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無機質な作動音をつれて、ブロック407の自動扉は開いた。
すかさず室内へ飛び込んだのは、エリーとヒデトだ。ヒデトは自動拳銃の銃口で油断なくあたりを探り、エリーは飛びかかる寸前の猛獣のごとく身を沈めている。
研究室は破壊に覆われていた。
竜巻にでも襲われたようにあちこちの精密機器は砕け、照明を割られた天井からぶら下がるのは千切れた配線の数々だ。
闇に噴きあがる漏電の火花が、ときおり明るみに照らすのは倒れた研究員たちの姿だった。白衣や防護服の彼らは、そろって首筋から血を流している。
うじゃじゃけたそれらの傷跡は、吸血鬼の歯型と見て間違いない。
彼らを真の意味で救うには、この吸血痕をうがった犯人を倒す必要がある。さもなくば被害者たちは、永劫に等しい時間を組織の監獄で過ごすことになるはずだ。吸血鬼の細胞に感染した狂暴な獣として、血の渇きに激しく飢え苦しみながら。そのまま殺処分されるか容赦ない実験材料にされるかは、運命のみぞ知る。
つねに最先端をいく組織の技術力をもってしても、いまだに有効な治療法がない。
それこそが空間や時間すら超越する伝説の〝吸血鬼の呪い〟のおそろしさである。
濃密な血の臭いに口もとを押さえ、嘆きをこぼしたのはヒデトだった。
「ひでえ……遅かったか」
切れ長の独眼をしかめ、エリーは続いた。
「どこのどいつじゃ、わらわの縄張りで許可なく勝手に人間どもをつまみ食いしたのは?」
質問に答える者はいなかった。ブロック407に外敵とおぼしき気配はない。
拳銃の腕と交叉して、ヒデトが構えたのはコンパクトな軍用ライトだ。強烈な投光でくまなく暗がりを調べつつ、ヒデトは毒づいた。
「くそ、思ったとおりだ。お宝のタイプOがどこにもねえ」
「お宝?」
エリーは首をかしげた。
「マタドール・タイプOとは従来の人型アンドロイドではないのかえ?」
「あとで資料を見せる。忍び込んだ吸血鬼は、なんであんなものを盗んでった? あれ単体じゃ、いまはなんの役にも立たないはずだ。あれを持って、いったいどこへ……」
叫んだのはエリーだった。
「上じゃ!」
エリーの飛び蹴りに突き飛ばされていなければ、いまごろヒデトは八つ裂きになっていただろう。
息を殺してコウモリのごとく天井に逆しまに立っていた人影が、鋭い爪の輝きとともに急降下したのだ。猛スピードで突き下ろされた吸血鬼の一撃は、不可解な七色の軌跡を残してヒデトのもといた場所をえぐっている。
見よ、その威力を。長く伸びた虹色の爪は、床を貫通してあっさり底の躯体にまで達している。耐弾・耐爆・耐呪力等の防御が幾層にも張り巡らされた素材なのにだ。それを粘土のように容易く切り裂いてのけるとは。イリエワニの咬合力に匹敵するとさえされる吸血鬼の膂力とはいえ、いくらなんでも尋常ではない。
すんでのところで命の危機をまぬがれたヒデトは、かわりに研究機器の残骸に突っ込んで大人しくなっている。
美しささえ放つ玉虫色の手を床から引き抜いた人影へ、エリーは低い声で問うた。
「この狼藉者め。何者じゃ?」
吸血鬼というわりには、犯人の服装はあまり目立たないものだった。
ひょろ長い体にまとうのは簡素なシャツにスラックス、ついでに申し訳ていどにサングラスで素顔を隠している。どこにでもいそうな若者だ。そう、見た目だけなら。
若者の片手に握られるのは、頑丈なアタッシュケースだ。その中に、例のタイプOとやらは収まっているらしい。
五メートルの間合いまで迫り、エリーは吸血鬼を真っ向から見据えた。
「口が聞けぬわけでもあるまい。よかろう。わらわはエリザベート・クタート。偉大なる逆吸血鬼じゃ。さて?」
かすかに機械の故障音が響く中、若者はひょいと肩をすくめて答えた。
「ずるいね。レディに名乗られたら紳士は名乗り返すしかない。私は〝万華鏡〟。幻夢境のしがない吸血鬼さ」
「また異世界からの来訪者か」
顔つきを厳しくしたエリーへ、カレイドは不遜なほほ笑みを向けた。
「そういうきみは、うわさの〝吸血鬼の血を吸う吸血鬼〟だね。その威圧感、綺麗だけど想像以上にホラーだよ」
「くわしいようじゃな、わらわについて。では、みずから天敵の前に身をさらしていることの意味もわかるの?」
カレイドの片手のケースを指差し、エリーはうながした。
「まずはそいつを返すがよい。組織の所有物じゃ」
「すなおに返したら、私をこのまま見逃してもらえるかな?」
形のよい五指を鉤状に曲げ、エリーはスタイリッシュに吸血鬼伝統の構えをとった。
「わらわに九割五分ばかり血を喰らわれて、まだじぶんの足で歩けるならな。同時に、山積みの謎もじっくり尋問して解明してくれる。ごちそうじゃ、うぬは」
「そりゃ光栄だ。うまいもの呼ばわりされるのは、吸血鬼としては貴重な体験だね。でもこれ……」
ケースの表面を指でなぞり、カレイドはささやいた。
「未来と戦う武器なんでしょ? ホーリーから聞いたよ?」
「ホーリー、じゃと……」
なにげなくカレイドが口にした単語は、エリーの青白い表情からなお血の気を奪った。
「それとつながっておるのか、うぬは?」
「ま、お茶するていどの関係さ」
「その最重要機密の呼称、耳にしたからにはますます見逃せんわい」
エリーは動いた。
ひめやかに眼帯をずらしたその片目から、おびただしい血が流れ落ちたではないか。エリーの掌中で、硬い音が前後へ広がる。瞬時に凝結した彼女の血液が、両刃の西洋剣へと姿を変えたのだ。
大上段に掲げた真っ赤な長剣の切っ先を、エリーはカレイドへ照準した。
眉を跳ね上げ、正直に驚いてみせたのはカレイドだ。
「すごいね、それ。いったいどうなってるの?」
「捕食術式〝血晶呪〟……その切れ味、身をもって思い知れい!」
刹那のできごとだった。
目にも留まらぬ神速で、エリーの長剣はカレイドを薙ぎ払っている。いや、そうではない。刃が触れた瞬間、カレイドはみずから破裂した。そう。きらめく水晶のごとき無数のコウモリと化して、カレイドは分散したのだ。
七色の羽ばたきのどこかから、カレイドは告げた。
「召喚術〝血呼返〟」
「召喚術、じゃと?」
すばやく剣光を引き戻しながら、エリーは理解した。
「ではうぬの呪力が、デクスターや自分自身を?」
「そう、召喚したのさ。私は〝吸血鬼専門の召喚士〟……たしかにもらったよ、タイプOは」
あっという間にそばの通気孔のすきまに吸い込まれ、虹色のコウモリどもは消えた。召喚の原理で、タイプOの入ったケースごと。
「逃がさぬ!」
追って部屋を飛び出しかけたエリーを、あわてて掴んで止めた手がある。
ヒデトだった。さっきの飛び蹴りの痛みに顔をゆがめたまま、声を大にする。
「待て、エリー!」
「ええい、放さんか!」
「いまこっちにパーテとソーマが向かってる! 合流して追うんだ!」
にべもなくヒデトの手を振り払い、エリーは獰猛な笑みを浮かべた。
「手助けなぞいらん。わらわひとりで十分じゃ」
疾走に移ったエリーの背後で、ヒデトの制止は自動扉に封じられた。
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