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「いや、なんでもない」そうは言ったものの、再び彼女を瞳に写してしまえば、衝動を抑えることができなかった。
触れ合った唇は悲しいほど無機質で、感触がないから目を開いて位置確認をしないとズレるという滑稽なものではあったが、それでも胸が刺激された。
ついしてしまったキスだったが、幽子の気持ちを考えていなかったと気づいたのはなんとなく観始めた鴨親子の引っ越しドキュメンタリーの中盤頃だった。
そうなると鴨親子の奮闘劇が早速どうでもよくなってしまい、幽子はあのキスをどう思っただろうか、嫌だっただろうか、軽率過ぎたか、と鋼のメンタルを持っているはずなのに、不安になっていた。
それでも俺の手は幽子に触ることを止めず、隙を見てはペタペタとなんちゃってボディタッチに勤しんでいたのだから、呑気なエロ手だなと我ながら呆れた。
幽子が帰る時、思いきって嫌だったかと訊いてみた。
彼女は僅かに頬を染めながら首を横に振った。
つまり、嫌ではなかったのか。
「そうか、じゃあ、おやすみ、幽子」
『おやすみなさい』
幽子の姿が見えなくなったのを確認すると、俺は自前のトレーニング部屋に駆け込み、歓喜の遠吠えをしながらサンドバッグにあらゆる打撃技を決め込み始める。
「うおおおおおおおっ!幽子っ!幽子っ!幽子ぉーっ!好きだーっ!!!!」
俺もサンドバッグもクタクタになった頃、もう一回風呂に入ったのだった。
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