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気持ち悪いほどの快晴があちこちを悪戯に照らす。7月に入って一切の雨を排除した空はぱきっと乾いていた。堅い空気に包まれた東京だったが、その下で暮らす人々は液状化しているようにとろけている。例に漏れず北川も溶けてしまいそうな体を必死に引き摺っていた。 大学の講義、そして九品仏駅近くのラーメン屋でのアルバイト、それを続けていれば1週間はあっという間に過ぎていく。だからこそ休日などの空いた時間のほとんどは真宮と過ごしていた。 しかしそれもここ数日は叶わなかった。 いよいよ『光陰のメテオ』の初回公演が迫り、本番に向けて劇団マハラジャの最終稽古が行なわれているらしく、北千束のライブハウスに缶詰状態だという。関係者席を用意してくれるという真宮からの言葉だったが、北川はそれを拒んだ。初回公演のチケットは既に自腹で入手している。 舞台上で観る長谷桜、ダイバージェンスフレンドの真宮木乃香との出会いで大学生活はかなり充実しているように見えた。 携帯の画面には検索エンジンで開かれたページが映し出されている。PCDは気持ちの良いオーガズムで解放される可能性もあり、カップルなどの親密度は関係ないのだという。つまり解放される術は真宮との濃厚な性の発散であり、その面でも北川は充実しているのだろうと考えていた。 ダイバージェンスフレンドは不思議な関係性である。互いの凹んだところを埋め合わせる、それをモットーに2人は様々な場所に遊びに行った。ショッピングモール、郊外の遊園地、長年の付き合いのように遊びに行き、HSPが発動すると真宮が寄り添って慰める。そしてPCDの克服、性依存症の発散という名目で、ダイバージェンスフレンドとしてキスの無いセックスを行う。その間に恋愛としての好意はなく、程良くバランスの取れた関係性であった。 しかしその日々が続いていくうちに北川の胸の中で新たな不安が生まれていた。 『じゃあ、私、帰るね。』 映像技術の講義は広々とした教室のホワイトボードにかかったスクリーンに映画を投影し、それを見て感想をプリントに書いて提出するという内容であった。今回の講義のテーマは恋愛映画における人物の撮影手法だった。 恋をしている人間の表情をどう抜くか、どう捉えるか、それに着目した恋愛映画は一昨年に公開された作品である。男性アイドルが主演を務めているということもあって話題性は抜群だった。 スクリーンに映し出された主人公の男性は、好意を寄せている女性とのデートで困り果てていた。好きと伝えてもどこ吹く風な相手と遊んでも、彼女は既に恋人のように接しているのだ。それが原因で主人公は彼女の対応に困って悩んでいる、序盤はそういった内容で進んで行く。 そして男性は現状維持と進展で悩んでいた。本当は自分のことを好きでいてくれているのではないか、であるならば告白をしてもいいのではないか。しかし断れる可能性もあるためにこのまま友人として進んでった方が楽なのではないか。その選択を悩んでいた主人公は親友との食事のシーンで力無く呟いていた。 『どっちがいいのか分からないんだ。心地いい今なのか、壊れてしまいそうな未来なのか、どっちを選べばいいか分からないんだよ。でも、俺だけ幸せになっていくのは、嫌なんだ。』 涙を流して悔やむ主人公を見て、北川は自分と主人公の姿を重ねていた。 確かに現状を延々と続けていけば幸せなのだろう。PCDを徐々に克服し、HSPが発動されれば慰めてもらい、性の発散を行う。心地いい場所で足踏みを続けた方がいいのかもしれない。 しかし彼女はベランダで見た真宮の言葉と表情を思い出していた。 『愛梨が幸せならよかった。』 自分だけ幸せになって真宮は何も変わらない。もし彼女がそれを望んでいたとしても、北川は望んでいなかった。 依然として泣き崩れ続けている主人公を眺めながら北川は現状について考え続けていた。
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