第二話「流露」

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 エリーとハオンは、夜の表通りにでた。  近くの民家からは影絵となった家族たちの平和な笑い声が漏れ、軒を連ねるのはいそがしく売り切りセールを行う食料品市場だ。  フィスクの村にも、吸血鬼出没にともなう夜間の外出禁止令は布告されている。夜道を行き交う村人たちの足取りも、心もち早い。  そのため人々の視線が、エリーとすれ違うたびにギョッとなるのも当然だった。  エリーに耳打ちしたのはハオンだ。 「あとすこししたら、夜警の見回りが始まる。お説教される前に、宿に急ごう」 「そうだな……ん?」  村人たちの風貌に奇妙な特徴を発見し、エリーは首をかしげた。 「あの若い女どもがときどき身に着けておる衣装……美須賀(みすか)大学付属高校の制服ではないか?」 「さすが地球人。お目が高いね。あれは〝じょしこーせーのせいふく〟という流行りのファッションさ」 「はやり? 女子高生の制服が、なぜ?」  エリーの疑問符に、ハオンは自慢げに答えた。 「幻夢境(げんむきょう)でちょっと前〝イレク・ヴァド決戦〟という大きな戦争があってだな。セレファイスはみごとに勝利をおさめた。彼女たち〝カラミティハニーズ〟の活躍によってね。救世の戦乙女たちが戦場でまとっていたのが、あれだよ」 「ほう」  エリーは納得した。その争いの事実と参戦者たちのデータは、組織(ファイア)の情報網でよく知悉している。 「カラミティハニーズ……合点がいった。ちなみにわらわも、彼女らの通う学校で臨時の外国語教師を勤めておったぞ」 「え、先生? まじで?」  すなおにハオンは聞き返した。 「無礼を承知で聞くけど、エリー。きみはいったい、いま何歳なんだい?」  唇に手をあて、エリーはくすりと笑っている。  教職員としての彼女は擬装のため、高度な肉体操作によって二十代中盤ていどの外見年齢にみずからを化かしていた。だがいまは違う。異世界での姿形は組織にとやかく指示されていない。だから現在は、完全な自然体である十代の容貌だ。ごくささいな差異かもしれないが、いち女性にとっては重要である。  ひょうひょうとエリーはうそぶいた。 「花の十七歳、ということにしておく。マイナス五世紀でちょうどそうなる勘定じゃ。たとえ精密検査にかかろうが、わらわが青春まっさかりであることは嘘偽りないと証明される」 「なんだかよくわかんないけど、吸血鬼の年齢事情も複雑なんだね、女子といっしょで」  古めかしい懐中時計の時刻を確かめると、ハオンは提案した。 「服の店〝シャリエール〟はまだ開いてるな。よし、エリーの服もあれにする?」 「女子高生の制服に、か? まあよいが……いや、だめじゃ」  困ったように、エリーは眉間をもんだ。 「異世界召喚の最中、あらかじめ用意しておいた幻夢境(げんむきょう)の通貨も、根こそぎ次元渦動に吸い込まれてもうたわい。ちと待っておれ。母なる暗闇にまぎれ、そこいらの村人から追い剥ぎしてくる」  大の字で立ちふさがって、ハオンはエリーを阻止した。 「だめ!」 「クク。なァに、命までは盗らんさ。おとなしく金目のものさえ置いていけば、な。事はまばたきひとつのうちに終わらせる」 「だれかなんとかしてくれ、この悪どい賊を……お金なら貸すよ。都の経費がいくらかある」 「なんじゃ。脅さずとも出るのか、それは?」  数分後……  閉店の看板と消灯にとりかかった〝シャリエール〟の店内で、エリーは着替えた。素材こそ現実世界と異なるが、美須賀大付属の制服へ。  足もとに脱ぎ捨てられたのは、ここまで世話になったルビーのマントだ。マタドールシステム・タイプ(オー)の収まったホルスターも、細い腰にいちおう巻いて留める。  姿見の鏡の前で、エリーはくるりと一回転した。  おお。なぜか鏡には、その背後の景色しか映っていないではないか。  エリーは舌打ちした。吸血鬼は鏡に映らない。微妙な部分だけは伝承どおりだ。 「そういえば地球でも、わらわの使う鏡はすべて、いったんカメラを介した電子画像じゃった。こうなったらもう、人の目に頼るしかあるまい」  スカートのすそをつまみながら、エリーはとなりのハオンへたずねた。 「なかなか着心地はよいが、男から見た感想はどうじゃ? 開き直って着てはみたが、やはり五百十七歳にはちと無理があるかや?」 「…………」  立ち尽くすハオンは無言だった。  少年の顔はぼうっと緩み、頬は赤らんでいる。口の端に浮かぶのは、幸せそうなよだれだ。思いきり鼻の下をのばしたまま、ハオンはつぶやいた。 「かわいい……俺と結婚してくれ」 「合格、といったところかの。求婚は望むところじゃが、わらわには数えきれんほどの×(バツ)がついておるぞ。先に先にと、伴侶に寿命や古戦で先立たれてな」 「痛で!」  頭をつらぬいた衝撃は、ハオンを夢から現実へ引き戻した。エリーの渾身のデコピンを浴び、うら若い死霊術師(ネクロマンサー)のひたいは青春の赤色に腫れている。この氷細工のような指先のどこにこんな力が?  繊手どうしで腕組みし、エリーはあざ笑った。 「わらわに告白するならせめて、甘いミルクではなく鉄臭ただよう生き血が飲めるようになってからにせよ。話はそれからじゃのう、坊や?」 「ガキ呼ばわりすんな! くそ、わァったよ! ちょっと城に行って血を吸われてくる!」  地獄のようにささやいたのは、第三の声だった。 〈わざわざ訪れる必要はない。こちらから出向いてやったぞ、ルビーの仇どもめ〉  店の壁が爆発したのは、次の瞬間だった。
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