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第九話 続・三人一組
夜の茜音の都は大通りですら人っ子一人通りかからず、静寂に包み込まれていた。
所狭しと並ぶ出店や屋台の屋根の上には、夜の月明かりが落ちるのみ。
「都の夜は静かよの。歓楽街辺りは、まだ活気があるじゃろうが」
「そうですね…。でも、仕方ないかもしれません。最近、治安も悪くなってきていますから」
「戦争が始まるかも知れんちゅうて、皆ピリピリしとるぜよ。難儀なものよの」
茜音では戦時中は空き巣や放火魔、追いはぎの被害が頻発していた。
いつ戦が起きるか分からない物騒なご時勢。町人たちが夜中閉じこもって身を隠すのも無理のない話だった。
「武蔵がどこにおるか、凛さんは知っちゅうか?」
「はい。武蔵さんの家は、商店街の一番大きな武器屋さんで、西洋の銃もいくつか扱っているらしいです。私は武器に詳しくないので上手く説明できませんが…」
「ほうか。それでええんじゃ。おんしは武器を持って戦う必要はないがでよ。おんしには、おんしの戦い方がある」
「私には、私の戦い方が、ある…?」
「ああ」
「…そう、ですよね。青藍の牛車の件もあります。私のせいで馬主さんが命を落としたのも事実です。守られるだけじゃなくて、もっとしっかりしなくてはいけないですよね」
――真剣の空気に呑まれないよう、凛も自分の意志を一言一言、言葉にしていく。
「ええ決意じゃ。おんしなら出来るよ」
初めこそ、足手まといの自分を真剣が激励しているのだと思ったが、彼の微笑みを見ている内に、本当にそうなれるような気が凛はしたのだった。
* * *
「秋都!聞いてるのかい?秋都!」
「あーっ!やかましいッ、聞こえてるってーの!」
「親に向かって何ていう口の利き方だい!?そんな息子に育てた覚えは無いよ!」
凛と真剣が武蔵の家族が営む武器屋・【武蔵堂】へ向かっている最中、そんなことは露も知らない武蔵は居間でごろ寝して煎餅を齧っていた。
言わずもがな。武蔵が不貞腐れているのは真剣が原因だ。
おまけに凛がやたらに真剣の肩を持つ事実が、武蔵の怒りを煽る一因になっていた。
「なんだい。凛ちゃんと喧嘩でもしたのかい!?」
「ぶっ…!」
「汚いねえ!せんべいのかすを散らかすんじゃないよ!」
武蔵の母・晴枝は、息子がヘソを曲げている理由はお見通しのようだ。
台所から濡れ雑巾を持ち、武蔵に向かって投げつける。
腕っぷしの強い晴枝が投げた雑巾は、武蔵の天パー頭にダイレクト直撃した。
「きったねえのはお袋だろっ!?よりにもよって雑巾を投げんじゃねえ!」
武蔵は不機嫌顔で身を起こすと、髪の毛を何度も手でかきむしりながら怒鳴った。
「汚い男に汚いものをぶつけて、何が悪いんだい!?」
「おいおい、それが実の息子に言う台詞かよ!?オレは汚物か?汚泥か?粗大ゴミかっつーの!」
晴枝は「まったく馬鹿息子だよ、誰に似たんだろうね」と小言を漏らしつつ、畳に零れた煎餅のかけらを雑巾でふき取っていた。
親子喧嘩は武蔵家では日常茶飯事だ。夜中に大声で騒げば近所迷惑もいいところだが、役人である武蔵の父を恐れている町人たちは、表立って苦情を言うことができない。
「何があったか知らないけどねえ…。帰ってくるなり襖を蹴破られたり、売りもんの壺を割られたんじゃコッチはたまったもんじゃないよ!」
「ウルセエ。あんな安っぽい贋作壺が、なんだってんだ!」
白い漆喰の壁に加え、入り口の千本格子の引き戸は高級材木の紫檀製。
風格ある和瓦屋根に掲げられているのは老舗らしい趣ある看板だ。
――都一の武器屋と言っても過言ではない【武蔵堂】の堂々たる風貌を前にすれば、誰もが店内はさぞ威風堂々しているだろうと想像する。
しかし、その実体は…、
「待ちなー!秋都ー!」
「げェッ?こんのクソババア、木刀を振り回すんじゃねーよ!そっちがその気なら、オレは刀抜くぞ!」
「まっこと、賑やかやのう!」
「いえ、賑やかというか、これは……」
凛と真剣が武蔵堂の前にたどり着いた時には、店内で母VS息子の戦の真っ只中だった。
ドタバタと室内を駆け回る足音が店先にまで響いている。
「やめろ!俺の脳天かち割る気かーッ?」
聴こえてくる罵声の嵐に、凛は引き戸を開けるのを躊躇してしまった。
「ふッざけんな!あの阿呆鬼ばばが……っ?」
「ひゃあ!?」
すると、立ち止まった凛の眼前で引き戸が勢いよく開かれる。
玄関から飛び出してきた武蔵は、凛と正面衝突してしまった。
「はぁ?……凛……?」
「……痛いです……武蔵さん……」
凛の顔面が武蔵の胸板に激突。
鼻の頭が擦り減りそうな激痛の後、凛の目頭に涙が滲んだ。
武蔵は胸元の凛の頭を押さえると、表情を強張らせた。…凛の後ろに控えている真剣を見つけたからだ。
「こんな夜更けに何しに来たよ?危ねえだろうが。…ああ、もっと危ねえ犯罪者を護衛にしてるんだから、これ以上の危険はねえけどな」
「武蔵さん……待って!」
今の武蔵はとりつく島もない。武蔵の冷たい態度と言葉に、凛は心が折れそうになるのを感じた。
手のひらをきつく握りしめ、なんとか彼を呼び止めようと声を張り上げる。
「あのっ!」
が、騒ぎを聞きつけて表に出て来た晴枝が三人の輪へ入り込んできた。
「その声は…凛ちゃんかい!?それと、後ろの殿方はどちらさん?いい男だねえ…。秋都、紹介しておくれよ」
旦那の朝帰りに辟易している晴枝は、年若い男には激しく食いつく。着物の胸元をただし、膨らんだ頬を桃色に染めながら余所行きの笑顔を浮かべた。
「だーッ!お袋は出てくんなっ、話がややこしくなるだろぉが!?……凛、ちょっとこい!」
「えっ?ちょ、武蔵さん……?」
武蔵は、棒立ちしている凛の腕を掴んで夜の街を歩き出した。
対する真剣はというと、二人の後ろをやや遅れて距離を保ちつつ、のらりくらりと付いて来る。
「あの野郎…ッ」
「武蔵さん。どこへ行くんですか?」
「お前の家だ!オレの店に真剣なんざ入れられるか、お袋がうっさくて仕方ねえ!…ったく、御丁寧にあんなの引き連れてきやがって!だいたい、あいつさえ居なけりゃオレだってもっと早くだな……」
凛の手を引っ張り早足で進む武蔵の表情は、夜の暗がりでは判断できなかった。が、手のひらに籠った力が、武蔵の苛立ちと焦燥を如実に物語っている。
「悪ィ。さっきは言いすぎた」
「あ、いいえ。私こそごめんなさい。真剣さんのことを武蔵さんに相談もせず、勝手に決めてしまって…」
「別に。お前のやりたい様にやれって言ったのはオレだからな。…ただ、真剣の野郎だけはどうにも信用できねえんだよ」
武蔵は背後は振り返らず、その場につと立ち止まる。
驚いて前につんのめりそうになった凛を、武蔵は腕の中に受けとめた。二人が制止した途端、後ろの真剣の足もぴたりと止まる。
「あいつは十中八九、青藍とも関係がある」
「あの牛車の件、ですね…」
リアムを連れて冬桜を目指す道中、凛たち一行は隣国・青藍の牛車と街道沿いで鉢合わせた。
牛車から降りた刺客は凛を狙っており、真剣は彼らと面識がある様だった。――あの事態に直面すれば、真剣に疑念を持つのは当然だろう。
「元脱走兵の上に、青藍と繋がってるかも知れねえんだぞ。そんな得体の知れねえ男を護衛にできるか?…命を預けられんのか?」
「それは…。私、父の呪を解きたいと思っていて…」
「そんなもん、真剣が紀一さんに直接解かせりゃいいだろうが。お前がやる必要はねえ」
「……」
「凛。お前、呪とかうんぬん抜きにして、本当はどう思ってる?」
「わたし、は…」
真剣を護衛にする、本当の理由。
凛は、必死に武蔵が納得する答えを探していた。
――確かに、紀一が真剣に施した呪は気になる。未来記録士にしか解けないのなら協力したい。それに、真剣が護衛になるのは凛にとって悪い話ではない。…しかし、それらは全て建前のような気がしていた。
凛は一瞬、横目だけで後方の真剣をみた。目が合った刹那、真剣は丸い瞳を細めて柔和に微笑む。
(真剣さんは、私が選ぶ答えを知っているんだ…)
視線で真剣の真意を感じた時、凛の心中で結論がぽっと浮かび上がった。
「武蔵さん。私、本当は見てみたいのかもしれません」
「は?なにを?」
「真剣さんの描く未来図です。真剣さんに父が関わっているからって理由もありますけど…。純粋に、二つの国が争うことのない平穏な世界を見てみたいんです」
これが、凛の偽らざる本心だ。彼女にとって真剣を信じることは、紀一を信じることに直結していたのだ。
「父の願いも、真剣さんと同じなんです。…だって、父は平和な国を照らす灯台になるために、都に召集されて行ったんですから…」
一方、凛の真剣な想いを聞いた武蔵は、あんぐり口を開けて凛を見つめていた。
…信じられない阿呆がいやがる。武蔵は顔面全体で、言葉より雄弁に心情を語っていた。
「阿呆か。争いの無い世界なんてそれこそ夢物語だぜ。敵さんのほうはやる気満々みてえだしよ」
「それでも……自分の目的の為にも、私は真剣さんを信じてみようって思いました。ごめんなさい。武蔵さんが心配してくれてるのは、本当に感謝しているんです」
「はッ?だ、誰がお前を心配なんぞした?!寝言は寝てから言え!」
「えっ?すみません……!」
「ちっ。わーったよ、好きにしやがれ!オレ様はオレ様で好きにさせてもらうからな。おい、真剣!いい加減その薄気味わりいストーキングを止めやがれ!」
ぼりぼり頭をかきむしった武蔵は、半ばやけくそに真剣を呼びつける。
「ほう、話はすんだようじゃの」
「阿呆がッ!てめえのせいでゆっくり話なんぞできてねえんだよ!言っとくが、一応オレも紀一さんには借りがある。てめえが凛に悪さしねえように監督させてもらうぜ」
「はっはっはっ。安心せえ。昼夜問わずしっかと寄り添って、凛さんを護衛するがで」
「それが悪いって言ってんだよッ、クソ野郎!大体てめーの家はどこだ!?とっとと家帰って歯ぁ磨いてクソして永遠に寝てろ!!くたばれッ!」
「はっはっは。ゆうたちや?わしは何処にも縛られやーせん、とな」
「真剣さん、もしかして家がないんですか?」
――護衛になったのは、雇い主の家に「護衛」という名目を掲げて居候するつもりでは……。凛は、疑いをこめた眼差しで真剣を睨む。
「ええ考えがあるゆうたろ?家を借りるにも、わしは文無しじゃ。それに、凛さんも資金に集めにめえっちゅう。秋都に相談したかったのはそれぜよ」
「てめえに秋都と呼ばれる筋合いはねえッ。なんで名前で呼ぶ!?馴れ馴れしい上に気色が悪ぃ!」
「そういえば、お金なら心配要らないって真剣さんは言っていましたけど、どうするんですか?」
凛を挟む形で小競り合いを始める真剣と武蔵を阻み、凛は会話に強引に割り込んだ。
「二人とも、毎月城門前広場で行われとる武術大会に出てみいひんか?」
「……?」
「はぁ?」
凛は、真剣の言葉の意味が分からず(凛は武術に疎いせいもあり、都でそんな大会がある事は知らなかった)ポカンとした表情を浮かべ、対する武蔵は眉を逆八の字に曲げて表情を強張らせた。
「優勝者は、帝から賞金を賜れるぜよ」
「はっ!何を言い出すかと思えばド阿呆が!ありゃ完全に平和ボケした帝の、タチの悪い娯楽じゃねえか。自分の城の兵隊を自慢してえだけのクソ祭だ!参加者が優勝した事なんてありゃしねえ。クソ八百長もいい話だぜ」
「いんや、優勝出来る。おんしの剣の腕と、凛さんの心眼さえ有ればの」
「え?」
「三人一組の団体戦じゃ。人数も丁度いい」
「あの。それって、まさか……」
嫌な予感がして凛が聞き返すと、武蔵も眼球が落ちそうなほどに目を見開いていた。
「真剣てめえ…今なんつった?オレのことはこの際どうでもいいが、三人…?」
「わしと秋都と凛さんの三人で参加するぜよ」
「ええええええっ?」
「はあーーーーっ?」
「ほれ見い。息もピッタリじゃ」
凛と武蔵が武蔵堂での騒音以上に近所迷惑な絶叫を上げたのは、言うまでも無かった。
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