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茉莉花の庭
カフェを出て電車に乗ると、都と陽は真っすぐ自宅へ向かった。都の家の手前が元々陽が住んでいた家で、売却した後も建て替えることなくそのまま人の良い夫婦が住んでいる。子供はいないが、一件家に住んだら犬を飼うのが夢だったのだそうで、当初から人懐こくて大人しいラブラドール・レトリバーを室内で大事に飼っている。
陽が歩を止めて柵越しに中を覗き、庭の木々も昔のままであることに驚いていた。
「変わってない……昔のままだ」
「お隣さん、大事に住んでくれてるからね」
まるで自分の手柄のように胸を張ると、都は遠慮がちに訊ねた。
「庭、入って見せてもらう?」
「ううん、いいよ。ここからで十分。茉莉花も綺麗に咲いて……」
感慨深げな声に引き寄せられるように、都も同じところに視線を注いだ。白と黄色の花弁が、相変わらず美しく咲いている。陽が引っ越してしまってからは通りすがりにしか見ることのなくなったそれを、久しぶりにじっくり眺めていると過去の記憶が不意に甦った。
『こっちのは触っちゃだめ、毒があるから』
陽が都の伸ばした指先を振り払ったのは、黄色い花に触れようとした時だった。そのことを思い出し、思わず興奮したように陽のタイトなジャケットを引っ張った。
「なに?」
「ねえ、黄色い茉莉花には毒があるの?」
「ああ、そんな話もしたっけ。良く覚えてたね。そうだよ、黄色い方はカロライナジャスミン。花にも葉にもすべて毒がある……猛毒と呼ぶほどではないにしろ、体内に入れば心不全を起こして亡くなる人もいる。世話をする時には気を付けないとね」
「そうなんだ。陽のお母さんは、それでも綺麗だから植えたの?」
何気ない問いに、陽は不思議な微笑を返してきた。
「どうかな? 一見同種のような綺麗な花でも、まるで種類が違う。日常の風景にも、気づかないうちに毒が潜んでいる――そんな皮肉を込めて、敢えて白と黄の対にしたのかもしれない。何せ私の、誕生祝いだからね」
「……陽?」
その声音に何だかぞくりとして思わず顔を見ると、陽ははっとしたように都に視線を戻した。
「ごめん、変なこと言った。私、そろそろホテルに帰らないと。これ、お母さんに渡して」
さっきのカフェで買った焼き菓子の詰め合わせが入った紙袋を、陽は都に差し出した。
「家、寄ってかないの?」
「ごめん、時間なくなっちゃった」
「でもすぐそこだよ? せめて顔だけでも……」
「ごめんね。本当に、時間なくて」
「……そっか」
わざわざホテルを取っている陽が、何故そこまで急ぐのかは不思議だったが、何となく引き留めてはいけないような気がして都はそれ以上食い下がることを諦めた。
「じゃあ、ここでさよなら?」
「うん。都も元気で」
最後にみーちゃんでなく名前で呼ぶと、肩を引き寄せて都の額に軽くキスした。その仕草があまりに自然だったので、都は思わず赤面した。
「わ、イケメンか……!」
「あはは。結婚できなくて、残念だったね」
花よりも可憐に笑って手を振ると、陽は元来た道を辿って帰って行った。
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