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数日後。
私は学校が終わってすぐに、ヒヨに会いにユリちゃんのおじいちゃんの家へ行った。
庭にはたくさんのニワトリがいて、どれがヒヨなのか見分けがつかなかった。
すると、家からおばあちゃんが出てきた。
おばあちゃんは私に気が付くと、ニコニコ笑みを浮かべ近寄ってきた。
「あー、木下さんとこの。ミキちゃんか」
「こんにちは」
「ユリは今ピアノの教室に行ってるんだけどね。今日はまだ帰らないよ」
「ユリちゃんじゃなくて、ヒヨに会いに来たんです」
「ヒヨ?」
「私が飼ってたニワトリです。お母さんが、ユリちゃんのおじいちゃんに預けたって」
「ああぁー、あのコーチンか」
コーチンという聞きなれない言葉に何も言えないでいると、おばあちゃんの口から衝撃の一言が放たれた。
「ありゃうまかったよ」
「え?」
「じいさんが木下さんとこのニワトリをもらってきたんだけど、次の日に死んじゃってね。せっかくのブランドもんだからもったいない言うて、昨日捌いて、鳥鍋にしたんじゃ。いや、ありゃホント美味かった。ユリも喜んでたよ」
「……」
頭の処理が追い付かない。
「そういや隆司の文化祭でユリもコーチンもらってきてたなぁ。あれはまだ生きとったかの。あー、じいさんも趣味でニワトリやるんはいいけど、コーチンくらいいい肉育ててくれりゃいいのになぁ。あ、ミキちゃん、卵持ってくかい?」
「……」
私は何も言えず、その場を走り去った。
ヒヨが、食べられてしまった。
しかも、ユリちゃんもヒヨを食べた。
ユリちゃん家のみんなが、ヒヨを。
お母さんのせいだ。
ヒヨをあんなところに預けたから。
許せない。
ユリちゃんのおじいちゃんも、ユリちゃんのおばあちゃんも、ユリちゃんの家族みんな。
そして、ユリちゃんも。
この日、私は人生で二度目の恨みを知った。
ヒヨの一件以来、ユリちゃんと話すことはなくなった。
ユリちゃんは私の態度が変わっても特に気にする様子もなく、私達はあっという間に疎遠になった。
あとから聞いた話だけど、あの時、ユリちゃんは“ニワトリは食べられるためにいるのに、何でミキちゃんが怒ってるのか分からない”と言い回っていたらしい。
たしかに私はニワトリを食べる。
ヒヨを飼ってた時だって、鳥肉を食べたり、卵を食べていた。
けれど、私にとってヒヨはヒヨだった。
私が食べようとしている肉や魚は、誰かにとってのヒヨだと思えたから、命に感謝をして食べるということがよく理解できた。
それは大人になった今もそうだ。
けどあの時、私にとってヒヨは、いただく命ではなく、共に生きる命だった。
家族として、兄弟として、親友として、一緒に生きる命だった。
子どもの頃、私はヒヨのおかげで命を知った。
命を受けることの喜び、命と共にする喜び、
命を奪われる痛み、命が終わる悲しみ。
それはきっとダイの時から通じている。
幼すぎて理解できないまま終わってしまったダイの命。
悲しいだけだったダイの思い出が、とても大切なものだと気付けた。
ダイ、そしてヒヨのおかげで、命を大切にしようと思えるようになった。
その心がある限り、ダイとヒヨは私のなかに生き続けている。
終
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