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第8話エカチェリーナの帰還
前書き
エカチェリーナが帰ってくる。部下27名に騎馬イヌワシ猟を教えてもらうことになった。アドリアンはコークス炉を用いてコークスを作り、瀝青炭からコークスと鉱滓を得る。コークスを用いると高温が得られるので鉄鋼の精錬が可能になるのだ。残存物の鉱滓からコールタールや硫黄が得られる。何かとつかえるのだ。
本文
★中央アジアの人々のことわざ
浅い川は音を立てる、深い川は静かに流れる。
オルダ・ウルス
オグズ・ヤグブ州の地図
古い地図だが、ヤンギケントとジェンドの位置が良く分かる。
17世紀の西シベリア
出典:「シベリア先住民の歴史」彩流社。ジェームス・フォーシス著、森本和夫訳。P55
チュメニ
☆ジェルメとケイト夫婦
ジェルメとケイトは部下100名を連れて12月12日火曜日にチュメニに向け出発した。順調に到着したのは良かったがチュメニでは留守部隊がバシキール人の軍隊に襲撃されていた。
バシキール人の指揮官たちは先住民のハンティ族やマンシ族を先頭に立てていたが彼らは戦わず、後方に居る様子だった。
ケイトが見た範囲では、ハンティ族とマンシ族の主武器である弓は木材で作られ、糸や動物の腱などで弦が張られたものである。また矢は木製の矢軸に石や金属の先端を取り付けたもので、一定の殺傷能力のあるものである。
近接用の武器としては槍と短剣が用いられている。槍は木製の柄に金属の刃が取り付けられており、敵との接近戦で使用されるものだ。槍は突き刺すだけでなく、投げることも可能だった。短剣は近接戦闘や切りつけに使用された。一般的には単純な形状の刃を持ち、身を守るための盾と組み合わせて使用された。
防具としては皮や毛皮の衣服を着用していた。これらの衣服は身体を暖かく保護し、攻撃からの一定の防御を提供した。盾は、木材や皮で作られ、身体を広範囲に覆い、敵の攻撃から防御した。
戦闘時に頭部を保護するために、頭部防具を使用した。これには皮製の頭巾や頭盔などが含まれ、頭部への攻撃からの保護を提供した。
モンゴル末裔のケイトは勇敢な戦士であり、弩と鋼鉄製の槍と刀剣を手にしていた。彼女の弩は弓よりも強力で、高速かつ遠くまで矢を放つことができた。弩の頑丈な構造と安定性は、ケイトにより正確な射撃を可能にし、敵を的確に狙うことができた。また、弩の操作は簡単であり、素早く矢を装填することができた。
ケイトは戦いの準備を整えると、鉄製の兜や頭巾を身に着けた。兜には大きな鼻当てや眼帯が装着され、彼女の顔面を守った。胴体を保護するためには、鎖帷子や板金製の胸当て、肩当て、背中当てが使用され、これらの防具は重要な部位を守る一方で、ケイトの運動性を損なわずに戦うことを可能にした。
手甲や足甲は彼女の手足を保護した。鉄の板を編み合わせた鎖甲も使用され、全身をより確実に防御し、彼女が馬に乗る際には、馬の脚に当たる場所にも防具が装着され、彼女と彼女の馬を守った。
戦場においては、ケイトは大型の盾を持った。鉄板を張り合わせた盾は頑丈で、敵の攻撃を防ぎ、彼女と仲間を守る役割を果たす。盾の中央には突起があり、敵の武器をはね返す効果もあった。
ケイトは馬に乗り、武器と防具を身に纏った。彼女の姿は勇ましく、弩を引き絞る力強い姿勢と、鋼鉄で守られた身体が一体となっていた。彼女の馬は優雅に動き、彼女を戦場へと駆り立てた。ケイトの存在は敵に畏怖を抱かせ、味方に勇気を与える光景だった。夫のジェルメは、100名の部下に「ケイトに続け」と檄を飛ばし、自らもケイトに続いた。
ケイトはこの状況を目にして冷静な判断力を持ち、即座に行動した。
チュメニを守っている当方の守備兵はハンティ族とマンシ族の包囲に十分耐えられると判断し、チュメニ砦の向こう側に居るサムイル・ハン国の本営を騎馬で奇襲しようと判断し、直ちに大回りして本営を突いた。
☆バシキール人の本営
本営にはハーン(王)、ノヤン(将軍)、タルカン(貴族)などがバカでかいユルタ(天幕)の中で前祝いの祝宴を張っていた。たったの1,000名の守備兵が守っているチュメニを2万名の軍隊で攻めかかるのだから100%勝つと思うのも無理はなかった。しかし、彼らは武器の性能と防具の性能が格段に違うという事の認識が甘かった。ましてや騎馬兵が襲撃してくることなど思いもよらなかったのだろう。
ケイトたちは100名の騎馬弩「クロスボウ」部隊で本営に襲いかかり、本営のユルタの周囲を守っていた兵隊たちを弩で全員倒し、本営の敵将校「王を含む」たちを全員捕らえた。
最終的に、ケイトと彼女の部隊は見事な勝利を収めた。彼らの勇気と組織力が光り、バシキール人の軍隊を打ち破った。その戦いの様子は、モンゴル系遊牧民の誇りと勇気の象徴となった。
1364年2月11日日曜日朝5時……冬営地ジェンド
アドリアンはミハイルに会い、ラドミラとアドリアンとの間に生まれた子供の事で交渉した。
「エカチェリーナにエカチェリーナの産んだ子とラドミラの産んだ子の面倒を見させる。慰謝料として金のインゴットを2枚渡すから、俺とラドミラの事は水に流してくれ」とアドリアンが父親のミハイルに申し出た。
ミハイルは、
エカチェリーナが男の子と女の子の双子を生んだと言っておけ。俺の面子を守ってくれれば俺は文句を言わない。
と言い、アドリアンは了解した。
アドリアンはラドミラに会って子供をエカチェリーナの子として育てる事の了解を得た。次に、アドリアンはイルティシュ川上流域で冬営しているテレングト部族のラドミラの両親に会いに行った。
留守を預かる部下たちにジェンド城の設営を命じておいた。夏は石炭と鉄鉱石を掘り、セメントの材料を集めろと指示した。
1364年3月3日日曜日朝5時……イルティシュ川上流域のテレングト部族冬営地
エカチェリーナとステファン・バザロフ0歳「ラドミラの子」、アドリアーナ・バザロフ0歳「エカチェリーナの子」及びボオルチュたちが出迎えてくれた。
ラドミラのご両親に手土産のトナカイの毛皮を持って会いに行った。お母さんは43歳、お父さんは46歳だ。お世話になった御礼に大金貨100枚を送った。一族100名が1年間暮らせるだけのおかねだ。
アドリアンは部下たちに地下40mの井戸を掘らせ、横穴を何十本も掘って倉庫をたくさん作った。倉庫の1つにおかねを保管させた。お母さんが食料の保存ができると大喜びしていた。
1364年3月3日日曜日昼12時……ラドミラの両親のユルタ
族長のヤクギル45歳が訪れた。お父さんがヤクギルに紹介してくれた。
アドリアンは「うちの若い者が大勢お世話になったと聞きました。この際ぜひ別の部下にも騎馬イヌワシ狩猟をお教え下さい」とヤクギルにお礼を述べ、持参したラクダの毛皮や珍しい各地の珍品をヤクギルに贈り、授業料として大金貨100枚を渡した。
ヤクギルは快諾し、自らが師匠になると言ってくれた。テムジンたちと一緒に分解式のユルタを10戸分作り大型のユルタ3戸を自分用とし、残りはみんなに分けてやった。
3月3日日曜日午後10時……自作の蚊帳付きユルタ
エカチェリーナと久し振りに仲睦まじく語らい、2人で過ごす幸せを噛み締めながら床についた。
3月4日月曜日朝5時……自作の蚊帳付きユルタ
何時もの時間に目が覚めた。エカチェリーナも起き上がりアドリアンの身支度を手伝った。例によって朝練を開始する。近くの空き地で下履き1つで訓練を行い、終わるとサウナで身体を暖め、白樺の枝で身体をビシバシと叩く。トゲが身体を刺激して毛細血管に血液が行き渡り、身体がポカポカ熱くなってくる。そこでイルティシュ川に浸かり体を冷やす。これを何回も繰り返すわけだ。
夏営地の近くに川のあるところではサウナが主流だった。アドリアンも夏営地のイマキヤはイルティシュ川中流域にあったから夏はサウナを利用していた。
3月4日月曜日午前7時……自作の蚊帳付きユルタ
ラドミラのご両親も一緒に朝食を摂った。ラドミラのお父さんの姉妹たちが滞在中の部下たちの食事の面倒を見てくれるそうだ。お父さんがイヌワシの世話のやり方を大まかに教えてくれた。初雪が降れば狩猟を開始する。夏営地では牧畜が主になるそうだ。
アドリアンはボオルチュたち以外の部下27名を置いて草原に帰ることにした。
アーロン、バリー、ブライアン、セドリック、チャーリー、コーディ、ダン、デニス、ダグラス、エディの10名及びボフミル男、カルタン男、ムハメド男、ケマル男、ラマザン男、マフムト男、サリフ男、ヤシャル男、ベキル男、ユスフ男、オメル男、レジェブ男、ヒュセイン男、ハサン男、イブラヒム男、アリ男の17名である。入れ替えに向こうの若者27名を引き取ることにした。お互い良い経験になることだろう。
3月5日火曜日昼12時……春営地オルダバザール
エカチェリーナ、ステファン、アドリアーナの3人がアドリアンのアウルに新しく入り、大型のユルタを設置した。蚊帳も3個に増やし随分快適になった。
隣のユルタにラドミラのお母さんラガド43歳が赤ちゃんたちの面倒を見るために来てくれた。ラガドさんを入れて5人で昼食を楽しみ、アドリアンは部下たちを引き連れてカラガンダとルドニーに向かった。人数を半分ずつに分けて向かわせた。以前とは異なり、鋼鉄製のツルハシやトロッコを運ぶ線路が出来たので効率が約5倍になった。人数も5,000名となり、3日で1万トン掘れる。
3月10日日曜日昼12時……カラガンダ
1万トン掘ってラクダ10万頭に乗せてルドニーに向かった。
3月17日日曜日昼12時……ルドニーの製鉄所
1万トンの瀝青炭はコークス炉で高温で蒸し焼きにするとコークス2,000トンに変化する。残った軽油は製鉄所に渡し、コールタールや硫黄、ピッチ、硫酸、アンモニアは持ち帰った。2,000トンのコークスのうち1,000トンを製鉄所に渡した。
3日掛けて鉄鉱石を1万トン掘った。しばらく此れくらいでいいだろう。ここにも砦を建設した。コークスをチュメニまで売りに行った。一部は毛皮と交換しよう。
4月21日日曜日昼12時……チュメニの市場
コークスを400トン売った。大金貨5万枚で売れた。コークス100トンを毛皮、蝋、木材、木タール、魚油と交換した。
イヌワシ猟をボオルチュたちに任せてルドニー経由でイマキヤに向かった。ルドニーに置いてあった鉄鋼100トンをラクダに乗せた。
5月19日日曜日昼12時……イマキヤ
イマキヤで鍛冶屋と馬具や及び交易商店を開いた。中国から紙や火薬及び絹を購入し、代わりに毛皮や蝋などを販売した。農機具類もよく売れた。刀剣類、槍類、馬具は販売しなかった。
アドリアンは騎馬隊の馬具を最新式に変えた。戦力は数倍に向上した。鐙と蹄鉄の効果が絶大だった。4,5mの長槍部隊で槍衾戦法を採れるようになった。
バイの人たちが来るまでにアドリアンは鉄製のボイラーを製作した。イルティシュ川から水を引き、コークスを熱源とするボイラーを通して鉄パイプで温水を各家庭に供給する。バイの人たちのために地下の固定住居を100軒建設して蒸気パイプも全家庭の各部屋に通した。エカチェリーナは暖かさに感激していた。この地も攻撃される可能性は十分にある。ジェンドと同様に砦を建設した。この間にコンクリート100トン分の材料を集めさせた。
今回はここまでにいたしましょう。次回をお楽しみに。
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