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半年後ー翌年、三月上旬。
彩夏は学年末テストが間近に迫っていた。
光橋の両親に顔合わせした後。
光橋に「どうしたら奥さんにふさわしくなれるか」と聞いたら、「とりあえず勉強しろ」と言われた。
彩夏は言われるがまま、勉強している。
学年末でもよい成績を取れるように、頑張っている最中だ。
これって新婚さんって言えるんやろか?
彩夏は光橋と一緒に暮らしていない。二人とも以前と同じ生活をしている。
成人を迎えるまでは別居婚ー
光橋に聞かされた時、彩夏は残念だったが、社長のスキャンダルになる事を考えれば仕方がなかった。
その後、光橋は欧米の製薬会社に四か月の長期出張になり、クリスマスもお正月も連絡を取り合うのみ。
ようやく翌年一月に帰ってきてからは、週に何度か、立夏と清人、彩夏の住むマンションを訪れている。
四人でゲームをしたり、映画を観て、夕飯を食べる。
四人でいるのは楽しい。立夏と清人の元で暮らすことに不満はない。
二月のバレンタインデーもちゃんと目の前でチョコを受け取ってもらえて、彩夏はすごく嬉しかった。
不満はやっぱり、ない。
それでも彩夏は時々、不安になる。
贅沢なんかも知れんけど、光橋さんと結婚する前となんら関係が変わっていない気がするんよな。
何より去年の夏からキスひとつしてないなんて、夫婦以前に恋人でもないような…。
「彩夏ちゃんなんでさっきから保険証見てるの?」
彩夏は自分の保険証を見つめている。
学校の中庭は、春日和の温かい気候で早咲き桜が咲いていた。
彩夏は早咲き桜が見えるベンチに座って伊月と話すのがお気に入りだった。
「眉間に皺寄ってるよ」
「皺も寄るよ。だってうちが結婚してるって実感するの。この保険証だけやもん」
光橋彩夏と書かれた保険証は、光橋の扶養に入っていることを示すもの。市役所で名義変更はしているが、持ち歩けるものは保険証のみ。彩夏はそれを生徒手帳に忍ばせていた。
「学校では彩夏ちゃんが光橋さんと結婚してるの。校長と私以外知らないし、名前は石橋彩夏のままだもんね」
「光橋製薬は今や海外進出も視野に入れて動き出してる会社や。未成年とスキャンダルなんてなったら、一大事。最悪、離婚しなあかん」
「光橋さんも彩夏ちゃんのこと考えて、今の状態になってるのがわかるから余計に辛いね」
「同居人の立夏さんにも言われた。年齢差は埋められん。でも光橋さんがうちを好きなんか時々不安になる。クリスマスやお正月も一方的に連絡したし。未だ一度も好きと言われてないし。うちばっかり好きみたいで不安なんや」
「結婚してくれって言われたんでしょ?」
「それはうちの夢を叶えるってわがまま聞いてくれただけや!光橋さんあれ以来、うちに何もせえへんし」
「されたいの?」
「い、伊月ちゃん!」
彩夏は伊月のツッコミに顔を赤くする。
「ごめんごめん!ついからかいたくなっちゃって」
「そうやって伊月ちゃんみたいに、光橋さんもからかうんよな。で、ドキッとすることも言われるんやけど、本気なのかわからん」
「じゃあ、今度は彩夏ちゃんが光橋さんをドキッとさせちゃえ!」
「どうやって?!」
「そうだなー!イベントとかあるといいんだけど…光橋さんの誕生日はいつなの?」
「四月二日」
「一か月もないし、ちょうどいいね!その日に彩夏ちゃんがとびきりのプレゼントをしてドキドキさせるの!」
「とびきりの…プレゼント?」
首を傾げる彩夏に伊月の目が生き生きし始めた。
「耳かして!」
かくして伊月によって光橋へのサプライズプレゼント計画が立てられた。
「ホワイトデーのお返しが光橋くんちにお泊まり?」
彩夏はその日のテスト勉強の休憩中、立夏に伊月との計画を話した。
「うん!もう光橋さんには電話で伝えてオッケーもらった!″光橋さんの誕生日に光橋さんちに泊まる″のがホワイトデーのお返しに欲しいって!もちろん学年末テストの結果もお眼鏡に叶ったらやねんけど…」
「じゃあ、四月二日に光橋くんちにお泊まりってこと?」
「その為にもテスト頑張るんやけど!」
「健気だね。彩夏ちゃん…」
立夏は感激するが、彩夏にすれば当然のことだった。すべては光橋の奥さんに相応しい人になる為である。
「そうかな?あとな、とっておきのプレゼントも友達の伊月ちゃんが考えてん…耳かして!」
「なになに?」
彩夏が耳元でヒソヒソと立夏に話す。
「彩夏ちゃん、本気?」
立夏が真面目な顔で言った。
「いやかな?光橋さん…」
「嫌じゃないと思うよ。別の意味で光橋くんは大変だと思うけどね」
「別の意味?」
「彩夏ちゃんはまだ知らなくていい事だよ。まあ半年以上も何もないんじゃ、彩夏ちゃんだって積極的になって、光橋くんドキドキさせたいよね」
「やから一緒に選んで欲しいなって!伊月ちゃんにも聞いてるんやけど、やっぱりここは立夏さんのセンスも欲しいから!」
「いいよ!でも清人くんにこのプレゼントは内緒ね」
「なんで?」
「清人くん、彩夏ちゃんがそんな大胆なことするって聞いたら止めると思うんだ。清人くん、彩夏ちゃんが自分の妹みたいに思ってるところがあるから」
「わかった。立夏さんがそう言うなら、うちと立夏さんと伊月ちゃんだけの秘密にする」
「楽しみだね」
「うん!」
「じゃ、とりあえず勉強の続きしよっか」
立夏の言葉に彩夏は、再び問題集を開いた。
「ほっほっほっ…驚いたかな?」
彩夏はファストフードの某ヒゲおじさんにしか見えない校長の顔を見た。
放送で校長室に呼び出されたが、理由がわからない。
いや、うちなんかやらかしたみたいやん!
「あのーなんか私しました?」
「ほっほっほっ!驚かせて悪かったね〜」
「はあ…」
「いや、学年末の成績だよ!」
彩夏は、キラキラした顔で校長が話しかけるのが、逆に恐怖を感じる。
「もしかして悪い成績を!?」
「違う違う!学年末トップ10に入ったんだよ!」
「ええ?!」
テスト後は今までにない達成感があったが、まさかそこまでとは思わなかった。
「さすがだねえ!旦那さんも喜ぶだろう」
この内容は確かに校長しか言えないなと彩夏は納得した。
「はい!嬉しいです!これで光橋さんもよろんでくれるかと!」
「何かと大変だとは思うが、勉学に励んでくれて嬉しいよ」
「ありがとうございます!校長!」
彩夏は嬉しさのあまり校長に抱きついた。
ほっほっほっと笑う校長は、まるで孫を可愛がるように背中をポンと叩いてくれた。
光橋さんが勉強に励めって言ってくれたのは、こう言う意味もあったんかな?
とにかく、これで無事に光橋さんと二人きりの誕生日を過ごせる!
彩夏は呼び出されて心配していた伊月にも報告せねばと教室へ急いだ。
光橋のお眼鏡もクリアした彩夏は、立夏と伊月に準備を手伝ってもらい、光橋の誕生日ー四月二日を迎えた。
彩夏はこの日の為に新しい白いコットン生地のロングワンピースを下ろした。首元が丸襟で裾がふわりとしているのが、お気に入りだ。伊月と買い物に行き、立夏からも可愛いとお墨付きをもらった。
「はい!清人くんと僕からプレゼントね」
訪れた時刻は光橋が仕事終わらせて帰宅した午後八時。
立夏は光橋のマンションの玄関まで送ってもらった。
「ありがとう」
「長い付き合いあるのに物をプレゼントのは初めてだね」
立夏は楽しそうに笑っている。立夏がやってきたのは、プレゼントの為だけではない。スキャンダル対策もあった。
「わざわざすまない。助かった。よかったら上がってくれ」
「ううん。僕はこれで。彩夏ちゃんが荷物たくさんになっちゃったから、僕もここまで来れてちょうどよかったよ」
「石橋にも礼を言っといてくれ」
「うん。じゃ、僕はまた明日の朝迎えに来るよ」
明日は平日の為、彩夏は車で一度帰宅し、制服に着替えて、学校へ向かうことになっている。
「ありがとう!立夏さん!」
「彩夏ちゃん、頑張ってね!」
両手をガッツポーズした立夏に彩夏は激しくうなづいた。
「さて!作ってきた料理温め直すからキッチン使っていい?」
「俺も手伝う。危なっかしい」
彩夏は言い返そうにも、光橋のキッチンの勝手がわからないので何も言えない。
奥さんになったって言うのに、はじめて光橋さんのマンションに来たなんて。順番おかしすぎるやろ?
とは言え光橋の生活スペースが気になる。彩夏は光橋のマンション室内をすべて見回った。
20階の高層マンション。2LDKー都内を一望できる景色や室内の広さにも驚いたが、彩夏は光橋の部屋の物のなさに驚く。
「モノトーンな家具家電以外なんっもない」
「あんまりごちゃごちゃしてるのは落ち着かない。植物は世話するのが面倒だから置かないし。特に物欲もない。唯一あるとしたら車か」
「光橋さんの車は確かに珍しい車やったな。ここの家賃が何より高いんやない?」
「そうだが。それなりにいい家電も揃えてる。家事は一通りするから」
「うちの立つ瀬ないやん」
彩夏が不機嫌そうに言うが、光橋は黙々とキッチンで料理を温めている。
「別に彩夏に期待はしてない」
「ええっ!?じゃなんで結婚したんよ!」
「できる女が欲しかったわけじゃない。それに最初から何もかも簡単にできる人なんていないだろ?伸び代はいくらでもある」
「なんか良いように言いくるまれてる気がするけど…」
「彩夏の努力次第だ。温めたから、テーブルに運んでくれ」
「はーい!」
光橋に誕生日プレゼントは何がいいかと聞いたら、美味しいディナーだと言った。
うちが作って持って行っていい?と彩夏が言うと、一瞬黙ったが「好きなようにしろ」と光橋が言うので、彩夏なりの美味しい料理を作った。
光橋に好物は特にないと言うので、立夏にふわとろオムライスを習って作った。サラダとコーンスープもつけている。
二人はオムライスなどをペロリと完食した後、ケーキを食べることになった。
チョコレートケーキも立夏と四苦八苦して作った物だ。
光橋は嫌がったが彩夏が絶対だと譲らず、長いローソクが二本と小さいローソクが九本をケーキに刺した。
「29歳かあ」
「オジサンって言いたいのか?」
「うちはそのオジサンが好きって言いたいんやけど」
「だったら、いちいち歳を言うな」
光橋がライターを付けて、ロウソクに火が灯された。
「うちも早く二十歳になりたいなー」
「そう言ってられるのは、十代までだ」
彩夏は部屋の明かりを消した。
「ハッピーバースデーツゥーユー!ハッピーバースデーツゥーユーみつはしさん〜♪」
「恥ずかしいからその歌やめてくれないか?」
「え!歌は必須やろ」
ふうーっと光橋が息を吹きかけると、ロウソクが一気に消えた。
「おめでとう!!」
彩夏が部屋の電気をつけた。
「…どうも」
「今のはわかったで。光橋さんが照れてんの」
「いちいち口に出して言うな…」
眉間に皺を寄せ、不機嫌に見える光橋だが、彩夏は本気で怒っていないとわかっている。
「なあ、光橋さん、立夏さんと清人にいからのプレゼントなんやったん?」
ケーキを食べながら彩夏は光橋に聞く。光橋は立夏から渡された紙袋を開けた。
中身を見た光橋は固まっている。
「どうしたん?」
彩夏が首を傾げると、光橋は紙袋ごと彩夏に渡した。
「うわあ、めっちゃかわいい!色違いのパジャマやん!」
中身は、チェックで青と赤の色違いのシャツパジャマだった。
「趣味じゃない」
光橋は眉間の皺を深く寄せた。
「えーせっかくやし!着ようや!」
「なんで誕生日早々嫌なことしなきゃならない」
「光橋さん、結婚式も新婚旅行もできひんねんから、今日ぐらいぽいこともしていいんやない?」
彩夏はあえて今まで使わずにいた言葉を使った。
「妙なところで賢くなったな」
「これでも光橋さんの奥さんやで!」
「偉そうに言うな」
「で、着てくれるん?」
「…今日だけな」
彩夏はガッツポーズをして飛び上がった。
「あっ…」
「どうした?」
彩夏が急に何かを思い出したように言ったので、光橋は不思議に思った。
「い、いやあ…うちほんまにこれだけで誕生日プレゼントよかったんかなって」
「いいよ。こんな風に誕生日の時間を過ごすのは初めてだ」
「今までなかったん?」
「何もなかったわけじゃない」
「何かあったんかい!」
「二十九なんだ。いろんな過ごし方をしてきた」
彩夏はムッとして黙り込む。
わかってはいても聞きたくないセリフだった。
「うちが不機嫌なるってわかって言ってるやろ」
「だったらなんだ?俺だって色違いパジャマを飲んだからいいだろ」
「いいなあ。光橋さんと過ごした人たち〜」
彩夏がじとっとした目で睨むと何故か光橋が笑ったので余計にムッとした。
今に見とけ!ぜったいに光橋さんの度肝を抜いたる!
彩夏は密かに誓うのだった。
テレビを観て過ごした後は、おのおの風呂に入った。
先に彩夏が入り、次に光橋が入る。
光橋が「寝室は一緒でいいんだな?」と揶揄うように言うので彩夏は「当たり前やろ!」と言ったが、内心口から心臓が出そうになっていた。
「伊月ちゃんや立夏さんにも頼んで、今日に備えたんや!逃げたらあかん!」
彩夏は寝室の前で口に出して、己を鼓舞した。
数分後ー
真っ暗になった部屋に光橋は入って来た。
「なんで電気消してるんだ?」
光橋が首を傾げながら寝室の電気を付けた。
明るくなった部屋の中心ーベッドの方を見て、光橋は固まった。
それもそのはず、ベッドの上で彩夏が下着姿で正座していたのだ。
「な、なんか言うことあるんやないの!」
震える声の彩夏は光橋の顔が見れない。
「…風邪ひくぞ」
「なっ!!」
彩夏は顔がさらに赤くなる。
しかも光橋はバスタオルを投げてきた。
光橋はそのまま何も見なかったようにベッドサイドに座る。
「う、うちがどんな気持ちで…」
半泣きになっている彩夏に光橋はため息をつく。
「立夏さんと女友達の仕業か?」
「このめっちゃ可愛い下着選んでくれたんよ!」
伊月が一緒に探してくれたのはワンピースだけではない。ベビーピンク色でフリルのレースと小さなリボンのついた大人可愛いデザインのブラとパンツのセットもだ。
「ああ、そうか」
淡々と見て言う光橋の顔を信じられないように彩夏は見る。
こっちはめちゃくちゃ恥ずかしい目に合ってるのに!!
「なんでそんな無関心なん?」
「どうせ、自分をプレゼントしたら?とか何億年前の話をお嬢様が憧れたってところだろ」
「伊月ちゃんは関係ない!いや、あるけど!でもするって決めたんはうちやし。立夏さんかって…」
光橋が彩夏の方を向いて、メガネを外した。
「彩夏は俺に抱かれたら満足するのか?」
「へっ?」
彩夏は左腕を掴まれた。
そしてそのままベッドに押し倒される。
彩夏は光橋にされるがままだった。
彩夏は右手でぎゅっとバスタオルを握った。
ゆっくりと光橋の顔が近づく。同じ石鹸の香りがした。
光橋の前髪から雫が落ちて、彩夏の頬に落ちた。
彩夏は反射的に目をギュッと瞑った。
「まったく、そんな表情してるやつを襲えるか」
光橋の声に彩夏は目をぱちりと開けた。
「う、うちは光橋さんと違って、は、初めてやねんで」
「わかってる」
「全部わかったように言わんとって!うちかって、この半年以上、悩んでたんや」
ぽろりと一筋涙を流した彩夏の頬を光橋は撫でる。
「放置したのは悪かった。でも俺は今、彩夏を抱く気はない」
「なんで?」
「高校卒業するまでは、したくない」
「だからなんでなん?」
彩夏の目尻に光橋の薄い唇が触れる。
こんなに柔らかかったのかと、彩夏は感触を噛み締める。
光橋が彩夏の目をまっすぐ見た。彩夏は目を逸らせない。
「歯止めが効く自信がないと言ったら?」
光橋に突きつけられた言葉に、彩夏は息を止めた。
「これ以上困らせないでくれ。奥さん」
光橋は彩夏に軽く口づけした。
彩夏は頷くしかなかった。
光橋は彩夏から離れて、自分の胸元のボタンを一つ外した。
「ごめん。光橋さん」
彩夏と光橋は向かい合わせになってベッドの上に座る。
「立夏さんが知ってたなら、大方こうなること読まれてただろうし。誕生日に泊まりたいと言ってきた時点で彩夏が何かしでかすもしれないと思った。いきなり据え膳とは思わなかったが…」
「呆れてる?」
「いや、さっきも言ったが放置していた俺も悪い」
「もう二度とこんなことせえへんから」
「わかったならいい。その時が来たら、遠慮はしない」
「み、光橋さんって、そう言うこと平気で言うよな」
光橋の躊躇ない言葉に彩夏は恥ずかしくなる。自分の格好の方がよっぽど恥ずかしいとわかっていても、彩夏は光橋の言葉に弱い。
「そんな格好までして頑張ってくれたんだから、言わないと失礼だ。これはこれでいい誕生日だった」
「結局、いつもの上から目線や。光橋さんの度肝抜かせたかったのになあ」
彩夏は脱いでいた色違いパジャマを着ながら言った。
ようやく本調子に戻ってきた気がするが、これも光橋がいつものように振舞ってくれているからだと思うと情けない。
彩夏はパジャマを着て、静かにベッドに入った。
彩夏は光橋の方に寄って抱きつく。
光橋はすんなりと受け止めてくれた。
「ちょっとはドキッとした?」
「聞くな」
「ってことはちょっとはドキッとしたんかな?」
「もう寝るぞ。明日も早い」
「ふぁい」
ほっとしたのか、彩夏は欠伸をした。
彩夏のおでこに光橋がキスをする。
彩夏は胸が幸せでいっぱいになって、光橋の腕に両手を回した。
来年も再来年もずーっと、こうして光橋さんと誕生日を迎えたいな…。
彩夏は祈るような気持ちで目を閉じた。
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