幽子と名付けた幽霊は...

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 その後も連続して満月の夜に幽子は俺の家に来た。  彼女と話すのは愉しく、気づけば時間を忘れてしまう。  しばらく恋人がいなかったせいか、幽霊とはいえ、女性と部屋で話していることが新鮮に思えた。  仕事と筋トレだけの毎日に月一で華を添えたような、例えるならそんな感じだ。  そんな中、企画課に総務課の山瀬すみれがヘルプとして異動してきた。  人事に頼んだのは俺だったが、山瀬すみれが選抜されたと聞いた時は正直顔が浮かばなかった。  実際に会っても思い出せなかった。  マスクと眼鏡、そして重めの前髪で顔が隠れていたせいもあるが。  なんとなく、どうか話しかけてくれるなよオーラのようなものを感じていた俺は、彼女への扱い方に困ってもいた。  しかし、山瀬すみれは真面目で優秀だった。  フォローに入ってもらっていた間宮も「山瀬さん覚えるの速くて助かるーっ」と言っていたし、部下達はいつの間にかすみれちゃんと呼ぶようになり頼りにしていた。  俺もすみれちゃんって呼んでみようか、などと考えていた頃、俺は実は彼女に嫌われていることを悟った。  食堂で正面に座った途端、顔をメロンパンで隠しその後走り去ってしまったからだ。  本人は模様を見てたというが、メロンパンの裏に魅了されるほど面白い模様があるとは思えなかった。  もしかすると異動の発端者である俺を恨んでいるのかもしれないが、それにしたって露骨に避けられたな、と鋼のメンタルを持つ俺でもちょっと悲しかった。  そんな気持ちを満月の夜、幽子に話してしまった。  彼女は聞き上手だ。  そばにいると不思議と安心してしまい、ついいろいろと話してしまうのだが、いつだって真剣に訊いてくれる。 『その方は謙一郎さんのこと嫌っていないと思いますよ』 「なんで」 『会社内の異動なんてよくあることですし、そんな小さなことで恨んだり嫌ったりするような心の狭い方じゃないと思いますよ。あの、なんていうか、野生の勘ならぬ、幽霊の勘ですが、自信をもってそう言えます』  幽子は会社の内部事情を知らないから、きっと俺を元気づける為に言ったのだとは思うが、それでも間違いなく心が楽になった。  今思えば、この頃から俺は幽子を特別に思い始めていたと思う。  兎に角、山瀬が俺を恨んでいたとしても仕事に影響があるわけではない。幽子と話してそう割り切ることができた。  それからは仕事上で少しは話すこともあったが、山瀬個人を意識することはあまりなかった。  一度、仕事中に「謙一郎さん」と呼ばれた時は、幽子の声と話し方に似すぎだということに気付き驚いたが、それ以上は何も思わなかった。  ただ単にというだけで、ではない。  幽子は死んだ人間で、山瀬は生きている人間だ。同じなわけがないんだ。
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