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今日も似合わぬぴんくのフリフリを纏い、カツカツと廊下を歩く。断罪、処刑しにきたという王子と対峙するために。
部屋に入ると王子はソファーにふんぞり返っており、その隣にはあの忌々しい女。
トワの感情の温度は氷点下になった。ついでに王子がもっと嫌いになった。まだ馬糞を踏んづけた靴の方が愛せた。
「ご機嫌麗しゅう、愛しい人」
大好きな人に少しでも相応しくなるよう阿呆ほど練習したカーテシーも、まったく無駄だったなあと思いながら笑顔の仮面をかぶる。
王子は若干引き攣った不自然な笑顔に気づくことなく鼻で笑った。
「今日は何やら私を断罪しにいらしたとか」
「うむその通り……お前喋り方違くないか?」
「喋り方の違いなど瑣末な事でしょう?」
「さま……?」
「王子様、瑣末とは小さなこと、些細なことと言う意味ですわ」
瑣末の意味も分からない王子の横で、聖女が意味を説明する様は滑稽以外のなにものでもないし、トワは『あら、これ火を焚き付けなくても何れこの国炎上するかしらん』と思った。が、顔には出さなかった。彼女は空気の読めるレディだったので。
「こほん、流れ的に私は断罪され、その罪の為に処刑される―――しかし、私には理解できません。何故なら私はなんの罪も背負っておりませんので。なんの罪も無いのですから、断罪も処刑も行われないかと」
そう、トワには断罪されるべき罪も処刑される理由もない。逆に王子側に非がある。なぜこんなことを言われなければならない。
仕切り直して言うトワの言い分に王子は鼻で笑い、得意げな顔になる。トワは鼻で笑われるたび顔が死んだ。
「確かにお前にはなんの罪も無い。しかし、そんな事は関係ないのだ」
「関係ない、とは」
努力の末に手に入れた優秀な脳はこの先に起こる展開をいくつも演算しはじめる。
こいつはどうしようもないロクデナシだと数週間前に様々と認識させられて来た。
だが、どんなにごみっカスだろうとこれには地位がある。王族というブランドを背負っているのだ。トワの地位は王族には勝てない。つまり―――
「俺が"黒"と言えばお前は"黒"になるんだ」
こういうこった。彼女は王子の綺麗な顔に煮え湯を浴びせたくなった。それ程までに腸が煮えくり返っていた。
「お前は今まで我儘ざかりで無駄にベタベタして、俺に嫌がらせを散々してきたな。心底迷惑だった」
彼女は自身の行動が嫌がらせに思われてるなんて全く知らなかった。
今ではもう分からなくなってしまったが、当時は王子が好きで好きで堪らなくて、振り向いて貰うために必死に気を引こうとしていた。
「わざわざ自身に似合わないドレスを着て隣を歩き、周りに笑われ俺に恥をかかせた」
それは王子がぴんくのフリフリが好きだと言ったから合わせただけで決して彼女が王子に恥をかかせようとして着た訳じゃない。
「そも、"魔力損ない"が隣に立つこと自体が嫌がらせだった」
トワは、頭をトンカチで殴られたような衝撃を受ける。『魔力損ない』とは出来損ない、生まれ損ない、役立たずといった侮辱する言葉。魔法の使えない者への最高の差別用語である。
胸の内っ側に悔しさが溢れた。同時に涙が出そうになったが、彼女はこの二人の前でだけは絶対に泣きたくなかった。こいつらに、自身の弱い部分を見せたくなかった。
「世間知らずだろうお前は知らないだろうが、聖女とは尊く、国民から好かれる存在なのだ」
―――知っている。
「我儘で性格の悪いお前と尊く素晴らしい聖女。みながどちらの味方をするのか、どちらにつくのかは歴然だ」
―――知っている。皆の態度を見ればその位は察せる。
「今までの嫌がらせを王族への侮辱罪としてお前を断罪、処刑するのだ」
「……言い分は分かりましたわ」
一応、肯定しておく。理屈は到底理解し得るものではなかったが、それは良かった。話し合いをして通じるものなど無いと腹を括っていたから。
トワはそんな事より、隣の聖女がずっと同じ顔で微笑んでいる事が気になった。
女はずっと薄めた弓なりの目でトワを見つめていた。余りに不気味で王子との会話に意識を向ける。
「侮辱罪と言いますが、流石にそんな理由で人を処刑するのは無理な話。そうでしょう」
「ああそうだ。だが今お前が罪を犯せば?」
「は?」
本日何回目かの嫌な予感だった。今いる部屋にはトワと王子と聖女の三人しかいない。使用人や護衛たちはみな扉の外。魔法の使えない女に害は無いと判断した上での対応だろう。
しかし、もし安心な扉の向こうから悲鳴が、もしくは争う声や物音が響けば?
王子は魔法が使えるが、聖女は魔法が使えない。また、魔法が無くとも害は与えられる。トワの顔は青褪めた。
「ふふ、どうやら気づいたようだな。俺はお前に罪を作り消えてもらおうと思っている」
「王子殿下、正気ですか!?」
「ああ、その顔が見たかった!!」
王子はテーブルの上の花瓶をトワに見せつけるように持ち上げる。
「この花瓶を思い切り叩きつけたら外に音が響くだろう? そうしたら何事かと駆けつけた護衛騎士や使用人が入ってくる。皆にはきっと、お前が激昂して花瓶を投げつけた様に見えるだろうな」
彼は花瓶を片手に「どう投げつけよっかな〜、どこに投げつけよっかな〜」などと焦らしプレイをしはじめた。トワは逃げたかったが頭痛と目眩を起こして動けないでいた。
フラついている間に投げつけポイントを見つけた王子は、大袈裟に手を広げた。
「さあ、悪女に鉄槌を下そうではないか!」
―――カタンッ
―――ゴトッ
「あ"」
「あ」
「あら」
その時、花瓶を持ってない方の手が花瓶の隣に置いてあったカンテラに当たり、それが床に落ちた。そこから炎がこぼれ落ち、あっという間にカーペットに燃え移る。
この落下したカンテラ、実は非常に珍しい魔導具であり、別名「消えない妖精の灯火」といわれるもの。そう、消えないのだ。
何がって―――炎が。
「皆のものであえ! トワ嬢が逆上して屋敷に火を放った!」
「はいぃ!?」
堂々たる嘘。消えない炎を屋敷に放った罪を堂々と擦り付けた。王子の声を聞いて蹴破られたドアから護衛騎士が駆けつけ一斉に剣を向けられる。
―――冗談じゃあない、冗談じゃないぞ!
「あ、聖女様のスカートが燃えて下着が見えてます」
「「「「なに!?」」」」
トワは重心を思いきり低くして剣と剣、騎士と騎士のあいだを素早く駆け抜けた。華麗なる逃走。この国の男がスケベで助かったと思った。同時にドン引きした。
「逃げたぞ追え追え!!」
「男の純情を弄んで」
「犯罪者を捕まえろ!!」
誰が犯罪者だというのか。彼女の視界は涙でぼやぼやだった。自尊心もプライドも乙女心もズッタズタにされた。
背後ではむさい男達の罵声と怒声、またどんどん燃え広がる炎への悲鳴が聞こえていた。この日が彼女の人生最高に最低な日だろう。
「最悪最悪最悪!!」
泣きそうになりながら走るトワはメンタルが限界値に達していた。そんな時、いつも縋っていたのはあの肖像画。彼女は無意識に倉庫まで走り、逃げ込んでいた。
正気だったならそんな逃げ場のない所には逃げ込まなかった。その選択は普通に自殺行為である。しかし、彼女は正常な判断ができる精神状態ではなかった。すぐに扉を閉め、鍵をかける。
―――ドンドンドンッ!
「出てこいこの犯罪者!」
「隠れても無駄だ!」
「家名に泥を塗って」
「この魔力損ない!」
「このままここに閉じ込めて蒸し焼きにしてもいいんだぞ」
ドアの向こうから聞こえる声には小さい頃から聞き馴染んだ声、両親と兄の声があった。騒ぎを聞きつけてやってきたのか、王子が手を回して自身の悪評を流しておいたのか。どのみちクソだった。
ドアを背にして上を向く。彼女の涙腺はプライドを守るために気丈に耐えていたが、それはとうとう崩れ、大量の涙を溢す。
本当の彼女は泣き虫の癇癪持ちの我儘娘だった。故に、この現状が堪らなく気に入らなかった。
「う、う"〜〜! も、何なんだよぉ」
ボロボロと涙を流し、声を張る。
「ボクが、ボクが何したっていうんだ―――ただ一生懸命だっただけなのに……好きな人に好かれる為に一生懸命になって何が悪い、魔法が使えない事の何が悪い!」
彼女の頭には王子に言われた言葉がリフレインしていた。魔力損ない。魔力が損なっている。
なぜ生まれついた性質をここまで言われなければならない。魔力があれば、魔法が使えれば結果は違っていたか?
魔法が使えていたら、自分は王子に愛されていたのだろうか。好きな人を何も知らないまま好きで要られたのだろうか。
―――否、そんなわけ無い。
自身が魔法を使えたとて王子は王子のままだ。だって婚約者がいるのに浮気した挙句アプローチを嫌がらせと言う男だぞ?
そりゃあ確かにベタベタしすぎたかもしれないが、その代償が処刑とは何事か。彼女は己の男を見る目の無さをこれでもかと嘆いた。
「あは、あはは。最低最悪だ。何もかも!」
―――熱い、煙たい、酸素が薄い。
トワの意識は朦朧とし始めた。軽く走馬灯を見る。王子に媚びってる自分、兄と比べられてる自分、親に無視されている自分、王子に媚びってる自分……王子が関わっているときの自分が心底気持ち悪くて、また碌な走馬灯が無くて虚しくなった。何故自分はあれを好きになったのか、もう覚えてないし分からない。
自分はこんな病気に侵された泥酔みたいな人生を胸に死ぬのだろうか。
大勢から自身の尊厳と人権は踏み躙られ、好きだった人から冤罪をかけられ、家族からは犯罪者呼ばわりされ、実家は大炎上。これ以上惨めな事ったら無い。
きっとトワが死んだあと、奴らは悪女を退治し聖女を守った英雄として讃えられ、子供を作ってハッピーライフを送るだろう。
「認めない、許さない、めでたしめでたしなんて言わせるか。もしボクが死んだらお前ら一生、末代まで呪ってやるからなぁ!! うわああああん、誰か助けろよーーーーー!」
恥も何もかも捨てて泣き喚く。外からはもう誰の声も聞こえない。きっと炎が広がりすぎて外に避難したのだ。
どんなにみっともなく泣き喚いて癇癪起こしたって、誰も聞いちゃいなかった。もう、誰も彼女の味方はいなかった。
熱が喉を焼く。苦しくて辛くて悔しい。
―――そんな折、トワは声を聞いた。
「おじょーさん、俺が助けてあげよっか?」
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