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十一月某日。 高校二年の楽しみといえば、修学旅行。 彩夏はイギリスか北海道か選べる修学旅行に驚いた。平原女学院は大半家柄のいい人だと、すっかり忘れていた。 「すっかり当たり前の光景やけど、普通に毎日迎えの車来る人たちもおるもんな」 「彩夏ちゃんからすれば、別世界だったもんね。でもいいことばかりじゃないよ?生まれる家は選べない。光橋さんもそうじゃないかな」 彩夏の前の席で「修学旅行。北海道、スキーと小樽の手引き」と書かれた冊子を読みながら伊月は言った。 「光橋さんもやし。立夏さんもそう見たい。うちにはわからんことがたくさんあるんやと思う」 「彩夏ちゃんやこのクラスの子はいないけど、社会から見るといろんな目があるからね」 伊月のまつ毛が下を向いた。 「クラスには関東やけど他県から来てる一般家庭の人も中にはいてるもんな。一年時に比べたらみんな普通や。関係なくうちらみたいに仲良いし」 「そうだね。ただ修学旅行とかイベントごとになると、如実にわかるよね」 「伊月ちゃんがイギリスに何度も言ったって聞いた時はびっくりしたわ」 「確かに私はいろんな外国を訪れたけれど、両親がいたからだよ。両親にはいつも言われてるの。今いる場所が当たり前だと思うな。いつかは己の足で立てって」 「偉い親御さんやな」 「うん。平原女学院は受験の時、家柄が強いほど、面接で人格を見極められるからね」 「家柄がいい方が贔屓されるわけじゃないんや…」 「平原が名門高いのはそのせい。家柄関係なく面接と成績で入っている彩夏ちゃんもいるじゃない」 「うちが?」 「面接できちんと夢を持っている意志が伝わったんじゃない?」 「もちろん、そのまま伝えたわけやないけど!あの時は必死やったし。でも今はな…」 彩夏は伊月と同じ修学旅行の手引きを机に置く。 「まだ悩んでるの?光橋さんのあの言葉」 ー彩夏が、この先の道を決めるのが、俺の為だけになってはダメだと思った。 「もう二ヶ月半経つって言うのに、わからん…」 「その答えはわからないけど…彩夏ちゃんが修学旅行を北海道にするのは光橋さんと離れるのが嫌だからなんでしょ?」 「光橋さんがイギリスでもいい。金は俺が出すって言ってくれたんやけど、イギリスなんて行ったらめちゃくちゃ光橋さんから遠くなるやん!しかも、帰ってくるんも時間かかるし…」 「北海道なら一泊二日だもんね。北海道でスキーは久しぶりだし!二日目は半日、小樽市でお土産屋巡りと海鮮堪能できるし、楽しみだな〜」 「伊月ちゃんがいるならなおさらや!楽しむで!」 「うん!楽しもう!」 彩夏はまだ答えがわからない。でも光橋と遠く離れたくないほど好きなのは変わらない。何より修学旅行を伊月と楽しむことが今の最優先事項だ。 彩夏は切り替えようと修学旅行の手引きを開いた。 ー週間後、彩夏は無事北海道に降り立った。 平原女学院二年の北海道班はホテルの裏手にある山のスキー場でスキーを楽しんでいる。 スキー初体験で最初はぎこちなかった彩夏も、経験者の伊月の指導に寄り、午後には初心者コースを滑れるまでになった。 「光橋さん待ち受けにしたんだ?」 「伊月ちゃん!」 山腹の休憩スペース件食堂のある施設に彩夏はいた。 彩夏は温かいお茶を自販機で買ってフリースペースに座っていた。 すると、背後から伊月がいきなり現れた。 「彩夏ちゃんが先に休憩ルームにいるって言うから、私も来ただけだよ。そしたらスマホ見てるんだもん」 彩夏はふと光橋が恋しくなって、待ち受け画面にした光橋を見ていた。 ツーショットは初めてのデートの時、無理矢理彩夏が撮った写真しかない。一人で写っているのも、隠し撮りか、清人から以前もらったものだ。 「彩夏ちゃんってほんと健気だよね」 隣の席に伊月は座り、ホットココアを飲んでいた。 「健気なんかやないよ。めっちゃ一方的なうちに光橋さんが折れただけな気がする…」 「そうかな?光橋社長を見たのは夏に花屋でバイトしてた時だけだけど、高本くんに対する嫉妬丸わかりな態度を見たら、今や同じだと思うな」 「そ、そう?」 「周りから見ればね。本人たちじゃわからないもんだよ。私も彩夏ちゃんみたいに恋したいな。家柄とか全部気にならないぐらいに夢中になれる人」 伊月がまたココアを飲んだ。 「あの人どっかで…」 彩夏の視線の先にスキーウェアを着ていながらも、一際綺麗な黒髪美女と負けず劣らず男前で背筋のよい二十代前半の男性がいた。 彩夏が女性を見ていると、向こうも彩夏を見ていた。 「あ、彩夏様!」 段々と近づいてきた女性の顔を見て、彩夏は思い出した。 「秘書の松井さん?!」 スキーウェアのせいですぐに気付かなかったが、黒髪美女は光橋の秘書、松井だった。 隣の爽やかで優しそうな男性が頭を下げた。光橋の冷淡とは真逆の柔和なイメージだ。 「こんにちわ!旦那さんですか?」 「そうなんです!彩夏様は修学旅行ですよね!北海道とはお聞きしてましたが、まさか同じゲレンデとは…」 「ホテルもこの下のとこなんです!」 「まあ!ホテルも同じ。社長にお伝えしなくては」 「でも松井さんよくうちが修学旅行やってわかりましたね」 「社長からお聞きしてたんです。心配そうでしたよ」 「光橋さんが!?」 今朝もいってきます、いってらっしゃいぐらいの会話しかしてないし、表情もいつもと変わらなかったのに?! 「私が休暇をいただきますとお伝えしたら、何か話しげだったのでお聞きしたら、彩夏様の事でした」 「すごいなあ。うちもわからんことわかるなんて」 「私は彩夏様の存在を知ってますから」 照れる彩夏に松井の旦那は頭を傾げる。 「なあ奈穂、仕事関係なのはわかるけど、どうして高校生の彼女に様づけなんだ?」 「それは…」 「信頼できる松井さんの旦那さんやから、うちの事、話してもいいですよ」 「ありがとうございます」 「ていうか、彩夏様付けはやめてください。それに敬語も!」 「いえ!とんでもない!雅臣くん、こちらは私が秘書をしている社長の奥様なんです」 「ええ?!マジで?どんだけ歳の差?」 「こら、口を慎みなさい!」 「ごめん!でも、気になるし」 「うちと光橋さんは一回り…ついでに光橋さんは29歳です」 「ああ、そうだった!奈穂が若社長の雑誌見せてくれたっけ…」 「自慢できる我が社の社長なので、旦那にも教えてるんです」 ニコニコ微笑む松井に彩夏は嬉しくなる。 旦那さんが褒められるって気分いいことやな…! 「松井さんみたいに凛々しい女性が光橋さんを補佐…めっちゃすごいなって思います」 「彩夏様、秘書に興味ございますか?」 「秘書?」 「光橋さんが相談されたんです。高校卒業後の進路はどうやって見つけるか…」 「光橋さん、そんなことまで松井さんに?」 「旦那としてはちょい気になるぞ、奈穂」 「いつも言うけど、雅臣は気にしないでいいの!気にし出したらキリがない。コミュケーションも仕事だから!」 「わかってるよー」 膨れる旦那さんの顔に彩夏は微笑む。 うちと光橋さんが逆になってるみたいや…! 「彩夏様もお気になさらないでください。社長の部下としてのコミュケーションの一つですから」 「松井さんめちゃ綺麗やから不安にならへんと言ったら嘘になるけど。うちは松井さんからうちの知らん光橋さんを知りたいかなって思います。これからも教えてください!」 「やはり彩夏様はとってもまっすぐで可愛らしくて、好きです!ますます応援したくなりました!連絡先を交換しましょう!是非、秘書課へ見学してみてください。社会を見れば、少しヒントになるかも知れません。よろしければお友達も…」 「私もいいんですか?」 「社会勉強ですから。社長にも話を通しておきます」 「お願いします!」 彩夏と伊月は頭を下げた。 「奈穂、どうせなら、二人と一緒に滑ろうか」 「いいわね!お二人は宜しいですか?」 「伊月ちゃん、大丈夫?」 「うん!いいよ!」 休憩ののち、さらに経験値の高いスキーヤーの松井夫婦の指導に彩夏と伊月はスキーを日が暮れるまで楽しんだ。 二日目、半日小樽市内を散策。彩夏と伊月は新鮮な海鮮丼を食べ、名物のお土産をたくさん買った。 飛行機の中では二人とも疲れ切って睡眠を取った。 「二日、早かったなあ」 学校のグラウンドにバスが着き、解散した頃には日が暮れかけていた。 グラウンドは迎えに来た親たちを待つ生徒と駅へ向かっている生徒たちがちりぢりになっている。 「そうだね。彩夏ちゃんは駅に向かうんだっけ?」 「うん。六時はまだみんな仕事やから電車で帰るって言ったんよ。ゆっくり帰ろうかな…」 「私の迎えに来る車に乗る?」 「いやいや!伊月ちゃんちは真逆の方向やから申し訳ないわ!ゆっくり駅に向かうから大丈夫やで」 彩夏はキャリーケースと大きな紙袋を二つ持っていた。 「ついついお土産買いすぎてもたな」 「ね!彩夏ちゃん、あの門の近くにいるサングラスかけた男の人、誰かに似てない?」 「え?十一月にサングラス?そんな変な人ほんまにおるんや?!」 二人が門に近づいて男の人を見ると彩夏と目が合った。 するとサングラスの男性はピシッとしたビジネスコートを着て、憮然とした態度で彩夏に近づいてきた。 「うええ?!もしかして?!」 彩夏はサングラスの男性が光橋だとようやく気がついた。 「み…!」 叫ぶ前に光橋は彩夏の口を手で塞いだ。門前には人が多数いた。生徒たちは親や生徒同士との会話に夢中で、誰もこちらに向いていない。 「伊月さんか?世話になった」 光橋は小声で伊月に声をかけ、頭を下げた。 「いえ、楽しかったです」 「今後も彩夏を頼む。いくぞ、彩夏」 「ふがふぐぐっ…」 光橋は大きな紙袋を二つを軽々と持った。彩夏は口が塞がれたまま、光橋に連れて行かれた。 数分後、ビジネスビル群の大通りに出た。駅と真逆で生徒は見当たらない。そこでようやく口を解放された。 「ぷはっ!」 「大きな声出すなよ」 「さ、酸素奪っといてそれはないわ!光橋さんっ!」 「だから静かにしろ…」 「連絡も無しにそんな格好で迎えに来るんやもん。びっくりするやん!」 「立夏さんか石橋が迎えにいくものだと思って昨夜電話したら、彩夏は電車だと聞いたから…彩夏ももっとわがままを言え」 「立夏さんと清人にいの家に居候やねんからしゃーないやろ!」 「じゃあ、俺には言わないのか」 「え?仕事やったんやろ?」 「松井に事情を話せば、無理なく早めに切り上げる手立てはできる。松井は個人的に彩夏の味方だと言っているから気にするな」 光橋に迎えに来てなどと言う発想はなかった。休みならまだしも仕事だと聞いていたからだ。 「俺に頼るという手段も浮かばないのか?」 「な、なんとかなるかなーって」 「この荷物で?」 「白い恋人、バターサンド、ルタオ、ぱんじゅう、ご当地ビール、和硝子器…周りに渡すの考えてたらいっぱいになってもて。もちろん光橋さんにもたくさんあるで!」 「帰って見る。車はこっちだ」 光橋が彩夏の左手を引いた。大通りから外れた路地には時間貸駐車場が見える。そこに光橋の車があった。 「トランク開けるから、荷物持て…ってなんで手を見てるんだ?」 「え?」 彩夏は光橋が握った左手を見ていた。 「手に何か?」 「いや、光橋さんと再会して、しかも結婚までして二年以上経つっていうのに、手を握って歩くの初めてやなって」 外はおろか、家で二人きりでも手は繋がない。 彩夏が一方的にくっついたり、抱きついても、時々宥めるように抱きしめ返すのみ。光橋は彩夏から仕掛けることはほとんど相手にしない。 「小さい頃の方が手を繋いでくれてた気がするな」 彩夏が笑うと光橋は久しぶりに困った顔をした。 「どないしたん?」 急にそんな顔されると彩夏は戸惑う。 「荷物を乗せたら、この先にある小さな公園まで歩く」 「公園?」 彩夏の荷物をすべてトランクに入れると、光橋は再び手を繋いだ。 彩夏は強く手を引かれ、公園に着いた。 「な、なんなん一体?!」 公園のベンチに座ると、街灯の電気がついた。日曜のビジネス街の近くだけあって、静かだ。 「手、繋ぎたかったんだろ?」 彩夏を見ずに光橋は言う。彩夏の左手はまだ繋がれたままだ。 「相変わらずわかりにくい!」 「こんなタイミングでもないと手を繋げない。もう離していいか?」 「えー!それはいやや」 「なら大人しくしろ」 「でも静かなんも変や。修学旅行の話聞いて!」 彩夏は光橋に修学旅行での出来事を話した。 雪の多さに驚いたこと、スキーの初体験、スキーの後、知らないうちに腿裏を内出血したこと、美味しい海鮮丼、小樽の景色。一通り話し終えた彩夏に、光橋は言った。 「それでスキー場で松井に会ったんだろ?」 「そうやねん!スキーめっちゃ松井夫婦うまくて!かっこよかった!教え方もうまかったから、うちも伊月ちゃんもレベルアップしたで」 「会社に見学に来る話は?」 「あ、うん!松井さんから聞いたんやね。光橋さんの会社にいいんかな…」 「構わないが俺は介入しない。秘書課のメンバーは松井以外、彩夏が俺の奥さんだと知らないから、松井の知り合いの人として紹介するらしい。時期は先になるが春休みで、三日間、職場体験のような形にすると言っていた。詳しい日程などは松井が追って連絡する」 「わかった!緊張するけど楽しみ」 「日も暮れきって、さすがに寒くなってきた。帰るか」 公園から出て、二人は駐車場までの道のりをゆっくり並んで歩き始めた。 「あ、光橋さん、松井さんから聞いたで。うちのこと、松井さんによく話してるって」 「松井しか彩夏の存在を知らないからな」 「でも、心配してるとは思わんかった」 「身内を心配しないわけないだろ」 「身内って響き、なんかいいなー」 「単純だな」 光橋の引く右手の力が強くなった。彩夏は胸がギュッとなった。 こんな風に光橋さんと歩ける日が来るなんて…。 「北海道楽しかったけど…やっぱり光橋さんと二人で行きたかったな…光橋さんといないとやっぱりなんか物足りん」 彩夏がそういうと、光橋は立ち止まった。 「何?」 彩夏は光橋の顔を見る間もなく、指で顎を掬われた。 「へ?」 メガネのフレームが瞼に当たりそうで目を瞑ると光橋の唇の感触がした。 光橋はキスを不意に仕掛けてくる。 彩夏はそのタイミングいつも測れない。 別れ際ならまだしも彩夏の会話の途中、どちかが席を立った時、彩夏が冷蔵庫を開けて振り向いた瞬間、俯いて顔を上げた時など意表をついてくる。 なんでいつもこんな意味わからんタイミングなん?! キスは毎回感触を充分に味わう間もないほど短いが、回数を重ねようやく唇の感触を覚えた。 「ふっ…」 「息を止めるな」 「いきなりするからやろ!」 光橋がいるとやっぱり心が騒がしい。 きっと旅行に行けば、何倍も楽しいと彩夏は確信した。
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