3人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
市内のウィークリーに宿泊していると言うと、嫌でなければ住み込みでも構わないと言われ、即座に頭を下げた。
仕事は「天ノ龍神ケ洞」に関わる全てだったが、日々の数字にキリキリすることも、次へ次へと企画に頭を抱えることもない。
チケット販売も案内も機械操作も、正確さが全て。出入りの人数チェックが厳格なこと以外は、それ程難しいことはなかった。手が空けば掃除から買い物、雑用事は進んでやった。
忙しいには違いなかったけれど、以前の忙しさとは全く別の感覚。
時間が止まっているのじゃないかと思うほどに、何もかもがゆったり感じられた。
そして、密閉された空間の事務所ても売場でもない、自然の中に身を置いていると、否応なく空を見上げることが多くなった。
早朝、本宮まで山を上る。
天ヶ原を一望。
薄っすらと雪を被り凍えて眠る山。
龍神のために咲く美しい山桜。
眩しいほどの新緑。
先取りの偽物ではない季節を呼吸する。
一人で。
見渡し、仰ぎ見る空の高みから、
「純」と
俺を呼ぶ声が降って来るような…
差し出した手を引き上げてくれるような…
そんな気がした。
空から…
空へと…
もう此処には存在しないことは充分わかっていた。
耳の奥の声も伸ばした掌も幻を掴んでいる。
それでも尚、想いは張り付いたまま、断ち切ることが出来ないのは何故。
今迄、こんなに誰かを強く想ったことはない。しかも男にだ。
「篠さん…なんとか言って下さい」
「そんなことは自分で考えろ」
きっとそう言うに違いない。
最初のコメントを投稿しよう!