7人が本棚に入れています
本棚に追加
「え」
それは若い男の声だった。
おかしい。この部屋には自分しかいなかったはず。酸素の足りない部屋の中、視線を巡らせど人影一つ見当たらない。ならば、声は何処から――。
「此処だよ此処、おじょーさんの真ん前」
声の発生源は額縁の向こう。グリム・ウィッチの肖像画から聞こえていた。
「ああ、ついに幻聴が聞こえてきた。しかもよりによって絵からとか……ボク、最後まで――」
「うんうん、死ぬ間際に大好きな絵画からの幻聴を聞いちゃうほど、俺のこと大好きなんだよねー? いや照れちゃうな」
「……は?」
やけに明瞭に悠長に聞こえる幻聴。しかし、幻聴は自分の頭の中にある考えやイメージが聞こえてくるもの。
トワのイマジナリーフレンドであるグリム・ウィッチはこんなおちゃらけた感じの男ではなかった。トワは絵画をはっきり目に捉える。
「あ、正気に戻った? 泣きわめき始めたと思ったら急に笑ったり。発狂しちゃったのかと思ったぁ」
「な、絵が動いて喋ってる……!!」
絵の中の男はいつも閉じていた目を開き、トワをしっかり見ていた。男は驚くトワに愉快だとばかりに笑っている。
「いいねその反応。でも、魔法のある世界では絵が動いて喋ってるのは普通じゃね?」
「それは魔力濃度の高い場所か絵自体が幽霊じゃないと動かないんです。この国、魔力濃度低いし……アナタ、もももしかしてゆうれい」
「幽霊ではないかな〜」
幽霊ではないと言う男にでは何なのかと問おうとした時、閉じた扉の向こうから凄まじい爆発音が響いた。余りの音に、トワはピャッと絵画の方に飛び跳ねた。
「いやあ大炎上してるじゃん。前から実家が炎上しますよーにって願掛けしてたし、お願い叶ったねぇー」
「ボクは物理的に炎上して欲しいなんて一言も言ってない!」
そう、確かに炎上して欲しかったが、それは評判が悪くなってバッシングされろというニュアンスの炎上であって、本当に燃えて灰になれということでは無かった。
火はどんどんとトワのいる部屋を侵食していく。しかし、トワはある事に気がつく。
「あれ、絵の周りだけ熱くない」
現在、彼女は絵のすぐ真ん前に立っている。その絵の周りだけ炎も煙も寄ってきていなかった。
「どうして……」
「そりゃあだって、トワちゃん自分で言ってたじゃん。誰か"助けろ"って」
「なんでボクの名前を知ってるんですか」
「トワちゃんがほんのちんちくりんだった時からずっと見てきたんだから、名前ぐらい知ってるよ」
男はトワに優しくねえ、と問いかける。
「俺、トワちゃんにお願いがあるんだよね」
「お願い?」
「そそ。そのお願い叶えてくれたらトワちゃんの事、ずっと助けてあげるよ」
男は絵の中で大袈裟な動きでもって、まるでサーカスの団長の様に話す。
「俺がここに買われた理由。それは俺がなんでも願いを叶える絵画だから」
「それは知ってますが、父様は嘘だと――」
「本当だよ」
「っ」
男は愉快そうに目を細める。
「俺は本当になんでもお願いを叶える事ができるよ。現に、今はトワちゃんを炎と煙から助けてる」
さっき助けろと叫んだ事。男は本当に実行している。
絵の周りは既に火の海。この男が自身を見放せばきっとすぐに炎に飲まれて死ぬだろう。トワは考える。
このまま炎に焼かれて苦しんで死ぬのは嫌だ。しかし、この絵の中の男は幽霊ではないが悪魔の可能性があった。悪魔のお願い事など碌なもんじゃない。最悪魂を取られるだろう。どちらにしろ自分は死ぬ。
ああでも、それでも彼女はこの絵が好きだった。例え絵の中の男が思ってたのと違くっても、胡散臭くっても。
彼女はいちど好きになったら割と一途な女だった。それに、どうせ死ぬならクソ王子が発端の火事より友達(仮)に殺される方が遥かにマシであった。
「助けるというのは……これからずっとというのは本当ですか?」
「ほんとほんと、インド人嘘つかない」
「インド人ってなに……ずっとって、ボクが死ぬまでの間?」
「うん。トワちゃんが死ぬまで俺の持ち主になるならね」
「お願いは、例えば金が欲しいとか、食料が欲しいとか、寝床がほしいとか言われたら、用意してくれるんですか?」
「うんそお」
トワは一度目を瞑り、深呼吸する。
「分かりました。言うとおりにします」
「お、やりぃ! 俺このまま一生炎の中に閉じ込められるのかと思ったわぁ」
トワの決意を聞いてにこにこ喜ぶ男。どうやら自分では動けない様だった。自立移動できないという事はお願いの内容は此処からの脱出、または移動の件だろうか。
「俺のお願いはずばり」
「……」
「ちゅーです!」
「――はい?」
トワはまた背後に宇宙を背負う。頭の中で男の言い放った単語を反芻した。
「俺にちゅーしてくれたら助けてあげる♡」
「はあ!? ちちち、ちゅーってキスの事ですか!? できるわけ無いだろッ!!」
トワは思わず絵から離れたが、周りが余りにも熱すぎて「あっっづッ!!」と言いながら慌てて元の場所に戻る。
「えー。ちゅーくらい大丈夫でしょ。愛しの王子様とちゅー以上のこともしてきたでしょ? なら絵にちゅーするくらい平気平気」
「そういう問題じゃないしボクはまだファーストキスどころか手繋ぐのもまだですが!?」
「あっ(察し)」
「憐れんだ顔するな!!」
彼女は自分の婚約者に相手にされていなかったし、彼女自身初心で恋愛ド素人であった為にまだ真っさらであった。
それと、トワはボッチだった。余りにも友達ができなさ過ぎて絵を友達認定するほど寂しいやつだった。
絵を友達にしちゃう程痛いやつが今度はそれにちゅーするなんてとんでもない。痛さが増してしまうではないか。
「もしかして絵にちゅーするなんて痛いって思ってる? 大丈夫だよ、ここには俺とトワちゃんしかいないし」
「いや、でも、んぐぐ」
「ほらほら早く、何処にしてもいいから。悪いようにはならないからさ」
葛藤したトワは壁から絵画を外し、瞳を閉じる。彼女は額縁の上の方に、控えめにキスをした。
――パンッ!!
突然、クラッカーを鳴らしたような音が響き、閉じた瞼の向こう側が光った。
恐る恐る目を開くと、辺りにはらりはらりと星クズが舞いちる。煌めくそこには絵画から上半身だけを出している男の顔が少しだけ高い位置にあった。
「額縁も体の一部ってわけぇ? はーシケた呪いだこと。マ、ちゅーした場所が額縁で上半身出られるなら上等かぁ」
トワの肩に両腕を乗せてバランスをとっている状態の男は、少し下の唖然とするトワを見て笑う。
「さて、外に出してくれたお礼にこれからばんばんお願い聞いてあげる。まずは手初めに屋敷から出ようか」
にっこり笑う彼は背後を指差した。気がつくと辺りの炎は消えていて、扉は焼けたのか綺麗に無くなっていた。
最初のコメントを投稿しよう!