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課長は笑み一つ向けずに私の顔を見てきます。いつも山瀬すみれと話す時は微笑むのに、深刻そうな表情には疲労感もあります。
「部屋、他に誰かいるか?」
「へっ。あ、えっと、誰もいません」
「そうか。ちょっと中で話したい」
サッと部屋に入ろうとした課長に動揺し、つい腕を掴んでしまいました。
「だ、駄目ですよっ。女子部屋に入ったら罰金って社長が言ってたじゃないですかっ」
宴会の乾杯音頭の前に社長が話してくださった宿泊における注意事項の一つを言うと、課長は瞠目し私に振り向きます。
己の発言にデジャブを感じ、課長の反応で記憶が甦りました。
霊体が本体に戻る前、ついてくる課長に焦った幽子が同じことを言っていたではないですかっ!幽子が社長の話を知っているわけがないのにっ!
なんという痛恨のミスをっ!
その瞬間、血の気が失せました。
これは...バレてしまっているのでは。
もはや課長を視界に入れることも恐くなり下を向くと、急に引戸が閉まりました。
驚いて顔を上げると、課長の腕が引戸を押さえています。逃がさないぞ、ということでしょうか。いえ、確実にそうなんだと思います...。
ど、どうしましょう。どうしましょうお母さんっ!お母さんっ!お母さあああぁぁんっ!!
「そんな固くなるな。...ちょっと確認したいことがあるだけだ」
「か、確認...?」
自分の声が情けなるほど小さくて震えています。
課長が黙って見つめてくるので、恐怖感と切迫感が益々強くなります。
堪らなく下を向いて、課長の履くスリッパと自分が履いているスリッパを交互に見ます。
頭の中ではどうしましょうが飛び回り、心拍は速すぎて胸が痛みます。
焦ってたとはいえ、幽子だった私のドアホです。だいたい、良く考えれば課長は部屋のカードキーを持っていないんですから、あのまま梅の間には入れなかったはずなんです。焦っていた私はそれに気づかなかったんです...。究極のドアホですっ。
しかし、自分を批難するのは後です。今はそれどころじゃありませんっ!この状況、どうしましょうっ!!
「なあ、山瀬」
「はいっ」
返事の威勢は良かったですが顔は俯いたままです。課長の顔を見るなんて無理です!
震える両手を抑えるように、拳をぎゅっと握りました。
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