茉莉花の毒と別れ

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茉莉花の毒と別れ

 翌朝、陽の宿泊しているホテルのロビーで都は再び陽と顔を合わせていた。 「ごめん、無理言って。でもどうしても……陽にひとこと言いたくって」 「うん、メールで言ってたけど、なに?」  大型のソファに浅く腰かけながら首を傾げる陽に、都は対面で身を乗り出した。 「引っ越した時の理由……お母さんから聞いた。私、あの時何も知らなくて。なのに自分ばっかり泣いて、陽に無理させて、本当ごめん」 「……わざわざ、そんな昔のこと?」 「そりゃ時間的には前のことだけど、私は昨日知ったばっかりだから。あの時、陽の方がずっと辛くて大変だったのに、最後まで私のこと慰めて励ましてくれて……ありがとう」  そう言って、都は足元に置いていた紙袋を手渡した。受け取った陽が中をのぞくと、何か包装された品と一緒に白と黄色のジャスミンが入っていた。 「これ……」 「お隣に事情を話して分けてもらった。黄色い方はちょっと迷ったけど、陽なら私より詳しいし大丈夫だと思って。切り花だからそんなに持たないだろうけど、お家に飾って」 「……どうして」 「え?」 「どうして、持ってきちゃうかなあ」  ぽつりと呟いた陽は、髪をかき上げながら薄暗い眼差しで都を見返した。 「……陽?」 「うちの家族は、元々壊れてた。急にああなった訳じゃない……元から歪だった」  一旦そこで言葉を切ると、「馬鹿な女の話をしようか」と前置きして再び陽は話し出した。  陽の母親が父親と結婚したばかりの時、大学の時好きだった先輩に偶然再会した。思い出や酒の勢い、その場の状況も重なって、二人はその日のうちに体を重ねた。互いに家庭があるにも拘わらず、幾度か関係を続けるうち、男の方の奥さんに子供ができて、急に現実に立ち戻ったのか最初から切り時を決めていたのかは分からないけれど、一方的に別れを告げられた。  母親は表面上は納得した体でそれきり連絡は絶ったが、男が妻と生まれたばかりの子供との幸福な生活に浸っていた頃――再び男の前に現れた。自分の家の隣に、夫と生まれたばかりの子供を連れて。 「先輩の名前は、片井洋一(かたいよういち)。昔からのあだ名は、名字と名前の読みを取って『たいよう』。私の名前は、『太陽』の陽の字からつけて(はる)。戸籍じゃなくて、セイブツガク的な方の父親から、お母さんが盗むようにもらった名前」  何故ここで自分の父親の名前が出てくるのか、都には理解できなかった。いや、正確には話の内容は大よそ分かっても、情報の処理が追いつかなかった。フリーズしている都を、陽は憐れむように眺めた。 「だから、昨日で最後にするつもりだったのに。都のお母さんはどうか知らないけど、都は何も知らなかった。この先も知らずに生きて行けた。何も伝えるつもりもなかった。だけど、これを持ってこられちゃ――」  やるせない言葉と目線の先に、茉莉花があった。  それが陽に何を伝えているのか、都には分からなかった。  袋から白い方の花束を取り出すと、陽は都の目の前に差し出した。 「こっちは、都にあげる。私には似合わない。私は黄色い茉莉花と同じ……生まれつき、毒がある」  ふっと微笑うと、小さくさよならと言って陽は都の前から去って行った。二度目の別れは、一度目の時とはまったく異なる感情を都に残した。 ***  あれから数日が経っていたが、都は母にも父にも陽の話は一切しなかった。  ただ父親に対しては、根底に根付いた嫌悪感がぬぐえず以前のように接することはできなくなった。母親は思春期には良くあることだと笑っていたが、それが本心なのかも都には真実が見えなかった。  都にとって全てが作りごとのような景色の中で、ただ隣家の茉莉花だけが今も昔も同じように鮮やかな色彩を放っていた。 (終)
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