第六話 逢引(前編)

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第六話 逢引(前編)

 ――なぜ、こんなことになったのだろう。  凛にはさっぱり分からなかった。 真剣(まつるぎ)は〝逢引〟などと軽口を叩いて凛を市から連れ出した後は無言。彼がどこを目指しているかは、凛には見当もつかない。  大通りの喧騒の中を闊歩する真剣は、とても懸賞金のかかったお尋ね物には見えなかった。周囲の人々が真剣に気づいている素振りもない。 ただ、男性にしては珍しい長髪と皮製のブーツの取り合わせに注目する者がいる程度だった。 「あの、真剣さんって賞金首なんじゃ…」 「しーっ。それは、ゆうてはいけないお約束っちゅうヤツぜよ」 「え?」 「役人や賞金稼ぎなんぞは、未だにわしを目の敵にしちゅう。そういう輩に知られたら面倒やお?」 「はあ…?」  真剣は三年前の桜藤山(おうとうざん)の戦で、自軍を置いて逃亡した脱走兵の一人だと凛は聞いていた。  ちなみに真剣は、都に貼り出されているお触書の似顔絵とは似ても似つかない。 「ああ、そうじゃった。茜音(あかね)ではわしのことは〝裏通りの助(うらどおりのすけ)〟とでも呼んでくれ」 「ええっ?どうしてです?」 「はっはっは!ほがな顔しやーせき。ただの偽名ぜよ」 「どうせなら、もっと呼びやすい偽名でお願いします。……もしかして、真剣新助(まつるぎしんすけ)も偽名なんですか?」  凛の問いかけに、真剣は答えなかった。その代わり、繋いだ手に力をこめると、悪戯っぽく瞳を細めた。  彼の笑顔を見た凛は『本当の名前は誰も知らないんだろうな』と、深いため息を吐くのだった。 * * * 「真剣さん」 「凛さん。わしは、裏通りの助ぜよ」 「裏通りの助さん」 「どうした?」 「……ここって」  凛が真剣に同行した場所は、大通りから一本道を外れた路地。正しく『裏通り』にあたる、歓楽街地区だった。 「法令では、歓楽街には十八歳未満の未成年は入ってはいけないんですよ」  表通りと明らかに雰囲気が違う、【成人男性御用達】の歓楽街は、遊郭や賭博場は勿論出合茶屋(であいちゃや)も軒を連ねている。十六歳の凛は、大人の遊び場に足を踏み入れたのは初めてだ。  出合茶屋は一見風情ある料亭の外観だが、男女が密会する場所として利用される。 「逢引の醍醐味ちゅうもんじゃの!」 「こんないかがわしいお店に入るなんて、ぜったいっ!!駄目です!!」  凛は、命の危険とは違う意味で身の危険を感じた。出合茶屋に歩き出す真剣の手の甲を、思いっきり抓って抵抗する。 「あいひゃーーーーー!?」  肉を引き千切らんばかりのえげつない攻撃を受けた真剣は、悲鳴を上げて立ち止まった。凛は真剣の手を振り払う。 「私は、真剣さんに父の話を訊くためについてきたんです!」 「まっこと、つれない娘やき…」  いくら真剣がおふざけ半分だったとしても、笑って許せる問題ではない。 真っ赤になった手をふーふーしつつ、真剣は凛に向き直った。 「紀一のことを知りたいんなら、まず都全体を見ておかなければいかん。凛さん、こっから何が見えるか?」 「え?何がって……?」  凛は、真剣の言葉どおり素直に周囲を見回してみた。 賑やかな客引きの声と、遊郭から出てくる男女の睦言。艶やかな着物を纏った太夫がふかす煙管の煙に、おしろいのむせ返るような甘い匂い。眺めているだけでくらくらして、頭が痛くなりそうだ。 「……あれは…」  ――その時、凛の眼の前を派手な男女二人組が通り過ぎた。 男は羽織りを纏わず着流し姿で腰に刀を差し、連れの女の肩を親しげに抱いている。  相手の女は、リアムと同じ異民族だった。金の髪を束ね、頭の高い位置で一本に結わえている。深紅の着物の胸元は大きく開いており、扇情的で妖艶なムードが漂っていた。道行く男衆が女を無意識に目で追うのが凛にも分かる。  異民族の女と客の男は寄り添いながら、遊郭の中へと消えていった。 「あれは、異民族の娘らがつかまっとる遊郭ぜよ」 「……捕まってる?」 「茜音では、異民族が暮らしていける場所は他にゃ無い。男は奴隷になり各地方に売られたが、女子供は此処へ連れてこられて、歓楽街の中で生活しちゅうよ」 「そんな。じゃあ、彼女たちは一生ここで働いて、暮らしていくしかないんですか?」  凛の脳裏に、リアムの言葉が浮かんだ。 『お母さんとお父さんは、牢の中で出会った』と。 「自分の行きたいところにも行けず、やりたい仕事にもつけず、死ぬまで、ですか…?」 「そうじゃ。凛さんは、それでも彼女たちの未来を視る必要があると思うかね?」  真剣の的確な指摘に対し、凛はとっさに返す言葉が出てこなかった。 未来記録士(レコーディスト)の仕事は、未来を覆せない人達にとってみれば何の価値も無いかもしれない。  明日も明後日も、その先も。不変の未来だけが待ち構えているのだとしたら……人は未来を渇望するはずがないから。 「国の未来をまっこと変えるには、中身を変えないといかんちや」 「…そう、ですね」 「紀一は、それをよう知っちょったはずやが……」 「え?」  凛が首を傾げていると、真剣は二ッと笑って再び歩き出した。 「ほんなら、次の場所へ行こうか」 「ちょ……っ、次ってまだあるんですか?裏通りの助さん!?」  凛は半ば真剣に引っ張られながら、小走りで後をついていく。 (それにしても〝裏通りの助〟って長い名前だなぁ…) 「はっはっは。助さんでもええよ」 不満たらたらの凛の思考回路は、真剣にはお見通しだったようだ。 「こっ、…恋仲でもない男性を、名で呼ぶなんて出来ません!」 一方の真剣は「今日は逢引やき、ええんじゃ」と笑うだけ。 (やっぱり、変な人…)  繋いだ手が次第に汗ばんでくると、凛は気恥ずかしさに目を伏せて真剣の背中を追い駆けるのだった。 * * * 「裏通りの助さん、ここって…!」 「そう。占い横丁ぜよ」  凛が真剣に連れて行かれた場所は、茜音でおなじみのあの〝占い横丁〟だ。一帯に軒を連ねる全ての店は、占い屋か(まじな)い屋で統一されている。占い横丁は、連日占いを求める町人や貴族で賑わっていた。 「私、ここは好きじゃないんです」 「ほう。何故?おんしも〝国家公認呪術師(こっかこうにんじゅじゅつし)〟にとして国に認められ、自分の店を出すつもりやないかね?」 「…それは…っ」  確かに、都で生計を立てるには仕事が必要だ。未来記録士(レコーディスト)も例外ではない。反論の言葉が出ず、凛は思わず足を止めた。 「おっと、失礼」 「ひゃっ?」  …が、人波に押し出された凛は、真剣の背中に顔をぶつけてしまった。 (あれ…?この香り、前にも嗅いだことあったような…?)  真剣の(こう)の香りは、凛の記憶に残る懐かしい匂いだった。しかし、凛は自分で香を炊く習慣はなく、武蔵の香とも違う。…一体、どこで嗅いだんだろう。 「大胆やきー。おんしがその気ならわしも……」 「…っ!?」  凛が記憶をサルベージしていると、上機嫌の真剣が凛に抱きついて来た。 背中に妙齢の娘がぴったりくっついた状況で、助平スイッチが発動した模様。 「きゃーっ!?ちがいますっ!私は好きでくっついてるんじゃありませんっ!」  凛は全体重をかけ、真剣のブーツのつま先を踏みつけた。…無論、容赦なく下駄の踵で。 「ぐはっ…!?」 「もうっ!こんな場所で油を売るつもりなら、私は帰ります!」 「やれやれ…。まっこと、はちきんじゃのー…」  皮ブーツとはいえ、悪意を持った攻撃(つま先一点集中)はさすがの真剣も堪えたらしい。ぶーぶー文句を言いながら、凛を腕から解放した。 目じりには薄っすら涙を浮かべ、叱られた後の子供みたいに凛を睨んでいる。 「そんな顔しても、セクハラは許さないですから」 「おんし、嫁の貰い手が無くなるがでよ」 「なっ…!?」  その一言で、凛の頬にかぁっと血が昇った。 周囲からひそひそ囁く声や、茶化すような笑い声が聞こえる。野次馬たちに痴話喧嘩だと勘違いされているようだ。 「あははは!あんたら、新婚かい?オレが相性占いでもしてやろうかぁ~?」 「結構です!」  その上、露天の占い師にまで冷かされる始末だ。凛に声をかけた占い師は地べたに風呂敷を敷き、その上に数珠玉や算木、方位盤などの占い道具を並べていた。非公認で店を出しているのは一目瞭然だ。 「ああいうインチキがいっぱい居るから、占い横丁は嫌なんです!」  凛は、非公認占い師に対しては当然のこと〝新婚〟発言に対しても憤慨していた。 「はっはっはっ。心配せんでも、嫁にならわしが貰ってやるぜよ」 「そういうことじゃありません、結構です!」  調子よく肩を抱こうとする真剣を跳ね除けると、凛は再び彼のブーツのつま先を踏んでやった。 「ごふっ!?おんし、またぶっちゅうところにっ?」  真剣はブーツのつま先を手でつかみ、その場に崩れ落ちる。 「真剣さ――裏通りの助さんは、どうして私を連れてきたんですか?」 「あたたた…。あぁ、助さんでええゆうたちや。…凛さんは、占いと記録符(レコード)の違いはなんだと思うかや?」 「な、なんですか、急に?」 「良いから、答えや」  突然の詰問に凛はたじろぐが、占い師と未来記録士の違いは凛本人が一番よく心得ていることだった。 「占いは、結果が必ず的中するわけじゃないんです。生年月日、血液型、手相、人相……どの方法であっても、その人に起こる未来を断言しません。でも、未来記録士(レコーディスト)は……」 「その人間の〝運命の気〟を目で視て、未来の〝確率〟を予報する、ちゅうことやお?」 「…そうです」  対象の未来をビジョンで視て記録し、札に残す特殊な能力。 真剣は未来記録士と占い師の違いを、初めから理解している様子だった。 それもそのはず。そもそも凛に「未来を記録してくれ」と頼んできたのは真剣だったのだから。  真剣は紀一とも面識がある。紀一から未来記録士の話を聞いていてもおかしくない。 「でも、真剣さんの運命の気は視えなかった…」  ――凛が真剣を視たあの時。たった一瞬、紅い火花が散る光景が凛の脳裏に浮かんだだけだった。 (真剣さんには運命の気がない…?そんな話、お父さんからも聞いてないのに…)  凛は真剣の顔を見据え、瞼を閉じて――〝心眼〟を開く準備をした。 「止めちょき。多分まだ、おまえさんではいかんぜよ」 「え?」 「一度目と、同じようになる」  しかし、真剣は凛が心眼を開く前にきっぱりと宣言する。 「それはどういう…?きゃっ?」  驚く凛の手首をつかむと、真剣は占い横丁をすたすたと突っ切り始めた。 「今度はどこへ行く気ですっ?」 人ごみにもみくちゃにされつつ凛が真剣について行くと、通りすがりに強面の男連中の会話が聞こえた。 「あの占い師、また外したんだって?」 「ああ。アイツはとんだ詐欺師だよ。アイツの言うとおり丁に賭けたのにさあー。大損だ」 「ははっ。賭博に占いなんて通じねエンだよ!未来のサイコロの面なんざ分かるわけがねえ」 「くそっ」  賭け事や、悪事、その他の犯罪に未来記録士の力を悪用する者が現れたら。依頼者が、犯罪行為に手を染めようとしたら。 (お父さん…、私は一体どうすればいいんですか…?) ――紀一は『迷える人達の灯台になれ』と、凛によく言っていた。そして、自分は国の未来を導くために、都へ出立するのだと。 心眼を持つ正当な未来記録士は花加(はなか)一族と、青藍(せいらん)に移り住んだ一文字(いちもんじ)家の一族のみ。紀一が凛に語った情報は、ただそれだけだ。 「凛さん」 「へ?」 「……どうした?」  物思いに耽る凛に気づいた真剣は足を止め、凛の顔をじぃっと覗き込む。 「な、なんでもないです!」  真剣に間近で観察されると、凛は器用に首だけカメの様にひっこめて(後ずさりならぬ)顔ずさりした。 「おんし、器用じゃのー」  桧皮色(ひわだいろ)の前髪が風にそよぎ、真剣は双眸を細めて笑う。彼の微笑みは無邪気そのもので、凛の心臓が小さく跳ねた。 「ええ子じゃ。逢引の最後に、ちっくと来て欲しい場所があるぜよ」 「……」  凛の頭に手を置いた真剣は、前髪を指先でそっと梳く。 「こっちじゃ」  凛は、動揺を悟られないよう自分の足元を見つめながら、真剣の後ろをゆっくりと付いていった。
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