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4
梅雨が明けると、彩夏は模試を受けた。
一、二ヶ月慌ただしく勉強に集中することができなかったせいか結果は思わしくなかった。
図書館や自宅、学校で彩夏は必死にその月日を取り返そう。なおかつ合格ラインに届くようにがむしゃらだった。
夏休みに入ると光橋の言う通り、彩夏は帰省した。誘惑だらけの都会にはない静寂は彩夏を集中させてくれた。
家族も彩夏を身近で応援できると喜んで迎えてくれた。
「なんや、高校受験の頃を思い出すわ」
母が彩夏に昼ごはんをお盆に乗せて持ってきてくれた。お澪付けとおにぎり、お味噌汁は懐かしい味がして特別美味しかった。
「光橋さんと出会ってからの彩夏は、ほんま変わったなあ」
「大学受験のこと?」
「それもあるけど、六歳の時からや」
「そんなちっさい時から?」
「そうや。遊びや好きなもんもすぐ飽きてしまう子やのに、光橋さんのこととなると目を輝かせてなあ。毎年立夏さんや清人くんが光橋くんの写真見せてくれたり話聞かせてくれたんも大きかったんやろうけど」
「うち、いつも二人にせがんでたからな」
「彩夏にとってアイドル化してたとこもあるんやろうけど、ほんまに旦那さんにしてしまうし。さらには同じ大学まで行く言うんやから圧巻やわ」
「なんでやろ自分でも、光橋さんはいつもうちの中心なんよ!ほかに何も見えんくなるし、その為ならって頑張れる」
「彩夏がそんな人と巡り会ってよかった」
母はしみじみと言うので、彩夏は泣きそうになるのをぐっと堪えた。
上京してから慌ただしい毎日で、母とはこまめに連絡をとっていなかったことを思い出した。
光橋さんはもしかして、うちの家族のことやうちのメンタルも考えてたんかな?
今回の長期帰省は、模試の際一度上京するとはいえ、一ヶ月ほどになる。苦手科目に関してはリモートで授業を受けることもあるが、これ以上なく勉強に励めている実感があった。
今、彩夏は誕生日前の一週間にまた立夏や清人、光橋がやってくるのが楽しみだ。
実家で三人を待つなんて、十年間ここで過ごしてた日々を思い出すなあ…。
八月の最終週。立夏と清人、光橋がやってきた。
「彩夏ちゃんー!」
「立夏さん!清人にい!」
清人と立夏が手を振ってやってきた。後ろから光橋が汗を拭っていた。
「光橋さんっ!」
ダダダッと助走をつけて彩夏は光橋に抱きついた。
「暑いし重いしどけ」
「えーっ!懐かしい気分にテンション上がってん」
「模試の時あっただろ?」
「せやけど!三人がうちに来たシーンが十年前に重なったっていうか!」
「わかったから降りろ」
「よう来はりましたなあ」
祖父母、彩夏の母に迎えられ、三人は頭を下げた。
早速スイカと麦茶を出され、四人は縁側で食べていた。
「ふふっ…あれから十年以上経つんだね。いろいろあったけど早かったような長かったような」
「俺は立夏さんとここまで来れるとは思わなかったよ」
清人は遠い目をしながらスイカを齧った。
「あれから別れたりくっついたり繰り返しだったからね」
立夏がさらっと笑顔で話した。彩夏はスイカを食べる手が止まった。
「そ、そんなんうち全く知らんかった!!」
「まあおいおい話すよ。今も現在進行形だけどね」
「ちょっと立夏さん!勘弁してよー」
立夏の言葉に清人は項垂れてしまう。
「嘘だよ。別れるとかじゃなくて、ゴタゴタがあるってこと。ちゃんとこれからは逃げずに僕の人生と向こうの人生を分ける為に向き合うよ」
「うちも…受験頑張らな」
そう言った後、彩夏は隣で静かにスイカを食べる光橋を見た。
「…なんだ?」
「改めて懐かしいなって。ちっちゃい時もこうして光橋さんの隣でスイカ食べるの見てた」
「ついて回るからうざかったけど、今より可愛げがあった」
「ちょっと!どういうことなん!」
「そのままだよ。今と違って一歩下がってた気がしたからな」
「光橋さんの雰囲気、田舎で珍しかってんもん。立夏さんも違ったけど、立夏さんは優しかったから…でも光橋さんはとげとげしてたから…」
「そんな男のどこを好きになるんだか」
「好きになるのに理由いる?!諦めなかったから今があるんや」
「そうだよ!俺だって立夏さんを諦めなかったから今がある!」
彩夏と清人は互いに肩を組みガッツポーズをした。
「似たもの同士だね」
「…お互い苦労するな」
光橋の発言に清人と彩夏が食いついたのは言うまでも無い。
八月三十日。彩夏の誕生日イブである。明日の朝には帰省する為、実家では彩夏の誕生日会が開かれた。少しだけ受験も忘れて彩夏は宴を楽しんだ。
午前零時ー二脚敷かれた布団に彩夏と光橋は横になっていた。
「十八かー!日付変わっても実感ないけどな」
「おめでとう彩夏」
「ふふっ!光橋さんが祝ってくれるやなんて、一番嬉しい」
「単純なやつだな」
「プレゼントは何がいい?」
「受験終わったらやけど、デートしたいな」
「無事合格したなら叶えるが…それよりもっといい合格祝いはどうだ?」
「それより良いのって?」
浮かばない彩夏に光橋は口元を緩めた。
「…結婚式」
「け…け、けっこんしきいい?!」
「静かにしろ!」
光橋は大声を上げた彩夏を叱る。
「ごめん!」
彩夏は両手で口元を抑えた。
「嫌ならいい」
「嫌やないよ。なんというか信じられへん気持ち…」
彩夏は昂揚感がじわじわと胸に広がっていく。
「興奮して眠れへんかも」
「言っておくが、これも合格したらの話だ。わかったか?」
「今ので少し冷静になった」
彩夏は隣に眠る光橋の布団に潜り込み抱きついた。
「冷静になったのか?」
「考えてくれたのが嬉しいんやもん。それにハグはありなんやろ?」
「勝手にしろ」
「勝手にする!」
彩夏は受験勉強で張り詰めた緊張がほぐれていくのを感じた。そして彩夏は、決意した。
光橋さんが用意してくれる誕生日プレゼントをちゃんと受け取れるように頑張らなあかんな!
彩夏の受験にむけての日々は、目まぐるしかった。学校、月に何度かある模試、週三塾に通う。日に寄って、図書館や放課後に残った。そこには伊月がいて、学校外では高本が付き合うこともあった。外で三人で話すのが彩夏の気晴らしの一つになっていた。
年末にようやく光橋の欧米参入とサブスクリプション導入に関しての準備が整った。年明けから、始動すると言う。
光橋がホテル住まいをし、彩夏とは週末夕食を共にする程度だったが、大晦日にようやくこちらに帰ってきた。玄関先にも関わらず、彩夏は感激で抱きついた。
「もうこれで毎日会えるんやね!」
「抱きつくな。俺の家には来るな。俺がこちらにお邪魔するのは今までと変わりない」
「どこまで徹底するん?」
不満げな彩夏に光橋は嗜めるように言う。
「彩夏が頑張っているのに、邪魔をするわけにはいかない。きっと俺の家に来て二人きりになったら気が散るだろ」
「…それは間違いないけど」
「誘惑を立つのはお互い様だ。ほら、立夏さんに頼まれたオードブル」
彩夏は光橋が買って来たオードブルを受け取って、リビングに入ると立夏と清人が酒や年越しそばを用意していた。
光橋が彩夏がこっちに来てから「年越しが賑やかになった」と酒を進めるうちに溢した。珍しい内容に立夏は微笑んでいた。
「彩夏ちゃん、光橋くん、珍しく酔ってるのかな?」
立夏は先に酔い潰れて寝た清人にブランケットをかけた。
彩夏は年齢もあって林檎ジュースを飲んでいる。
彩夏は予想通りだと三人を見て思った。立夏は酒にものすごく強い。清人は逆に弱い。
光橋は立夏に匹敵すると思っていたのだが、今日はどうも様子が違った。
「立夏さんと光橋さんは同じぐらい強いはずやのにな?」
首を傾げる彩夏に光橋は眉間に皺を寄せた。
「何を言ってるんだ。俺は強い」
「それを言う時点で違う気が…」
それからまた酒は進んだ光橋を彩夏はじっと見ていた。
数分後。ゴーン、ゴーンと除夜の鐘が遠くで鳴り始めた。光橋はいつのまにかソファに腕を組んで眠っている。
「酒が強いとかいいながら寝てるし。光橋さんまで寝てもたら初詣行かれんやん」
彩夏は不服な顔をしながら、ブランケットを光橋にかけた。
「まあまあ、光橋くんも仕事に彩夏ちゃんのことにいろいろストレス発散があったんじゃない?」
「うちも原因なん?」
「奥さんが今年は受験でしょ?心配になるんじゃないかな?ほら家族が彩夏ちゃんを案じるように。もちろん僕も清人くんも同じ気持ちだけどね」
「ありがとう」
「ね、僕でよかったら、今から初詣一緒に行かない?」
「せやね。二人とはまた三ヶ日のうちに行けたらいいし」
彩夏はコートを着て、立夏と近所の神社に向かうことにした。
地元の人しか来ない小さな神社は、人混みが少なく、彩夏はすぐ境内に手を合わすことができた。
「彩夏ちゃんはやっぱり合格祈願したの?」
参拝後はあまりに寒いので立夏と彩夏は無料でもらった甘酒を片手にマンションに早々戻ろうとしていた。
「あ、忘れてた」
「え、忘れてたの?」
立夏が彩夏の言葉に笑う。
「いやあ、立夏さんや清人にい、光橋さんのことを念じてたから」
「彩夏ちゃんありがとう」
「立夏さんは何願ったん?」
「彩夏ちゃんの合格祈願かなー」
「立夏さんも自分のことやないやん!」
「自分がやらなきゃいけないことは神様に願ってどうなるものでもないし。彩夏ちゃんの合格祈願は当日僕がどうすることもできないからさ」
「そう言う現実主義なところ、三人とも似てるよな」
立夏だけでなく、清人も光橋も同じことを言いそうだなと彩夏は思った。
「長い付き合いだから似ちゃったのかな?」
立夏が笑っている姿を見ると、彩夏は安堵する。ヘタをすると光橋よりも自分の感情を露わにしない立夏はどれほどの不安を抱えているのかわからない。
「立夏さんはもう、うちと親戚やろ?」
彩夏がそう言うと、立夏は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「そうだね。みんな家族だったね」
受験当日、二月の真冬。厳しい寒さの中、何故か高本が彩夏と伊月の前に現れた。
受験会場が自分の大学とはいえ、彩夏は聞いておらず、驚いた。なぜか伊月は横で平然としている。
「もうすぐ受験なんだけど」
「…伊月さん相変わらずだね」
「なに?!うちはわからへんねんけど!」
困惑する彩夏に高本は目を泳がせている。彩夏は眉を寄せる。
「彩夏ちゃんには言ってなかったんだけど、高本さん、私のこと好きみたいなんだよね」
「うえええっ!?」
「ちょっと!受験会場前で言うことじゃないでしょ!」
高本が慌てて伊月に言う。
「彩夏ちゃんの緊張ほぐれたかなって」
「まあ、さっきまでの緊張は吹っ飛んだけど!受験済んだら詳しく聞かせて!」
「俺もいつのまにかなんだよね」
「気づかんかった」
「まあ、彩夏ちゃん。今日は受験なんだから試験に集中しよう」
伊月が彩夏の背中を叩いて言う。
「う、うん…」
「二人とも頑張って!」
「あ、ありがとう!高本さん!」
「ありがとう。でも、一旦帰った方がいいよ。風邪ひくから」
「…でも心配なんだけどな」
「行くよ。彩夏ちゃん」
伊月に腕を引っ張られ、彩夏は受験会場に入った。
「伊月ちゃん、いやに冷静やない?」
「受験なんだもの。今はうかうかしてられない。彩夏ちゃんの緊張をほぐすために言ったつもりだけど…違う意味で気になって集中できない?」
「ま、まあ…」
「大丈夫。ちゃんと私も高本さんのこと考えているから。彩夏ちゃんも今は光橋さんとのこと、考えなね」
その言葉に彩夏は深呼吸をした。スマホの待ち受けにしている光橋の寝顔を見てたから、彩夏はスマホの電源をオフにした。
「今日で最後やなんて!」
桜が満開になる頃、彩夏は卒業式を終え、号泣していた。
「ほっほっほっ…私にそんな風に言ってくれるとはねえ!」
校門の前では離れがたい生徒、教諭、後輩で溢れ返っていた。
「校長のおかげで無事うちは高校卒業できたもんや」
「彩夏ちゃん…」
伊月も彩夏につられて目を潤ませた。
「いい校長先生だね」
「…高本さん、普通におるんやな」
「どうしても、普段男子禁制が解禁される日に来たいって言うから」
「伊月ちゃんの制服姿、最後に見たかったんやないの?」
睨む彩夏に高本は汗をかいた。
「そ、それもあるけど!ほら、ご両親にも会いたいしさ」
「お付き合いをまだ了承したわけではないんだけど…私言ったよね。キャンパスライフを謳歌したいって」
目を輝かせる伊月に高本は苦笑いをしていた。
「伊月ちゃん、高本さんをいじめるのはそのへんにしとき!」
「えー!」
「大学の先輩と後輩のラブ漫画もありやろ!」
「そうね。まあだから、一応オッケーしたんだけど…まずは私の両親に挨拶ね」
「お、おう…」
スーツを着た高本は伊月に手を引かれて、華やかな両親の元へ行った。
高本さんも大変やな…。
二人の背中を見ながら、彩夏は校門の向こうを見る。
「旦那さんがお待ちなのかな?」
「せやねん。車回すからって」
「二十歳になるまでは気が抜けないと思うが、末永く仲良くするように…ほっほっほっ」
校長の笑顔に見送れ、彩夏は校門を出た。
数ある高級車から光橋の愛車はすぐに目についた。光橋の登場に周りがざわつく。卒業式の際も目立っていた光橋に彩夏は鼻高々だった。
そうやろ?うちの旦那様はかっこいいねんから!
「自分の旦那を自慢したいって顔に書いてるぞ」
「なんでわかるんよ?!」
「そんなことより、車に乗れ」
「言われんでも乗る!けど、ほんまに卒業式に来たん光橋さん一人なんやなー」
「みんな仕事があるんだ。ご両親と祖父母も見に来てはいただろ?」
「あんなすぐ帰ることないやん」
「弟くんの高校の入学説明会も重なったんだから仕方ない」
彩夏には琥太郎という三歳年下の弟がいて、彩夏と同じく東京の高校を受けたのだ。
「琥太郎まで東京に来るなんてな…で、もう直接帰るん?」
彩夏は光橋の助手席に乗りながら聞く。
「いや、目的地は欧米だ」
「…えっ、欧米?!」
「大学合格の褒美はまだだっだろ」
「でも欧米行って、デートするん?!」
「とにかくじっとしてろ」
光橋に言われるまま、彩夏は黙った。
光橋が聞いてもこれ以上応えてくれないのは、明白だった。
日付を超え、彩夏が制服のまま着いたのは、欧米のとある田舎だった。
「めっちゃ都会から車で何時間も走るやんー!もうお尻がいたいー」
「最初の感動はどうした…」
「昔は昔、今は今」
「調子いいな。もう着くぞ」
光橋の目先に古い教会が見えた。
「…もしかして」
「早く気づけ」
「合格した安堵感と卒業で胸がいっぱいですっかり…」
「彩夏らしいな」
車を止め、彩夏と光橋は教会を訪れた。
木造の教会は軋む音が微かにする。それでも地元人の手入れがよいのか、汚れはなく。
教会の真ん中にはマリア様が佇んでいた。古いオルガンも今でも使われているのか、埃ひとつない。
柔らかい日差しが彩夏に降り注ぐ。
彩夏がマリア様を見ていると、光橋が彩夏の肩を叩いた。
「何?今、めっちゃ感動して…」
光橋がスーツのポケットから指輪を出し、彩夏の手のひらに乗せた。
彩夏は一気に涙腺が崩壊した。
「は、箱やないん…」
「箱をスーツのジャケットの入れたら、バレる気がした。それに何日も閉まってられない」
「いつから入れてたん?」
「卒業式前から」
「ええっ?!」
「つけてやる」
「光橋さんの分は?!」
「ああ、そうだったな」
二人はマリア様の前で、指輪の交換をした。
「うちは、光橋さんとこれからも一緒にいることを誓いますっ!」
「挙手して言うと選手宣誓みたいだぞ」
「気合いやん!やっぱり」
「じゃ、気合いのほどをこれからも図るよ」
「上等や!」
鼻息荒い彩夏に光橋は唇を奪った。
「…み、光橋さん、もしかして今のが」
「誓いのキスだろ?」
「なんか違う〜!!」
彩夏が嘆いていると、地元の年老いた聖母がやってきて、光橋に耳元で何かを囁いた。
「…どうしたん?」
「外に出てみろ」
首を傾げるままに彩夏は教会の外への扉を開けた。
「おめでとう!!」
目の前が見えなくなるほどのフラワーシャワーが、彩夏に降り注いだ。
フラワーシャワーの向こうには彩夏と光橋にまつわる人たちがたくさんいた。
「立夏さんと清人にい!仕事やなかったん?」
「二人とは違う飛行機でみんなで来たんだよ」
「お父さんにお母さん、琥太郎、おじいちゃん、おばあちゃんまで!!」
「琥太郎の説明会が終わって、みんなと合流して飛行機に乗ったんよ!」
「バッタバタだったんだからなー!」
弟が少しむくれながら言う。
「校長先生、伊月ちゃん、高本くんも!」
「彩夏ちゃんの晴れ姿を見ないと」
「そうそう!こんな外国に来る機会ないからね!」
「ほっほっほっ…いい旦那さんを持ったねえ」
「みんな…ほんまにありがとう」
「みんな喜んで協力してくれたんだ」
光橋が彩夏の隣でフラワーシャワーを浴びながら微笑む。
「光橋さん、好きやで…」
「知ってる」
光橋は彩夏の唇に口づけをした。みんなに祝福されたキスは少し濡れていた。
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