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プロローグ
石橋彩夏は光橋悟と結婚し、ニ年が経った。
記念日は八月三十一日、彩夏の誕生日でもある。
関西の実家でお祝いをしてもらったが、光橋と立夏と清人の四人で東京に戻ってからディナーもご馳走してもらった。
翌月になると、二学期がスタートした。
十七歳となった妻ー彩夏に、光橋は言った。
「彩夏、進路はどうする?」
彩夏は光橋のマンションの隣室に住んでいる。
立夏、清人、彩夏の三人が隣室に越してきたのは七月中旬。
立夏の一件の不安解消と彩夏との別宅婚を成立させる為に夫ー光橋が提案した。
別宅婚であるのは、光橋が社長でありながら、未成年との婚姻がスキャンダルにならない為である。
だか時にお互いの部屋を行き来している。
友達の親戚に慕われているー
万が一に備えて、嘘ではない証言はできるようにした。
「いっそ二人で暮らすのもアリやない?」と言った彩夏に「そういう問題じゃない」と光橋は頑なだ。
立夏に言うと「光橋くんも我慢してるんだよ」と言われた。何の我慢か彩夏にはわからないが、未成年である自分のせいで光橋の立場が危うくなるのは、彩夏の本意でない。
「彩夏、聞いてるのか?」
慌ただしい夏を回想していた彩夏は、光橋の言葉に現実に戻る。
彩夏は週に何度か夕食後に光橋宅に訪れる。光橋は仕事、彩夏は勉強をダイニングテーブルで向かい合わせになってするのが、習慣だ。
「ご、ごめん。問題見てた」
「嘘をつくな。考え事してただろ?もう一度聞く。進路はどうするんだ?」
光橋のメガネの向こうが彩夏を厳しく見ている。
「進路、早すぎん?」
「やっぱり考えなしにここまできたのか」
光橋はため息をつく。
「うちは、光橋さんの奥さんになることが夢やった。平原女学院は、その為の努力や。もちろん学校に進学した先輩もいて、憧れもあったけど、入学したことで叶えることができたし…それじゃあ、あかんの?」
「ダメじゃない。むしろ、その努力は認める。彩夏に惹かれた理由の一つだ」
「ならなんでそんなこと言うん?!珍しくうちのこと褒めると思えば…」
褒めてくれるのは嬉しいが、彩夏は光橋の厳しい視線の理由がわからずに困惑する。
「彩夏が俺と結婚する夢を叶えた。それからが気になってる」
「結婚して夢叶えても、うちなりに光橋さんに恥じないように頑張ろうと思ってるんよ」
「それもわかってる。この夏、俺に恥じないようにとぶっ倒れるほど、彩夏が必死になってくれたことで、俺自身も俺の家族も彩夏をさらに見直した」
「まだ、足りんの?」
彩夏が俯いたのを見て、光橋は優しく声をかける。
「彩夏を責めてるわけじゃない。要は…彩夏はこれからどうしたいか聞きたい」
「うちは、光橋の奥さんとしてできることをしたい。やから今勉強も頑張ってるし、立夏さんと家事したり、花屋でバイトしたり、花やお茶もしてる」
「その頑張りは続けるべきだと思う。なら高校卒業したらどうする?二十歳まで関係は公表できなくても専業主婦になることはできる。彩夏は本当にそれでいいのか?」
「光橋さん、うちのやりたいことわかってるんやん」
「奥さんとして、家事をして夫を支えたい。彩夏がしたいのはそれなんだろう?」
「今は叶えられんけどな。別宅婚で非公表なんやし、憧れる」
「主婦業は金銭も発生しないのに、大変だと思う。それを否定したい訳じゃないんだが…」
光橋が珍しく声を詰まらせた。
「はっきり言ってくれなわからん!光橋さんはうちにどうして欲しいん?」
彩夏が席を立って、机上に両手をつけた。
「はっきり言おう。俺はまだ十代の彩夏には他にも可能性があると思ってる。もちろんいずれは主婦業をすればいい。だが、彩夏自身が今からしたいことを改めて考えてほしい。俺に全てを預けるにはまだ早い」
「うちは光橋さんの奥さんになりたいのが夢やのに?」
「大学に行ったとして、そのまま就職もせず。主婦になるのか?」
「大学…」
「言っておくが、大学に行けと言ってるわけじゃない。奥さんとして相応しい経歴を求めてるわけでもない。彩夏が、この先の道を決めるのが、俺の為だけになってはダメだと思った」
光橋がまさかそんなことを考えていたとは知らず、彩夏は黙って席に座るしかなった。
「コーヒーを淹れる」
光橋が席を立った。キッチンでコーヒーのミルを回し始めた。
「ミルク入れるか?」
「うん。ミルク多めにして」
「この夏、彩夏の実家に帰って思った。彩夏が悩むだろうと思ったから、あえてまだ進路を考える時間が充分にある今にした」
「…うん」
光橋の言う通り、彩夏は答えが見つからない。
「すぐどうこうする訳じゃない。ゆっくり考えて、彩夏の中で答えを見つけたら、返事をくれ」
「わかった」
数分後、コーヒーの香りに部屋が包まれた。
彩夏は光橋が入れてくれた惹き立てのコーヒーに口をつけた。光橋はブラックを平然と飲んでいる。彩夏はミルクと砂糖を多めにしたけれど、苦い味が舌に残っていた。
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