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ルカちゃん
ルカちゃんは大人になると、ブスになりました。
めでたしめでたし。
☆
母の断捨離の付き合いで、実家に久しぶりに帰ってきた。使わなくなった古い勉強机を解体中に、出てきたのは小学生の頃に使っていたノート。
引き出しの奥で押しつぶされて、くしゃくしゃになったノートには沢山の恨み事。
瞬時に、記憶の波に攫われて、だんだんと手足が冷たくなるのを感じた。
『今日も、ルカちゃんに○×○×されて……………………』
『ルカちゃんが……………………』
『ルカちゃんから……………………』
(ああ、あのコか)
当時、同じグループで遊んでいたルカちゃんにいろいろされていた。
詳細までは思い出すことが出来ないが、その時の感情が湧き上がって、心まで冷たくなったように感じる。
私は小学生時代の記憶が極端に薄い。
運動会も林間学校も修学旅行もあったし、もちろん参加もした、写真も残っている。ただそれは記録という感覚、もしくは年表の箇条書き。
当時、流行っていたゲームやテレビ番組の会話にはついて行けるが、個人的に何があって、どうだったかと振られると、曖昧に答えてすぐ次の人にバトンタッチする癖がつく程に。
それがルカちゃんのせいかは分からないが、そんなに不自由でもない。小学生時代の友達も連絡を取っていないし、取る必要も感じないので、この先も、ほぼ問題はない。
可哀想だとは思う、俯瞰して見ることが出来る、大人の私は。
母が別の部屋をガサゴソやっているので、勝手に休憩にして読み進めた。感情の起伏でページによっては、書き殴っていたり、下書きでもしたのかと思わせる長文だったり、イラスト付きもあったりと、なかなか読者を飽きさせないようになっている。だが、全て他人には読ませられない内容で、小学生の私は少し病んでいたようだ。
(これは、覚えてる)
私がキレて反撃し、ルカちゃんを泣かせてしまった日だ。
休み時間、教室の真ん中で、私はルカちゃんをぶった。
急所に入ったらしく、ポロポロと泣き出したルカちゃんを、
『ちょっと、やりすぎだよ』
と言って同じグループだったリコちゃんが庇った。
リコちゃんとは時々、二人で一緒に帰ることもあった。その時、ルカちゃんの悪口を言っていたのに。
そのリコちゃんが、正義の味方のように私とルカちゃんの間に入ってきて、ルカちゃんの肩を持ったのだ。私を庇ってくれたことなど一度だってなかったのに。
私は悪者になって、先生に怒られた。反論はしなかった、先生は私たちが仲良しグループだと信じていたから、期待に応えてあげた。いや、そう思って欲しかったのかもしれない。関係のない第三者から、可哀想だと思われるのが、正直一番怖かった。私はそういうコだった。
誰かの期待には応えてあげたが、誰かに期待することは諦めた。
数日は大人しかったルカちゃんも、直ぐ元に戻って倍返し。リコちゃんもルカちゃんのいない所では相変わらず悪口を漏らしていた。私はいつものようにヘラヘラしているだけだった。
リコちゃんはその頃から処世術を身につけていたのだろう。頭も良かったから、有名大学に現役合格して、誰もが知ってる商社に勤めている。近況は母が世間話のついでに教えてくれた。
多分、彼女とは偶然再会しても『久しぶりー』とか、明るめな声であいさつし合うんだ。
何度も引っ掛かりながら最後のページまでめくると、余白にこんなことが書かれてあった。
――ルカちゃんは大人になると、ブスになりました。
――めでたしめでたし。
私は思わず「ぷっ」と吹き出して笑った。
罵詈雑言で埋め尽くしたノートの締めにしては、ぬるい。殺人計画なんて残されても困るけど、一矢報いたかった小学生の私の最後の『呪い』なのかもしれないけど、『ブス』ってワードがなんとも幼稚。
今も昔も小心者なのは変わらない。これ位なら、許されると思ったんだろう。
ノートは見つからないように、持ってきたバッグに入れた。
暗黒小学生だった私も、高校では友達もちゃんと出来て、今でもつるんでいる。そして、当時はちょっとだけモテた。
今もジェットコースターに乗れない恋人がいる。私も得意じゃないので丁度いい。
ノートの存在を忘れるくらいには、今は幸せなんだと思う。
(めでたしめでたし)
断捨離疲れで家事を放棄した母に代わり、夕飯の買い物に出かけた。ご飯は炊いて来たので、総菜でも何品か買って、ついでにデザートを奮発しよう。人の財布で買い物するのは楽しい。
総菜売り場を物色していると、品出しをしている中年の定員さんと目が合った。
定員さんにしては、無愛想な感じで黙々と作業をしている。
なんとなく既視感を感じて、失礼にならないように目視すると、耳の下に茶色のホクロがあって…………見覚えがあった――。
(うそっ)
胸元の名札の名前を確認した。
ルカちゃんだ。
顔が縦に少し長くなっている、化粧っ気のない硬い表情。月面のような肌に、艶のないパサパサの髪をゴムで一つにまとめている。私は距離を取って、何度も盗み見た。それから何も買わず店を出て、そのまま帰ろうとして、途中で思い出し、近所のコンビニ寄って総菜類を買って帰った。一瞬母が残念そうな顔をしたが、それでも食べ出したら味に満足したのか、他にどんな種類があるのか聞いてきたので、「自分で見て来れば」と雑に話を終わらせて、気になっている事を聞いた。
「お母さん、ルカちゃんって覚えてる。小学生の時、一緒に遊んでいた」
「ああ、いたね。お母さん、今だから言うけど、好きじゃなかったわー」
「そうなの?」
「そうなのよ。なんとなくね、ごめんね、今言うことじゃなかったわ。で、ルカちゃんがどうしたの?」
「……今、どうしてるのかな?」
「ふーん、知らない。リコちゃんのママなら知ってるんじゃないかしら、聞いてみようか?」
「いや、そこまでしなくて大丈夫。ほら、リコちゃんの話聞いたから、ついでに」
「そう?」
「そうそう。あっ、お母さん、このデザートが今、売上ナンバー1で――」
泊まる予定だったが、仕事を理由に帰ることにした。がっがりしている母を横目に、恋人に最寄り駅まで迎えに来れるか送信したら、すぐにOKの返信が届いて、ホッとした。
日頃の行いがルカちゃんを早老させ、今の彼女がある。私には1ミリも関係ないのに、漠然とした後ろめたさが店を出てから、体の中をずっと漂っている。ノートを発見した後だから、こんなざらっとした気持ちになっているのだろう。
めでたしめでたしとならないのは、私が、あの、ルカちゃんを憐れんでいるから。
私は今幸せで、他人を憐れむ余裕があり、そして、今もこれからも小心者なのだ。
逃げるように実家を後にして、迎えに来てくれた恋人に手を振った。「昔の友達が変わり果てていて、びっくりして帰ってきた」と言ったら、「えっ何で?」と不思議そうに聞き返された。
ノートはお焚き上げのように、燃やして灰にして埋めた。
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