2人が本棚に入れています
本棚に追加
2
彩夏が高校二年に進級し、ゴールデンウィークは四人で旅行を計画していたのだが、彩夏の元にかかって来た電話で急展開を迎えた。
「立夏さん、大丈夫?!」
彩夏が制服のまま駆け込んだのは、病室だった。
「彩夏ちゃん!授業は?」
「そんなん今はどうでもいい!」
彩夏はベッドに横になっている立夏に抱きつこうとした。
「だめですよ!右手、右足を骨折して固定してるんですから!」
ふくよかな女性看護士が彩夏と立夏の間を塞ぐ。
「えー!!」
「まったくさっきの男性といい、あなたといい…」
「男性?」
彩夏の視線の向こうに小さくなっている清人がいた。
「清人くんも半泣きで抱きつこうとするから、彩夏ちゃんと同じ目に合ったの」
立夏が苦笑いをする。
「だって立夏さんが交通事故に遭って聞いて。俺、職場で悪い想像ばっかしちゃって…」
体格もいい清人がしゅんとしているのは、彩夏よりも一回り違うと言うのに、子供が反省しているように見えた。
「石橋家はみんなかわいいね」
笑う立夏は右手、右足をギブスで固定されていた。顔に擦り傷があったのか、絆創膏もいくつか貼っている。
「立夏さん、めっちゃ痛くなかった?」
「もちろんすごく痛かったよ。青になって、横断歩道を渡ってたら、急に原付バイクが来てぶつかった時は走馬灯があって…本当にあるんだね」
「あの!看護士さん、立夏さんは本当に、本当に全治一か月なんですか?!」
清人がまた半泣きになっている。
「大の男がそんな泣きそうな顔しない!検査の結果、脳に異常はないですし。怪我もこの程度で済んだのは本当に幸いでしたね」
「立夏さん、よかった〜」
彩夏と清人の半泣きの声に、立夏は笑う。
「二人とも冷静に話を聞けよ」
一段と落ち着いた声の主は光橋だった。
「光橋さんっ!」
彩夏は光橋の登場に抱きつこうとする。
「はしゃぐな」
「光橋、すまない。心配かけて」
「ごめんね。光橋くんまで」
「仕事で外出していたから、造作ない」
「でも汗までかいて…ありがとう」
立夏は光橋の額を見て微笑む。
「これは…」
光橋は手で汗を拭う。
「光橋さんもめっちゃ心配してんな」
「当たり前だろ」
「相手方は、逮捕されたんだな?」
「ああ、軽傷だったみたいだけど…警察に事情聴取されてる」
「そうか…」
「詳しく加賀美さんの病状説明しましょうか?」
ふくよかな看護士が頬を赤らめて、光橋を見ていた。
「いえ、先程電話で聞きましたので結構です」
「そうですかー!椅子に座られます?」
「構いません。時期に仕事に戻りますので」
「看護士さん!このイケメン社長はうちの旦那さんやで!」
彩夏が光橋の前に出て通せんぼする。
「あら、こんなイケメン社長があなたみたいな女子高生の奥さんなわけないでしょう」
光橋と彩夏を見比べて、笑い出す看護士に彩夏はムッとした。
「あのな…!」
彩夏が言い返そうとする前に光橋は彩夏の口を塞いだ。
「すいません…落ち着きがなくて」
「いいのよ〜どうせならうちの娘を紹介しますわ〜」
看護士は目をハートにして、光橋に話しかける。
「ありがたい話ですが、私は既に他では簡単に手に入らない奥さんをもらっています」
「あらそこまでおっしゃるなら、お会いしてみたかったわ〜」
主任ー!とドアの向こうから若手の看護士が声をかけてきて、ふくよかな看護士はその場を去った。
「流石だね。光橋くん」
立夏が楽しそうに笑う。
「褒められるようなことじゃない」
光橋の口の拘束が解かれ、彩夏は憤慨する。
「なんなんあの看護士さん!光橋さん、うちが奥さんやって叫びたかったー!」
「立場をわきまえろ」
「えー」
「いつもの二人の姿見てたら何か元気出て来たな」
「清人にい!うちは怒ってんねんで」
立夏は耐えられず、また笑い始める。
「もー彩夏ちゃん、痛むから笑わせないで」
「立夏さんまで!」
「とにかく…石橋、立夏さんに命に別状がなくてよかったな」
「うん。よかったよ」
「ありがとうね。みんな」
立夏は大怪我をしたが、三人を見て、心から安堵していた。三人もまた同じ気持ちだった。
立夏が一か月入院となり、彩夏が代わりに家事をすることになった。
清人は立夏に家事を任せきりなので、彩夏がするほかなかった。
「彩夏ちゃん、弁当は無理しなくていいよ」
「いいねん!これは花嫁修行なんやから」
「もう花嫁にはなってるんじゃ…」
「花嫁やけど、まだまだやから!」
彩夏は気合いを入れて買い出しに出かけた。すると、花屋の店長から声をかけられた。
「で、花屋のバイトもすることにしたの?」
清人は彩夏の手伝りカレーをパクパク食べていた。
「うん。立夏さんが抜けて、大変なんやって。だから、一か月は定休日以外毎日手伝うことにした」
「毎日?!」
「平日学校終わってからやし。土日祝は暇やから大丈夫」
「でもさすがに毎日は…」
「まだ十六歳やで!大丈夫」
「無理はダメだよ。俺も家事はゴミ捨てや風呂を入れるぐらいはするからね」
「うん、お願い!さーてと、洗い物して、お弁当作って、勉強して、バイトの用意して…洗濯物は…」
明日からの動きを考える彩夏を清人は心配そうに見ていた。
二週間後ー
彩夏は光橋に電話をかけたが、途中でうとうとしてしまう。
「彩夏、寝てるのか?」
「あ…うん、ごめん」
「清人から聞いた。ハードワークだろ」
「大丈夫!大丈夫!」
「本当か?」
「光橋さんの頑張りに比べたらうちなんて、月とスッポンやし。今から家事に仕事にできるようにならんとな!」
「勉強もだろ?」
「そうそう!わからんところがあってかけたのに、光橋さんの声聞いてたら、なんか眠たくなって…」
「無理はするな」
「大丈夫やってば。光橋さんこそ今海外関連で忙しいんやろ?」
「ああ、なかなか難航してな。英語を話せる秘書や社員の育成もある。自分がもう一人いたらとこれほど思ったことはない」
「めっちゃ頑張ってるやん!うちも負けてられんな!」
彩夏は眠たくなる頬を叩いて、気合を入れた。
「彩夏ちゃん。保健室に行って寝たら?」
「ん…?ごめん伊月ちゃん。寝てた?」
いつもの中庭のベンチで彩夏は伊月と弁当を広げていた。
「何か私にできることがあればいいんだけど…」
「大丈夫。光橋さんも今めっちゃ頑張ってる時やし。いつもお世話になってる立夏さんや清人にいに恩返しせなあかんねん」
「同居人の人たちだよね。交通事故に遭った立夏さんは順調に回復してるの?」
「うん。もうリハビリしてるって清人にいが言ってた」
「そっか。よかった」
「気合いでなんとか毎日やってるけど、睡眠時間だけはどうにもならんくて。しかも、最近貧血気味で…」
「女子はつらいね」
「うん…光橋さんの言う通り。もう一人自分が欲しいわ」
彩夏は中庭の木が青々としているのが、恨めしく感じた。
それから数日後ー
平原女学院の二年A組は、社会科見学に訪れる為、バスに乗っていた。伊月は隣の彩夏の手に驚く。
「うわあ。手が荒れてる大丈夫?彩夏ちゃん」
「ああ、これはやっぱり毎日花の手入れしてるとな」
「ハンドクリーム塗ってるの?」
「家事もしてるからすぐ取れてもうて、結局、意味ないんよ」
彩夏の手は荒れて痛々しいことになっていた。
「なんか目の下にクマもあるような…」
「光橋さんに見られたらどうしよ…」
「まさか社会科見学が光橋製薬だとはね」
「校長がA組は、光橋製薬だって決めたみたいなんよ。やっぱりそれってうちがおるからかな」
「だろうね。強力なコネって、担任が何だろうって首を捻ってたけど、まさか彩夏ちゃんだとは思わないと思うよ」
光橋製薬株式会社ー社会科見学のしおりを眺めながら、彩夏はウキウキしていた。
頭が少しクラクラする気もするが、今日はどうしても外せない。光橋製薬の工場、研究所、会社を一日かけて回ると言う。
特に社長からの挨拶は彩夏にとって胸の高鳴るイベントだった。
「この度は弊社を見学に選んでいただき、感謝しています。未来ある皆さんに光橋製薬で働きたいという思いが生まれれば、尚の事嬉しく思います」
会社の近くにあるホールで、光橋が壇上に上がって話している。
最近、声しか聞いてないから、この距離からでも見れて新鮮…待てよ。うちは奥さんやのになんでこんな待遇なんや?!こんな所に忍んでいるが、実は社長夫人やっていうのに!
でも、やっぱり光橋さんは遠くから見ても、めっちゃイケメンや!
背伸びしながら彩夏が光橋を見つめる。
周りの女子たちも「あの社長イケメンじゃない?」「この会社、将来入社したらあの社長に会えるかな?」とまで話している。
「彩夏ちゃん、顔が怖いよ」
伊月が隣で苦笑いをしている。
「当たり前や!こうして警戒しとかな!もしかしたら不倫相手…」
「どうしたの?彩夏ちゃん?」
「いや、なんか目の前がくらって…」
「大丈夫?」
彩夏の視界がぐにゃりと歪む。さらに息が苦しくなって、動悸も激しい。
「あ、あれ?!なんで?」
「彩夏ちゃん!!」
伊月の叫ぶ声と自分の意識が遠のく。彩夏は後ろ向きに倒れた。冷たい地面を感じると同時に彩夏は意識を手放した。
彩夏は鼻につく薬品の香りに包まれて、目が覚めた。
「ん…ここは?」
「光橋製薬の医務室です」
「眩しい…」
「ああ、西日が入っていましたね。カーテンを閉めます」
「私、一体…」
「医師免許を持つスタッフがいるので、研究所から来て見てもらった所、貧血と睡眠不足が祟っているとのことです」
「…うち、めっちゃ眠って」
「はい。午前中にホールで倒れてから、四時間は眠ってらっしゃいました」
「そんなに…」
「救急車を呼ぼうとしたんですが、そうなると光橋は気が気でないと判断したのでまずは弊社のスタッフに連絡をとりました。判断は正しかったようで、光橋は現在、仕事を滞りなくこなしてらっしゃいます」
「あなたは…光橋さんの秘書さん?」
ホワイトスーツの似合う黒髪美人の二十代前半の女性はモデル体型で彩夏よりずっと大人だ。
「私をご存知でしたか?」
美人なお姉さんに微笑まれ、彩夏は固まる。まさか三度目とは言えない。
「えーと…」
「お話ししていただいて大丈夫です。これで三度目…なんですよね。光橋から彩夏様の事は伺ってますから」
「えっ…じゃあ」
「はい。彩夏様は光橋…社長の奥様であると存じております!」
「えええ!」
「しっー!お静かに」
「ご、ごめんなさい」
彩夏は自分の口を押さえる。
「いえ。驚かせてしまい、申し訳ありません。ご挨拶が大変遅れました。秘書の松井です」
「松井さんはうちのことを…」
「はい。社長に去年の夏、半休を取られて。それから一日頬の腫れが引くまでお休みになられた際、私にだけ経緯をお話になられました」
「松井さんは全部聞いてたんですね…」
「他の物に怪しまれないように、全てを遂行するのが私の役目ですから」
「すごいです。私なんて足元にも及ばんくて、光橋さんの奥さんとして恥ずかしい限りです」
彩夏は布団の中にさらに身を隠した。
「彩夏様は恥ずかしくなどありません。成績もぐんと上がったと社長が私にもお話しするほど。最近は家事にバイトに勉強にと頑張ってらっしゃったとお聞きしました」
「でも光橋さんの会社で体調崩すなんて、奥さん失格ですね」
「何をおっしゃいます。そこは女性、妻としての意見として夫を心配させておけばいいのです。そうでもしないと、妻の陰ながらの頑張りが伝わらない」
拳を握り締めながら松井は熱く語る。彩夏は松井も大変なのだなと、彼女の左手の薬指を見た。
「私的なお話のついでに…社長は彩夏様が耐え忍んでらっしゃることをいい事に構ってあげていないなと思います。今回のように慌てた様子の社長は見ものでした」
松井は楽しそうに笑っている。
「光橋さん、そんなに慌てて?」
「はい。倒れたのが彩夏様と知るないなや、お姫様抱っこをされて、この医務室まで運んだ姿、彩夏様にもお見せしたかった…」
「そんなことを!私も見たかったけど、恥ずかしすぎて死んじゃいそうです」
彩夏は想像するだけで顔が赤くなった。
「彩夏様の手の荒れや顔のクマを見て。私も頑張ってらっしゃるなと一目でわかりました。無理はなさらず。どうかごゆっくりお休みになってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「…無事に会議が終わった」
「社長、ちょうどよかった。彩夏様がお目覚めになりました」
そう聞くや光橋が彩夏のベッドを覗いた。
あ、久しぶりに光橋さんの困った顔見た…。
彩夏はじんわりと胸が熱くなった。
「まったく…」
「ごめんなさい」
「立夏さんを心配する石橋の気持ちがわかった」
「…光橋さん」
「最近、連絡もロクにしなかった。石橋も仕事が忙しくて、彩夏に任せきりだと言っていたし。家事にバイトに勉強に…張り切りすぎだ」
光橋が声を落として、彩夏を叱る。
「反省してます」
「いや、気づけなかった俺も悪い。彩夏の大丈夫は大丈夫じゃない」
「失礼します。社長、ヴィラン様がいらっしゃいました」
「今日に限って…彩夏すまない。また席を外す」
「うん、大丈夫。行ってきて」
光橋はまた困った顔をしたが、そのまま秘書とともに席を外した。
最初のコメントを投稿しよう!