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液晶テレビの画面には恋愛ドラマが映し出されていた。若者の間で人気の俳優が恋愛に奥手な大学生の主人公を演じ、冒頭で主人公は妖しい雰囲気の古本屋でアルバイトを始める。そこに働いている様々な女性店員と関係を育んでいくという内容だった。 どうやら第1話で主人公は店長の未亡人女性に一目惚れし、どうにかしてデートを取り付けている様子だった。そのやりとりを眺めながら真宮はぼそりと呟く。 「主人公の男の子、あんな人妻みたいな人に恋して大丈夫なのかな。」 ずずずと小さな音を立てて味噌汁を啜った北川はぼーっと画面を見ていた。どうやら若手俳優が演じる役は俗に言う陰キャラで、地味で奥手なのだという。しかしその面持ちから設定を上手く飲み込めず、北川はぶっきらぼうに答えた。 「絶対止めた方がいいですよ、不釣り合いじゃないですか?」 「ねー。同じ大学に若い子いるだろうに。」 「それにあの顔で陰キャって。配役間違ってますよ。」 「最近のドラマとか映画ってそういうの多いよね。感情移入難しい。」 「本当そうなんです。地味で控えめな女の子なのにメイクばっちり決めてるとか、リアルだったらそんなことないのにって。」 「でもそういうのを忠実にやっちゃうと華がなくて視聴率取れないんだろうね。」 「ああ、そういう事情があるのか…なら仕方ないですね。」 ほとんど夕飯を平らげた2人は残ったものを摘みながらドラマに見入っていた。サーモンのユッケはコチュジャンと和えているためにピリッとした辛さとコクがある。真宮はそれが気に入ったのか、既に2本目を開けてユッケをつまみにしていた。 それから2人はドラマの内容を指摘し合った。これからの展開がどうなるのか、主人公はどういった選択をするのか、周りを取り囲む環境はどう変化していくのか。しかしそのどれもが当たり障りのない感想だったが、それすらも北川は楽しかった。 テレビ画面にはエンディングが映し出され、次回予告が流れる。どうやら主人公は未亡人女性とのデートを取り付けたらしく、服装を考えているシーンが流れ、その後横浜を歩くシーンが描かれていた。 「デートねぇ、大丈夫なのかな。」 「心配ですよね。」 夕飯の8割が2人の胃の中に消え、目の前にはニュース映像が流れ始める。東北では記録的豪雨が降り注いでいるらしい。 「あ、そうだ。」 北川はふと思い出した様にそう言うと、テレビ台の脇にある低いDVDラックに向かう。その中からお気に入りの1本を選んで真宮の前に差し出した。 パッケージには眩い朝日が描かれている。真宮はそれを見て目を見開いた。 「え、これ見るの。」 「木乃香さんと見たいんですよこれ。だって主演じゃないですか、『朝に笑いたいから』って私大好きなんですよ。」 真宮が主演を務めたライブDVDのディスクをデッキに入れてリモコンを手に取る。『朝に笑いたいから』は真宮が演じる日奈美という女性が様々な男性と交際を重ね、その中で純愛は何か、1人を想うことの苦しさを学んでいくという、人間の成長を描いたストーリーだ。 再生ボタンを押してから北川は期待を込めた声色で続ける。 「正論を言われて日奈美が取り乱すシーンがすごく好きで。ちょっと共感できるといいますか。」 「あー、あのシーンか。」 液晶画面の中でオープニング映像が流れた。空の境目から日が昇り、ステージ上に置かれた白いベッドの上で日奈美が目を覚ます。ぐっと体を伸ばして辺りを見渡すと彼女は退屈そうにセリフを吐いた。 様々な男性が入れ替わり立ち替わり舞台の上で日奈美を口説き、様々な場所でデートを重ねていく。その最中で北川はふと呟いた。 「ここの木乃香さんも好きなんです。1人1人と向き合う目が違うんですよ、誰とも被ってない表情で、でもきっとそれは嘘で。本当は純愛がしたいから上の空な感じがすごく分かりやすいんですよ。あれってどう心掛けてるんですか?」 「心掛けてるかぁ…何だろう、自分じゃないから演じられるんだと思う。」 2缶目の残りをグラスに注ぐ。真宮は少し酔っているのか、とろんとした目を浮かべて頬を赤らめている。アルコールが体の内側を溶かしているようだった。 「多分自分自身が強くへばり付いてたら役に染まれないと思うんだ。上手い具合に自分を剥がして、精神と自己の間に役を挟むの。栞みたいにさ。例えばDVをする役を貰うとするじゃん?でもDVってダメじゃん、私はそう思ってるの。だけどDVはダメだよねって思いながらDVをする役を演じると、絶対に表情とか動きに抵抗が出ちゃうと思うんだ。だから上手い具合に乖離させるんだ。そうすると意外とどんな役もすんなり入ってくる気がする。」 遠い目をしていたのはアルコールのせいなのか、北川には分からなかった。しかしその時の彼女は真宮の本音に気が付かず、貴重な話が聞けたと感じてただ喜んでいた。 「すごいですね…そうやって役作りとかするんですか。」 「まぁそんな感じかな。私の場合は少し特殊かもしれないけど。」 主演を務めている本人から役作りの裏側を直接聞ける機会など滅多にないだろう。特別な権利を与えられたようで、北川は笑みを殺せずに『朝に笑いたいから』の続きを眺めていた。 いよいよ物語も終盤に差し掛かる。日奈美がようやく真っ直ぐ向き合える春一という男性と巡り会い、恋に落ちてアプローチを仕掛けるも、春一は様々な男性と関係を持っていた日奈美を嫌っており、その攻防が続いていよいよ本音をぶつけあうシーンとなった。 『今更信じられるわけないだろ、俺が声をかけた時だって日奈美は別の男と会ってたんだよな。それを何年も続けている人間が俺と向き合っただけで変われると思うか?』 2人序盤で既に会っており、その時は春一が日奈美に恋をしていた。しかし彼女が様々な男性と関係を結んでいることを知り、春一は日奈美を諦めたのだった。 『どうして普通の恋愛が出来ないんだよ。どうして見境なく色々な男と関係を持つんだよ!』 『そんなこと言ったって、あなただけが普通って思わないでよ。』 真宮は舞台上で苦しそうな表情を浮かべていた。涙声になりながら春一をキッと睨みつける。 『私だって皆みたいに普通の恋愛をした方がいいって、分かってる。でも1人を追って、その1人に裏切られたら、誰が味方になってくれるの?そうやって皆1人で抱え込んで傷ついていくの?私はそっちの方がおかしいと思うよ。』 『おかしくないだろ。皆そうやって傷ついて成長していくんだよ。』 『だから…皆と私を同じ風に重ねないでよ!』 金切り声でそう叫ぶと彼女は髪を振り乱した。甘いシャンプーの香りがステージ上に漂っていることだろう。 『間違ってる道だけど、そっちの方が傷つかないの。私にとっては皆の普通が苦しくてたまらないの!』 北川は頭の中で自分と伊藤恵介を重ねていた。きっとどちらも間違っていて、正しい道へ進んだ方がいいということなど分かりきっているのだろう。それでも楽な方へ、自分が一番傷つかない方へと足を進めたくなってしまう。 それが人間の性で、これから先も抗えないのだ。日奈美も、北川も伊藤も、皆生きるのが下手くそなのである。 やがて日奈美と春一は口論の末に分かり合い、様々な男たちとの関係性を断ち切っていった。その最中で揉め事などあったものの、2人は改めて傷つきながら自分の愚かさを知り、笑顔の絶えない朝を送ることができた。 しかし物語は最後、暗幕に映し出された真宮のセリフで複雑な意味をもたせて締め括られた。 『ハッピーエンドは、誰かのアンハッピーエンドの上に成り立つ。』 日奈美は春一との幸せを掴むため、今まで関係を持っていた様々な男たちを不幸にした。その事実は決して変わらずにそれを背負って生きていくしかない。そういった決意を思わせる一文であった。 ぐっと体を伸ばして真宮は体を伸ばした。どこか色っぽさもある声を漏らしてベッドに後頭部を添える。どこかとろんとした目を北川に向けて、彼女は溶けるような笑みを浮かべた。 「どう?主役の隣で見るのは。」 自信ありげに彼女は言う。しかし北川の熱もそれと同時に高まっていた。 「いやもう最高でした。役作りの裏側も聞けましたし、それに私最後のあのセリフが大好きなんですよ。」 「あー、アンハッピーエンドの上に成り立つってやつ?」 「はい。日奈美と春一がただ惚気た感じで終わるんじゃなくて、色々な人を不幸にした上で自分たちは幸せなんだって、責任を感じているところが成長できているポイントなんじゃないかなと思ったり。1つの分かりやすい結末じゃなくて、最後に見ている側が結末を決めるっていう流れが、劇団マハラジャの好きなところなんです。」 「えー、嬉しいなーなんか。」 とろけた声を漏らして彼女は北川に抱きついた。柔軟剤の甘い香りとシャンプーの柔らかな匂いが鼻先を掠め、肌の温もりが白いシャツ越しに感じる。その様子に当初は戸惑ったものの、上目遣いで北川を見る視線に彼女はくらりと眩暈を覚えた。 しばらくの間視線が絡み合う。二の腕に豊満な乳房の感触が当たる。やがて真宮は優しく囁いた。 「ダイフレらしいこと、する?」 幼子がおままごとを誘うような可愛らしさと、果てしない欲望に負けた女性らしい婀娜っぽさがあった。その視線にどきりとして北川はゆっくりと頷く。 雨はいつの間にか止んでいた。
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