第一話「脈動」

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 そこは現実世界ではない。  ここは異世界にある〝幻夢境(げんむきょう)〟……  幻夢境(げんむきょう)の西の果てに位置するムナール山に、その城は邪悪な影絵と化してそびえ立っていた。  満月に染め抜かれる城壁を、竜巻のごとく群れて旋回するのは大量のコウモリだ。なんだろう。城からこぼれる風には、どす黒い呪力と、かすかな血臭じみたものが混じっている。  そこに巣食う恐怖を、幻夢境(げんむきょう)で知らぬ者はいない。  そう。  ここの住人は〝吸血鬼〟……  幻夢境(げんむきょう)でもその夜の眷属は、人を襲う知性ある危険生物に分類されて広く知れ渡っている。その中でも特に強い勢力をほこるのが〝万華鏡(カレイド)〟の一派だ。  いまも吸血城の広間には、大きな円卓を囲んで凄まじい影たちが鎮座している。  その吸血鬼たちは、他のそれとは一線を画した。つごう四名の彼らは、そのたくましい体をさらに頑強な全身鎧で覆っている。  鮮やかな鎧の色は計四種類。  すなわち、赤、青、白、緑。  戦慄をこめて〝宝石の四騎士〟と呼ばれる吸血鬼たちは、まんじりともせずに待っていた。  なにを?  答えは、かすかに軋みをあげた大扉がもたらした。開いた隙間から遠慮がちに顔だけをのぞかせたのは、ひょろ長い人影だ。いかにも軽薄そうではあるが、しかし輝くような美貌をも青年は持ち合わせている。  鎧を轟かせていっせいに起立した四騎士たちへ、美青年はごまかし笑いで舌をだした。 「ごめんね、みんな。待たせちゃった?」  しゃちほこばって、赤騎士〝鳩血石(ルビー)〟は答えた。 「お待ちしておりましたぞ、我が(あるじ)」  続いたのは青騎士〝蒼玉石(サファイア)〟だ。 「さ、どうぞお席へ、万華鏡(カレイド)さま」 「ほんとにごめんよ。朝が来る前に居眠りしちゃってさ。ついウトウトと」  広間に入室した美吸血鬼の風体は、簡素なシャツにスラックスといったものだった。ガチガチに正装した四騎士たちとは、姿勢からして正反対だ。  だがたしかにカレイドは、この吸血城における最強の存在だった。カレイドの着席を見守ってから再び座り直した四騎士のうち、現に白騎士〝金剛石(ダイヤ)〟は穏やかに首を振っている。 「眠気も仕方ありませぬ。カレイドさまにおかれましては連日、激務につぐ激務続きですからな」  腕をあげて思いきり伸びをしながら、カレイドはあくび混じりにつぶやいた。 「城主なら当然の勤めさ。あ~、休憩したおかげで頭がスッキリした。べつに叩き起こしてくれても良かったんだよ?」  苦笑してなだめたのは、緑騎士〝緑柱石(エメラルド)〟だった。 「とんでもありませぬ。何度かは起こしに参りましたが……ひさびさに安息されるカレイドさまを、たやすく起こす気には到底なりませんでした。どうかお許しくだされ」 「ありがとう。ところで、ところでなんだけど?」  光沢のある頭髪を無造作に掻きながら、カレイドはたずねた。 「きょうはなんの集まりだっけ?」  吸血の四騎士たちは、戸惑ってお互いの視線を見合わせた。そろって眉庇(バイザー)に隠れて見えない顔と顔とを寄せ、口々に疑問をかわす。 「もしやカレイドさま、お疲れがたまり過ぎてとうとう記憶にまで弊害が……」 「聡明なカレイドさまのことだ。深いお考えがあってのことだろう」 「いやしかし、こんな大切なことをお忘れめされるとは……」 「まさか、あの小娘をあざむくための奇策か?」  いっこうに的を得ない四騎とひとりに、鋭い回答を与えたのは第六の人物だった。 「きょうは喫緊の課題について話し合う約束だったはずだわ。大遅刻よ。みんなで仲良く日光浴する? カレイド?」  いったいいつの間に?  カレイドの席の背後、静かにたたずむのはひとりの少女だった。  すらりとした細身に、彼女は見たこともない未来的なスーツをまとっている。それよりおかしい。どんな野生動物と比べても鋭敏なはずの吸血鬼たちの超感覚が、少女の存在をいまのいままで察知しなかったのはなぜだろう。  瞬時に殺気立った吸血鬼たちのうち、いち早く席を蹴ったのは緑騎士だった。カレイドの次に、彼がもっとも少女の近くにいたのだ。 「無礼だぞ、きさま! 隠密裏に我が主の背中をとるとは!」  地響きをあげて、緑騎士は猛然と少女に肉薄した。カレイドを守ろうとする義務感が強すぎ、完全に頭に血が昇ってしまっている。  強引に少女を引き剥がそうとした緑騎士の腕の先に、しかし不埒者の姿はない。  いや、あった。緑騎士の真後ろに。  瞬間移動?  ちがう。彼女を突き動かすのは、そんな生ぬるい力ではない。 「時間がないのよ、わたしには。だから〝前借り〟する」  獲物を見失って困惑する緑騎士の背中にそっと手をおき、少女は告げた。 「〝超時間の影(シャドウ・オブ・タイム)〟……五十倍よ」  爆発音は響き渡った。 「ぐおッ!?」  どうしたことだろう。あの超重量の緑騎士が、風にもて遊ばれる木の葉のごとく宙へ吹き飛んだではないか。硬い壁面を人型にえぐって突き刺さり、緑騎士は気を失って痙攣している。その丈夫さが売りの装甲板に残るむごたらしい陥没は、少女の手のかたちと見て間違いない。 「安心して。滅ぼしてまではいないわ、いまのところ」  ささやいた少女の掌は、わずかに呪力の電光と薄煙をあげていた。やはり緑騎士は、少女に軽く触れられただけとしか思えない。なのになんだ、この結末は。その直前の光速じみた歩法といい、彼女には謎が多すぎる。 ほかの仲間三人にあわただしく緑騎士が救出される中、ただひとり落ち着き払う人物はいた。カレイドだ。まるでこの事態を、あらかじめ予測していたようにも窺える。  無縁であるはずの太陽のような微笑みを浮かべて、吸血鬼の王は少女の名を呼んだ。 「や、ホーリーちゃん。立ちっぱなしもなんだし、座って座って♪」
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