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真宮のHSS型HSPが北川にバレていることを、彼女は知らない。 近くのラーメン屋で昼食を終えた2人は小木津荘の真横をすり抜けて浜辺へ向かった。道路と砂浜を挟むコンクリートの壁は一部が欠けており、そこに出来た階段を下ってベージュの柔らかな床を踏む。細かな粒は数え切れないほど密集して硬さを生んでいた。ずっしりとした感覚がサンダル越しに伝わる。 人のいない浜辺は不思議な場所だった。遠くから寄せる波は潮の香りを辺りに撒き、辺りに生えている青々しい草木の匂いも混じって、余計な音は一切無い。ざくざくと砂浜を踏み締めながら北川は呟いた。 「誰もいないんですね、ここ。」 小木津荘にはたくさんの車が停車していた。しかしそこから徒歩数十秒で辿り着けるこの浜辺には彼女たち以外の人間はいない。真宮はぼんやりと水平線の向こうを眺めながら答えた。 「ここは海水浴場じゃないからね、がっつり海で泳ぎたいっていう人たちは違うところ行くんじゃない?」 「あー確かにそうですね。でもここも綺麗なんだから整備すれば絶対お客さん来ますよね。」 「そうしたらもっと活気付くよね。」 「なんか勿体ないですよね。」 時刻は午後3時を回り、徐々に白い太陽がオレンジを帯び始めていく。突き刺すような夏の日差しも徐々に柔らかくなっていくのだろう。しかしそれを待ち切れないほど額の汗は多く、肌と砂をジリジリと焦がし続けていた。 浜辺には流木などが流れ着いていた。どこから来たのか分からないガラス瓶は潮で乾いて、砂がへばりついている。その中でも一際大きな白い木の幹を見つけ、2人は自然とそこへ向かった。 つるりと滑る肌触りの木に並んで腰掛け、遠い水平線を見る。空と海の間に生まれた細い線はどこまでも伸びていた。 北川は黒いガウチョパンツの上で拳を作った。ばくばくと跳ねる心臓の音は寄せては返す波よりも激しく、腰掛けている流木を伝って真宮に届かないか、不安を抱くほどだった。 しかしそれを自然消滅させるわけにはいかなかった。重苦しい緊張感と溜まった本音をどうにかして言葉にし、彼女に伝えなければならない。そんな彼女の深呼吸は震えていた。 「あの、木乃香さん。」 「なあに?」 北川の方を向いて彼女は優しく微笑む。その笑顔が今の北川には酷く痛く感じ、思わず一歩退こうとしてしまう。 そんな自分に鞭を打つように太腿を叩いて北川は続きを言った。 「この間は、ごめんなさい!」 流木から一度立ち上がり、北川は深々と頭を下げた。潮の香りが鼻先を掠める。サンダルのすぐそばにアメジストのような貝殻が落ちていた。 「ん?何の話?」 分かりやすく惚けて首を傾げる。しかし北川は溢れ出る言葉を止められなかった。 「光陰のメテオ、初回公演が終わったあの日、私木乃香さんに強く当たりました。本当にごめんなさい。」 「あー、その話ね!いいよ全然気にしてないし!」 笑いながら手を横に振って彼女は言う。しかしその答えが間違っていることを、北川は知っていた。それは彼女がHSS型HSPであるからだ。おそらくあの日の言葉は彼女の胸の奥でなかなか取れることのない魚の小骨のように残り続けていることだろう。 だからこそ彼女の優しさに甘えることはできなかった。 「でも、あの時言った言葉は今でも思ってます。」 嫌われるかもしれない、それでも言わなければならない。北川はごくりと唾を飲んだ。 「あの時は感情的になっちゃいましたけど、今は冷静でいられるので、答えてくれませんか。どうして私を優先するんですか。」 真宮の手にはサイダーが握られていた。結露に覆われた瓶を傾け、喉の奥に流し込んでいく。北川はその様子を眺めながら続けた。 「どうして木乃香さんは自分が幸せになる道を選ばないんですか。」 びゅうと強い風が吹く。思わずピンクのキャップを抑えた。白いノースリーブシャツの袖から潮風が入り込む。太陽の下で真宮は麦わら帽子を抑えながら、呆れたように笑った。 「もうね、こればっかりは仕方のないことなの。」 砂浜にざくりとサイダーの瓶を突き刺し、彼女は立ち上がる。北川の前に立つと真宮は突然目の前で両手を叩いた。パチンと乾いた音が鳴って、驚いた北川は一度目を瞑る。ゆっくりと瞼を開くと真宮は鼻でため息をついていた。 「いきなりこうやられたら誰だってびっくりするよね。それと同じでさ、条件反射なんだ。自分が思うよりも体が、言葉が誰かを優先しちゃう。私なんかよりもこの人が、友達が幸せになってほしい。その人が幸せになれるんだったら私は何だってやってあげたいの。でも、それをいざ自分に向けられると、どうしたらいいか分からなくなるんだ。」 道路の方から男の子のはしゃぎ声が聞こえる。これから海水浴場へ向かうのか、大きな声で大人気アニメのオープニングを口ずさんでいた。彼には何も悩みなど無いのだろう。 「もちろん気持ちは嬉しいんだけど、何を言ったらいいのかも、喜びをどう表現していいのかも分からないの。この人たちは私なんかのために色々準備して時間を削って、本当はやりたいこともあっただろうに、って考えちゃって、素直に受け取れないんだ。分かってる。多分これじゃダメなんだろうなって、分かってはいるんだ。でもね、一度引っくり返った性格って元には戻らないの。」 北川は何も言い返せなかった。それは真宮の言っていることの全てに共感していたからだ。条件反射で自己否定をし、周りに呆れられてしまう。治したらいいと分かってはいるものの、方法が分からないのだった。 その時に頭の中に浮かんだのは、喫茶店で伊藤恵介に放った言葉だった。 HSPである北川の側で弁護してくれた真宮は、本当は北川のためを思っての発言ではなかったのかもしれない。あの時に言っていた台詞は彼女自身の本音なのだろう。 だからこそ苦しかった。 「だから愛梨には幸せになってほしいの。私は自分で自分を幸せにはできないから、だから私の分まで幸せになってほしいんだ。まぁ本当に幸せにしてあげられているのかどうか分からないけどさ。私はそうしたいんだ。」 途切れてはまた波がやってくる。足元に置いたサイダーを手に取り、真宮は海を眺めた。終わることのない水平線からやってくる潮風が2人を殴る。瓶の中身を全て飲み干した真宮はぐっと背を伸ばした。 「あ、ねぇあっち行ってみようよ。綺麗な貝殻とか拾いたいんだよね。子どもみたいだけどさ。」 空になった瓶を右に向け、真宮は先を歩き出す。最後に見せた笑顔が妙に寂しく見えて北川の胸は強く締め付けられた。潮風に吹かれてたなびく青いワンピースが真宮の生足を覗かせる。脹脛から伸びる筋が浮き出て、そこに砂が飛んでいく。 そのまま彼女の後ろ姿が潮風に塗れて消えていくように見えて、北川は慌てて新宮の後を追った。寄せる波に崩れる砂の城。その脆さを掬い上げなければならない。指の隙間から零れてしまう粒子を逃さないように拳を握った北川は、柔らかな砂をゆっくりと踏み締めていった。
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