作品No.2 石膏に恋する男

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 宿屋の三階、いちばん奥の角部屋。それがトワ達にあてがわれた部屋である。路地の内側に位置するこの部屋は日の光が届かず、薄暗いばかり。 「ちょっと、アナタが喋らないからボクがこの量を一人で食べると思われたじゃないですか!」 「べつにいーじゃん。俺いっぱい食べる女の子好きよ。かわいい」 「そういう問題じゃ……ああもう!!」  彼女がキャンキャン吠えてる間、グリムはひたすらサンドイッチをもぐもぐしていた。  トワがどんなに怒ったところで咀嚼は止まらないし、グリムのほっぺたは膨らむばかり。なんだか一人で怒って馬鹿らしくなってくる光景。トワはグリムが手を伸ばしていたサンドイッチを掻っ攫い、口に入れた。 「あ〜、俺のたまごサンド……」 「たまごばかり食べ過ぎなんですよ」  ふん、と最後のたまごサンドを頬張る。しわんしわんに萎びたグリムの顔を見たら少しだけ溜飲(りゅういん)が下がった。飄々(ひょうひょう)と余裕な顔しかしてこなかった男の残念な顔はさぞ愉快なものだろう。 「グリムさん、あの店主がいる時だけ話しませんよね。それどころか上半身も出さないじゃないですか。いったいどうしたんです?」 「……」 「あれ、グリムさん。聞いてます?」 「……」  グリムはトワが話しかけても答えず、ドアのほうを見ていた。動きを止め、息を潜めているようにも見える。  なんだろうと口を開きかけると、グリムがおもむろに片腕をあげた。その手には一本の筆が握られている。  手は筆先を空中にスルスルと踊らせた。 『Keep talking(そのまましゃべり続けて。).』  宙にきらきら光る文字。細かい粒子の集合体はトワに指示を示した。首を傾げたトワだが、グリムが意味なくこんな行動をとることがなんとなく、無いかなと思った。だから、答えを必要としないことを話し続けた。  これから行きたい場所、見ておきたい場所、夕飯は何か。果ては実家の愚痴などなど。語れる範囲のことをグリムの合図があるまで語る。彼女は一方的に話題を振るのに長けていた。  因みに、話題を振るのに長けている理由はトワは幼少期に話し相手がいなく、グリムに向かって独り言を延々していた過去の為である。彼女の過去はもう何か悲惨だ。 「はいもういーよ〜」  暫く。明るい声でグリムが「おつかれさま」とトワを労った。先程の投げた言葉が返ってこない会話の的あてみたいなアレ。いったい何だったのだろうか。トワには見当もつかない。 「あの、何だったんです?」 「何って、盗み聞きされてたから」 「は」  盗み聞き。トワは頭のなかでいま言われたことを繰り返した。そのあとすぐ浮かべたのは「誰に」と「なぜ」だった。 「……店主ですね?」 「ん、そうだね。ほかに客いねーし」 「理由は」 「んー、理由はわかんないかな〜」  そりゃそうである。トワ共々、とくに見知らぬ他人の会話に聞き耳たてたことはあれど、わざわざ部屋まで赴いて盗聴するなんてことはしたことが無い。自分でしたこともないのだから、他人のしたことの理由を知ることなどもっと無理なのは道理である。 「あ……あ"あ"!?」 「エなになに」  トワは気づいてしまった。店主はグリムが絵からとび出て話していた所をいちども目視していない。きっとトワがふつうの絵画を背負って旅していると思っているだろう。  そんな店主が、部屋で一人グリムに向かって喋り続けるトワをドア越しに盗聴していたのなら。  その事実が指し示すもの。それすなわち店主はトワのことを部屋でひとりで絵に向かって喋るちょっとアレな子だと認識してしまったということ。 「ちょっと、ボクこれ絶対痛い子認定されてるやつじゃないですか! 昼の大食いの件といいどうしてくれるんですかこのばか!」 「えーひっどぉい。俺ばかじゃないもん。てか別によくね? 誰も気にしないって〜」  グリムはぶりっ子ポーズで目をきらきらさせて言った。顔がいいから普通にかわいいのがトワを更に苛つかせた。 「気にするんですよ!」 「マ? なんで?」 「沽券(こけん)に関わるんだよボクの」 「こけん〜? 宿に泊まりにきた女の子の客の部屋を盗聴するような変態に示す面目なんてあるの?」  トワの台詞を聞いてきょとん、という擬音の似合う顔で首を傾げたグリムは、なんてことないふうに言った。心底不思議そうであった。  それを聞いてトワは一気に熱を下げて「それもそっか」と冷静になる。  変態にどう思われようが関係ない。プライバシーの侵害をする変態と絵を話し相手にするぼっちだったらぼっちの方が犯罪を犯してないぶん上。彼女は下を見て素直に「よかった」と言える女だった。 「ボクのイメージはさて置くとして……そろそろ教えてください。なぜ姿を隠す必要が?」  トワにひとりで喋るよう指示したのは店主にグリムの存在を隠す為だろうと彼女は推測した。街なかでは堂々と絵からはみ出ていたのに、宿屋の店主には頑なに姿を見せない。それが引っかかっていた。 「んー、俺の推測というか思い込みというか……」 「にえきらない感じですね」 「うーん」  グリムはトワの腕を引っ張り顔を寄せる。何か言い淀みながら、口から言葉を捻り出す。その声は極めてひそめた声量だった。 「食事時も寝る時も。片時も俺を離さないでおいて。ずっと背負い紐を握るか、いっそ身体に括り付けといて」 「括り付けるって……なんで?」 「なんでって、そりゃあ――」  パッと離された腕。窓から光は差さないが、ほんのりとオレンジ色に染まりはじめた建物が見える。グリムは置かれたテーブルに肘をついて笑った。 「そのほうがいい事起こるかもしんないから」
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