作品No.1 グリム・ウィッチの肖像

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 歩く屋敷内は何処もかしこも丸焦げで、しかし炎は完全に消えていた。トワは絵を持ちながら跡形もない廊下を進んで行く。 「ありゃあ、なんっも残ってないねぇ」 「妖精の炎で燃えたので当たり前です。寧ろ跡が残ってる方が可笑しいんですよ」  トワは真っ黒になった木片を蹴っ飛ばす。忌々しい記憶しかない屋敷の残骸をぞんざいに扱う事で少しだけ気分が晴れた。彼女は実家が心底嫌いだった。 「それにしても、どんなに水をかけても消えない炎がどうして消えたんでしょう」 「さあ、俺の呪いが五分の一くらい解かれた反動で消し飛んだんじゃね?」 「待ってください。呪い?」  初めて聞く話だった。彼は呪われていたのか。呪いによって絵にされたと言う事だろうか。彼女は思考を巡らせる。 「俺ね、使う魔法が強力すぎて魔法で封印されちゃったんだよね。で、その封印を解く為のトリガーが真実の口づけ」 「真実の口づけ……」 「いまどき真実の口づけで魔法が解けるとか古くなーい? マジ時代錯誤。センス皆無。魔法っつか呪いじゃんね。これ考えた聖女とかいう生命体生きてる価値ある? いやない(反語)」  トワは『聖女』というワードにピクリと反応する。絵の彼はトワに抱えられている状態なので、聖女に反応した彼女にすぐ気づいた。 「聖女、嫌いなの?」 「王子の浮気相手が聖女でして」 「はわわ」  トワは額縁を強く抱き締め、怖い顔をする。そうだ、この屋敷を出たらもしかしたら奴らが居るかもしれない。また剣を向けられて、今度は魔法を撃ち込んで来るかもしれない。  体を強張らせていると、額縁から伸びる手がトワの髪の間に差し込まれた。 「わ、ちょっと何ですか」 「トワちゃんの事は守ったげるから心配しなくてもよろしくってよ〜」 「何だその喋り方。ちょ、わかりましたから今すぐ手を離しなさい!!」  男は「そ?」と一言呟いたあとに撫でるのをやめた。トワは離れていく手を見つめて、ちょっと残念に思った自分を頭の中で十回は叩いた。 「はぁ〜、それにしても五百年ぶりのシャバの空気は美味しいな〜」 「周り、焼け野原で焦げ臭いですけどね。というか五百年ぶりってアナタいったい何歳ですか」 「忘れた。アでも心はいつでも十八歳だよ」 「その顎の下に握りこぶし持ってくるポーズ、ムカつくのでやめてください」 「やだ、傷ついちゃった」  トワは不思議な気持ちになった。話す分には初対面で上半身だけ外に出ている珍妙な男と自然に会話できている。それも昔から知り合いだったかのようにスムーズなものだった。  男は会話が止って気まずくなる前に喋り、トワのキツイ言い回しにも不機嫌になること無く茶化す。トワの扱いを完璧に理解している様に思えた。 「あの、アナタがうちに来た時から意識ってあったんですか?」 「んあ? うん、そだね。あったよ普通に」 「……ボクがアナタに喋りかけてたときも?」 「あったねぇ、意識」  トワは顔に手を当て天を仰ぐ。羞恥で爆発しそうである。 「嘘だ……嘘って言ってくれ……」 「うそ!!」 「嘘つくな!!」 「え〜」  トワは絵画の前でそれはもうはしゃいだ記憶がある。嬉しい事があれば報告し、悲しい事があれば愚痴り、床に寝っ転がって暴れた事もある。つまり、他人に見せられない自分の姿を全て見られていたということ。 「なあんで早く教えてくれなかったんですか! アナタに意識あるって分かってたらあんな……あんな醜態晒さなかったのに!」 「醜態って? 王子様の惚気(のろけ)を延々と喋ってたこと? それとも王子様と結婚したらしたい事紙に書いてた事? いやあ微笑ましかったなあ年相応で」 「あ"あ"あ"あ"あ"忘れてくださいッッ!!」  王子の婚約者になったばかりの時、彼女は盲目的に王子を好いていたので、毎日デレデレだった。歳を重ねて少し落ち着いてきていたが、トワの成長を額縁越しに見守っていた男の記憶では話の内容が家族への恨み言からほぼ、王子の話になっていたと記憶していた。 「良いじゃん別に。そこまで気にしなくたってさぁ」 「嫌なものは嫌なんです」 「言いふらすつもり無いのにぃ」  男の言っている事に嘘はない様に思える。トワはさらに不思議な気持ちになった。  顔だけ知っていて殆ど話したことがなければ顔見知りとは言えない。ただの見たことのある他人である。  人見知りのきらいがあるトワとここまで会話のできるこの男は人の懐に入るのが上手い。 「そういえば、まだアナタの名前を聞いてませんでしたね。絵の名前自体は『グリム・ウィッチ』でしたけど、これは本名ですか?」 「本名ではないよ。勝手につけられたの。にしても酷くない? 直訳したら『無慈悲な魔女』だよ? 誰が無慈悲だこのやろう」 「魔女という呼称についてはノーコメントなんですね」 「いやホラ、俺って顔がかわいいじゃん? だから魔女って言われても仕方ないっかな〜なんて」 「……」  なんとなく男、グリムの性格がわかってきたトワである。彼女は道端の雑草を見るような顔をした。 「俺が絵に閉じ込められる前なんか男に求婚された事あるし。引っ叩いて伸したらそいつ国の第三王子でさぁ。はぁー、死ぬかと思った!」 「それ、アナタが住んでた国の話ですか」 「違うよー。全然違う国」 「アナタ、旅でもしてたんです?」 「ちゃんと二足歩行してた時にね」  旅。その単語に今後の事を考えさせられる。  現在は屋敷の残骸の中をゆっくり歩いているが、外に出たら自分は捕まるかもしれない。もしくはもう死んだとみなされているかもしれない。どのみち、もうこの国にはいられない。自分はこの小さな国から出ていかなければならないのだ。  トワは足を止めてグリムと向かい合わせになるよう額縁を持ち直す。 「グリムさん」 「ん、なあに?」 「ボクが旅に出たとして、生きていけると思いますか?」  トワの切実な問いに、グリムはニンマリ笑顔を作る。 「さあ? いまの君はただの"魔法の使えない"ちっぽけなお嬢様だ。そんなちんちくりんが旅? 正気?」  ――嗚呼、また『魔法』だ。  トワはグリムを泣きそうな目で睨む。  トワとて分かっていた。魔法が使えない者が旅に出るなど、無謀で危険な自殺行為だ。  非魔力保持者への差別が激化する昨今、差別対象であり性別が女となれば、どんな仕打ちが待っているかなど分かりきっていた。  それでも――それでも、彼女は旅に出なければならなかった。だって、このままでは始末されてしまうから。 「無謀だと、わかってる。理解してる。きっとボクはすぐ死ぬでしょう。魔法が使えないから国に入れてもらえないかもしれない。箒で飛べないから道中崖から落ちるかもしれない。襲われても抵抗できず慰みものにされるかもしれない」  魔力が無ければ、魔法が使えなければ身を守れない。どんなに努力で補おうとも、補いきれないものがあった。 「けれど、」 「けれど?」  彼女は強い意思を宿した瞳でグリムを射抜く。口元は笑っていた。 「――あんなド腐れ王子に殺されるくらいなら、うんこに頭突っ込んで死んだほうがマシです」 「つまり、王子に殺されるよりうんこで溺死のがマシで、うんこで溺死より旅の道中で死んだほうがマシってこと?」 「ええ、そういう解釈で合ってます」  キョトンと問うたグリムは先程の何を考えているか分からない笑みを崩し、心の底から楽しそうに笑った。それはもう豪快に、手を叩きながら。真っ黒な屋敷の焼死体には似つかわしくないクラップ音が響く。 「あっははは、いいね最っ高だね!! 俺、口の悪い女の子だーいすき!!」  キャッキャといっそ無邪気なグリムはひとしきり笑うと涙を拭いながらトワを見る。それは、今までトワが見てきた中でいちばんいちばん優しい視線だった。そこには確かに愛情が込められていた。親にも、誰にも向けられなかったものだった。 「俺は、君の願いを聞くといった。君は旅をご所望だ。魔法が使えないなら"俺"を使えばいい。約束はいま、果たされた」  グリムはいつの間にか手に一本の平筆を持っていた。 「さあ、今日から君はラベンディア家のトワから魔法使いグリムの弟子、新しいトワ()に生まれ変わった」  筆がタクトが振られるように動く。しゃらりと舞ったそれは緩やかに光を描き、トワに降り注ぐ。  すると、トワのボロボロだったドレスは白のブラウスに青のスカート姿になっていた。 「これは仕上げ!」  グリムはどこから出したのか分からないリボンをトワの胸元に飾る。ピンクとは反対の、青空のように鮮やかなリボンだった。 「うん、やっぱりトワちゃんにはピンクよりこっちの色の方が綺麗だね」  満足そうに微笑みながら頭を撫でるグリムをみて、トワは何だか無性に泣きたくなった。  本当は、ピンクより黒や青みたいな落ち着いた色が好きだった。ふわふわした服より、スッキリした服が好きだった。好きな人の好みの服を着て一言、かわいいと言ってほしかった。綺麗だと言ってほしかった。彼女は王子殿下の婚約者である前に、恋する普通の女の子だったのだ。  今まで感じていた重みが、一気に宙に浮く心地がした。 (ずっと迷子だった子供がやっと親を見つけたとき、こんな気持ちになるんだろうか)  トワは涙が収まるまで、額縁の下の方に額をくっつけて沢山泣いた。その間、グリムは何も言いはしなかったが頭を撫でる手だけは離さなかった。
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