森の奥の小さな家

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 子どものミレーヌから見て、大人の年齢は正直よくわからない。  ミレーヌはすくすくと成長していたが、出会ったときすでに大人であったエアは、年を経てもそれほど変化しているようには見えなかった。  十年が過ぎた。  二人で薬草を摘み、薬を作り、街に売りに行く生活は変わらない。必要なものを買い込み、一緒に本を選んで家路につく。 「子どもの頃、絵本で見たパンケーキが食べたい」  ミレーヌが言い出すと、エアも「食べたい」と言って夜中でも作り始める。熱いお茶や甘く煮詰めて作った木苺のジャムをたっぷりと用意して、二人で笑いながら食べるだけ食べて眠りにつく。  いつもどおりに気ままに過ごしたその日、ミレーヌは少し油断してしまった。  寒い夜で、暖炉の前に座って話し込んでたせいもある。  いつ寝落ちてしまったかなど、到底覚えてなどいない。  頬に冷ややかな空気を感じて薄く目を開けると、エアの腕の中だった。 (運ばれている)  小さい頃から、何度かあった。  エアは一面ではミレーヌの保護者であって、テーブルマナーを始めとした行儀作法をうるさく躾けられた。  その一方で悪友であり、寒い日の夕食後は、暖炉の前であぐらをかいておやつをつまむことなど日常茶飯事。  二人とも別々に本を読んでいるときは、気がつくとミレーヌが寝落ちていることもよくあった。  朝、ベッドで目を覚ます。エアが運んでくれているらしかった。  そういうとき、同年代の子どものように振る舞っていても、彼は大人の男性なのだと否応なく気づく。  いわゆる「年頃」に差し掛かってから、ミレーヌは細心の注意を払って、エアとの不用意な接触を避けるようにしてきた。  細々とした生活に必要なものは、自分が受け取っているお金で買う。街では別行動もしていた。出会ったひとと話すことももちろんある。  ある日、行きつけの店で「奥さん」と呼びかけられ、ひっくり返りそうになった。  何年間も自分たちの暮らしを見てきた人々は、ミレーヌがエアの養子であって、配偶者ではないことはわかっているはずだと思っていた。 「二人で暮らしているから」「綺麗になったから」  悪びれなく笑って言われて、(これはいけない)と思った。  男性に声をかけられたことも一度や二度ではない。心はぴくりとも動かなかった。迷惑としか感じなかった。エアがいるのに、とほとんど無意識に考えている自分に気付いて(これはいけない)とさらに強く思った。  その頃には、自分にとってのエアが保護者と友だち以外の何かなのではないかと疑うようになっていた。  それはエアにとって受け入れられる感情ではないはず。絶対に隠さねば。  ずっとそう思っていたのに、その晩はミスをしてしまったのだ。  エアの腕の中で、目覚めたことを気づかれないように、目を瞑り続ける。  蝶番の軋む音。床を踏みしめて、歩く足音。ベッドのカバーをまくりあげて、そっと降ろされる。足から片足ずつ靴を抜き取られて、毛布を肩の上まで引きあげられた。  その間、ミレーヌはひたすら寝たふりを続けていた。  エアの乾いた手が、前髪を押しつぶしながら額に触れた。  おやすみ。  低い声が耳をかすった瞬間、押し込め続けてきた感情が溢れ出してしまった。  ドアが閉まる音。足音が遠ざかる。  毛布から両手を出して、両目をおさえた。  感情が高ぶりすぎて、涙が溢れ出してくる。止まらない。 (どうしよう。好きだ)  一生無視し続けようとしてきた感情が歯向かってきて、心臓を傷つける。  胸の痛みは耐え難く、ミレーヌはしばらくひとりで泣いた。  * * *
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