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「ありがとう。証人になってくれて」 立夏が光橋を自宅に招いた。隣室とはいえ、よく行き来をするのは彩夏のみ。光橋が立夏に呼ばれるのは珍しいことだった。 「いや、俺にできることはこれくらいだ」 光橋は養子縁組届書の証人の一人になった。 「いいなあ。うちも証人になりたかった…」 「証人になれるのは、成年だからね。彩夏ちゃんにお願いしたいのは山々なんだけれど、こればっかりは仕方ないから、もう一人は彩夏ちゃんのお母さんにお願いしたよ」 「お母さんから聞いた。立夏さんと清人にいに正月帰省した時にお願いされたって」 「先週末、直々にまた書面を持ってお願いしに行って、その時いただいたたくさんの野菜があるから、それで料理を作ったんだ。ささやかだけれど二人にお礼」 「うちはなんもできてない!」 「そんなことないさ」 清人が立夏の作った料理をダイニングテーブルに運ぶ。彩夏が修学旅行のお土産で買った和硝子器や焼物の皿の上に菜の花おひたし、かつおの刺身などの前菜が並んだ。光橋の前には食前酒がある。 立夏は小料理屋でも開けそうだと光橋と彩夏は思った。 「立夏さんは彩夏ちゃんの姿を見て背中を押されたんだ。ずっと俺は養子縁組したかった。でも立夏さんは首を縦に降らなくて…そんな時、彩夏ちゃんの光橋に対する姿勢を見ていたら刺激を受けたって言って、ようやく決意してくれた」 「本当なん立夏さん?」 「本当だよ。彩夏ちゃんが上京して、夢を叶え続ける姿や光橋くんに対する想いの真剣さに、僕も自分の気持ちと向き合うきっかけになった」 「その一つが華道か?」 「僕の作品が見たいって違う流派だけど、是非展示したいと支持してくれた方がいてね。父に破門だと言われ、罵倒されて木刀で叩かれて受けた傷は消えないし、痛みを忘れたことはないけれど、僕はやっぱり花を活けることが好きなんだ。花屋をしながら、彩夏ちゃんや花屋の常連さんを指導して、指導者にもなりたいし、個展も開きたいと思った。一度、兄のこともあるから諦めようと思ったけど、自分の夢を叶えるためにもう一度、清人くんと一緒に向き合おうと決めたんだ」 立夏の笑顔はいつもより固く、手には力が入っていた。緊張をほぐすように清人が肩に手をやった。 「立夏さん。うちはこんなに自分が無力やって感じたことなかったわ」 「それは俺もだ。光橋製薬の社長がなんだ、金があるからなんだ。友人の助けになることすらできない」 「光橋、いいんだ。二人がいたから、向き合えた。俺の家族に立夏さんの親が圧力をかけようとして、俺が家族から忌み嫌われて勘当された時、光橋だけは、俺らの味方でいてくれた」 「友達として当然だ」 「そんなことがあったやなんて…うちはなんも知らんかった。今言った話だけじゃわからんことがあるんやろな…」 「彩夏ちゃんは彩夏ちゃんらしくこのままでいてくれたらいいんだよ。そして僕らを見守ってくれたらいい。光橋くんと一緒にね」 「言われなくともそうする」 彩夏より先に光橋が返事をした。 彩夏が隣の光橋を見ると、静々と食前酒に口をつけた。慣れた手つきに彩夏は品があるなと思った。 「うちは光橋さんについていくだけやから」 「光橋くん、いい奥さんだね」 「まだ子供だけどな」 「そんな子供を奥さんにしたんはどこの社長や!」 「毒牙に当てられた」 「うちは妖怪か何かか!」 「どう考えても妖怪だろう」 「妖怪やない!!」 二人の会話を聞いていた立夏と清人が笑う。 「相変わらずな二人を見てたら、不安も吹き飛ぶ」 「本当にね。さ、料理はまだまだあるよ。腕によりをかけたから、楽しんでね」 彩夏は笑顔の立夏と清人を見て安堵した。それから出された立夏の数々料理は、美味しいのはもちろん。繊細で見て楽しく美しい和食ばかりだった。 翌週の四月下旬。彩夏は立夏と清人の行く末を案じつつ、今度は自分の番であると気を引き締めていた。 「校長が家に来るなんて!」 「彩夏、落ち着け」 「ほっほっほっ…お招きいただいてありがたい」 進路に関しての二者面談は担任と済ませていたが、次は三者面談だ。 担任と彩夏の母が三者面談を行うのだが、校長が直々に旦那さんを交えて話が聞きたいと言ってきた。彩夏が結婚していることを知っているのは、学内では校長と友人の伊月のみ。場所は光橋の自宅となった。 「まるで家庭訪問ですな」 「電話でお話しすることはありましたが、改めてお話しする機会が欲しかったので助かりました。おいでいただきありがとうございます」 光橋の向かいに校長は座る。彩夏は秘書の職業体験で培ったお茶だしをした。 「ありがとう、彩夏くん」 「いえ!」 「若輩な妻です。ご迷惑をかけていないといいのですが…」 「ほっほっほっ…彩夏くんは頑張り屋さんですよ」 ファストフードの白髭おじさん似の校長は皮の鞄からファイルを出した。彩夏が二者面談の際も見た成績表だった。 「成績も五十位以内をキープしている。以前は十番入りも果たした。この成績なら都立大の経済学部も目指せます。大切なのは本番のテストですがね」 「そうですね。本番が大切です。妻は理数が苦手なので不安で」 顎に手をやる光橋を彩夏はじっと見る。 「どうした彩夏?」 「いや、光橋さんが学校に関わるなんてないから新鮮で…イベントは立夏さんや清人くんが見に来てくれるけど、光橋さんは撮影したものを見るだけやろ?」 「ほっほっほっ…二人が夫婦なのは内密だから仕方ないね。見に来るとしたら卒業式の日だね」 「その頃には無事に進路が決まっていたらいいんですが…」 「その為に毎月ある模試も精力的に受けるといい」 「はい。頑張りますっ!」 彩夏は身を正した。光橋が心配そうに彩夏を横目で見た。 「光橋さん、大丈夫やって!」 「どうも前向きが過ぎる」 「前向きはええやん!頭抱えんといてや!」 「ほっほっほっ…仲の良い夫婦だねえ」 「校長!笑い事やないねん!うちの旦那さんはほんま厳しいねん」 「どこが厳しい?」 「全部や!」 校長は微笑ましく二人を見ていた。帰り際には「二人の仲睦まじい姿を見れてよかったよ」と言った。 「校長、うちの進路のこともあったんやろうけど、うちらの事、気になってたんかな」 「もしかしたら、ちゃんと確認して見たかったのかもな」 世の中には伏せている二人の関係。守ってくれている人たちのことを彩夏は改めて感謝しなくてはと思った。 五月GWの週末。光橋は立夏と清人に一泊二日の旅行をプレゼントした。愛媛の道後温泉にある高級旅館である。彩夏は二人に色違いのエプロンを渡した。 「ありがとう、光橋くん。いってくるね!」 立夏と清人は二人のプレゼントをとても喜んでいた。特に立夏は来月の個展に向けて考えこんでいたから、リフレッシュになると言った。 「楽しんで」 光橋が彩夏の隣で見送る。 「二人にお土産たくさん買ってくるから!」 「清人にい、楽しんできてな!」 彩夏は光橋とともに彩夏宅の玄関から手を振った。彩夏が一人になる為、立夏の頼みで光橋が彩夏側の住居に泊まってくれないかとお願いをした。週末のGWに特に予定はなかったので、光橋は承諾した。 「いってきまーす!」 「いってらっしゃい!」 彩夏は、ドアが閉まると妙に静かになった気がした。 日中、久しぶりに二人で大型ショッピングモールに出かけた。夕飯は立夏が作り置きしてくれていたものをメインに食べ、早々風呂を沸かして入った。 「なあ、光橋さんなんか飲む?」 風呂から上がり、冷蔵庫を開けて彩夏は光橋に声をかける。光橋は先に風呂に入り、テレビを見ていた。 「そんな緊張するなよ」 「え!な、なんで?普通やで」 「緊張しているからと日中は出かけたが、夜はそうもいかない」 「だからうちは、普通やってば!」 「間を埋めようとしてただろ」 「…それは」 彩夏は光橋と二人きりに慣れていたはずだった。しかし、自宅に光橋が泊まりに来るのは初めてで思いの外、緊張してしまう。 「普段通りのつもりやったのに…」 彩夏がミネラルウォーターを取って飲む。 光橋が席を立ち、冷蔵庫に向かう。光橋も彩夏と同じミネラルウォーターを取る。 「寝るのは、彩夏の部屋のベットでいいんだな?」 「ゴホッゲホッ」 彩夏は水が気管に入った。平然とミネラルウォーターを飲む光橋を睨む。 「狭いやん」 「二人の部屋に行くわけにもいかない。立夏さんもそうわかって用意してないんだろ」 「立夏さんめ…」 「夫婦なんだから、気に留めないだろ」 「せやけどー」 「緊張するな」 「だって光橋さん、うちの部屋に来るなんて勉強がリビングでできん時とか数少ないから、なんか緊張するねん」 「…まったく」 光橋が困った顔をする。彩夏は光橋のこの顔に弱かった。 光橋さん、その顔をするのは計算外やろうな…。 「なんでうちばっかり…」 彩夏はその場を離れ、リビングのソファに座る。光橋もその隣に座り、タブレットを見ていた。 「自分ばっかりって悩むな」 「久しぶりにこんな遅くまで二人きりやから、ドキドキするやん!しかも普段はこの家、こんな静かやないし」 「だから?」 「なんでそんな平然とした顔なん!」 自分ばかりがどうして辱めを受けなければならないのかと彩夏はむくれる。 光橋は何も言わずに彩夏の頬にキスをした。 「な、なんなん?!急に」 「いい加減慣れろ」 「光橋さんの不意打ちになれへん」 黙ったまま、光橋は彩夏の肩を持って自分の体に寄せた。 「光橋さんがそんな雰囲気になるの、慣れへん!絶対楽しんどる」 「わかってるならわざわざ声に出すな」 「二年以上経つって言うのにさ」 彩夏は顔を俯く。 「何が不満だ?」 「うちが子供やから…もっと経験があって、余裕がある女性なら光橋さんドキドキするやろ?」 光橋が黙っているので、彩夏が怒らせたかと顔を上げると眉間に皺を寄せていた。 「怒った?」 「違う。呆れた」 「え、うわあ!!」 彩夏を抱き抱えたかと思うと光橋はそのまま肩に担いだ。 「ちょっといきなり何なん?!」 騒ぐ彩夏を無視して、光橋は彩夏の部屋に入った。シックな光橋の部屋と違い、彩夏の部屋は淡いピンクや白が基調のナチュラルテイストの部屋だった。学習机はない。ほとんどリビングで勉強しているから、まる机一つのみ。 光橋は彩夏を抱えたまま、シングルベットに寝かせた。 「びっくりするやん!寝るなら寝室に行くぞ…とか言わんと!」 彩夏が布団に入ると光橋も当たり前のように入ってきた。 「狭いわ」 「なら床で寝るか?」 「ちょっと!普通それは逆!」 「夫を立てろ」 「奥さんを立ててや」 むすっとした彩夏に光橋は頬を掴む。 「ふぐっ!?」 「全くムードも何も無い」 「…なっ、なに?!」 彩夏の頬を掴んだまま、光橋は首筋を舐めた。 「ひゃあ!」 執拗に鎖骨まで愛撫する光橋に彩夏は顔が赤くなる。 この前はいつやったか覚えてないくらい前に触られたから、慣れへんのよな…。 光橋が彩夏の腕を掴み、顔を見下ろしてきた。 「な、なに?」 「自信を持て」 「自信?」 「そのままの意味だ。自分に自信を持て。俺が選んだ人なんだ。別に子供だからとか彩夏に特別何かを望んじゃいない」 「いいん?」 「充分だよ」 「光橋さん、我慢してない?」 光橋は彩夏の発言に右眉を上げる。 「何がまずいこと言った?」 「…どれだけ我慢してると」 独り言のように言う光橋に彩夏は首を傾げる。 上着の下から光橋の指が入ってくる感触がした。彩夏は緊張が走る。光橋は眼鏡を外した。 ただえさえ、お風呂上がりで色気ダダ漏れやのに!光橋さんがメガネ外したら、やばい!! 心臓の音が速くなるのを感じながら彩夏は光橋の顔を目に焼き付ける。 「下を脱がせないからって油断するな。ギリギリまで愉しむ」 「なんやその宣言!」 彩夏は忘れていたが以前も「やめて!」と散々言っても、光橋は愛撫するのをやめなかった。彩夏は詳細に前回を思い出すまでもなし。同じ展開になるのだった。 彩夏がふと目覚めると、光橋が自分を抱きしめて眠っていた。 昨夜、上半身を散々弄られてしまった。彩夏の上着は肩がヨレている。 立夏さんにまたバレるやん!前「光橋くんは困るね」と笑顔で言いながら、洗濯物干してたし…!それにぜったい吸い後もあるし、最後までせんからってほんま好き放題やな…。 彩夏は光橋の背に手を回した。 「…ん」 光橋が目を覚ますのを彩夏は見るのが好きだ。彩夏は胸元から顔を上げて食い入るように見た。 「…朝からまじまじ見るな」 不機嫌な光橋の顔も見逃すまいと見ていると、光橋が背を向けた。 昨日のしつこさとはまるで態度が違うんやから…。 彩夏は再び光橋に抱きついた。 「昨日散々うちをいじめた罰や」 「どんな罰だ」 「なあ光橋さん?」 「なんだ?」 「立夏さんと清人にいを見てるとうちらめっちゃ恵まれてるなって思った。そら結婚生活とか普通じゃないこともあるで?でも周りから祝福してもらわれんどころか報復受けて、好きなことも簡単にできひんやなんてむごいわ」 「当たり前が本当は当たり前じゃないと気づいたならそれでいい」 「…当たり前に光橋さんの側にいれて、うちは幸せもんやね」 彩夏が光橋の背に耳を当てると光橋の鼓動の音が速く感じた。
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