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第五話 予感
一行は、武蔵の指示通り午前に到着した馬車で帰省する事になった。
リアムの体調を考慮すれば、山道を歩かせる訳にはいかない。幸いにも冬桜の一輪を村で見つけられたので充分満足できた様子だった。
(あんなに血を吐くなんて、リアム……)
荷馬車で街道を引き返していく最中、リアムは名残惜しそうに景色を眺めていた。金のボブショートヘアが秋風でさらさらと靡いている。
凛がリアムの横顔を見つめていると、リアムは小さな声でぽつぽつと語り出した。
「ボクのお母さんは、都のホリョだったらしいよ」
「え?」
「お母さんがお父さんに出会ったのは、捕まった牢の中だったんだって」
リアムの口から告げられた予想外の言葉に凛は面食らった。一方、隣で胡坐をかいていた武蔵は、顔色一つ変えずに補足する。
「昔っから、異民族っつーのはそういう扱いだ。茜音でも戦中、あっちこっちの小国や島国の異民族をとっ捕まえて、奴隷として働かせたんだ。戦に使ったり、物資の運搬係にしたりな」
それは、凛も把握していた都の実態だった。都の歓楽街には、異民族を売り物扱いする遊郭や見世物小屋が存在している。
「うん。ボクのお母さんは、ホリョとして役人のお父さんに出会ったんだ」
「よかったじゃねえか、リアム。今、お前がここで生きてんのは、お前のお袋さんが美人だったおかげだぜ」
「武蔵さん!なんてデリカシーのないことを…」
あまりに軽率な武蔵の発言に、凛は抗議しようとする。
「リン、いいんだ」
「でも、リアム……」
「ムサシの言う通りだよ。お父さんがお母さんを助けてくれたから、ボクはここにいる。お母さんが居たころはお父さんも優しくて、三人で出掛けたこともあったんだ」
リアムは、気丈にも微笑みを浮かべて続げた。凛はリアムの話に静かに耳を傾ける。
「お母さんは病気で屋敷に籠りがちだったけど〝気分転換も大切〟って言って、お父さんに内緒でボクを外に連れて行ってくれたんだ。春の暖かい頃で、ちょうど桜が咲いていた。都の手前の、街道沿い一面に」
「そうだったんだ……」
「三年前の戦で、この辺りも焼け野原になったからなぁ」
武蔵は詰まらなそうに流れ行く風景を見つめて答えた。
「〝また見に行こうね〟って約束したんだけど…その前に、お母さんは天国へ旅立ってしまった。だから、ボクの願いを叶えてくれたリンとムサシには本当に感謝しているよ」
――街道の景色は都に近づくにつれ、のどかな田園風景へ変化する。なだらかな丘陵に田畑が広がり、牛飼いの姿がぽつぽつ現れた。
木々は生えているが、桜並木は存在しない。ガタゴト響く騒音と腰が痛くなるほど揺れる荷馬車の中で、凛はリアムの笑顔を胸に焼き付けていた。
「お約束の、給金でございます」
玄関先で三人の帰宅を出迎えた爺やは、凛に給与袋を差し出してきた。封筒の厚みからして依頼内容通り一万圓札が三十枚入っているようだ。
「じいやさん。そんな大金を頂く事は出来ません」
凛はきっぱりと言い切り、封筒をじいやに押し返した。
「はぁっ!?阿呆っ!てめえは、何を寝ぼけたこと言ってやがんだ!?」
すると、袋をつき返されたじいやより凛の行動を隣で見ていた武蔵のほうが素っ頓狂な声を上げた。凛の両肩をがっしり掴み、力任せに揺すってくる。
「や、やめてください、武蔵さん!目が回ります…!?」
「紀一さんを探しに行きてえんだろうが!国家公認呪術師試験はどうする!?受験料だってあるんだぞ!?」
「そっ、それは承知の上です!でも、三十万圓分の仕事をしたとはどうしても思えないんです…!」
凛はなんとか武蔵へ弁明を述べようと必死になる。
二人が揉める姿を生暖かく見守るじいやだったが、リアムから視線で合図を送られると、ごほんと咳払いして口を開いた。
「ごふぉっ。あなた様方は坊ちゃまの願いを叶えてくださったのですから、きちんとお礼を差し上げなくてはなりませぬ。しかし、凛様は私めからの給金は受け取れぬとおっしゃるようだ。……ならば、今回の依頼料は、リアム坊ちゃまから直接お渡しすると致しましょう」
「え?」
「は?」
その言葉に、凛と武蔵が二人そろってぴたりと起動停止した。
「リン、ついでにムサシ。本当にありがとう。これを受け取ってほしい」
「おい、ガキ!」
おまけ扱いされて怒鳴る武蔵を他所に、リアムはシャツの首元のボタンを一つ外した。
リアムがシャツの下に身につけていたのは、黄金のアンティーク・ネックレスだ。首からネックレスを外したリアムは凛の前に立ち、にっこり微笑む。
「リアム?」
「リンにあげる。ボクからのお礼だから、ちゃんと持って帰ってね」
「そんな。こんな上等なものを」
リアムはひょいとつま先立ちをして凛を覗き込むと、金のネックレスを凛の首へかけてくれた。
「ほら、とってもリンに似合ってる」
純金製チェーンの飾りに、金剛石で装飾された繊細な花模様が美しい。これほど高価なアクセサリーを身につけたのは凛も初めてだった。
「それ、お母さんの形見なんだ」
「ええっ!?そんな貴重な品、頂くわけにはいきません!」
「阿保ッ、受け取っておけ!そいつは下手すりゃ、五十万圓はくだらない――……」
「武蔵さん、何言ってるんですかっ!?無神経もいい加減にしてくださいっ」
リアムの母の形見を受け取ることは出来ない。凛にとって金額は問題ではなかった。
「それ女性用のアクセサリーなんだ。ボクが持っていてもおかしいでしょ?」
「でも!」
「ボクがそのネックレスを見たくなった時は、リンが遊びに来てくれればいいんだ。そうすれば、ボクはいつでもお母さんに会えるんだから」
「リアム…」
「リアムとじじいの気持ちじゃねえか…。素直に受け取ってやるのが筋ってモンだろ」
「武蔵さん。さっきは五十万圓とか言ってたくせに」
武蔵の調子の良さに呆れながら、凛はそっと金のネックレスに触れてみた。しっとりした感触と厳かな重厚感がある。
――リアムのネックレスに恥じないように。いつも首から提げて、心の〝道しるべ〟にしよう。凛は固く心に誓ったのだった。
「リーン」
「きゃあっ?」
屋敷を後にした凛の背中に抱きついてきたのはリアムだった。
「おーい!置いてくぞー!」
前を歩く武蔵に隠れ、リアムは凛にくっついたまま耳打ちする。
「リンへのお礼に、ボクも取っておきの予言をプレゼントするね。リンは絶対に、都一番の未来記録士になる。ボクは、そう信じてる」
「リアム……」
早口で告げると、リアムはすっとリンから身を離した。金の髪の毛が、夕日に淡く照らされる。その光があまりに綺麗で、凛は自然と胸が締め付けられた。
「ばいばい、リン。また会おうね!」
「はい、また…!」
涙を堪えてリアムに手を振り返した凛の胸元には、リアムから託された金の首飾りがキラキラと光っていた。
「で、これからどうするよ?文無し」
再びボロ借家に戻った凛だったが、早急に新たな仕事を探さなければならなくなった。本来なら獲得しているはずの給金がリアムのネックレスに変わったので、一圓も手元に無い状態なのだ。このままでは紀一を探すどころか、今月の家賃の支払いが危うい。
「っとに、その首飾りさえ売っぱらえば今頃はだなぁ……」
「武蔵さんっ」
デリカシーの無さには定評のある武蔵だが、冗談でも言って良い事と悪い事がある。凛は怒りのハタキを武蔵の頭に振り下ろした。
「イテッ!?つか、汚ねーッ!オレ様の美しい髪の毛が埃まみれになっちまうだろうが、アホッ!!」
「その天然パーマのどこが美しいんです!?」
「なんだとおっ?てめえ、人が気にしてることを!」
リアムのさらさら金髪ストレートを見て御覧なさい!と叫びたい心境の凛だったが、流石に武蔵が不憫だったので黙っておいた。
武蔵は頭に被った埃を手で払い、凛を睨みながら本題を切り出す。
「マジな話。金を集めんなら、リアムんトコみてえな貴族連中を片っ端から視てやりゃいい。お前は紀一さん探す旅に出たいんだろうが?ナリフリ構ってたら、いつまで経ってもココから出られねえぞ」
「そうですね…」
ハタキを畳に置いて正座した凛は、腿の上で手のひらをぎゅっと握りしめた。
――たしかに、退屈しのぎで未来を知りたがり、占いを趣味として楽しむ貴族はごまんといる。ターゲットに記録符を記して未来を予報してやれば良いだけだ。しかし、凛は遊び半分で記録符を書くのは嫌だった。
紀一が貧しい人々を無料で救っていたように「自分が納得できる仕事」を目指したかった。
「っとに、クソ意固地な女だな。分かったよ。納得できる仕事だけ受けりゃいいじゃねえか。一般市民だって一万、二万くらいなら払う阿呆もいることだしな」
「武蔵さん、ごめんなさい…。でも、面白半分で未来を視たがる人じゃなくて、本当に困っている人を救うために力を使いたいんです」
「仕事斡旋する方の身になれよなぁ…」
面倒くさそうに頭をかきむしる武蔵だが、どうやら凛に協力してくれるようだ。
「ありがとうございます」
凛は素直に感謝の意を述べた。
「で、お前は次の仕事見つかるまでどうする気だ?」
「私……真剣 新助さんを探そうと思ってます」
「…は?」
「都で一度、あの人に会ってるんです。まだ都に居るかもしれません」
「へ?」
「さっそく都の人達に、聞き込み調査してきます!」
「ちょ、お前……ッ?」
なにやらおかしな方向に舵を切った凛を見て、弁達者の武蔵も舌が回らないようだ。勇んで立ち上がる凛に腕を伸ばすものの、胡坐の体勢を崩して前に倒れ込んだ。
「武蔵さんはお仕事の紹介の方、宜しくお願いしますっ!」
「こらこらこらぁー!人の話聞けってんだ、こんのアホぉー!」
取り乱す武蔵を置き去りに、凛は襖を開け放ち玄関へ飛び出していった。
「待てッつってんだろが!」
武蔵が慌てて後を追うと、玄関にそろえてあった赤い鼻緒の下駄は既に無くなっていた。
「あいつ、いくらなんでも猪突猛進すぎんだろが!そりゃ、あの荷馬車の一件とリアムの事はショックだったんだろうけどよ…」
――心優しく円満な人柄はいいが、その中には毅然としたものはなければならない。そうでなければ、この時代を生き抜いてはいけない。
「〝丸くとも 一かどあれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ〟か…。けっ、言うじゃねえか。あの阿呆賞金首めが…」
武蔵は気だるそうに前髪をかき上げ、草履に足をとおして玄関を出て行った。
* * *
「桧皮色の長髪で、黒い着物の男だって?さあ、知らないなあ」
「そんなハイカラな男が居たら、誰だってすぐ気付くよ」
「……そう、ですよね」
凛は市の行商人を中心に、真剣の聞き込み調査を行っていた。が、誰に聞いても「そんな男は見たことはない」と答えるだけだ。
(市場が一番人通りが多いところだから、情報も集まると思ったのに…)
買い物客や行商人の賑々しい雰囲気に気圧されながらあちこち奔走したものの、真剣の有力情報は一つも得られなかった。唯一の希望が途絶え、凛の心が折れそうになったその時だ。
「そこの、桃色の着物のお嬢さん」
小道にしゃがんで休憩中の凛に、見知らぬ男が声をかけて来た。
「はい?」
「小耳にはさんだんだけどさ。人を探しているんだって?」
「はい。もしかして、何かご存じでしょうか?」
「ああ。実は、数日前に市場の外れでそれっぽい男を見かけてさー」
凛の正面に立った男は、馴れ馴れしい口調で語りはじめた。髪は色素が抜け落ちて白に近い金髪。身に纏っている着物の柄は寅柄で、裾には黄ばんだシミが目立った。傍に寄られると酒の香が漂い、凛は思わず顔を背ける。
「付いておいでよ、案内してやるからさぁ」
男慣れしていない凛でも、この手の絡み方をしてくる相手は善良な市民でないと分かる。男の笑い方は下品で、口元から覗いた前歯は一本欠けていた。
「いえ、大丈夫です。一人で探しますので…」
「そんな事言わないでさあー」
誘いを拒絶した凛は、砂利道を立ち上がった。が、立ち去ろうと男の横を通り過ぎた時、着物の裾をぐいっと引っ張られる。
「ちょっと、ちょっと!折角教えてあげるって言ってんだからさぁ、そんなに急いで逃げなくてもいいでショ?」
「っ、離して下さい……!」
男は凛の腕を力任せに引き寄せると、ニタァと笑って顔を近付けてくる。
(誰か……!)
値踏みするような視線は、珍しい見世物を観察するような下卑たものだった。凛は嫌悪が湧き上がり、全身に鳥肌がたった。
(武蔵さん…)
一人で何とかしようと息巻いて飛び出しておきながら、結局は武蔵を呼んでしまう自分の無力さが憎らしい。
(……一人では、自分の身さえ守れないなんて)
未来記録士の肩書きは、命の取り合いになれば武器にならない。凛が後悔の念に苛まれていると、男は更に力を込めて凛の腕を引っ張り上げた。
「ほら、いい子で付いてきなって」
「痛っ」
――このままでは、本当にこの男に連れ去られてしまう。両足を踏ん張り、全力で抵抗するものの男の拘束は解けない。
「ちッ、大人しくしろって言ってんだよ!」
それどころか、苛立ちを募らせた男の拳が凛へ振り下ろされた。
「!」
――殴られる。凛が瞼を閉じて衝撃に備えた時。
「ぐアッ……!?」
「え?」
凛の腕から不意に掌が離れ、低いうめき声を吐いた男は砂利の上へ倒れ込んだ。凛の視線は、男の背後に立つ人物に釘付けになる。
「また会えたのう。いとさん」
「真剣、さん……!?」
まさか、ずっと探していた本人がこんな絶妙なタイミングで現れるなんて、予想だにしていなかった。
トレードマークの長髪に、漆黒の着物と灰色の袴、足元は皮製のブーツ――茜音の都で真剣ほど風変わりな人物には中々お目にかかれない。
「ここで会うのもまた縁か。ほれともこれこそ、運命か」
「あの……?」
「ちっくら、わしと都見物でもせんか?」
真剣は、至って気楽な口調で誘いをかけてくる。降って湧いたチャンスを前にして、凛は逡巡した。真剣 新助を探していたのは事実だし、紀一に繋がる手がかりは欲しい。が、真剣は謎が多い懸賞金付きのお尋ね者だ。ついて行けば、事件に巻き込まれる可能性もある。
「なぜ、あなたは私を助けてくれたんですか?……今もそうだし、あの荷馬車の時だって…」
計ったかのような登場で、男の軟派から凛を救った真剣。さらに、凛一行が山の麓を目指して街道を通ることを予期していた青藍の牛車。
(この人、全部知ってたの…?)
一歩一歩、真剣が石を踏みしめる靴音が響き、凛に警笛を鳴らしているかのようだった。
「……真剣さん」
「わしに、聞きたい事があるやお?」
真剣は凛の正面に身を屈め、自分の右手を凛へと差し出した。
――言葉にしなくても、真剣の無言のアプローチは凛に伝わっている。凛は着物の下につけているリアムのネックレスに手を当てて、大きく息を吸い込んでから言った。
「…それなら、教えて下さい。真剣さんには、どんな未来が視えているんですか?」
「わしの未来、か…」
凛の真摯な問いに対し、真剣はさも愉快気に声を上げて笑った。
「逢引は、もっと上手にやりよらんといかんちや。ほんなら、教えてやるけ。……行こう、凛さん」
「えっ?ま、待って下さい。私、ついて行くなんてまだ……!」
「はっはっはっ!」
「一人で笑っていないで、待ってくださいってば!」
凛の抵抗を一切無視し、真剣は凛の手を取って歩き出してしまった。
あれよあれよと砂利の小道を抜けていく数秒が、凛には酷く長く感じられた。
真剣の手は、思っていたよりもずっと暖かく、やさしかった。
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