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五月のある休日。
「すっげーマンションだな。コンシェルジュがいるなんて…中もすごいからつい見て回ってしまった」
「これぐらい普通だけどな」
「いや、伊月ちゃんの普通は普通やないよ」
驚愕する高本を招いたのは、彩夏と伊月。場所は彩夏の住むマンションだ。
二人は今後の相談ー進路先の大学に進学している高本と久しぶりに会うことになった。
高本は彩夏が一年の時、クラスの女子の頼みでホテルのバイトをした時に出会った他校の男子。彩夏に一時期好意を寄せていたこともあったが、彩夏が結婚していると知り、撃沈した。
それでも三人は花屋のバイト先が同じで、連絡を取り合う仲は継続していた。高本いわく「妹が欲しかったから」という理由もあるらしい。
「訳あってセキュリティ万全なところで済まなくちゃあかんってのもあるんやけど…」
「へえ…隣は旦那さんちなんだっけ?」
「うん。今日は立夏と清人にい…うちのこの家で世話になってる人らと久しぶりに三人で出かけてる。で、うちは伊月ちゃんと高本くんを家に呼ぼうかなって」
「高本さん、会うの久しぶりって言いたいけど、三人でよくメッセージグループ作って連絡してるからそんな気がしない」
伊月が高本を見て笑う。
「確かにそうだね。ていうか、何か美味しそうな匂いしない?二人ともエプロンってことは、なんか作ってたの?」
キッチンにはコーヒーが三つとカップケーキがあった。高本はそれを見て喜んだ。
「いいな…妹ってこんな感じなのかな」
「なんで泣きそうになってるんや」
「弟さんに虐げられてるんじゃない?」
「その通り過ぎて何も言えない。早速食べてもいい?」
「うん、コーヒー淹れるな」
二人はエプロンをほどいて、お茶をかねて相談を始めた。進学先の大学について、まだ入学したばかりの高本だが、やはり受験に関しては熟知していた。
「俺も経済学部だけど、まさか二人が同じ大学の同じ学部を受けるとは思わなかったよ」
高本は、彩夏と伊月が作ったマフィンを美味しいと一気に三つ食べた。
「俺は部活終わってから、めちゃくちゃ勉強頑張って受かったって感じだけど、二人は女学院だから、成績は大丈夫なんじゃない?」
「光橋さんや伊月ちゃんみたいな頭がレベル違いな人なんかやないから、うちはなんとか食らいついてるだけやで」
「なら俺が勉強を教えてあげようか…って言いたいけど、こうして相談に乗る程度にしとく。彩夏ちゃん旦那さんが怖いから」
彩夏に好意を寄せていた高本は花屋でのバイトの際、光橋に目をつけられていた。
「あれは面白かったなあ。明らかに高本くんに嫉妬してたもの」
その場にいた伊月は思い出し笑いをした。
「伊月さんも悪いよな」
高本は伊月を見て苦笑いをする。
「高本さん、大学で友達できたの?」
「同じ高校のやつは一人いるけど、大学で見つけた人はまだ。授業に慣れるので必死。あ、またバイト花屋で再開しようかなって思ってるから、二人に会うこと増えると思う」
「まだ目眩くキャンパスライフじゃないのね…!」
「伊月ちゃん、今、どんな漫画読んでるんや。恋愛のバイブル漫画って教えてもらって、光橋さんに二回実行したけど、もうせんで」
「えー!あれをできる相手がいるからいいのにー!あ、彩夏ちゃんの恋の悩みがあったら、今なら男性視点が聞けるかも!高本さんに相談したら?」
目を輝かせる伊月に彩夏は困惑したが、高本は乗り気だった。
「彩夏ちゃんの悩みが解決するなら、手伝わせてよ」
「そうか…うーん…」
悩んでいたが、二人の目を見て彩夏は話そうと決心した。
「二人やから正直に話すけど…」
うんうんと二人は頷く。
「…初体験はいつすべきやと思う?」
彩夏の言葉を聞いた瞬間、二人は固まった。
「…彩夏ちゃんの口からそんな言葉が聞けるなんて!」
伊月は目を潤ませていた。
「俺この質問、返すべき?」
顔を赤くした高本は冷めたコーヒーに口をつけた。
「高本さん、彩夏ちゃんだからこそだよ!こう言う問題は男女で話さないけれど!大切な問題だと思うから!」
握り拳を作り、伊月はいつも以上に熱くなっている。
「ま、まあ、確かに…彩夏ちゃんが変な方向に行くのも困るね。コーヒーもう一杯もらえる?」
高本の言葉に彩夏はコーヒーを入れ直すことにした。また伊月が何やら熱く話しているのを高本が冷静に突っ込んでいていた。
「旦那さんはなんて言ってるの?」
冷静さを取り戻した高本は、彩夏に質問する。
「光橋さんは高校卒業したらって…でもその話は一回きりしかできなくて。それって結婚して二年も経つのにおそない?」
「年齢差があるからね。いつになるかはやっぱり旦那さん次第かな。旦那さんもつらいだろうけど」
「待たされると女子の気持ちとしては私に魅力がないんじゃないか?飽きてるんじゃないかとか思うのよ!」
「伊月ちゃん…!」
彩夏の気持ちを代弁してくれる伊月に彩夏は目を輝かす。
「二人とも落ち着いて。好きな子とそういうことするのと、彩夏ちゃんみたいに夫婦関係だとまた違うかもしれないけど。男はやっぱりしたい気持ちはあるよ。でもそれって女の子は負担がある訳だし」
「高本さん、意外。待たせる女子が悪いとか言うと思ってた」
「伊月さん…俺をどんな男だと思ってる?まあ、その気持ちを正直、完全に否定はしないよ。女の子負担かんぬんは俺が中学で初めて彼女できた時に母親が口酸っぱく言ってきたんだ。息子二人だから余計にね」
「いいお母さんやな」
「うるさいだけだったけど、今思うとわかるかなって思う。女性目線はわからない中、好奇心もあって、すぐしたい気持ちもあったから。ただ相手が一回りも違うって自分だとしたら、犯罪扱いにもなりかねないし、相手の魅力不足とかじゃなく躊躇したり、慎重になると思うな」
「こんなに好きやのに、簡単にはいかんもんやな。別に焦ってるわけやない。うちが不安なだけ。贅沢な悩みだと思うんや。ただうちと光橋さん普通やないし、伊月ちゃんの漫画見てたら、やっぱりそんなもんなんかと…」
「とにかく、伊月さんの漫画はあんまり読みすぎない方がいいね」
「…これからはあまり見せないようにします」
伊月はさすがに反省をしたようだった。
「彩夏ちゃんは旦那さんに大切にされてるんだと思うよ」
「時々うちばっかり好きで不安になるんよな。ずっと恋してる感じ。死ぬまでこんなんなんやろか…」
「彩夏ちゃんにそこまで思われてる旦那さんが羨ましい」
「本当に…」
伊月と高本はしみじみとコーヒーを飲んだ。
「旦那さんに直接話したらどうかな?こういう話題って伊月さんの言う通り、男女で逸らしがちだし。不安で俺にまで相談するぐらいなんだから」
「彩夏ちゃんの不安や恐怖、光橋さんなら取ってくれるはず!ああー私も恋がしたい!」
「俺だってそうだよ!!何が悲しくて好きだった子のこんな相談に乗ってるんだ…」
机の上で項垂れる二人を見ながら、彩夏は今更恥ずかしくなる。
「と、とにかく光橋さんに勇気出してまた話してみようかな」
「悩みをなくして、彩夏ちゃんの大学の勉強に支障がないようにしなくちゃね…!私は大学に行って目眩くめくキャンパスライフをするんだから!」
「いや、伊月さん。そんな恋愛する為に大学行くの?」
「ダメなの?」
「ダメじゃないけどさ…現実は難しいよ」
「そんな弱気じゃダメ!高本さん!彩夏ちゃんや光橋さんみたいな素敵なカップルになれるような相手を見つけないと!」
「俺も頑張るしかないな」
「あの…二人とも話がまた変わってるような」
二人は彩夏の話を無視して、恋愛談義を始めた。口を挟むたびに「彩夏ちゃんは光橋さんがいるから」「旦那さんは彩夏ちゃんに優しいから」と言われてしまい、彩夏は大人しく聞いていることしかできなかった。
五月も最後となり、いよいよ六月となった。
「三人ともありがとうね」
午後六時。都内ビルの一室で市南流生花展示会の開催される準備が行われていた。
その準備を彩夏と伊月、さらに高本も手伝うことになった。皆が働く花屋が協力しているからだ。
「男の子がいるとさらに心強いよ」
「いや、バイトも兼ねてますから気にしないでください」
「伊月ちゃんもありがとう」
「いえ、立夏さんの力になれて嬉しいです」
「彩夏ちゃんの友達がいい友達でよかったよ」
「せやろ?で、立夏さんこの葉っぱはどうしたらいい?」
「その前に手袋…」
「いった…!!」
「ああ、人差し指の腹が切れちゃったんだね。この葉は見た目より硬くて鋭利だから。これからはちゃんと手袋しなくちゃね」
「ごめんなさい」
「慌てちゃダメだよ。今度から気をつけなね」
「はい」
「伊月ちゃん、受付に救急箱があるから取って来てくれる?」
「はい」
「大丈夫か、彩夏ちゃん」
高本は彩夏に駆け寄った。
「うん。思ったより深いみたい」
「指の節を止めるといい。輪ゴムがあるなら、縛って止血しろ」
背後から聞こえてきた声に彩夏は浮き足立つ。
「光橋さん!仕事終わったん?」
「ああ、仕事帰りだ。ほら手を出せ」
「光橋くん、輪ゴムあったよ」
立夏が光橋に輪ゴムを渡すと、彩夏の右指の節に巻きつけた。
「心臓より上にあげて待ってろ。時期に止まる」
彩夏は言われるまま、挙手の格好をした。
「彩夏ちゃん、それじゃあ発表する人みたいだよ」
伊月が思わず笑う。伊月はティッシュの箱を持って、床に落ちた血を拭いてくれた。
「あの…お久しぶりです」
高本が緊張して声をかけた。
「…高本か」
「きゃーライバル対決!」
伊月が彩夏に小声で言う。
「ちょっと伊月ちゃん!」
「この前は彩夏が世話になった」
「前?」
「相談乗ったんだろ?」
「彩夏ちゃん俺に話したって言ったの?!」
「光橋さんには嘘つけんくて…」
「ああ、あの話ね」
すべてを聞いていた立夏は思い出して笑っている。
「可愛いよね。彩夏ちゃん」
伊月もまた笑っていた。
「もうやめてや!みんなしてからかうの!」
顔を赤くする彩夏に光橋は呆れた顔つきだ。
「あんなことを周りに話すなんてどうかしてる」
「で、でも、奥さんを不安にさせてるのは事実じゃないですか!」
勇気を出して高本は光橋に話しかけた。
「否定はしない。恥ずかしい話だが、いいアドバイスだった」
「ならよかったですけど。あの、立夏さん、この花はどこに?」
「ああ、それはね…」
高本が作業を始めたことで光橋も展示会の準備を手伝いをし始めた。他作品の市南流の着物を着たおばさま方が光橋を見てざわめいているのを彩夏は少し遠くから見た。
「彩夏ちゃん、あの日のこと光橋さんに話したんだ」
伊月が彩夏に小声で話しかけた。
「めっちゃ緊張したけど、光橋さんちに行って二人きりの時に話した」
「で、なんて?」
伊月が爛々とした瞳で彩夏を見る。彩夏は顔を赤くしながら言った。
「悔しいが高本の言う通りだって」
「それだけ?!」
「その後、異性にそんな相談するなって怒られた」
「高本くんに話したって言ったの?」
「ううん。高本くんの名前は伏せててん。遊びに来てたことも伏せてたんやけど、なんでかバレた」
「光橋さんってなんでもお見通しなんだね」
「彩夏ちゃんが誰かに取られやしないかって、内心ヒヤヒヤしてるからアンテナ張ってるだけだと思うよ」
立夏が二人に加わった。
「なるほど」
納得する伊月に反して、彩夏はモヤモヤしていた。
高本くんの言うとおり、うちを光橋さんが大切にしてくれてるってことやろうから、その気持ちは嬉しい。でも、ちゃんとした答えにはなってない気がするんはうちだけ?
展示会の作業は滞りなく済み。開催される当日になった。しかし、彩夏は浮かない顔だった。
「大丈夫?彩夏ちゃん」
「うん…」
力なく答える彩夏に立夏は心配そうだった。
開催前夜、彩夏が再び光橋にモヤモヤをぶつけよう覚悟を決めていたら、光橋が先に彩夏に言った。
ー展示会の後、仕事で欧米に行く。その後は帰宅時間もないほど忙しいから、しばらく会社近くのホテル暮らしをする。夏休みは帰省して勉強に励め。
受験勉強を気にかけてくれるのは嬉しいが、光橋に簡単に会えないことが彩夏は嫌だった。
会いたいと訴える彩夏に光橋は「我儘を言うな」と言って家から彩夏を出した。それから今に至る。
ー時々うちばっかり好きで不安になるんよな。ずっと恋してる感じ。死ぬまでこんなんなんやろか…。
彩夏は自ら発した言葉を反芻して思った。
うち、光橋さんに避けられてる…?
「彩夏ちゃん?」
心配そうに立夏が彩夏の顔を除く。
「あ、ごめん!今から展示会やね!うちも立夏さんと行くで!」
とにかく今は立夏とともに展示会に向かわねばー彩夏は顔を叩いて、立夏とともに家を出た。
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