分で決めてっからだ。呪術師とか未来記録士とか、能力を持って生まれちまったばっかりに、型にハマるしか出来ねえ人間が行き着くところは一緒だってことだ」
「え?」
「今の紀一さんは茜音の未来のためじゃなく、自分の目的を果たすために動いてるんじゃねえかって、オレは勘ぐってる」
「自分の目的……?」
「ああ。そうでなけりゃ、生きてることを娘のお前に連絡するはずだろうが」
「…父が、自分の為だけに未来記録士の力を使っているって言うんですか?」
心から尊敬し、憧れ、いつか父のような立派な未来記録士になり、国や人々の〝灯台〟になると誓った凛にとって、父が私利私欲で力を使うことは受け入れがたい話だった。
「全部俺の推測だ。本気にすんな、阿呆」
「なっ?」
だが、神妙になった凛の額を小突き、武蔵は茶化すように意地悪く笑った。
先ほどまでと打って変わって、いつも通りのちゃらんぽらんな武蔵だ。
「ちいせえ頭悩ませてる暇あったら、紀一さんとっ捕まえて本人に聞きな。お前はお前のやりたい様にやったらいいさ」
「……武蔵さん」
本心が読めない時もあるが、凛より五個年上の武蔵は頼りになる存在だった。武蔵と会話する内に少し前向きさを取り戻した凛は、硬くなったパンをもう一口かじった。
「おいしいです」
「そうか。そりゃよかったな」
武蔵は顔は背け、ぶっきらぼうな口調で一言答えた。
* * *
「リン!リン、起きて!」
「う、うーん……」
翌朝。地べたに寝そべっていた凛は、板と藁の間で寝返りを打ちながら、浅い眠りをうとうと繰り返していた。凛を真っ先に起こしたのはリアムだ。
「リアム。随分早起きですね…?」
皺になった袴を伸ばしながら、凛はリアムに挨拶を返す。リアムは一晩睡眠を摂って調子が戻ってきたようだ。
「ボク、随分早く目が覚めちゃって、ちょっと村の中を散歩していたんだ。そうしたらいいものを見つけたんだ。一緒に見に行こうよ」
「いいもの?」
「うん」
明るく笑うリアムのボブショートの金髪が目にまぶしい。凛は瞼を擦ってから、着物の襟元を正して立ち上がった。
「ムサシはどうする?」
「もう少し、寝かせておいてあげましょう」
武蔵は壁にもたれて座ったままの状態で眠っていた。頭を垂れて、愛刀も壁に立てかけたままだ。
非常事態に備えて見張っていてくれたと分かり、凛は武蔵を起こす気になれなかった。
「そうだね。じゃあ、二人で行こう」
凛とリアムは、連れ立って家の外に出た。
「これは……」
リアムの案内で村はずれまで来た凛は、眼前に聳える枯れ朽ちた一本の木を見て足を止めた。
幹は痩せ、地面に折れた枝が何本も落ちている。木の根元には純白の花びらが降り積もって白い絨毯ができていた。
「冬桜の木ですね!」
「そうだよ!ほら、あの上の枝を見て、リン」
リアムは、人差し指で上方を指した。凛が顔を持ち上げてみると、一輪の薄桃色の花が咲いている。まだ枯れ落ちていない、冬桜の花だった。淑やかな花びらが、朝日を浴びてきらきら輝いている。
「もう一度外に出られたら、見たいと思っていたんだ。ボクの茜音での大切な思い出の花…!」
「リアム…」
(ああ、この光景だったんだ)
凛が心眼の中で見た、やさしくて可憐な冬桜のイメージ――リアムの未来を視た時に映った光景は、やはり幻ではなかった。
「リンはすごいよ。ボクの願いを叶えてくれて、ありがとう」
「私こそ、リアムに辛い思いをさせてしまってごめんなさい…」
風に煽られる冬桜の一輪は、頼りなく揺れている。まだ落ちないで。せめて今日だけは。凛は心中で祈りつつ、リアムと向き合っていた。
「ボクはここに来たおかげで、大切な事を知った。生きていることがどんなにすごいのか、初めてわかった」
屋敷に引きこもって、早く病気から楽になりたいと思っていた自分を変えることが出来たんだよ、とリアムは力強い口調で語った。凛はリアムの笑顔にほっと心が温かくなる。しかし、その瞬間だった。
「ごほっ、こほっ!」
「リアム!?」
激しく咽び出すリアムの肩を、凛はそっと抱き寄せた。リアムは立っていることができず、その場にしゃがみこんでしまう。顔を俯けたリアムは、地面に向かって何度も激しく咳き込んでいた。
「リアム……血が……!」
リアムの革靴とはなびらの絨毯に、点々と血液が飛び散っていた。
「しっかりして……」
「リン。ボクはもう、死ぬ日なんて知りたくないんだ。ボクは、ボクの未来を、生きている未来を知りたいと思う」
呼吸の合間に、リアムの乾いた唇の端から一筋の血が伝った。ただ寄り添うしかできないなんて。凛は悔しさで心臓が潰される思いだった。
「リン。今度は、ボクの未来を教えてくれない?」
「どんな…?」
「ボクは、将来、医者になろうと思うんだ……。ボクのように死を待つしかない子供たちを救ってあげるために」
凛は、震える手のひらを握りしめて神経を研ぎ澄ました。
リアムの願い――その未来を予報することが未来記録士の仕事。
なのに、それがこれほど辛いことだったなんて。
『知らなくていい幸せも、あるんじゃねえの?』
荷馬車の中で武蔵が呟いた言葉が、凛の頭をぐるぐる回る。
心眼を開き、リアムを通して流れ込んでくる気流を真っすぐに視た。
「リアムは、立派なお医者様になります。どんな病からも人々を救ってあげられるような、茜音一の名医になります」
「ホント…!?嬉しいな。リン、ありがとう!」
リアムは、凛の言葉を聴き、心から幸せそうに笑った。白い頬に血の気が戻り、瞳には強い光が宿っている。
(お父さん。私は未来記録士、失格ですね)
凛は、自分の正しさを貫くために、リアムの未来を希望の言葉で書き換える道を選んだ。
(必ず、お父さんを探し出さないと。武蔵さんの言うとおり、自分の目的の為に行動しているのかどうか訊かなくちゃ…)
紀一が茜音の都と青藍の間で何を見たのか知るために。そして、未来記録士の意味を見つけるためにも。
凛は、寂れた家々が朝日に照らされる光景を眺めながら、自分の目で真実を探し出すと誓った。
握り締めたリアムの手のぬくもりと、彼に告げた未来が叶う日を祈って――。
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