第二話「流露」

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 フィスクの村……  こじんまりしたウィレット医院。  頑丈な石造りの病室は、ただの酔っ払いから狐憑きや精霊疾患(ウェンディゴ)、そして今回のアエネのような吸血鬼の被害者を収容することに長けていた。どの村にも最低ひとつは準備されているタイプの病室だ。  なんとか村医者は、夜の急患を受け入れてくれた。  ベッドに横たえられ、アエネは浅く寝息をついている。  その首筋に刻まれた惨たらしい吸血痕を、白衣のウィレット医師は慧眼で事細かに調べ上げた。年老いたベテランの医療呪士だ。顔の皺をなお真剣に中央へ寄せ集め、重々しくつぶやく。 「光の呪力による加護、そして聖水を投与しての浄化を試みよう」 「ありがとうございます、先生」  心底から感謝したのはハオンだった。 「大丈夫ですかね、カレイドの呪いは?」 「この娘の体力・呪力の免疫しだいだな。幻夢境(げんむきょう)の技術でも吸血鬼化は完全に封じることはできず、遅らせて時間を稼ぐことしかできん。つまりはただの応急処置だ。その間、急いで呪いの主を探し出して倒すのが先決といえる。セレファイスへの連絡は?」  鉄格子つきの狭い窓からそそぐ月明かりをあおぎ、ハオンはうなずいた。 「都へは、さっき伝書鳩を飛ばしました。救援要請を受け、メネス先生は強力な討伐隊をすみやかにこっちへ寄越してくれます」 「都から村へはそうとうな距離がある。間に合えばいいがな……それはそうとして」  さっきからずっと気がかりだったことに、ついにウィレット医師は焦点をあてた。病室の片隅に生じた暗がり、魅惑的な体型を真っ赤なマントで包むのはエリーだ。  そのぞっとするほど美しい蒼白の素肌、不吉な眼帯、さらにはときおり唇の端に見え隠れする乱ぐい歯は。いまもっとも一同が苦しめられている課題そのものではないか。  慎重に、ウィレット医師はたずねた。 「人間に友好的な種がいるとは、うわさにしか聞いたことがない……吸血鬼だね、きみ?」  心外そうに、エリーは首を振った。 「似ておるが、やや違う。わらわは吸血鬼の血を吸う逆吸血鬼(ザトレータ)じゃ。人間は食料として好まん」 「吸血鬼の血を吸う吸血鬼、だと……」  大きな戦慄とは別に、ウィレット医師の瞳にはたしかに好奇心の炎が宿った。研究者のはしくれとして、正体不明の存在には着目せずにいられないのだ。 「エリーくんと言ったな。きみ、生まれは?」 「地球じゃ」 「地球! あの伝説の異世界か! さすが地球、幻夢境(げんむきょう)にはありえない生物がいる」  興奮してエリーに詰め寄る老医師は、もはや変質者に近かった。 「エリーくん。ちょっとだけでいい、血を採らせてもらえないかね? あと毛髪と、皮膚のかけらも少々」 「な、なんに使うつもりじゃ?」 「我が神聖なる研究に、だ。今後の吸血鬼対策の発展につながるやもしれん。多種多様な実験への細胞の働き、陽光への反応、培養時の経過観察……ああ、考えるだけで夢がふくらむ」 「イヤじゃイヤじゃ」  鼻息を荒くする狂科学者(マッドサイエンティスト)から、エリーは思いきり遠ざかった。 「わらわがこの世でもっとも我慢ならぬものが二つある。薄っぺらい無味の血と、この高貴なる身を実験動物のように弄ぶ魔手じゃ。ええい、寄るな触るな」 「む、無料でとは言わん。アエネくんの治療費と相殺でどうだ? いや、そのうえさらに所定の報酬も上積みしよう」  理解のおよばない顔つきのハオンのうしろへ、エリーは逃げた。じぶんがまとう真紅のマントをつまみながら、毒づく。 「こんな格好じゃから目立つんじゃ」  怒った猫のように周囲を威嚇するエリーへ、ハオンは同意した。 「そうだね。たしかにその服装、吸血鬼のお手本そのものだ」 「服を買うぞ」 「それがいい……」  エリーの背を出口へ押しつつ、ハオンはそれとなくウィレットをさえぎった。 「では先生、アエネをお願いします。容態が急変するようなことがあったら、すぐに知らせてください」 「心得た。またな、エリーくん。初診を楽しみにしてるよ」 「まっぴらご免じゃ」  いやらしい笑みの老医師へこれでもかと犬歯を剥き、エリーは病院をあとにした。
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